『ハルノート』について、重要なことを林氏が語っている。
野望にかられた日本がアジアで暴走したと、戦後の教育で教えられてきた私は、別の事実があることを知った。
私が昨夜「目覚めた」ように、息子や孫たちが、戦後教育の偏りと捏造を発見できるよう、この歴史的文書の要点を紹介したい。まず、『ハルノート』が日本へ渡される直前の状況を、氏の本から引用する。
・1941(昭和16)年の7月、アメリカは、日本との一切の貿易を、政府の統制下に置き、すべての日本人の在米資産の凍結をした。
・このことに関し、インドのパール判事は、東京裁判で次のように述べた。
・これは経済戦の宣戦布告であり、中立行為ではなかった
・同時にオーストラリア、オランダ、イギリスによってとられた、経済的、軍事的措置と相まって、日本人が名づけたようにこれはまさに対日包囲政策であった。
・アメリカ側の最後通牒である『ハルノート』は、昭和16年11月26日に渡された。
・アメリカ国務省に呼びつけられ、ハル長官からノートを手交された野村大使は、ただ茫然とするばかりで悲痛の面持ちで引き下がったと、チャーチルが回想記の中で書いている。
・『ハルノート』は10ヶ条よりなる覚え書きだが、その中の重要な2項目が3と4だ。」
3. 日本は中国および仏印より、全陸海空軍および警察力を撤退する。
4. アメリカ・イギリス・両国政府は、重慶政府以外の中国におけるいかなる
政府、もしくは政権をも支持せず。
・中国、仏印からの撤兵はまだ良いとしても、4項は汪政権はもちろんのこと、満州国放棄を強制している。
・さらに5項では、中国における一切の既得権益の放棄を命じ、9項で三国同盟の放棄を要求している。
・これについてもパール判事は、それは最早交渉ではなく、日本への全面降伏を迫る最後通牒を意味するものだった、と語っている。
・ ルーズベルト大統領とハル国務長官は、提案を日本が受諾しないと信じていたので
・日本側の回答を待つことなく、文書を手交した翌日に、アメリカの前哨地帯の全指揮官に対し戦争態勢に入ることを命令した。
・アメリカの内部資料 ( ロバート報告書 ) では、全指揮官が、戦争突入の警告を11月27日に入手したと書かれている。
・これが、真相である。
・歴史の真相は時勢の流れに埋没し、終わるものもあるが、時が経ち、自然に現れるものもあり、学者たちの努力で発掘され万人の目に触れるものもある。
氏はここで、「真珠湾を不意打ちをした卑怯な日本」という非難は、作られたプロパガンダだったことを、明らかにしている。ルーズベルト大統領は、日本の真珠湾攻撃を知りなが、戦意高揚のため国民に知らせなかったと、他の資料で読んだが林氏の著作と符合する。
開戦当時の太平洋艦隊司令官だったセオポルド少将は、回想記の中で、「真珠湾は、日本に最初の一発を打たせるためのオトリだった、と告白している。林氏の著作が昭和59年に出版されていたが、日本の学者や文化人は一顧だにしなかった。
平成の今になっても、反日のマスコミが「真珠湾奇襲攻撃」への非難・攻撃を止めようとしない。
私の怒りは、ハル国務長官やルーズベルト大統領より、国内にはびこる「反日・売国の日本人」の方へ向かう。
彼らこそが敗戦後の日本に蔓延する「獅子身中の虫」であり、「駆除すべき害虫」だと、事実が明らかになっている。国を守る軍隊も持てないまま、米軍に守られている日本の情けない状況は、この虫どもの大合唱が作った。
虫は反日の左翼政党ばかりでなく、自民党の中にも沢山いて、「平和憲法の護持」とたわ言を言っている。日本の夜明けは、まだまだだ。
選挙の一票で豹変する信念のない政治家が多いことを考えれば、国民が目覚める方が先なのかもしれない。ご先祖の血と涙を考えない政治家には投票しないと、国民が目覚める方が早いのではなかろうか。
敗戦後70年も経てば、日本の問題はすべて日本人の責任だ。中国や、韓国・北朝鮮のように、自分たちの無知無能を棚に上げ、いつまでも「日本のせい」と大騒ぎするのは、国として情けない姿だ。
色々過去の事実を知った私たちは、ルーズベルトが、マッカーサーが、スターリンがと、未練がましく他への責任転嫁をしてはならない。
恨みがましく卑屈に他国を責めない潔さが、日本人の美点の一つと思うが、その好例となる人物がいた。
石原慎太郎氏の著作で知った、賀屋興宣氏である。
明治22年に広島で生まれた氏は、東大卒業後に大蔵省へ入り、近衛内閣と東条内閣で、大蔵大臣を務めた。東京裁判でA級戦犯となり巣鴨刑務所で10年間服役し、昭和35年に岸信介氏たちと共に無罪赦免され、池田内閣で法務大臣になっている。
その後日本遺族会の会長を務め、昭和52年に88才で没した。政治家は誰もが勲章好きなのに、氏は身を厳しく律し、叙位・叙勲の全てを辞退している。あまり他人を褒めない石原氏が、敬意を払っていた。
・戦争前から戦争にかけて、無類の財政能力を発揮したが故に、戦争犯罪人に仕立て上げられた賀屋さんは、少なくとも、私が今まで政界で眺め渡した限り、最も知的な人物だった。
・自由党総裁だった緒方竹虎は、健康に一抹の不安を抱いていて、自分に万一のことがあったら総裁の座を継いで欲しいと頼んだ。
・この時賀屋氏は、犯罪人の名を被った人間は、国家の首班となり得る地位に就くべきではないと頑固に拒んだ。
石原氏が東京裁判への法的な疑義を口にすると、賀屋氏が言ったという。
・でもね、勝った者が勝って奢って負けた者を裁くのは、当たり前じゃありませんか。
・個人にせよ国家にせよ、人間のやることは所詮いい加減なものですよ。
・万が一我々が勝っていたら、もっと無茶な裁判をやったでしょうな。
賀屋氏の言葉に驚かされたが、林氏の著作で色々な事実を知った今は、敬意を表する意見と思えた。戦勝国への恨みを言わず世界の常識と受け止め、むしろこれからの日本を考えた人物だった。私のような小人でなく、右往左往しなかった政治家でもある。
くどくなり自分でも嫌になるが、今の日本では何度口に出しても言い過ぎることはない。
(今晩は、ここまで。)