この小田原には、歴史上、農業指導や灌漑工事に尽力した偉人が多くいる。その代表的な人物が二宮金次郎だが、各村々にも私財を投じて水害と闘ってきた人々がいた。江戸時代の林佐太郎もそのような一人である。小田原市寿町、町田小学校前の道路を挟み反対側に願成寺がある。願成寺の一角に林佐太郎の墓所と、佐太郎を称える石碑が立っている。石碑の内容を要約すると「林佐太郎は享保12年(1727年)町田村(現在の小田原市寿町)の農家に生まれた。当時、町田村に流れていた山王川やその支流のたくさんの川が、台風や大雨によって度々氾濫を起こし田畑に多大な損害を与え、農家の人々を悩ましていた。勤勉で親孝行であった佐太郎も、町田村のこうした状況に胸を痛め、ついに私財をなげうって田畑の灌漑工事を起こし、農作業が行いやすくなるよう川にたくさんの石橋をかけた。佐太郎の活躍により川の氾濫は少なくなり、町田村の農業生産力は飛躍的に伸び、その働きぶりは農家のよき手本として代々語り継がれるようになった。佐太郎は享和元年(1801年)たくさんの人に惜しまれながら永眠。菩提寺である町田村の願成寺に埋葬された。」その佐太郎のかけた石橋の一部は現在、町田小学校の片隅に寄贈されている。林佐太郎の偉業は、明治時代以降、小学校の教材にも取り上げられたとのこと。
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