古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

熊本県和水町・松坂古墳

2012-06-02 08:28:27 | Weblog
熊本県玉名郡和水町瀬川浦646、清原台地の南東部にあります。
墳丘はかなり損傷を受けています。
「江田船山古墳」の南すぐ近くです。

全長120m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

墳丘には葺き石が施されていたようです。

1996年に新しく発見された古墳です。
1997年に発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設には、箱形石棺と舟形石棺の二つが埋葬されていたそうです。
舟形石棺からは4体の人骨が出てきたそうです。
同時に合葬されたのか、追葬されたのかは不明です。
箱形石棺には熟年と思われる男女それぞれ1体・計2体が葬られていたそうです。
注目されるのは、女性の頭骸骨が変形していたことです。
下唇が前に剥き出していて、両側頭部も圧迫痕が見られるそうです。
幼少のころから目的を持って、意図的に変形されていたようです。
シャーマンとして育てられたのかも ??

築造時期については、資料が少なく特定されていません。

現在前方部は墓地になっています。
地元の人何人かに尋ねましたが、なかなか場所が分からず苦労しました。
最後に尋ねた方の息子さんの友人が詳しいとのことで、わざわざその方の職場に電話して聞いてくださり、ようやく辿り着けました。
親切にただただ感謝するのみです。




     (後円部ー現在は平坦になっています。)


     (前方部ー現在は墓地になっています。)
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熊本県和水町・若宮古墳

2012-06-02 08:13:43 | Weblog
熊本県玉名郡和水町江田中小路原の丘陵南端にあります。
和水町中央公民館前(駐車場端ー和水町役場南側)です。
墳丘は大きく損傷を受けています。


全長(現状)30m、 後円部径20m・高さ3.5m、 前方部先端幅8m・高さ2m の前方後円墳です。

墳丘に葺き石は施されていなかったようです。
造り出しもありません。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

1989年に発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設には家形石棺で埋葬されていました。
須恵器などが出土しています。

築造時期については、古墳時代中期ころと推定されています。

昭和48年(1973)、熊本県の史跡に指定されています。
ここから南へ約900mほど行くと、あの「江田船山古墳」があります。 
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熊本県熊本市・石川山2号墳

2012-05-26 08:26:58 | Weblog
熊本県熊本市植木町石川塚の前の丘陵頂(石川山)にあります。

全長34m、 後円部径22m・高さ4m、 前方部先端幅10m・高さ2m の前方後円墳です。

資料が少なく築造時期を含め、詳しいことは不明です。

山道から案内表示に沿って、灌木の茂った丘陵を登り詰めた頂にありました。
1号墳と3号墳(いずれも円墳)の間にあります。
後円部頂付近には、2号墳の表示板もありました。それと「四等三角点」の金属プレートも埋め込まれていました。
上記写真は後円部です。

全体の墳形を確認するには少々苦労しますが、ほぼ良好な状態で残っています。

石川山古墳群を構成しています。
4号墳は装飾古墳として知られているそうですが、損傷が激しいと聞いています。
今回は訪ねていません。




     (後円部から前方部を見ています。)

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熊本県熊本市・塚園古墳

2012-05-26 08:24:12 | Weblog
熊本県熊本市植木町岩野塚園の台地上にあります。
塚園1号墳とも呼ばれています。
一部損傷を受けていますが、ほぼ良好な状態で残っています。

全長40m、 後円部径(現状)14m・高さ4m、 前方部先端幅(現状)13m・高さ2.5m  の前方後円墳です。
前方部を西方向に向けています。

墳丘には葺き石が施されています。

資料が少なく築造時期を含め、詳しいことは不明です。

訪ねた時は、墳丘に生えていたと思われる木々がすべて伐採されていて、丸裸の状態でした。
おかげで墳形がよくわかります。

九建運送の駐車場南側の一段高い所にあり、どこからでも観察できます。


     (南側から見ています。左が前方部です。)




     (北東側から見ています。右が前方部です)
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熊本県熊本市・高熊古墳

2012-05-19 07:57:54 | Weblog
熊本県熊本市植木町古閑天神平663、合志川河岸・標高70mの台地上にあります。
塚山古墳とも呼ばれています。
墳丘は一部損傷を受けています。

