まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ山復活させ隊・まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 590

2011年03月31日 |  マツタケの林地栽培 
京都御苑の桜が 再び 咲きました!
次回(282回)の活動日は4月1日(金)です.午前10時、岩倉香川山にお集まり下さい. ★お知らせ
1)高松塩江ふる里会(池田会長)が見学に来られる.
2)まつたけ山復活させ隊の仲間たち(高文研刊 1680円) 
  里山は必要なのか? アカマツの姿は? ナラ枯れは? 生物多様性上その保全は必要であるといってもそれほど注目を浴びない、見向きもされないくらいだ. 必要でなければ僕たちは、営為は何なんだ? しかし読んだ方に面白いしフィロソフィーを感じると言われる.愉快なメンバーの紹介もある. 
 マツタケ研究の難しさについても考察されている.
僕たちは苦しみながらもまつたけ山づくりを楽しんでいる. 
書店でお買い求め下さい!
 他に、素晴らしい仲間の生の原稿と全国の友人の原稿をノーカットで小冊子にしたものがあります(送料込みで400円で販売).
高松塩江ふる里会、KMさんから戴きました.ヤマガラ班から薪販売代金を戴きました.
☆カンパお願い: 運営は皆さんのカンパで成り立っています!
カンパの振込先
氏名: まつたけ十字軍 代表 吉村文彦
銀行名: 京都銀行 山科中央支店 口座No. 普通預金 3698173

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§開催予定日 2011年4月―7月
第282回04月01日(金) 三輪
第283回04月09日(土) 池内
第284回04月15日(金) 宮崎
第285回04月23日(土) 榎本
第286回04月30日(土) 三輪
第287回05月06日(金) 宮崎
第288回05月14日(土) 池内
第289回05月20日(金) 三輪
第290回05月28日(土) 榎本
第291回06月04日(土) 宮崎
第292回06月10日(金) 三輪
第293回06月18日(土) 池内
第294回06月24日(金) 榎本
第295回07月02日(土) 宮崎
第296回07月08日(金) 三輪
第297回07月16日(土) 池内
第298回07月22日(金) 榎本
第299回07月30日(土) 宮崎
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§活動拠点へのアクセスなど
(参加ご希望の方は事前に電話下さい、090-6227-4305.また2011年1月1日付ブログ565号を読んでおく必要があります.)
活動場所:京都市左京区岩倉村松町138-20 京都バス停留所「岩倉村松」から北東へ450m徒歩6分) 活動開始は,午前10時頃から終わりは午後4時頃.自由参加可能 ただしコアータイム昼食時は参加のこと.
アクセス:
京都バスの「岩倉 村松行き」に乗車.
このバスに乗車するには、
ア)JR京都駅七条口から(バス停「C6」番、所要時間約60分)
イ)阪急京都線四条河原町駅から(四条河原町交差点河原町通り北へ上ル東側(40分)
ウ)京阪本線出町柳駅から(加茂大橋東詰め北へ上ル西側、約30分)
エ)京都地下鉄烏丸線国際会館から(3番出口からバスターミナル1番)約15分
(地下鉄烏丸線はJR京都駅、烏丸四条、烏丸御池、国際会館などに停車)
§参加費は無料;ただし、消耗品費は皆さんの浄財カンパで成り立つ、或いは必要に応じて徴收.食材費(実費)+消耗品費として現在 400円を徴収.

見学ご希望の方は、 2011年3月8日付ブログ(見学するためには) をお読み下さい.
○まつたけ十字軍運動とは何をする?
○まつたけ山復活させ隊活動への参加方法は
○私達のマツタケ山造り(作業方法)の特徴
 作業内容と作業区の紹介
○今年の予定と目標?

§主 催
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学)
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305 redpinemushroom@gmail.com

香川理化学研究所
代表 香川 晴男

§共 催
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典

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まつたけ山復活させ隊・まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 589

2011年03月26日 |  マツタケの林地栽培 

明け方からの春雪、断続的に降りしきる中での活動日だった。

 

京まつたけ復活・里山再生市民運動



第281回(3月26日(土))活動報告

   通信回線や幹線道路/交通手段などが復旧するにつれ、大震災/津波災害の悲惨な様子が明らかになってきている。 加えて福島原発の放射能漏れが次第に深刻化し、今日現在「レベル6」まで上昇している。 気になるのは、「念のため」・「暫定基準値」とかいう語句が飛び交い、今は安全(?)らしいが将来はどうなのかよく解らない・・・。 放射性同位元素セシウム137の半減期は30年という。 空気中に漂い、土中に沈殿し、呼吸や野菜などを通して体内に取り込まれれば、たとえ微量であっても被曝を続けることになる・・・。 ど、どないしてくれんねぇー。
 <放射線医学総合研究所の資料では、アンズタケCantharellus cibarius )など一部のキノコでは、セシウム137の生物濃縮が行われ周囲の植物より高濃に蓄積することが知られている[17]。-Wikipediaより: http://www.nsc.go.jp/senmon/shidai/kanhoubun/kanhoubun009/siryo5.pdf > マツタケは・・・??

 本日は、(敬称略)橋本、榎本、吉川、松本、前田、馬場、馬場、周田、小原、江指、有山、多田、モリ、大久保、松浦、宮崎、徳田、青木、石原、三輪、阿閉、阿閉、大島、小川、三品、ホリイ、中野、山田、吉村、猫田、女坂、中広、松川、内田の34名が参加された。

<BCの整地>・・・雪時雨の中、班合同でBC作業場の配置替え・整地を行った。 簡易測量で水平面を定め、積もり積もった丸太や土砂を取り除く。 

腰にこたえるなぁーと言いながらも活動終了時には、新しく枯損松の焼却場も移転できた。やはり人海作戦はすごい!!。

<澤田山整備>
・Ⅰ(阿閉班)・・・林内の伐採木などの整理作業。
・Ⅲ(中広班)・・・雪害木などの整理作業。

 

<コアタイム・昼食、作業終了時>
・今回は八宝菜、野菜スープなど、 気温7℃ 寒風の中暖かく美味だった。
活動終了時には、団子型ドーナツ(?)とコーヒー・紅茶で冷えた身体を温めた。



<お知らせ>
1)「御所の枝垂れを楽しむ会」
   
  3月30日(水) AM10:30 烏丸丸太町東北角  交番前集合
              (昼食は近くのホテルで)
     こぞってご参加を(堀井・吉村)

2)高松から見学訪問
  
4月1日(金)  高松塩江ふるさとの会
       
(5名ほどが活動を見学にこられる) 

 

 

<榎本記>

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まつたけ山復活させ隊・まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 588

2011年03月22日 |  マツタケの林地栽培 
岩泉町小本の旧市街 この民宿(右の建物;もう使いもにならない)で懇親会を・・・

田老市街地の様子(北の山から,標高の高い部分,手前には家が見える)
宮古市浄土ヶ浜の遊覧船と車(船に押しつぶされている)
たろう観光ホテル(画面奥に小さく見える)その前には何も残っていない).

 次回の活動日は、3月26日(土)で、京都岩倉香川山です. 
 
 3月11日14時46分 日本の東北三陸沖 ( 北緯38.0度、東経142.9度、牡鹿半島の東南東130km付近)を震源地とするM 9という大きな地震があった.マグニチュード9というのは1900年以降、史上4番目となる.しかもその震源域は岩手沖から茨城県沖まで南北約500km、東西約200kmの広範囲に及ぶためその被害地域も大きい.宮城県栗原市で震度7.僕の経験でも、震度5強というとその怖さもかなりのもので被害もでる.
 しかし、今回の被害は,宮城県北をや岩手県南を除けば、地震と言うよりはその後に来た巨大な津波に飲み込まれたり火災による損害である.
 
