まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ山復活させ隊 NEWSLETTER 1564

2021年03月26日 |  マツタケの林地栽培 

3月26日(金)「総会」と「𠮷村先生を偲ぶ会」


「まつたけ山復活させ隊」を主宰
された吉村文彦博士(「隊」代表)が、令和3年1月にご逝去されました。
「隊」ではコロナ禍の中、4月からの活動再開に向けて本日、新たな代表と今後の運営体制、方針を話し合い決定するための「総会」(午前)と、𠮷村先生の生涯、お人柄、お志、業績、「隊」に託された思いを振り返って「𠮷村先生を偲ぶ会」(午後)を行い、ご遺志を引き継ぐ決意を新たにしました。

「総会」出席者および「偲ぶ会」参列者
阿閉(仁)、阿閉(眞)、有山、池内、石原、今西、内田、大久保、大島、小長谷、岡坂、女坂、川崎、川本、厚東、雅子、斎藤、柴山、周田、関、瀧本、
TAKE、玉城、中川、中野、橋本、藤井(貞)、藤井(信)、堀北、前田、マリコ、松浦、松田(武)、松田(洋)、松本、三品、宮崎、三輪、山田、山中、吉川。また陶芸をご指導いただいている陶芸家、近藤先生ご夫妻も「偲ぶ会」にご参列いただきました。

<総会>の部

4月から定例活動日を再開するのにあたって、現在のまつたけ復活させ隊の状況が報告され、新たに会則が採択されました。運営委員会の構成は阿閉、内田(代表)、川本(会計)、中野(なでしこ?)、前田、三品、三輪(監査)です。安全に活動を続けることが基本ですが、今年はさらにBCや山の作業場所の整理整頓も進めましょう。

<𠮷村先生を偲ぶ会>の部 
献花台


献花台の遺影は、香川山で発生したマツタケを手に取る在りし日の吉村代表のお姿。

史上初、過去に発生実績のないところに人為的にマツタケを発生させた!

隣には、昨年逝去された盟友、猫田さんもトレードマークの革ジャンで参列。


除間伐松を活用した陶芸、「岩倉焼」をご指導いただいている陶芸家近藤先生ご夫妻もお忙しい中、追悼に駆けつけてくださり、献花台に香炉のご寄贈までいただきました。


世話人挨拶と献花


新代表内田さんより、追悼の献辞とご遺志継承の決意表明。


高校の同級生、雅子さんより追悼献辞。

𠮷村代表を偲んで参列者で集合写真。


「総会」「偲ぶ会」に先立って、𠮷村代表が師事され共にマツタケを研究された故濱田先生(京大農)の、
旧尼吹山試験林にある顕彰碑にも詣でて献杯を行いました。

 