全長72m、 後円部径44m・高さ5.5m、 前方部先端幅29m・高さ3m の柄鏡式前方後円墳です。
前方部を北西方向に向けています。
合志川流域で最初に造られた前方後円墳です。

墳丘の周りには周濠があります。
墳丘に葺き石は施されていません。
円筒埴輪や人物(武人)埴輪、須恵器などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
円筒埴輪は畿内出土のものと同じ手法で制作されていて、畿内とのかかわりが注目されています。
内部主体部については、どんなものか判っていません。
1964年(昭和39年)、玉名高校考古学部による測量調査が行われています。

築造時期については、古墳時代中期・5世紀中葉ころと推定されています。
熊本県内であまり前方後円墳が造られなくなった時期です。

昭和43年7月17日、合併前の旧植木町の史跡に指定されています。
平成22年3月23日、熊本市との合併に伴い、翌 平成23年3月 あらためて熊本市の史跡に指定されています。

古墳の南西側は、農業用ハウスが取り囲むように建っているため、見通しがあまり良くありません。


     ( 後 円 部 )


     (後円部から前方部をみています。)


     (前方部から後円部を見ています。)
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宮崎県延岡市・延岡22号墳

2012-05-12 08:07:12 | Weblog
宮崎県延岡市稲葉馬場畑の丘陵先端にあります。
菅原神社古墳とも呼ばれていて、後円部には菅原神社が建っています。
前方部は神社への参道になっていて、大きく破壊されています

上記写真は後円部で、赤い建物が菅原神社です。

全長110m、後円部径33m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
宮崎県内で9番目の大きさです。

墳丘の周りには周濠・周庭帯があります。
資料が少なく、内部主体部や出土品など詳しいことは不明です。
ただ築造時期については、5世紀前半ころと推定されています。


延岡古墳群を構成していて、1939年1月27日 宮崎県の史跡に指定されています。
ほぼどこからでも観察することができます。


         ( 後 円 部 )


         (前方部に建つ鳥居)


         ( 前方部全景 )
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宮崎県延岡市・南方39号墳

2012-05-05 08:35:31 | Weblog
宮崎県延岡市大貫町5丁目の台地上にあります。
浄土寺山古墳とも呼ばれています。

全長49m、 後円部径35m・高さ4.3m、 前方部先端幅20m・高さ2.6m  帆立貝形の前方後円墳です。
三角形に低く突き出た前方部が南西方向にあります。

墳丘には葺き石が施されています。
埴輪の出土は不明で、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。

昭和4年(1929)5月に、鳥居龍蔵博士によって発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設は、粘土槨に割竹形木棺で埋葬されていました。
粘土槨は長さ6.8m、内部の幅が東端で約1m・中央部で0.8m・西端で0.74mあったそうです。
粘土槨の東端から40cmほどの所から竹櫛10本と剣2振それに歯の断片が、被葬者の頭があったとみられる(中央から少し西側)朱塗りされていた所からも竹櫛38本が出土しています。
出土した合計48本もの櫛は、そのほとんどが長さ約1.5cm・幅1.3cmほどの小さなものです。
大きいものでも長さ約3.5cm・幅2.5cmくらいのものです。
南方10号墳からも14本出土していますが、これらは実用品と言うよりは呪術的信仰儀礼のものと思われます。

櫛については「記紀」の神代編の「黄泉の国」のなかで「イザナミノミコト」に待たされた「イザナギノミコト」が
  ・・・左の御みづらに刺せる湯津〃間櫛の男柱を一箇取り闕きて、一つ火を燭して入り見し時に、うじたかれころろきて 〜  
黄泉の国から逃げ帰る「イザナギノミコト」に対し、「イザナミノミコト」が
  ・・・「吾に辱を見しめつ」といひて、即ち予母都志許売を遣して、追はしめき。爾くして、伊耶那岐命、黒き御縵を取りて投げ棄つるに、乃ち蒲子生りき。 〜 
とあります。

その他の出土品として、槨の西側から鉄剣9振、鉄刀6振、鉄鉾1、鉄鏃80本、鉄斧2、楯の取手1、長方板革綴短甲、三角板革綴眉庇付冑等があります。
剣の中には「蛇行状剣」と言われる剣身の全体が、波状に左右にうねっている特殊な剣も含まれています。
この剣はその後各地で出土するようになりましたが、この南方39号墳出土が最初の出土記録と言われています。