 原発破壊の被害者である福島県民を考えると、言葉がない.原発難民である.彼らの多くは,ふる里なくしては精神的にも経済的にも生活が成り立たない人たちである.農耕民族は狩猟民族と違って土地をそこの文化風土を必要とする.
 また、半減期8日の放射性ヨウ素による健康被害.土壌や海水中のセシウム-137は、植物、昆虫、きのこに,海産物に吸収され、食物連鎖をたどることであろう.海産物や農産物の風評による拒否反応が生じると被害地は立ち直ることは不可能に近いと心配する.
 
 さて、話を巨大津波にもどしたい.マスメディアの盛んな報道に洩れがちな地域の写真(上記:縮小しすぎてピントがぼけてしまったことをお許し下さい)を幾つか見て下さい.これらは主に田野畑村と小本と宮古市と田老の生々しい被害地の姿です.写真を提供して下さった方に御礼を申し上げます.
 
 田野畑村沿岸にある羅賀莊の3階まで、水に浸かったことが分かる.この写真ではわかりにくいが羅賀莊右の集落が壊れている.たろう観光ホテル(画面奥)の海寄りも瓦礫に埋め尽くされていて何もない.僕が住んでいた岩手県岩泉町小本は,45号線と海の間に位置する旧市街が壊滅である.それに岩手まつたけ山復活させ隊メンバーのいる田老、45号線の海側にある日本一の防潮堤や扉をひねり潰して海沿いの町を飲み込んだことが読み取れる.宮古も大きな被害である.宮古の遊覧船も陸に上がっている.船の手前にある車,これは船にぶつかったように見えるが、それらの大きさと比べてください.

 不幸にしてその命を全うできなかった方々に,衷心よりお悔やみを申し上げます.と同時に最悪の修羅場に取り残された方々には、なんとしても応援をせねばと思う.
罹災者の多くの人々は、着の身着のまま避難し家を財産を流され、1円の金もない.金を借りようにも金融機関まで徒歩6時間もあるという(一部?住民).そんな地域が、未だ未だ多いという.
  それと同時に 近畿にいる者は、南海沖地震に対する心構えを持たねばなるまい.
 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§主 催
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学)
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305 redpinemushroom@gmail.com

香川理化学研究所
代表 香川 晴男

§共 催
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典
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まつたけ山復活させ隊 まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 587

2011年03月18日 |  マツタケの林地栽培 

先輩松たちが次々と倒れる一方で健気に育つ苗たち(澤田山1区)。


京まつたけ復活・里山再生市民運動


第280回(3月18日(金))活動報告

 
 東北関東大震災義援募金が集められました。集約と送金についてはあらためて報告いたします。
 TVなどでは避難所などから物資や医療などを求める切実な声が伝えられます。何か手助けしたい、物資を送りたい気持ちはみんな一緒です。しかし、今はJRや運送会社など大量配送ルートの確立、医療技術者・医薬品などがまず必要です。届いた支援物資の適材適所への迅速な配送は、現地の実情をより的確に把握している現地機関に任せて、個人や仲間内だけでの被災地全体への配慮を欠いた勝手な動きは慎むべきだと考えます。
 
 下記のように16日ころから県や社会福祉協議会で窓口が作られ始めています。
岩手県社会福祉協議会
宮城県
福島県社会福祉協議会
 支援チャンネルはできるだけシンプルにするのが結果的により効率的で公平な支援につながります。今しばらくは現地からの要請を待つことにして、「のどもと過ぎれば」ではない息の長い支援に向けて要請があればすぐに応えられる準備をしておきましょう。幸い、わがまつたけ十字軍にはいろいろな特技と知恵の持ち主と、年はとっても肉体労働ではまだまだ若い者には負けない人たちが大勢います。
 
 そんな本日の参加者は、前田、森、堀井、橋本、宮崎、小原、榎本、大久保、川本、吉川、中広、雅子、三品、中野、三木、有山、大島、阿閉(仁)、阿閉(眞)、藤井、徳田、片岡、猫田、玉城、吉村、斉藤、山田の27名のみなさんでした。

<香川山>
雪でした。

ベースキャンプリニューアルのため、動かなくなった機械を移動。

機械を移動した跡地へストックの薪を移動。この後、薪小屋新設工事に取り掛かります。

本日のお昼は、

島根大学より頼もしい若い力、片岡君(出身は兵庫県とのこと)。

老朽化した“システムキッチン?”をリニューアル。

<澤田山1>
松の苗床作り。幼松を育てて植林を計画しています。

植林した松苗(赤いリボンのところ)。

スギ花粉!

鹿に樹皮を食われた木が目立ちます。

山では今、鹿も喰わないアセビの花が真っ盛り。

<澤田山3>
コナラの切り出しを進めています。

ふもとで片付け作業中の森さん。

わさび

ミョウガを栽培予定。

(宮崎 記)

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まつたけ山復活させ隊 まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 586-2 東北関東大震災報告

2011年03月17日 |  マツタケの林地栽培 

筆者が住んでいた岩手県岩泉町小本の新興住宅地(写真右方向800mに太平洋がある).これも,恐らく、流れて木っ端微塵なのであろうか?依然として,ここは孤立らしい!

 15日の連絡では,小本川の右岸堤防が決壊したため津波被害は旧小本市街地に出ている。写真の辺りは水に浸かったらしい(程度は不明).45号線と海の間に位置する地域は津波の被害が激しいとのこと。

とにかく,細かな被害状況は不明。道路は緊急車両のみ通行可.固定であれ携帯であれ通じるところが少ない。もちろん電気も水道も食料もガソリンもない.ないないづくしになっている。早く道路の復旧を期待します。

 1000年に一度の地震(想定外で仕方がないのではなく,想定外を想定して事に当たるのが国の責任である.)に襲われ、そしてその後の津波・火災、それに次ぐ原発破壊の放射線で、なんと申し上げていいのか分からないほど想像を絶する災害を被られた友人・知人の皆さんに 心からお見舞いを申し上げます

 その時、机に向かって仕事をしていました.すると軽い眩暈に襲われました.僕は眩暈なんかを経験したことがない.何だと考えていると、Frauが「地震だよ、どこか遠いところ」と叫びました.テレビをつけますと東北地方太平洋岸大地震(当時)と報じていました.

 東北の友人(宮城県、岩手県)
に手分けして電話やメールをしますが、通じません.その状態は、今も続いています.何のための通信手段だと憤りを覚え、パソコンのインターネットに対する信頼が失せ、PCを今まで立ち上げる気になりませんでした. 

 被災地が落ち着いたら,エネルギーを石油系だけに集中するのではなく水力や木質利用を増やし、また中央によるコントロール型でない地域分散型エネルギー利用に変えること、そして我々の生活の縮小,24時間眠らない町づくりなどを見直さねばならない。

昨日(3月15日)のブログに書き込むことが出来なかった貴重なメールを紹介します。  

高槻市にある(株)アットホームさんから

(株)アットホームとしても支援活動を行っています。現在は「素人」が現地に駆け付けるとかえって「迷惑」をかけることになりかねない状態です。少なくとも自分たちの食料や寝袋テント移動のためのガソリン等を持参しなければなりません。すでに我が「社員」が現地「宮城」に到着していますが、神戸の震災とは事情が違い「プロの救援組織の第一次救命活動が優先されていること、行動するためのガソリン等が不足していること・・・。」等あり「情報収集活動の段階です」「岩手ではかなり海岸線の町では壊滅状態となり海からの接近しか出来ないところもあります」.

