古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

東京都港区・芝丸山古墳

2019-04-19 08:20:33 | Weblog
東京都港区芝公園4-8、都立芝公園内にあります。
標高約16mの台地端にあり、浄土宗大本山「増上寺」の南側です。

             (後円部墳頂からの増上寺遠景)

芝公園は明治6年までは全体が増上寺の境内でしたが、現在は東京都と港区が管理するエリアに分かれています。

全長106m、 後円部径64m・高さ8m、 前方部先端幅40m・高さ6m  の前方後円墳です。
南南西方向を向いてる前方部は、狭くて低くなっています。



                 (前方部先端部)


                 (前方部への石段)

その前方部には、虎の石造(政治家「大野伴睦」の句碑)があります。


東京都内では最大級の前方後円墳です。


            (くびれ部付近から後円部を見ています)


            (くびれ部付近から前方部を見ています)


                 (後円部)

墳丘の周りに周濠が廻っていたかどうかは不明です。
円筒埴輪や人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

くびれ部付近には「円山随身稲荷大明神」が祀られています。


増上寺の裏鬼門に位置するそうで、山内鎮守の重要な位置を占めていたそうです。
この円山随身稲荷大明神は、江戸時代には後円部にあったそうです。
そのため後円部墳頂や後円部西側は大きく削平されています。




現在稲荷社があった所には古墳碑(「瓢形大古墳」と刻まれている)と呼ばれる石碑があります。


明治31年,坪井正五郎博士による調査が行われたそうですが、後円部中央にあったと考えられる埋葬施設(竪穴式石室か?)は消失しており、遺体や副葬品など不明だそうです。
他にも後円部には「伊能忠敬」の遺功表が設置されています。

17年かけて正確な日本地図を製作した人物で、芝(正確には高輪大木戸)が基点地ということで明治22年有志により設置、戦災後の昭和40年に再建されたものだそうです。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和54年3月31日、東京都の史跡に指定されています。