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フランツ・シュミット、二俣川から星川まで、ハンガリーの軽騎兵の歌?

2007-07-09 07:19:40 | 古典~現代音楽オーストリア編
昨日は二俣川駅から星川駅までの間を歩く。
途中聴いたのはブルックナーの交響曲第5番と
フランツ・シュミットの作品。
ブルックナーの交響曲第5番はヨッフムが
フランス国立管弦楽団を指揮したライブ盤で、
シュミットの方はフランツ・ウェルザー=メストが
ロンドン・フィルを振ったものである。
ここではドイツ・オーストリアの管弦楽曲を紹介しているので、
「ハンガリーの軽騎兵の歌に基づく変奏曲」という
フランツ・シュミットの作品について触れてみたいと思う。

フランツ・シュミットは1874年12月22日プレスブルク
(現スロヴァキアの首都ブラチスラヴァのドイツ名)で生まれた。
CDの解説書によれば、
ピアノをテオドール・レシェティツキーに学び、
作曲をブルックナーに、
理論をローベルト・フックスに学んだようだ。
ある時には家族の生活を助けるために
ダンス教習所でピアノを弾いたようだが、
1896年にはウィーン宮廷歌劇場管弦楽団にチェロ奏者となり、
同年に交響曲第1番の作曲にとりかかっている。

「ハンガリーの軽騎兵の歌に基づく変奏曲」は、
1930年(1931年?)頃に完成した管弦楽曲である。
最初のアダージョでは、イングリッシュ・ホルンが奏する歌が、
15世紀の勇敢なハンガリー軽騎兵の死の嘆きを表現しているようだ。
基本的にはこの主題がその後いろいろな形で変奏されていく。

この変奏曲の手法はエルガーのエグニマ変奏曲を用い、
その影響を受けているようである。
聴けば息の長いフレーズは、いかにもマーラーなどに続く
後期ロマン派の流れをくんでいるように思える。
(シュミットはマーラーに好意は持っていなかったようだ。)

ところで、フランツ・シュミットの名で検索すると、
「ある首斬り役人の日記」という本の題名が出てくる。
中世末期ニュルンベルクで、首斬り人として働いた
フランツ親方が361人を処刑した際に残した日記は
時代が後になればなるほどその内容が詳細となり、
どうしてその人物が処刑に至ったのかが克明に書いてある。
当時のドイツの社会を理解するにはいい本である。

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