 私たちに今できることは、長期にわたる可能性のある避難生活において必要とされる「人・金・物」を準備すること、まず義援金を集めることです.現地で「支援活動」が出来るようになれば「人」を送りこむ「物」を集め送りこむ活動を組織する必要があると思っています。すでに医療関係や能勢グループに働きかけ体制を作ろうとしています。当面仙台から山形に「逃れ」ている人たちに「食べ物」を現地調達で送ることにしています。内陸部から海岸線にルートが出来れば「人」を送りこみたいと思っています。 個人では出来ることに限界があります。お互いに協力して長期的支援を準備しましょう。

柳内 久俊さんから
 ごぶさたしています。メールをいただき恐縮です。寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉を痛感します。
 11日は東京も地下鉄など運休してしまい、お茶の水から世田谷・経堂まで夜半3時間かけて歩いて帰宅しました。しかしながら、テレビで被災地の様子を見て驚きました。小中学校と10年近く宮古に住んで、チリ、アラスカ沖と2度津波に直面しましたが、規模が比較になりません。万里の長城と称された田老の防潮堤も今回は耐えられなかったようです。でも無かったら殆ど砂浜のようだったかも知れません。明治の三陸大津波は夜半の襲来で被害が大きかったようですが、今回は昼過ぎでも同様だったようです。
 宮古に住んでいた頃は、地震の時に高台のサイレンが鳴り、とにかくすぐ逃げるというシンプルな防災体制でした。港から見える測候所からも拡声器で通報してましたが、現在は無人化で測候所は廃止されたようです。盛岡~宮古の道路は往時から比べてだいぶ整備されてます。宮古市長の山本氏は高校の後輩で田老出身の歯科医、十分期待できる逸材ですが、知事以下岩手県の対応はきわめて鈍い印象です。
 三陸の河川は津波対策と言って殆ど河口堰で封印されましたが、自然の生態系を破壊しただけで何の役にも立たず被害を拡散した感じです。バラマキ土木行政の象徴ではないでしょうか。知人への連絡にもためらいを感じます。

常盤俊之さん(生化学研究所)
 都内の被災は殆どありませんでしたが、週明けからインフラが悪くなり、鉄道の運休や食料品の供給が不足している状況にあります。東北方面は青森周辺は連絡が出来ましたが、福島や山形周辺では電話が通じない状況になっており安否を気に掛けております。岩泉まつたけ研究所では大変お世話になっており、所員の方々が無事であることをお祈りしております。

中川 肇さん(京都市左京区)から 
 被災地などではそれらの品々が不足しているとの報道がされています。
普通の生活が送れている我々が、少しぐらいの値上げや品不足を気にして買いだめをすれば、ますます罹災者を苦しめることにならないでしょうか。
我が家では品物や労力など積極的援助が出来ない今、消極的援助としてそれらの品は買わないことにしています。
それにしても、福島の方の犠牲の上で電化生活して、その上買占めまでする、東京の人は我欲の塊で、天罰が下されるのは東北ではなく東京ではないのかと思います。
  
大月健さんから
 東北の地震と津波、とくに津波の被害は甚大です。小本が心配ですね。岩泉町も震源地に近いですから被害がでているかもしれません。また、何かできることがありましたら連絡して下さい。

成松 眞樹さん(岩手県林業技術センター)から
 この度の地震では、ご心配をお掛けしているかと思います。先ほど、岩泉の佐々木和宏君から電話があり、無事だとのことでした。お陰様で、当方も家族揃って無事です。
震災復興支援業務が始まっています。取り急ぎご連絡まで。

と、岩泉まつたけ研究所の研究員をしていた佐々木和宏君(岩泉在住)の無事を知らせてくれた。和宏の御家族はどうかと思う。成松さんありがとう!

小寺 悦子さん(羽曳野市婦人団体協議会)から、
被害地へ簡単なものなら送れるのでないかとメールが来た。
 今、盛岡市に有る岩手県地域婦人団体協議会と連絡を取っております。
荷物を送る手だてとして、レターパックを利用します。これは郵便局から送れます。たいした物は送れないし、盛岡から被害地までどうして持ってゆけるかが分かりませんが、差しあたり、マスクを送ります。明日は胃腸薬・風邪薬を手に入れて送る予定です。
その他、小さいが役に立ちそうな品物を探そうと思っております。

井村 素子(京都在住)さんから
ご無沙汰しています。
 昨年9月の連休を利用、花巻空港からレンタカーで岩手を4泊5日で旅しました。
盛岡、遠野、中尊寺などの内陸、宮古、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼。
いまテレビに映し出される画面、記憶に残る箇所もあります。
リアス式海岸は思っていた景色とは違い人が働いている場所で、決して観光地ではないように感じました。
あの地形で大津波がと思うと、つらいです。
あの波には人間は豆粒か蟻のようなものですね。
ずーっと喪に服している気持ちです。
原発も心配です。
便利さに流されて人間が驕りすぎているのかもしれません。
氷の冷蔵庫の時代から育った世代、こたつと火鉢を家族が取り囲んで大きくなりました。 

黒田 末寿(滋賀県立大学)さん
 あまりの災害、惨劇にどうしていいのか分かりません。東北と連絡を取り、物資を送れるようになるには、もう少し待つしかないように思います。日本の海外支援NGOのいくつかが災害現地に入ることを予定しているそうです。吉村さんの友人たちの消息に関わる情報が入る可能性は低いですが、支援物資集配のシステムなどを整えることに貢献ができるかも知れません。進展がありましたら、お知らせします。 
 
中居 直枝(京都山科)さん
 災害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます 私事ですが千葉県の兄と丸 1日 連絡が取れず心配しましたが連絡が来てほっとしています。先ずは身内から出来ることの援助から始めたいと思います。長い道のりになると思います。出来ることから頑張って行きましょう! 
 
堀井公雄(メンバー)さん
 東日本関東大震災 岩手県岩泉町など沿岸域の被害救済・義援金箱作ります。
18日持参します。他に必要な物資は、京都でも売り切れが出ているなど調査報告がありました。

 未だ未だありますが、これくらいにして とにかく出来ることから取り組みたく存じます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§主 催
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学)
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305 redpinemushroom@gmail.com

香川理化学研究所
代表 香川 晴男

§共 催
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典

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まつたけ山復活させ隊 まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 586-1

2011年03月15日 |  マツタケの林地栽培 

小本川の水門です。これを越えました。

京まつたけ復活・里山再生市民運動

 次回の活動日は、3月18日(金)で、京都岩倉香川山です. 
 僕たちの友人に何かを届けたい! どうすればいいか教えて下さい。


 3月11日14時16分に地震があった.震源地は三陸沖 ( 北緯38.0度、東経142.9度、牡鹿半島の東南東130km付近)で震源の深さは約10km、地震の規模は最終的にM 9.
 岩手県岩泉~宮古の沿岸あたりは、震度は5前後で、家が壊れるほどのものではなかった.当初の気象庁の津波警報も3m程度であることを知らせていた.それがご存じのように東北関東大震災とその名称が変わったことでも分かるとおり、10数mを越える巨大津波と火災で県南沿岸域の町全体を破壊した.
 真っ先にまつたけ山復活させ隊のイベント毎に宮古の海の幸を送ってくれる岩手のまつたけ山復活させ隊・まつたけ十字軍運動のメンバー加藤さん、島香さん、洋野町の小沢さん、岩泉まつたけ研究所にいた頃にお世話になった岩泉町の方々,最後の5年間を海の傍の町小本で過ごしたが、そこに住む皆さんを思った.携帯であろうと固定電話であろうと,儚いものである一切通じないのである.テレビは悲惨な被災地を報道するが知りたい場所が無事なのか陸の孤島状態なのか不安は募るばかりであった.
 とにかく情報を得て,まつたけ山復活させ隊・まつたけ十字軍運動として,マツタケの生活する里山づくりを共
同で作業してきた仲間たちに何かをしたいと呼びかけた.多くの方から連絡を戴いたか岩手県沿岸北部(小本,田野畑など)の今が(宮古を除く)分からない状態が続いている.
 
