茨城県石岡市北根本597番地外、恋瀬川河口付近の高台にあります。
石岡市の市街地の南端、南に霞ケ浦の高浜入江を、西に筑波山や龍神山などの山並みを仰ぐ景勝の地にあります。
「舟塚山古墳群16号墳」と呼ばれることもあります。
全長186m、 後円部径90m・高さ11m、 前方部先端幅99m・高さ10m 三段構築の前方後円墳です。
前方部を西側に向けています。
後円部墳頂中央付近に37.7mを表示する三角点があります。
後円部西側には鹿島神社がたてられていて、墳丘が一部削られています。
東日本で2番目、全国でも45番目の大きさを誇る巨大古墳です。
(右が前方部)
後円部に比べ前方部が長く、国内最大のあの「仁徳天皇陵」などと共通する特徴があります。
(後円部)
(前方部)
(前方部先端部)
墳丘の周りには盾形をした周濠(前方部西側で40m・後円部東側で約44m)があります。
南側の周濠は台地縁辺に接するため、廻っていたのかを含め不明です。
墳丘に葺石は施されていません。
円筒埴輪が出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1972年(昭和47年)、山内昭二氏を団長とする「舟塚山古墳周辺発掘調査団」による周濠の確認発掘調査が行われています。
但し墳丘本体の発掘調査は行われていません。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
恋瀬川とその北東を平行に流れている山王川に挟まれた、霞ケ浦を見下ろす石岡台地南端部上に分布する舟塚山古墳群(前方後円墳6基・方墳1基・円墳20基・不明墳14基、そのうち19基は消滅)を構成している1基です。
大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。
被葬者は「茨城国造筑紫刀禰」ではないかと言い伝えられているそうです。
石岡市の市街地の南端、南に霞ケ浦の高浜入江を、西に筑波山や龍神山などの山並みを仰ぐ景勝の地にあります。
「舟塚山古墳群16号墳」と呼ばれることもあります。
全長186m、 後円部径90m・高さ11m、 前方部先端幅99m・高さ10m 三段構築の前方後円墳です。
前方部を西側に向けています。
後円部墳頂中央付近に37.7mを表示する三角点があります。
後円部西側には鹿島神社がたてられていて、墳丘が一部削られています。
東日本で2番目、全国でも45番目の大きさを誇る巨大古墳です。
(右が前方部)
後円部に比べ前方部が長く、国内最大のあの「仁徳天皇陵」などと共通する特徴があります。
(後円部)
(前方部)
(前方部先端部)
墳丘の周りには盾形をした周濠(前方部西側で40m・後円部東側で約44m)があります。
南側の周濠は台地縁辺に接するため、廻っていたのかを含め不明です。
墳丘に葺石は施されていません。
円筒埴輪が出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1972年(昭和47年)、山内昭二氏を団長とする「舟塚山古墳周辺発掘調査団」による周濠の確認発掘調査が行われています。
但し墳丘本体の発掘調査は行われていません。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
恋瀬川とその北東を平行に流れている山王川に挟まれた、霞ケ浦を見下ろす石岡台地南端部上に分布する舟塚山古墳群(前方後円墳6基・方墳1基・円墳20基・不明墳14基、そのうち19基は消滅)を構成している1基です。
大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。
被葬者は「茨城国造筑紫刀禰」ではないかと言い伝えられているそうです。