献辞

吉村さん、さようなら。
すごく楽しく、思い出の多い、岩倉の10年余りをともに過ごさせてもらいました。ありがとうございました。
御堂クラブでの講演をお願いするために、加藤邦彦さんに紹介してもらって吉村さんを訪ね、まつたけ十字軍とは何?と問うたところ、来てみたら解かるからと言われてしまい、ここに参加してからもう13年になりました。時は経ち、紹介してくれた人も紹介された人ももうあの松林の彼方に旅立たれてしまいました。残った者が、みいら取りがみいらになったという形で今ここに立っています。
吉村さんは東京のお生まれで、高等学校以降を京都で過ごされました。洛北高校と京都大学で多感な青春時代を過ごされたことが、正義・反骨・野党・あえて加えるとニクロム線の愛すべき吉村さんを育てた土壌だったのでしょう。このことは60年を経た今、なお、ここに高等学校での友人が幾名も出席していることからもうかがえるところです。農学部では浜田稔さんの下でまつたけの生態の研究をはじめられ、生涯のテーマとされました。難しく、研究する人を成功に導いたことの無いと言われていたマツタケの研究は、まさに反骨・野党精神の骨頂と思われるのですが、大地の下で力を蓄えてやがて子実体を盛り上げるまつたけは、反骨のこぶしを挙げる吉村さんの姿に重ねられる絶妙の配材でありました。
昭和から平成にかけての15年間には、岩手県岩泉町に設立されたまつたけ研究所の所長に招かれて赴任されました。ここでマツタケの林地栽培を指導されて、やがて岩泉は産額日本一のマツタケ生産地に成長するに至りました。
岩泉から京都に戻られてからは、京都学園大や同志社女子大などで自然環境に関わる教程の講義などを行うと同時に、先に申しましたような昔からの友人を率いてマツタケ研究の故地である岩倉で、マツタケの林地栽培を通じて里山の自然をとりもどし、人を人たる環境のもとに呼び戻すというマツタケ十字軍の活動を始められました。十字軍はのちに復活させ隊と改称されましたが、10年の活動を経て、ついに、松林が成立してやがてマツタケが自然発生をするという一連の事象をみることが出来ました。吉村さんが、”無から有を生じる”と誇る大成果をあげることになったのでした。
これを思い出せば、作業にはかなりの労力を注いできたことになりますが、押しなべて言えば毎週末を苦しいなどとは思わずに、楽しんで過ごしてきたものでした。節目ふしめにはずいぶん遊んでもらった事を思い出します。真夏と年末のオマツリ、秋のまつたけ蔡などの定例となった行事、いろいろなマツタケ生産場所への遠征なども行いました。高野山の試験林、近江長浜、庚申山、丹波篠山、朽木、宇治田原、石川能登、広島、小豆島、東北旅行、釜山・慶州と全くいろいろな場所を訪問できた事でした。多くのメンバーが仕事での出張などもしなくなった今、これらの外出は本当に新鮮な出来事であり、精神の衛生にも他に得難い機会を頂いたものでした。有難く思い出します。
 ここに大マツタケを持ってお得意の吉村さんのいい写真を掲げています。これは藤井さんがご用意の写真ですが、当初は写真には祭壇に飾っておられたものを借用することを考えており、先週にはお宅に拝借にあがらせて頂きました。日ノ岡のご自宅から戻ってくる途中の白川通りでの事ですが、壁のレンガに何やらローマ字のいっぱい並んでいる建物がありました。何が書いてあるのか読もうとしましたが、車中のことで、横目ではさっぱり判読できませんでした。しかし一瞬、恐ろしい一句だけを読むことが出来ました。そこにはvita brevis とありました。英語ならlife is short。 これはart is long とつづくはずです。この場面ですから、artはまつたけ収穫の術で、”マツタケがまとも出るまでにはながくかかるよ”、されど命短し、と読めます。今更何という因果な事をいうのでしょうかね。吉村さん、あなたは創始者ですから、ゼロから発生を見ることで大成功でした。でも後続の者は、安定した発生を見届けなければなりません。ひとりだけ大成功だなどとはしないで、やっぱり安定して産出する松林に育てることまで見てもらわないといけないのです。しかも、もう皆は二十歳ではないのですから急がねばならいのです。ということで、今まででもずいぶんお世話になりましたが、林地栽培については山の各班の場所で安定した発生を見るまではまだまだ離してあげることは出来ません。毎年秋になればそこここの松林に戻ってきて地中のマツタケにこぶしを挙げるよう鼓舞してください。アジるのを忘れないようにねがいますよ。これも絶対にね。
と、勝手な事も申しましたが、岩倉のマツタケを励ます仕事は別に残して、さようなら。
吉村さんさようなら!
20210326内田正明

 

 

 

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まつたけ山復活させ隊 NEWSLETTER 1563

2021年03月09日 |  マツタケの林地栽培 

3月9日記入

[まつたけ山復活させ隊 定例日活動再開の予定など―3月26日に総会を予定]

定例日の活動を4月から再開することにします。(4月3、9、17、23日~)
関東での緊急事態宣言は今月21日まで再延長されている状況です。移動や対面での行動にはまだまだ十分な注意が必要です。昼の食事もしばらくは各自の弁当持参で続けることにします。


残念なことですが活動を停止していた間に吉村文彦さんが亡くなられました。先日、再開後の運営を各班の代表の方たちで集まり検討しました。名簿を確定すること、新たに会則を定めること、毎年の総会をもつこと、代表と運営委員(内田・阿閉・川本・中野・前田・三品・三輪さん)からなる運営委員会を構成することなどを打ち合わせています。


再開前の3月26日(金)11時半から香川山BCで総会を開き、会の現状を報告して上記などを決めます。今回の議題と名簿・会則(案)は総会の前にe-mailで配布しますのでご覧いただいてご出席ください。
また、この日の10時からは尼吹山、午後には吉村文彦さん追悼の”偲ぶ会”を予定します。昼には8月と同様にお弁当を用意します。
いずれも詳細を決めて別途連絡しますが、3月26日にはこの予定を入れていただきますようにお願いします。
なお、総会は内田担当、偲ぶ会は川本担当を予定しています。   (内田記)

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