 先ずは,友人である講談社の記者である吉田 隆さんが東京から車で岩手に入ったレポートを呉れた.見てみたい. 
 『そして今日は、宮古ー山田ー船越ー大浦ー田の浜ー大槌ー釜石ー大船渡を回って、再び盛岡に戻りました。というのは、沿岸部では携帯電話及びインターネットは全く使えません。電気もストップ、水道もダメです。ですから、写真等を東京に送るために、必ず送れる場所に行く必要があるわけです。
  宮古は街の真ん中に漁船が上がっていました。市役所周りは全滅です。鍬が崎も見事に全滅でした。藤原、磯鶏も相当な被害.
  宮古市になりましたが、田老もあの防波堤を波が越えて、全滅(役所より低い位置)だそうです。小本も駅は
水没して、かなりの人家が流されたということです。田野畑は陸の孤島のため、まだまだ被害は分かりません。
山田は、町が全滅。大沢もだめ、織笠もだめ、津波のあとに火災があったといいます。田の浜は信じられないような被害。防波堤が破壊されていました。3階の上に自動車が乗っているほどの凄まじさです。大浦もダメ。船越半島は今、山火事でアカマツが燃えています。
大槌は見事に焼けてしまいました。全滅です。役所も流されて町長以下行方不明です。 鵜住居も全くきれいに焼けました。釜石の町ももう復興は無理かもと思うほどです。
唯一、大船渡の吉浜は死者が1~2というから奇跡です。大船渡の町も爆弾が落ちたようにきれいに全滅しています。生存者がいるとは誰もが思っていません。
 私の宮古のいとこも多分ダメでしょう。
 地震による被害は全くなく、すべて津波と火災です。こんな地震は想像できません.明治29年、昭和8年の三陸大津波がまるで子供のように思えるほどの凄まじいものです。
警察も自衛隊も何から手をつけたらいいのか?愕然としているのが実情です。
東北の経済はどうなるのか?ワカメの季節ですが、すべておじゃんです。』  
 
彼は,続いて今朝、メールを呉れました.
 『おはようございます。 昨晩は電話が繋がらなかったようで失礼をしました。今は盛岡ですが、今日は岩泉・
田野畑・田老方面に足を伸ばしてみようかな、と思いますが、雪の予報のために困っています。というのも、東京
から車のために、スタッドレスのタイヤを履いていません。 緊急車両の許可を貰っているので、レンタカーなど
車をかえることができないのじゃないか?と思案中です。沿岸地区は昨晩から携帯電話が繋がるようです。トライをしてみてください。』 
市民環境研究所の石田紀郎代表からも『お~い! 大変だろう,うちの学生達も色々考えている.何でも言ってくれ』と電話を戴いた。感謝である。 
現地へのボランティア活動は東京の仲間に任せるの良かろうかと思う.何せ東京まで500km、東京から盛岡まで500km、更に沿岸へ100kmの道程 だから.仲間たちへ、必要な物資が届くようになったら届けたいと思う.皆さんのご協力を仰ぎたい.いい知恵を貸して下さい.  

田老の加藤さんから第一メールが有りました.彼は病院勤務で患者さんを避難させたらしい.『避難区域は壊滅しましたが、みな生き残っています。』
 続いて第二のメールで、
 『島香さん達も、みな生きてました! ツレアイ(幼稚園の園長さんで子供達の保護で大変だったと思われる)
ともども仕事に追われて先を考える余裕はまだありませんが大丈夫です(奮)。こっちよりも原発事故の方が心配です。取り返しのつかない代償は生かされなければいけません。ピンポイントでケイタイの繋がる場所があるのですが大勢の人が集まっているためメールの送受信が思うようにできず親戚、身近な知人の安否すら確認できない状況です。』
 彼は言わないが,田老にある日本一立派な防潮堤の傍の新しい家は無くしたと思われる.
 
多くの方からメールを戴いた.一部を紹介します.

丹羽嘉孝さん(兵庫県三田市丹波屋)から
『先日からの地震の報道を見、大変心が痛み私もゆっくり眠る事が出来ない日が続いています。
 以前に吉村先生にご引率頂き、私と塚本で見学に訪れた岩泉。その後、塚本と海まで足を延ばし、美しく立派なリアス式海岸や漁港を見た記憶が蘇って来ます。あの漁港は無事なのか…隣の宮古は…
 阪神淡路大震災の時には私は学生でしたが、神戸の大学へ通っていた為、多くの知人友人を亡くしました。
 少なからずご縁が有った岩手県の震災ですので、とても人ごととは思えず、何か出来る事は無いか?と日々悩んでいます。
 阪神淡路大震災も寒い1月でした。発生当時、何よりもライフラインが止まった事がとても大変でした。電気・ガス・水道…あの時の記憶を思い起こし、被災地で必要と思われる事を列記させて頂きます。
 ①電気:照明の代わりにはロウソクが重宝しますが、火災の危険をはらんでいます。乾電池か、手動で発電出来る(ハンドルをぐるぐる回す仕組み)ラジオと懐中電灯が有効と思われます。
 ②ガス:代替は難しいですが、とにかく暖を取る事が大切だと思います。カップ型の食品や飲料で、それだけで温かく出来る仕組みの製品が販売されていると思います。それらが有効ではと思います。
 ③水:これが最も重要で、まずは飲料、次に手を洗う(衛生管理)、トイレ、お風呂…など幾ら有っても過ぎる事は無いと思われます。
 ペットボトル入りの水を出来るだけ沢山供給する事が大切だと思います。
他には、ホッカイロ・毛布・テント・車用のガソリン…など、「自分が寒い、無人の地域で野宿する」事を想像すれば必要物資のアイデアが浮かぶと思います。
 しかしながら当方へ入っている情報では、日本郵政・クロネコヤマト・佐川急便などで、千葉・茨城を含む1道8県への荷物配達を中止しております。現地へ何かを届ける手段は… 
 当方でも、長年お取引頂いているお客様で仙台市若林区の方と連絡が取れず、他東北地方のお客様の事も心配です。
 義援金の件、大賛成!です。
 他にも何かお手伝い出来そうな事があれば、お知らせ下さいませ。
 まずは被災地の方のご無事を心よりお祈り申し上げます。』

山北絵美さん(山仕事サークル杉良太郎 代表)は、京都大学 農学部 食料・環境経済学科2回生です。
『今回の地震、本当に悲しいことです。仙台がご実家の先輩から様子を伺いました。少しでもお役に立てば幸いです。
やはり現金を送るのが一番良いです。できれば赤十字とかの実力のあって、大きな組織がよいです。
 たぶん「不足しているもの」を送ってもあまり意味がないです。
 被害は場所でまちまちで、その状況も刻一刻とかわっています。その上インフラ(道路、電気)も所々死んでいるので届かない可能性が高いです。さらに届くまでのタイムラグを考えるとものは送らないほうが無難です。強いていうなら血の不足は心配されてます。しかし、なまものなので公式情報を確認して献血したほうがいいでしょう。
個人の力でできる、もの、ひとが必要になるのはもう少しあとになると思います。
 いまはプロが活動できるように金を送るのが一番みたいです。」
 私たち学生も、何かできないかと集まり始めています。しかし、いろいろな団体がばらばらに活動しても、かえって混乱を招くのではないかと思い、まずは自分たちがつながることだと考えております。
 まつたけ十字軍の方々とも、一緒に何かに取り組めたらと思います。』
 
