学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

鏡文字の思い出

2020-08-28 16:42:52 | 日記
昨日の木曜日、午後に激しい雨が降った。何日振りだろうか、本当に久しぶりの雨である。熱し切った道路や庭、草木が少しはほっとしているだろうと思った僕が一番ホッとしていたのに気がついた。長く雨が降っていないせいだろう、なんとなくホコリぽい匂いを漂わせながら風が生あたたくて期待するほどの爽やかさを持ち込んではくれなかった。それでも文句は言うまい。とにかくひと雨欲しかったから。猛烈な高温度が連日続いて熱中症で病院に運ばれる人の話がテレビを賑わしている。先週の金曜日、8月21日は大阪では何と38,6℃という猛烈さである。
一昨日の水曜日は37.0℃、大阪中之島近くにある「大阪現代画廊」に足を向けた。玉利さんという女性のちょっと一味ある言葉や短文とハンコで表現された生活日記(判子日記)と消しゴム判子展に興味があった。子供の頃、消しゴムに彫刻刀で鏡文字を書いて判子を作るのが好きだった。なぜと聞かれても答えようがないのであるが、とにかくなぜか彫っていると集中できることが楽かった。自分だけの時間が楽しかったようにも覚えている。大学で教えている時も時々鏡文字を板書で書いて学生たちを驚かせたものだ。人が驚くほどの見事な鏡文字を漢字であろうが英語であろうが筆記体で得意げに書いたものだ(今でもできる。ほんまやで!?)。
Just do what you can do best. (君が一番うまくできることをやりなさい)というプラス思考がある。自分が楽しめて集中できて、自分という存在を感じる時、人は皆充実しているのだ。“楽しんでできるもの”を持っている人は幸せである。あとはその生来の能力を人生の中でどのように捉えるのか、使うのか、がその人に与えられた課題であるような気がする。写真展に出かけても、絵画展に出かけても、人が持つ天性の能力や生来の感性といったようなものに気づかされる。なぜかそんな瞬間が嬉しい。いろいろ都合があって急に思い立って出かけた「消しゴム判子展」から軽い街歩きをして帰宅した時には上から下まで身体中びっしょりの汗だくであった。

自分とは人生の選択の総和

2020-08-25 20:51:07 | 日記
「年寄りはおとなしく家に…」と言われているように聞こえる評論家の意見をテレビで時々見るようになった。年寄りはコロナに感染すると重症化するというのが理由である。素直に受け止めて皆さんのお心配りをありがたく思うようには心がけている。ま、それはともあれ家に居る時間を利用して、NHKのプレミアム映画を昼間に楽しむ機会が増えた。
先日の映画は『ハドソン川の奇跡』、トム・ハンクスの主演だ。エンジントラブルの航空機をニューヨークのハドソン川に水上着陸させた機長のお話だ。ハッピーエンドのこの映画の細部のストーリーなどは有名なので割愛することとする。ただこの種の事故が起きると必ずと言っていいほど思い出す海難事故(犠牲者1,000人以上)がある。1954年9月の北海道と青森を結ぶ青函連絡船の洞爺丸の沈没事件である。僕が中学一年生の頃の話である。親戚の叔父が北海道からの帰路にこの船に乗ることになっていて、犠牲になったと信じ込んだ家族が近い親戚を集めて右往左往した日を思い出す。叔父は商談の関係で1日遅らせてこの船には乗っていなかった。今のように連絡が瞬時にできる頃とは違って、無事の連絡が来たのは何と翌日の朝。青森に向かおうとする叔父の家族と親戚の大混乱はめでたしめでたしで終わることとなった。映画の中でも遅れて搭乗しなかった人が事故に遭遇するのを免れた話なども折り込まれている。同時多発事故の時も然りで、まったく偶然にビルの外でコーヒーを飲んでいて助かった人などがいた。家を出るのを遅れて渋滞に巻き込まれるのを避けるためにこの日に限って地下鉄を利用してビルの地下で被害に遭ってしまった人。何がその差を作るのかは分からない。ただその人にとっては二つに一つの選択があっただけである。人生とは「右か左か、するかしないか」などというたくさんの選択を足し算して合計したものである。「選択の総和=人生=自分自身」という図式が成立する。今の僕が、今ここに存在していてこの日を過ごしている事実は1つひとつの僕の選択の生活行動を積み重ねた結果である。家にいて退屈しのぎに映画を見ていたらこんな所に行き着いた。