古墳時代中期・5世紀中ころの築造と推定されています。
その後の調査で、東西に1体づつ計2体の埋葬の可能性が出てきています。

南方古墳群大貫支群を構成しています。



   (手前の白い屋根の建物は牛舎です。)



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宮崎県延岡市・南方34号墳

2012-05-05 08:23:09 | Weblog
宮崎県延岡市野地町4丁目の丘陵東端にあります。
現在、丘陵を取り巻くように周りは住宅街になっています。

全長34.5m、 後円部径21m・高さ3.9m、 前方部先端幅10m・高さ2m  の前方後円墳です。

資料が少なく、主体部を含め詳しいことは不明です。

「久住寺」そばの車1台がやっと通れるくらいの細い道を丘陵下に、そこから山道を歩いて登った墓地の右手奥の竹林の中にあります。
現在は辺り一帯が竹林で観察にはあまりよくありません。
墓地左手にある41号円墳の方がよく整備・保存されている感じです。

南方古墳群野田・野地支郡を構成しています。
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宮崎県延岡市・南方10号墳

2012-04-28 08:16:45 | Weblog
宮崎県延岡市天下町の丘陵上にあります。
一部損傷は見られますが、ほぼ良好な状態で残っています。

全長79m、 後円部径52m・高さ5.2m、 前方部先端幅28m・高さ3.6m  二段構築の柄鏡式前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。

大正2年3月に鳥居龍蔵博士によって発掘調査が行われています。
主体部から粘土槨が出土しています。
長さが4.24mあり、内部の幅が東端で1m、西端で1.15mと細長い形をしていたそうです。
木棺を覆った粘土槨の内部東側の朱で赤く染まった所から、翡翠製勾玉3個・管玉23個・竹櫛(漆塗)14個・鉄剣2振・直刀2振・小刀子1振などが出土しています。

道路を隔てた南側約300mには前述の1号墳が相対していて、同じ西向きに並行しています。
築造時期については1号墳同様、柄鏡式前方後円墳からして古墳時代中期それも前葉ころと推定されています。
この2基に眠むる人物は、何らかの深いつながりがあったものと思われます。

上記写真は、1号墳のある丘陵上から撮ったものです。
後円部には祠が建てられています。
墳丘は竹林に覆われていて、「タケノコ」があちこちで頭をもたげていました。
道路から墳丘への小道が設けられていて、後円部墳丘へ登る石段(壊れかけていますが...)も設置されています。

昭和18年9月8日、南方古墳群として国の史跡に指定されています。


       ( 後 円 部 )


   (後円部から前方部を見ています。)


   (前方部から後円部を見ています。)
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宮崎県延岡市・南方1号墳

2012-04-21 08:29:02 | Weblog
宮崎県延岡市天下町の上ノ原と呼ばれる丘陵上にあります。
天下神社のすぐ前です。
天下神社を挟んで東側には南方2号墳(円墳ー神社の建設で墳丘が大きく削られ石室の一部が露出しています。)があります。
天下(あもり)神社古墳とも呼ばれています。

全長71m、 後円部径35m・高さ5.1m、 前方部先端幅19m・高さ4.1m  柄鏡式前方後円墳です。
前方部を西に向けています。

墳丘には葺き石が施されています。
発掘調査が行われていないため、主体部など詳しいことは不明です。
ただ築造時期については柄鏡式の前方後円墳からして、古墳時代中期それも前葉ころと推定されています。
後円部頂には「大日堂」が建てられています。

近くを流れる五ヶ瀬川の上流が神話伝説の地・高千穂です。
この地域がなぜ天下(あもり)と呼ばれるのかについては、一つに古事記(今年が編纂1300年)にでてくる「ニニギノミコト」の「天孫降臨」からきていると言われています。
「天降り(アマクダリ)・・・天下り」から天下ーあもりーと呼ばれるようになったとか.....

南方古墳群天下支群を構成しています。
どこからでも観察することができます。


       (前方部から後円部をみています。)


       (後円部から前方部をみています。)


       (後円部頂に建つ大日堂)


「南方古墳群」
天下支群、大貫支群、野田・野地支群、舞野支群、吉野・今井支群の5つからなります。
前方後円墳5基、円墳35基、横穴墓2基 計42基が残っています。
昭和18年9月8日、南方古墳群は一括して国の史跡に指定されています。
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