清水 正さん(滋賀県栗東市の自然観察の森)
 『メール拝見いたしました。本当に驚くべき事態が起こって、言葉で表現の仕様が無いほどのショックを受けています。先生は長らく東北の地におられたので友人の方々も多く、私などとは比べようも無いほどにショックを受け、心痛されていると察します。私など遠くの地より、皆様のご無事をお祈りするぐらいのことしか出来ておりませんが、今後支援の手が差し伸べられる状況になったときには、何らかのお力添えが出来たらと思います。
また、お声を掛けてください。最後にライフラインが寸断され、寒空の中温かなものも手に入らないのでは、ますます疲弊されるでしょう。カセットのガスコンロやボンベが送られれば大いに役立つのだろうと考えたりします。思いつくままですが…』

洞口和夫さん(元朝日新聞記者)
 『携帯も一般電話も通じない、ないない尽くしのお怒りよくわかります。小生も宮古、山田、田野畑などの情報を求めてあれこれ続けていますが、全然手がかりをつまめません。
昨日、田野畑のホテルのHPで、従業員のささやきを見て津波が海岸にあるホテルの5階まで押し寄せたことを知りました。これは作家の吉村さんが著書で書いた1933年3月3日の三陸大津波の50mに匹敵する猛威です。役人らは想定外といっていますが、彼らの想定とはせいぜい20~25m前後。それ以上のことを知らずに防波堤を作っても効果がないことが立証されたのです。金のかかる防波堤より高台への移転を78年前から取り組んでいたら、1000年に1回の激震でも10万人が予想される被害は出なかったでしょう。
 田野畑では78年前と同じようにホテル周辺の海に住む島越、明戸など3地区は壊滅とか。いま、宮古市鴨崎町の知人から親類とあわせ2家族7人が無事とメールが入りました。市役所2階まで粉砕されたテレビの映像を見て末広町などの商店街が全滅と予想していたので、ちょっぴり安心しました。でも地元紙・東海新聞の佐々木さんが事務所前で流され、行方不明だそうです。すぐ脇にいた奥さんは助かったけど、パパはダメかもしれない、と結婚して盛岡にいる娘さんは携帯の向こうで悲しそうに口にしていました。
78年前の大きな被害を受けて厚さ1m、高さ10mの日本一が自慢の防波堤を築いた田老の被害もわかりません。防波堤が壊されたという情報もあります。
念のためですが、ネットでいわて防災ポータルを開くと近隣市町村の被害の一端がわかります。』

大瀧 保さん(東北大名誉教授)から                
 『いつもマツタケ隊のご活躍、情報をお送りいただきまして誠にありがとうございます。いつも素晴らしいご活動で、敬意を表しています。またお見舞い、ありがとうございました。山形もだいぶ揺れましたが、被害はほとんど無く、山形市は一晩だけが停電で、ガスも水道も止まりませんでした。そのため、山形は救済のための物質補給センターの一つになっているようです。しかし、電車はすべて止まっています。
 仙台とは全く連絡がとれません。まだ停電や断水、ガスのストップなどが多くの地域で続いているようです。特に心配なのは宮嵜さんで、彼は石巻専修大学に勤めており、当時も石巻に居たものと考えられます。大学の前を川が流れていたように思いますし、街も壊滅的なので心配です。岩泉もどうだったのでしょうか。ご心配のこととお察しいたします。 山形はそのようなわけで、比較的被害は少なかったのですが、それでもオール電化をしていた家は、お湯も沸かすことができず、大変だったようです。やはり、異なった複数のエネルギー源を考えていた方がよいようです。山形のスーパーやコンビニからは、パンや牛乳、カップラーメン、魚など、すべて消え失せました。ガソリンや灯油も手に入らなくなっています。被災地にまわっているのだそうです。
 早く復興してくれれば良いと願っております。先ずは御礼とご報告まで。』 
 
久慈市の黒沼さんも無事でと電話いただきました.大野の小沢さんは,、久慈市は石油の国家備蓄タンクは全壊しているが被害はほとんどないようとのことです。
岩泉町の工藤仁さんからのメールが京都にあった。『無事である。』と友人から電話あり。 小本とは異なるらしい。

村田寿葉さん(トロント社)
『賛同させていただきます。福士は現在自宅待機ですが義捐金が立ち上がれば、ほんの少しでもと思っております。それと混乱の中どんな具合なのかは素人で申し訳ありませんが、弊社HPにもあるとおり、母がくまのぬいぐるみを作っています。特に在庫があるわけでもなく流通事情も不明な中ではありますが、もし、お送りできるのであればおもちゃも流されてしまったであろう小さなお子さんが少しでも心を癒せる助けになればと考えてみましたが…。5.6個とかでは役に立たないですかねぇ…母にはがんばらせますが…ひとまず、片隅にでも留め置いていただき、何かの折にご連絡いただければと存じます。
もちろん、ほかに、できることがあればお知らせいただきたくお願い申し上げます。』

未だ未だご紹介したい方々とのメールや電話が有りますが。これから会合を三つこなしてまた続きを書きます。紹介できなかった友人に謝ります。とにかく被災者の皆さんと僕たちはもちろん世界中のヒトが繋がっていることを訴えて中断します。

どうか更なるお知恵をお貸し下さい。 

§主 催
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学)
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305 redpinemushroom@gmail.com

香川理化学研究所
代表 香川 晴男

§共 催
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典

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まつたけ山復活させ隊 まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 585

2011年03月12日 |  マツタケの林地栽培 

さるがえさを求めて、山を降りてきた。5匹くらいの猿が、作業林へ行く道をゆうゆうと歩いていた。

「ここから先に行ってはいけない。」と徒歩で歩いていく時に警告が。

山には食料が枯渇してるんでしょうか。


京まつたけ復活・里山再生市民運動


第279回(3月12日(土))活動報告



 津波の悲惨なニュースが流れる中、作業には、36名の方が、朝早くから参加しました。
 
 本日の参加者は、女阪、松本、馬場(俊)、馬場(明)、前田、橋本、宮崎、榎本、松浦、上林、村本、森、林屋、江指、小原、三品、玉城、川本、、阿閉(仁)、阿閉(眞)、金、菅原、大島、徳田、中広、堀井、藤井、杉本、劉、池内(正)、池内(恒)、有山、山田、猫田、三輪、吉村のかたがた。

 

天気はよい。 しかし空はこんな感じ。

作業予定。

さて香川山では、木工工事に、

食事つくり。今日も美味しい食事を、2時間かけて作ります。

 

ささゆりを山の斜面に植えています。6~7月頃に花を咲かせるそうです。楽しみが増えました。

先々週作られたはしごに手すりが作られました。

朝の作業を終わって、皆さんが帰ってきました。

さあ、食事。

プロ仕様の食事(^.^)

団欒。

山作業は、

地掻きが、各作業場で進んでいます。地掻きの後が楽しみ。

昼からは地掻きトリオ。

今の時期は、大変な作業である地掻きもどんどん進みます。

山の整備を進める班も

急登で作業を進めています。危険なので注意。注意!

