二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

西川誠「明治天皇の大日本帝国」天皇の歴史⑦(講談社学術文庫2018年刊 原本は2011年刊行)レビュー

2019年10月24日 | 歴史・民俗・人類学
昭和天皇の存在を理解しようとしたら、明治天皇から再検証しないとダメだ、とかんがえて、本書「明治天皇の大日本帝国」を手に取った。
未整理の草稿をそのまま読まされているような、やや雑駁な記述が目につく。はじめは読むのを中止するか、☆☆☆にしておこうと思ったくらい(=_=)
文学的センスがないのだろう、てにをはのおかしなところが時折ある。

しかし、全体としては労作との印象が強く、雑駁な記述にみえたところは、中身というか、情報というか、調べたことをつめ込みすぎているからだろう。
一般向けの通史なのだから、論旨を整理し、明快なスタイルを採用すべき。
わたしはしばしば、何ページも後戻りし、読み返さねばならない場面に遭遇した|*。Д`|┛
肩に力が入りすぎ、力みすぎなのかな?

《幕末の混乱の中で皇位に就いた16歳の少年は、伊藤博文ら元勲たちと信頼関係を結び、「建国の父祖」の一員へと成長していった。
京都を離れて江戸城跡に新宮殿を構え、近代憲法に存在を規定された天皇の政治への意志とは。
復古の象徴、神道の主宰者でありながら、髷を切り、軍服を着た「欧化」の体現者。洋装の皇后とともに巡幸と御真影でその姿を見せ続け、国民国家の形成期に「万国対峙」を追求した「我らの大帝」の実像を描く。》(amazonの内容紹介より引用)

そうですよ、そういうことが縷々ページを埋め尽くしている。
小さめの印字でびっしり書かれているから、初心者は腰がひけてしまうに違いない。

《明治天皇は、井上馨工部卿就任問題・教育令問題を見ても、内閣が一致している場合、決定を覆すのは困難であった。しかし、内閣が一致できない場合、内閣が考慮しなければならない政治ファクターとして成長していった。
そして天皇に決定を委ねざるを得ない状況になったとき、天皇の決定を受け入れる心理も、内閣のメンバーに徐々に形成されつつあった。》(本書153ページ)

《神道に繋がる道徳論を中心とする教育と、統帥権とに議会の関与が及ばない点では、明治国家は前近代的で絶対主義的である。そういう研究が重ねられた。
しかし明治天皇はじめ近代の天皇の振る舞いは、専制的でない。蛇足すれば、統帥権の独立は憲法の一部であったし、公式令以後は詔書も勅書も副署が必要であった》(334ページ)

《天皇には、元勲が及ばない領域があった。それは君主間外交である。大津事件は、元勲たちにそれを印象づけ、天皇の権威を高めた事件であった。》(334ページ)

明治天皇は自分のことを「わし」といい、皇后美子妃を「皇后さん」と呼んでいたそうである。
同時代の政治家、側近、おそば仕えの女官の証言を丹念に集め、さまざまなエピソードを紹介しているあたりは好感が持てる。
維新の三傑といわれた大久保、木戸、岩倉が消え、敬愛した西郷隆盛も不幸な事件によって退場する。
そのあと、明治天皇が頼りにしたのは、元田永孚など側近グループと、明治憲法制定の主役・初代総理伊藤博文であった。
皇室典範も、伊藤博文の政治的考察と立場を強く反映したものとなっているという。
伊藤の評価がこれほど高いとは思わなかったが、近年公文書類の情報公開がすすんだせいかもしれない。

わたしがこの天皇を意識したのは、最初は何であったろうか? たぶん10代末期に読んだ夏目漱石の「こころ」であったかもしれない。
その後、数年前、司馬遼太郎の「殉死」を読み、心底しびれた経験を持つ。「殉死」はそのあと、もう一回読んでいる。
シニカルにいわせていただくなら「作り出された明治天皇像」といえないこともない。しかし一方、明治という激変期にふさわしい、国民に期待される“大帝”になろうと、元勲といわれる政治家たちの意見に耳をすまし、大日本帝国憲法を遵守し、議会にも配慮を怠らなかった。

本書はあまりにも多くを書きすぎてしまい、そういった天皇像を鮮明に浮かび出させることに失敗している。わたしが明治天皇に対し、あまりにも無知であったため、そういった読後感を抱いたのかもしれないが・・・。
また本書では伊藤との政治的いきさつはことこまかに追求されているが、天皇が晩年親炙した乃木希典については一言半句も言及がない。
61歳で崩御された明治天皇と、87歳まで長命をたもった昭和天皇。
天皇は内閣や大臣と違い、辞職することができない存在なのである。「やめた、やめた!」といって、無責任に匙を投げ出すことができない。

そこに、庶民たちは信頼を寄せる。
大統領にせよ、総理大臣にせよ、いざとなったら辞任し、政権を放り出して「ただの人」になることができる。あるいは阿南惟幾や東条英機のように身を処することができるが、天皇にはそれができない。
政治が、あるいは国家が苦況に立たされたとき、天皇の任にあることの“現実”を察するべきである。国家は近代における壮大なる幻想といえるかもしれないが、天皇は幻想ではなく、生身の人間なのだ。

読後司馬さんの「殉死」を思い出しながら、わたしはそんなことをしきりにかんがえた。



評価:☆☆☆☆

※引用文は引用者の判断で改行していることをお断りしておく。

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