学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

アメリカ、ボルティモアの橋崩落に考える

2024-03-29 16:09:14 | 日記
 アメリカ東部メリーランド州ボルティモアで橋の崩落事故が報道された。今回の事故は大型のコンテナ船がコントロールを失って衝突したという。今回の事故は理由がはっきりしているけれど、アメリカでは最近は時々橋の崩落事故があちこちで起きている。耐用年数を過ぎた老朽化が原因であることが多い。ちょっとした社会問題になっている。アメリカではなぜかメンテナンスがうまく機能していない状態が長年続いているのだ。僕の留学時代から指摘されていた問題で今だに騒いでいるのだから何をか言わん。呆れてものが言えない、不思議な国だな~。
 ボルティモアには僕が留学時代に世話になった一家の息子さんの一人(当時はまだ中学生)が住んでいる。もう70歳を超えた高齢者になっている。今でもときどきメールの交換をする人だ。
彼や彼の一家が事故に巻き込まれたということはなかったようで一安心。橋は過去と現在の橋渡し、僕は昔からなぜか橋にロマンを感じることが多くて写真に撮ることが多かった。理由は簡単、アメリカ旅行で車を運転して橋を渡った先の町や風景になぜかワクワク感を感じたからだ。この橋を渡った先に何があるのだろう…などと想像することが楽しいのだ。”こちら側と向こう側”、とにかく二つのものを結びつける役割を橋は担っている。少し飛躍した想像を働かせてみると、お彼岸などでのお墓参りは故人と個人の橋渡し、異文化同士の橋渡しなど、やっぱり橋は異なる二つの物を結びつけてくれる大切な使命を負った、人の手による建造物だ。我々が人生で起こす「失敗」が自分の「経験不足」と「学び」という異なる二つの橋渡しをしてくれるように。

人の見た目の違いの発生源は?

2024-03-26 16:37:23 | 日記
 昨日の夜7:30、何気なくつけたNHK総合テレビの番組「Dearにっぽん77歳の若手芸人」に惹きつけられた。僕の好きな言葉「挑戦」を文字通り地で行く老人と呼んでいいのだろうか、77歳のおばあちゃんがマイクの前に立って人を笑わすことに情熱を燃やしている。挑戦心旺盛というのか歳をとってからの通信制高校通い、大学入学などを経てなんと71歳で吉本興業の笑いの門を叩いた異色の高齢婦人がいる。舞台に立って最初の掴みの言葉が「私がマイクに触れると点滴に見えますが(これは)マイクで~す」と元気なおばあちゃん芸人、その名も”おばあちゃん”が東京の「神保町よしもと漫才劇場」で活躍している。高齢を自嘲気味に披露する川柳で展開するお笑いが人気を呼んでいる。”朝起きて今日も元気だ医者通い”
 年齢と共に挑戦の対象が変化することは当然である。自分を信じて何かに挑み続ける限り歳は取らない。「年寄りに同い年はいない」という言葉がある。例えば同じ80歳でもどこから見てもその年齢に見えないほど元気な人がいるかと思えば、みるからに年寄りであると目にうつる人もいる。違いはどこからくるのだろうか。答えは”心の持ち様”である。その時々の年齢で挑戦心(やってみようの心)を持っているかどうかが本当の年齢を決める。人生は(?)と問えば、それは日々挑戦、生き切るためには「熱意、忍耐、そして継続(粘り)」があれば何かを成就することができる、ということを高齢者はなんとなく知っている。それから、忘れてはならないことは食べること。近くに「中に具のあるおにぎりと味噌汁」という元気老人を知っている。