鹿よけの柵を作成中

ここには、こならの林を作って、なら枯れのない山を作る予定とか。古いならは、なら枯れが発生するので、

なら枯れのない山を作るために、若いならを育てる計画が、そうすると猿が里に来ることもなくなるのか。(^^)/

作業後の団欒

 

みんなの作業を網羅することはできていません。

作業が多岐にわたり、創造性と発想の豊かさを表現できていないことをお詫びします。、

申告もよろしく。(o^-^o)

(池内 記)

 

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まつたけ山復活させ隊 まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 584

2011年03月09日 |  マツタケの林地栽培 

京まつたけ復活・里山再生市民運動
 次回の活動日は、3月12日(土)で、京都岩倉香川山です.次回の天候はアウトドアーに最適のようだ.しかし、スギ花粉のシャワーに注意せねばなりません.
 
 もう三月、木々の葉芽は確実に膨らんでいる.遠くの山が赤みを帯び大きくなっていることで明らかだ.
 今、岩倉では、山作業は休むことなくなされているが、畑の作業、田んぼの準備が加わって来、参加者の皆さんは生き生きと活動されている.それに香川山の作業場配置換え構想が動いていて、ヒノキ間伐材の皮むきが急ピッチで進んでいる.保管スペースの覆いとする.総檜づくりである.
 マツノザイセンチュウ病枯損木を焼却する火床、コナラやアカマツの薪の保管スペース、堆肥置き場などの配置を再考して、炭焼き窯の復活や作陶作業の利便性など、限りあるスペースを効率よく活用するためである.
 いつ終わるか分らないけれど、キット素晴らしい香川山に生まれ変わるのではないか!とご期待下さい.

 先ほど、宮城沖地震がありました.揺れの長いものだったそうです.岩泉町に住んでいた頃 三陸はるか沖地震で震度5弱を経験しましたが、厭なものです.このブログの読者で東北地域にお住いの方もおられます.被害は出てないようです.
 世の中腹の煮えくりかえることばかりで、そのエネルギーすべてを集中させて爆発させたいところは、はっきりしているのだが・・・・・・・.
 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
★お知らせ
1)まつたけ山復活させ隊の仲間たち(高文研刊 1680円) 
 里山は必要なのか? アカマツの姿は? ナラ枯れは? 生物多様性上その保全は必要であるといってもそれほど注目を浴びない、見向きもされないくらいだ.必要でなければ僕たちは、営為は何なんだ? しかし読んだ方に面白いしフィロソフィーを感じると言われる.愉快なメンバーの紹介もある. 
 マツタケ研究の難しさについても考察されている.
僕たちは苦しみながらもまつたけ山づくりを楽しんでいる. 
書店でお買い求め下さい!
 他に、素晴らしい仲間の生の原稿と全国の友人の原稿をノーカットで小冊子にしたものがあります(送料込みで400円で販売).

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●カンパありがとう!
☆カンパお願い: 運営は皆さんのカンパで成り立っています!
カンパの振込先
氏名: まつたけ十字軍 代表 吉村文彦
銀行名: 京都銀行 山科中央支店 口座No. 普通預金 3698173
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§開催予定日 2011年3月―7月
第279回03月12日(土) 池内
第280回03月18日(金) 宮崎
第281回03月26日(土) 榎本
第282回04月01日(金) 三輪
第283回04月09日(土) 池内
第284回04月15日(金) 宮崎
第285回04月23日(土) 榎本
第286回04月30日(土) 三輪
第287回05月06日(金) 宮崎
第288回05月14日(土) 池内
第289回05月20日(金) 三輪
第290回05月28日(土) 榎本
第291回06月04日(土) 宮崎
第292回06月10日(金) 三輪
第293回06月18日(土) 池内
第294回06月24日(金) 榎本
第295回07月02日(土) 宮崎
第296回07月08日(金) 三輪
第297回07月16日(土) 池内
第298回07月22日(金) 榎本
第299回07月30日(土) 宮崎
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§活動拠点へのアクセスなど
(参加ご希望の方は事前に電話下さい、090-6227-4305.また2011年1月1日付ブログ565号を読んでおく必要があります.)

活動場所:京都市左京区岩倉村松町138-20 京都バス停留所「岩倉村松」から北東へ450m徒歩6分) 活動開始は,午前10時頃から終わりは午後4時頃.自由参加可能 ただしコアータイム昼食時は参加のこと.
アクセス:
京都バスの「岩倉 村松行き」に乗車.
このバスに乗車するには、
ア)JR京都駅七条口から(バス停「C6」番、所要時間約60分)
イ)阪急京都線四条河原町駅から(四条河原町交差点河原町通り北へ上ル東側(40分)
ウ)京阪本線出町柳駅から(加茂大橋東詰め北へ上ル西側、約30分)
エ)京都地下鉄烏丸線国際会館から(3番出口からバスターミナル1番)約15分
(地下鉄烏丸線はJR京都駅、烏丸四条、烏丸御池、国際会館などに停車)
§参加費は無料;ただし、消耗品費は皆さんの浄財カンパで成り立つ、或いは必要に応じて徴收.食材費(実費)+消耗品費として現在 400円を徴収.
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

以下の項目は 2011年3月8日付ブログ 見学するためには をお読み下さい.
○まつたけ十字軍運動とは何をする?
○まつたけ山復活させ隊活動への参加方法は
○私達のマツタケ山造り(作業方法)の特徴
 作業内容と作業区の紹介
○今年の予定と目標?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§主 催
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学)
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305 redpinemushroom@gmail.com

香川理化学研究所
代表 香川 晴男


§共 催
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典

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まつたけ山復活させ隊 まつたけ十字軍運動 を見学するには

2011年03月08日 |  マツタケの林地栽培 

京まつたけ復活・里山再生市民運動

参加者の皆さん、支援者・読者の皆さん!

見学ご希望の方はよくお読み下さい. 
 
 昨年は、番外開催3回、定例開催を50回、延べ参加数1590人、事故もなく先ずは大盛会であったと感謝申し上げます.運営も支援者・参加者のカンパ、薪販売の売上など仲間の工夫が一定の成果を見せました.
 本年も、昨年同様に宜しくお願いを申し上げます.
はじめに
  今、世界では1年間に、40,000種もの生物が絶滅していると推測される(約13分に1種の割合).生物1種が絶滅すると、その累はおよそ10種から20種の生き物に及ぶという.日本では、5.3%の動物が、そして維管束植物7000種の29%が生存を脅かされている(2009年、環境省).
 多くの市民が、里山保全の活動を展開しているが、私たちはマツタケの生活する里山(アカマツ林)を取り戻そうと活動をしている.日本、いや世界でも例のない団体であろう.まつたけ十字軍運動がまつたけ山復活させ隊活動に取り組んでいる.
 
§1 我々のまつたけ山再生運動とは?
 独特のまつたけ食文化を作りあげた京都は、近代マツタケ学発祥の地でもある.故濱田 稔博士が、京都市左京区岩倉尼吹山にマツタケを研究するフィールドを設けたことによる.
 その岩倉を活動拠点として、我々はマツタケ山づくりに取り組んでいる.また、里山の現状を憂う全国の仲間と交流を進め、この活動の輪を広げたいと願っていて、我々の成果は、情報として世界に発信されている.
 1960年代の日本の近代化は、燃料源を山の資源から化石資源に、肥料を山の資源から化学合成品に変えた.私たちの生活を豊かに便利に変えた.資源を使われなくなった山は緑で埋まった.
 『山の緑が豊かになった』、『樹を伐らないことはいいことだ』と評価され、生物の生息地・里山の激変を見過ごした.
 緑が豊かになったにも拘わらず、フクジュソウやヒメシャガなど、メダカやチョウ類やニホンウサギなど、またオオタカやイヌワシなど身近な生き物が消え続けている.絶滅危惧種の5割が里山の生き物である.トキ、オオタカなどの営巣木は里山のアカマツである.マツタケも、里山のきのこであり京都府では絶滅危惧種に指定されている.
 私たちのマツタケ山づくり(下記§3;参照)は、山-川-畑・水田(-海)のつながりを重視する.マツタケ山づくりの際、生まれるバイオマスの利用は、「自然」との共生型すなわち徹底した有機物循環型「農林業」に組み込むように努力せねばならない.
 活動は、木を伐る人・運ぶ人・軽トラを貸してくれる人、薪をつくる人、病害木を焼却する人、畑や水田を守る人、食事を作る人、設備を造る人、道具類を整備する人、拠点を整備する人、道路を補修する人、バイオトイレを守る人、多機能窯を守る人、山を提供する人などすべての参加者が、運動の目的を実現するために互いに対等で支え合い助け合うことを必要とする.
 活動には、目的はあっても参加者の行為を縛る規約らしいものはないが、何をしても良いわけではない.個の能力を最大限に発揮でき、参加者の数だけ面白いことが創造できるようにと願ってのことである.アリストテレス風に言えば、活動全体は個の参加者の総和以上の結果を生むと確信している.
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

§2まつたけ山復活させ隊に参加するには
参加するには、この活動の主旨を理解し遵守せねばならない。尚、初めての方は事前に連絡が必要(連絡先は下記主催参照;まつたけ十字軍運動吉村まで).
1)参加資格は問わない. 参加時間は自由、ただし、コアタイム(昼食時)の参加は必須.

2)事故を起こさないように各自勤めること.傷害保険等は各自加入のこととし、事故の責任は当事者に帰するものとする.

3)服装等:山で軽作業できる服装(運動靴か長靴か地下足袋、雨具、タオルなど).ゲスト用には少し準備されているが、ノコ・ナタの持参を原則としている.

4)降水確率(京都府南部、午前7時)が60%以上の日は、原則的に山づくり作業は中止.しかし、香川山の補修など日頃できない作業などを実施.

5)持参するもの:昼食は作るので、MY皿と椀と箸、コップなど、料理の持ち帰り容器、飲料水(お茶があるので水筒)など.

6)道具類や備品は、個人購入のものや皆さんのカンパで購入したものです.大切に扱うよう願います.備品類は汚れを洗った後、保管場所に戻すこと.また、使用した食器やコップ類は洗って戻すこと.出したゴミ等は各自持ち帰ること.いかなる「資源」の提供も主催者に連絡をする.

7)参加費は無料;ただし、消耗品費は皆さんの浄財カンパで成り立つ、或いは必要に応じて徴收.食材費(実費)+消耗品費として現在 400円を徴収.
☆活動拠点へのアクセスなど
8)集合場所:京都バス「岩倉 村松」行き終点「村松」.あるいは現地アカマツ林(京都市左京区岩倉村松町138-20バス停「岩倉村松」から北東へ450m徒歩6分).
アクセス:
京都バスの「岩倉 村松行き」に乗車.このバスに乗車するには、
ア)JR京都駅七条口から(バス停「C6」番、所要時間約60分)
イ)阪急京都線四条河原町駅から(四条河原町交差点河原町通り北へ上ル東側、50分)
ウ)京阪本線出町柳駅から(加茂大橋東詰め北へ上ル西側、35分)
エ)京都地下鉄烏丸線国際会館から(3番出口からバスターミナル1番、約15分)
(地下鉄烏丸線はJR京都駅、烏丸四条、烏丸御池、国際会館などに停車)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§3 私達のマツタケ山造り
 アカマツ優占林に於いては、作業内容は以下の二通りに分けることができる.これらの意味をよく理解し作業をすることが必要である.
 
 しかし、多くの山には、アカマツがない状態である.アカマツ生息に適した場所には、できるだけ早く若いアカマツ林を取り戻す作業を行う必要がある.皆伐後地掻を行うことに尽きる.

①植生の調節
  植物の密度の適正化:平均地温の調節、落葉量の調節,土壌水分含量の適正化。伐る樹種、残す樹種、作業時期にこだわる必要はない。除間伐材は必ず集積地へ移動する
○アカマツ:枯損木,被庄木は地際から切る。枝払い後、玉切りして集積地に運び出す。枯損木は焼却する.
○広葉樹他(含ヒノキ、スギ):大径木:株元直径5cm以上の木は地際から切る。枝払い後、玉切り後、集積地へ移動。
      
○中小径木:最近の異常気象による発生期の高温障害を防ぐために、直径1~5cmの木は密度を4-7本/m2に調節する。日当たり、風通しや落葉量を調節する。中段切りをしなくてもよい。枝払い後、集積地に運び出す.
   
○灌木等:膝頭より低い草本や灌木は地際から切ったり,根から抜き集積地へ移動.

②土壌条件の適正化(地掻)落葉落枝層と腐植層の厚みの適正化。以下の(a)~(c)の条件を改善.林外に運び出す.地掻の強さは、褐色森林土壌が見え隠れする程度に実施する。
 (a)物理的要因 土壌の硬度,土壌構造や保水力の改善,根のB層への
 移行を促進。
(b)化学的要因 有機物供給源の除去=富栄養状態の改善。
(c)微生物的要因 土壌微生物の質と量の改善=競争微生物や病原微生
    物の減少。
  
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
§4 こんな活動をしています!
活動内容や作業区を簡単に紹介すると、
1)香川山
○ヤマガラグループ(ヤマガラの里Cエリア)
 ゲート入り口右側斜面を整備中。このエリアを若いアカマツ林に戻す予定。シイタケの原木栽培実施.
 斜面正面エリアのススキ刈り取りなど補整作業に取り組んでいる。
皆伐区は、予定どおりに再生が進み、アカマツ幼樹の群落が美しい.斜面の地掻など補整作業を実施している.
一段と、マツノザイセンチュウ病による枯損木が周辺に目立っている.伐倒焼却の要あり.

2)澤田山
アカマツ林でマツタケの生息地を再生するというエリアとコナラ林を整備するエリアとがある.第1地整備地と第2整備地ごとにネライを定めて各班ごとに独自に作業を進めている.かつてアカマツ林化を考えて伐ったところの補整が進んでいる。
第1整備地は、
○阿閉班(村上班)
 マツタケ山づくりが行われている.京都府のホンシメジ接種試験が相当前に行われ、そのとき整備もされたが、菌根性のきのこの発生には至ってない.土壌の問題があると思える.補整の手入れが必要な状態になってきている.エスケープした檜・杉など大径木の処理が進んでいる.美しいアカマツ林になってきている.

第2整備地、第3整備地は
 ヤマガラの里づくりと呼ぶ.以前から整備を始めているところは「ヤマガラの里A地区」と呼び、整備が完了している.その西に当たるところを尾根部(アカマツ林を 再生)、傾斜地部(コナラ林にする)など3区に分け、それぞれ生態的特徴を生かした整備を進めている.ここは「ヤマガラの里B地区」と呼ばれる.前田・小原さんにお尋ね下さい.
 作業エリアでは、アカマツ林再生を考え、尾根筋でアカマツ林再生作業が続いている.5-6年前には尾根筋でマツタケが採れたと聞くが、今、アカマツがないに等しい.アカマツ林の再生作業中.