「依存症」人のふり見て自己制御

2024-03-22 16:10:27 | 日記
 野球好きの僕が韓国で行われているメジャーリーグの二試合に全く目もくれずにいたのが不思議でならない。なぜか他人事で燃えるものがなかったからとしか言いようがない。ひとつ理由を挙げるとすれば昼間に時々高校野球を見ながら過ごして、それから大相撲を見ての生活だったからテレビから少しは離れたい気分になっていたのかもしれない。大谷翔平は、山本由伸は、ダルビッシュは、皆活躍したのだろうかなどと心のどこかで気にはしていたのだが。
 僕が他人事などとメジャー韓国シリーズにひとりでしらけている間に今日の新聞には大谷翔平の通訳の水原一平氏が球団から解雇されたと言う記事だ。「僕はギャンブル依存症で…」などとの水原氏のコメントに驚きを隠せない。通訳としても名が知れるようになり、大谷翔平とのコンビで野球の練習に携わったり、かなり大谷の生活の一部にまでなっていた人が一気に全てを失った。”依存症"とは何かへの強度の依存がもたらす脳疲労が引き起こす病気のことだ。最近ではスマホ脳といわれるスマホ依存症のことが頭に浮かぶ。僕は寝る時間を調整するために15分程スマホのfacebookで動画を見ることがある。だんだんのめり込んでいって気がつけば30分を超えてしまっていることが度々起こる。これがスマホ依存症だと気がつく瞬間だ。スマホのない時代、友人と飲みながら過ごした楽しいい時間、家族や夫婦間の会話に笑いがあった頃が懐かしい。今は一人時間を楽しんでポケットの中から誘惑するスマホが友人(?)だという人が多い。スマホが時代を変えた。その気になって自己制御しないとアカン時代になったのだなぁ。

年寄りの未来の長さの伸び縮み

2024-03-19 16:52:06 | 日記
 友人とどんな時に歳を感じるかを話し合ったことがあった。色々出てくるが例えば以下のようなものだ。漢字が思い出せない書けない、人の名前が思い出せない、足に自信がなくなって階段の上下に不安がつきまとう、夜中に起きてトイレに行く回数が増えた、などと日常に現れる不都合を挙げればきりがない。僕は少し違う面を追加したいと思っている。それは先日の北陸新幹線の敦賀までの延伸で北陸が活気ついて関東からの旅行者も増えると駅に集まった地元の人々の笑顔がすばらしい。そんなテレビの画面をみながら、あ~だんだんと旅行することが大義になってきたなと感じ始めると次々と負の妄想が広がっていく。北陸新幹線が新大阪に来る頃に僕は生きているだろうか、リニア新幹線に僕が乗ることはないだろう、などということになる。
 「歳をとること」を英語ではエイジング(aging) という。調べてみると、例えばアメリカでは誕生日が面倒になった時から歳を感じることが始まるらしい。自室のドアの鍵が外されて年老いてきた自分を気にしてくれる家族がいつでも出入りできるようになることから自分の老いの程度を察することができるようになる、などと加齢が表現されている。日本と外国とはもちろん生活の状況というか暮らし方の違いがある。しかし旅行にしろなんであれ自分の力で移動できる状況を保ちたいと思うのは年寄りの共通の願いである。年齢とは単なる数字、大切なことはどのように歳をとっているかである、と考えるとプラスの妄想が…。大阪市内へでも出かけて街の変化などのウオッチングを楽しめるような体力だけは維持したい、と思う今日この頃である。

種は蒔かなきゃ芽はでない

2024-03-15 16:22:28 | 日記
 民間ロケット「カリオス」の打ち上げは失敗に終わった。このロケットは宇宙宅配便の事業化を目指していると言う。なんだその宇宙宅配便とは、と頭に「?」マークがチラついた人も多いだろう。要するにいろんな情報を小型衛星に詰め込んで宇宙に届ける宅配事業だ。勉強不足で具体的にどんなメリットが我々地球上の個人にあるのかなどはまだまだわからない。ま、いずれにせよ打ち上げ後5秒で爆発、ロケットと積荷の小衛星はそれこそはかなく空の藻屑ときえた。宇宙振興企業の豊田正和社長は「会社として失敗と言う言葉は使わない。諦めることなく前に進んで行くので応援してほしい」と記者会見の場で言い放った。
 町おこしなども考えながら発射場を提供した和歌山串本町の人々の総出の応援姿をテレビで見た。子供達も沢山参加してカリオスへの期待感は並々ならぬものがある。繰り返しテレビで報道される”打ち上げ失敗”と言う言葉、「失敗」とはなんだろう、と考えた。カリオスの応援に参加した子供達にどのような学びがあったのだろうか。人生を生き抜くためには失敗と言う落胆は味わわなくてはならないものなのだろうか、などと首をうなだれた子もいただろう。人生を語る時、僕はいつも自転車乗りを覚えることを挙げる。何度も失敗して倒れて膝を擦りむいて自転車に乗れるようになる。失敗とは単にプロセスの一部、一歩一歩成功に近づいていると理解すれば落胆などする必要はない。ギブアップすることが本当の失敗なのだから、と子供達に伝えたい。