○澤田山中広班
 澤田山の一角にあるアカマツ林再生現場の作業を見聞したが、尾根筋がさっぱりとした広葉樹林にしたてあげられている。やはり、長年放置されると、我々の力 量では歯が立ちにくいのだ。この立木密度、この林床堆積物では、アマチュアの尋常作業ではアカマツ林に戻せないためにそうなっている.作業エリアを広めず に尾根筋を、幅10mの範囲に限って、尾根沿いに順次皆伐。シイタケの原木祭を実施.

○澤田山宮崎班
 現在、尾根筋アカマツ再生予定域から出る除間伐材、地掻き腐植の林外搬出路の確保を始めている。アカマツだけを残して尾根筋幅10mに沿っての皆伐がほぼ 完了しました。作業中にも枯れ始めるアカマツが出てきており生き残りはわずか数本でアカマツ林再生の期待薄ですが、彼らがまいた種で子孫が増えてくれることにわずかな望みをつなぎたい.
 なお、シューター設置予定の下部山域はすでにアカマツが壊滅状態で、コナラを中心とした落葉広葉樹、ソヨゴを中心とした常緑広葉樹の混交林に相変化して いる。そのためアカマツ林再生よりも、向かいのヤマガラ班整備地Aに合わせて薪炭材・落葉腐植堆肥採取林、昆虫・キノコ・山菜・野鳥観察・森林浴などの癒 し林として再生する方が有意義と考え、その方向で整備を進める予定.。
 できれば将来、下部林内には休憩所的な東屋も作ってみたい。また、整備で出る粗朶類を利用して、ヤマガラ班A区に習って作業域周囲をシシ垣で囲いたい.
 
3)玉城山
2班が共同で作業をしている。
○榎本班
○三品班

昔は、山全体がマツタケの発生に適したアカマツ林であったが、林道が造られたためにその下のエリアからマツタケが消えた.岩泉まつたけ研究所の向林試験林 内で、全く同じことを経験している.林道を一つ通すだけのように考えがちだが、周りの環境ががらりと変り水の流れも変化する.
尾根筋には、アカマツ林密度が比較的高く残っているので、榎本班と三品班で上部と下部からマツタケの生活するアカマツ林の再生作業に取り組んでいる.
地表の堆積物を堆肥化し、冬には水田に鋤き込む.マツのザイセンチュウ病害木の伐倒焼却活動が一旦終了したように見えたが、再開している.
ここは、市民によるマツタケ山づくりのお手本として有名になった.今まで、プロによる手入れで、マツタケ発生の復活は、「有から有は簡単である」と実証されている.しかし、市民による手入れでマツタケ発生の成果が出たケース(2007)は、ここが日本初の地である.
その後の発生がないので、発生ポイント周辺に覆土を試みた.シロが生きていたなら必ず元気になる.撒水実験にも取り組むという意欲的作業が見られる.

4)葉わさび栽培班
 岩手県岩泉町では、葉わさび産業が売り上げ1億円となっている.それはともかくとして、わさび漬けやお浸しがうまい.ここでは鹿害対策が課題である.
 幸い栽培に適する場所があったので、涼しくなれば苗を植えるつもりである.それまでは集めたり戴いた苗の管理をしながらわさびの生理生態を学んでいる.10人の仲間がいる.興味のある方は、世話人の榎本輝彦さんにおたずね下さい.榎本さんや中広さん担当

5)ポスト民芸運動(岩倉焼)班
 香川山BCに、全国から応援いただいたカンパで、みんなで造った「行ってこい帰ってこい」と命名された岩倉窯がある.その窯でポスト民芸に適う岩倉焼を 制作している.目下幾多の課題を抱えつつも自らの技量を磨いている.近藤高弘さん進めるポスト民芸運動の旗手(!?)達である.担当は内田さんや杉山さん

6)ニホンミツバチ保全班
 各地に巣箱を設置している.心ないミツバチ泥棒対策のため、巣箱設置場所は非公開.世話人は杉山さんと内田さん.
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§5 今年の予定と目標
 コゴミ、ワラビ、花ズッキーニー、マッシュルーム栽培など検討
1)「まつたけ山復活させ隊の仲間たち」販売促進(高文研)
2)京都造形芸術大学通信教育部環境学受講生がマツタケ山づくりに参加
 10月28日(土)に予定.
3)林間葉わさび栽培技術の確定.獣害対策検討

4)若い松林をつくろう!京都の景観・伝統行事を守ろう!全作業区で実施.

5)各地との交流推進

 特に和歌山県高野町にあるイワタ山との交流を深めていきます.

北海道旭川、岩手県岩泉町岩泉商工会、岩手県洋野町大野高校、石川県珠洲市金沢大学能登学舎、滋賀県彦根市滋賀県立大学荒神山、同近江八幡市沖島、和歌山県高野町岩田山、香川県小豆島マツタケ研究会、広島県庄原市マツタケ研究会

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主 催
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学)
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305 redpinemushroom@gmail.com

香川理化学研究所
代表 香川 晴男

共 催
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典

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まつたけ山復活させ隊 まつたけ十字軍運動NEWSLETTER583

2011年03月04日 |  マツタケの林地栽培 

今朝起きると窓の外が真っ白、雪が約3cmほど積もっていました。

自宅を自転車で午前9時過ぎに出て、宝ヶ池の坂を上り、トンネルを抜け、岩倉に来ると箕裏岳は雪化粧。

 

 本日午後から作業する田んぼも雪が積もっています。

岩倉のベースキャンプに到着しました。約10cm近い積雪で畑も雪化粧です。

 

 エンドウやニンニクも雪に覆われています。

 お茶畑の様子

 

わけぎも雪に蔽われていましたが、昼食に和え物として出て来ました。

 鹿にこの前先っぽをかじられた葱類も元気に伸びてきています。

蕗のトウも雪の間から顔を覗かせていました。

ふきのとう

下部を鹿にかじられたびわの木も枯れずになんとか生き延びているようです。

 

 午前中は雪で山に入れないので、総出で材木の皮むきをしました。

 

皮は肌色が見えるところまではぎます。

 

 作業をしている間に本日の賄いをしてくれている仲間がわけぎの和え物やちゃんこ鍋のような美味しい料理を作ってくれています。今日も昼食が楽しみです。

 はいだ皮の焼却作業風景

皮むきの作業も終盤。

香川山の斜面の松の様子

本日の献立、具沢山で体が温まります。どんぶりにしました。わけぎの和え物、押しの利いた美味しい漬物もあります。

お代わりはうどんでどんぶり

お昼からは雪もすっかり解けていちごの苗、ふきも顔を見せています。

可憐な花を見つけました。

さあ、午後からはいよいよ田んぼへ行って馬糞撒きです。

 これはすごい作業です。

 1反の田んぼに前回の作業日に搬入しておいた堆肥(馬糞と米ぬか(50袋)を混ぜて発酵させておいたもの)を田んぼ一面に撒き散らす作業で参加したメンバー15名はギャフン(馬糞)です。

 しかしこれをやっておかないと美味しいお米は採れません。

米ぬか18袋も追加で撒きました。

 

 

 

約2時間ほどで堆肥の撒布作業を終えた我々は三三五五徒歩で戻りました。

 

まんさくのはな、春一番先に咲く(まずさく)

 黄梅

 馬糞は米ぬかを混ぜると発酵してもうもうたる湯煙を上げます。

 

畑へ行く1mあまりの段差を埋める階段作り以前にかけてあった木が腐り、破損したため修理をおこなっています。

立派な階段が出来上がりました。

 本日の作業は終了。

  文責 三輪

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