成長の第一歩は現実否定から

2020-08-21 19:40:22 | 日記
アメリカの前大統領、オバマさんが選挙中、Change! Yes, we can!(変えよう!我々はできる)と叫んで選挙を乗り切って大統領になった。政治を変えよう、という呼びかけなのだが実際我々の日常生活の中でも、「何かを変えれば何かが変わる」ということは当てはまる。新型コロナの影響でいろんなことが変わりつつある。「変わる」「変える」は物事を改善する機会、人間の場合だと成長の機会だと捉えると世の中が面白くなってくる。自分を変えたいなどと何となく暗い深刻なことを考えている人の人生相談がよく新聞に載っている。僕の彼らへの助言は部屋の掃除と家具の配置換えからでも不思議と自分を見つめる機会が提供されると伝えたい。部屋の家具の位置を変えるだけでまず気分に変化が起こってくるのは不思議だ。あまり深刻に考えずに身近なことから「やってみて下さい」と助言したい。何かが変わる!
結婚してアメリカで新婚生活を始めた僕たち夫婦は毎年二人でよく家具の配置換えをやって楽しんだものだ。共同作業は二人の親近感すらプラスの方向に影響を及ぼすのだ。同じ家具も配置を変えて工夫すれば部屋そのものが見違えるように変わってしまうのだ。偉そうにそんなことを言いながら、外出を控えている今日この頃の僕、この家具の配置換えや断捨離で不要なものを捨てる作業をする意欲はあるのだが、何せ暑い、そして体力が落ちてきていて腰が上がらない。現実は厳しい。若い頃学んだ教訓の「改善する」というプラス方向の変化は現実を否定することから始まるというちょっと厳しいものだった。例えば野球の選手なら今の自分の技量を「もっとよくする」と今の自分を否定して初めて変化が起こり一段階上を手にすることができる。「良くなる、良くする」ということは現実や今を否定することが出発点で覚悟を決めなければならない。でも一旦覚悟を決めたなら必ず一歩前進、自分自身を成長させることができるのだ。「変える、変わるは「自分を成長させる機会である(Change presents opportunities to grow.) 」その通りだ。全ての責任は自分にあり。自粛の今、自分の意思で現実否定から成長を目指そう。

膝(ひざ)はなぜそこにある

2020-08-18 16:57:04 | 日記
今年もお盆の季節がやってきて、コロナの影響で人との接触を恐れる中でのお墓参りを済ませた。日差しのキツさで、花を供えながらの背中が焼けるように暑いし、体に熱が籠もってくる。テレビでは危険な暑さ、猛烈な暑さ、などと揃って熱中症の注意を呼びかけている。救急車が大忙しで町を走り回っている。この暑い中、どうして人は外に出るのだろうか。マスクで顔を覆って、手には小さな扇風機といういでたちの人を外ではよく目にするようになった。そんな中、甲子園では交流試合が行われ昨日幕を閉じた。高野連の人たちは夏の甲子園のあり方など改善に向けて一考の余地があるのではとつくづく思う。グラウンドの暑さは尋常ではないはずだ。いくら若いとはいえこの暑さの中での試合は厳しいはずだ。交流試合の機会を得たことに対して、球児は揃って感謝の意を表して本当に嬉しそうである。“熱中症にご注意” とスコアボードの下に現れる電光掲示の注意書きを横目にベンチで水をがぶ飲みしている日焼けで真っ黒で甲子園の土まみれの球児の姿があった。
我が家から地域の墓地まで歩いて7、8分、その墓参りに行く道で3歳ぐらいの女の子がサンダルでつまづいて泣いていた。帰りにも偶然、2歳だという男の子がつまづいて膝を抱えて泣いているのに遭遇して驚いた。おじいちゃんおばあちゃん、そして手に仏花を持った若い夫婦とその子供の墓参りに向かう一行だ。子供はよく転ぶ、そしてそのたびに膝の擦り傷に「痛いの痛いのとんでいけッ」などとおまじないをかけられて機嫌を治す。絵に描いたようなそんな光景が道の真ん中で起こっていた。なんともいえない微笑ましい光景に、帰る田舎のある人がコロナが早く終息して大手を振って帰省や墓参ができる日が来ればいいのになどと考えていた。
ところで、アメリカに住んでいた時に“神は子供の膝を倒れることで痛みを学ばせるために創造した”という話を聞いて大笑いをしたのを思い出した。その頃は僕も子育ての真っ最中でこの話は思い出すたびに頬が緩む。子供はもちろん大人も忘れてはならない。「つまづくことで人は ’慎重に動く’ ということを学ぶ (By falling, we learn to go safely.」他人に移さない、感染しないように要注意が今年のお盆の合言葉だ。

暑ッ!

2020-08-14 14:19:02 | 日記
“梅雨が終われば暑くなる”とは昔から伝えられている言葉である。今年はまさにその言葉通り凄まじい暑さである。僕の住む生駒山の麓、東大阪市から隣の八尾市の近鉄八尾駅までは車ではおよそ20分も走れば到着する。大きなモールがあったり手頃にショッピングなどを楽しめる八尾の中心地である。8月10日(月)に今夏最高気温の38.2度を記録した。大阪に住まいする僕は38度などという温度は多分経験したことはないように思う。太陽の熱が庭で短パンの僕の足にジリジリと焼きつく痛みを感じさせるという経験をした。あくる11日には群馬県の桐生市など数カ所で40度を超えたと報道があった。毎年関東では埼玉の熊谷、関西では兵庫県の豊岡などでは日本の最高温度を記録したなどと報道されて有名である。
日本には季節があって僕なども季節の移り変わりを味わいながら日本の風情を楽しんで後期高齢者と言われる年齢まで生きてきた。しかし、今夏のこの酷暑は「日本の風情」などと呑気に楽しんでいれるようなレベルではない。チリンチリンと涼を感じさせてくれる風鈴の音までどことなくけだるい疲れたような音に聞こえるから不思議だ。今年はコロナの影響で余計に重苦しく聞こえるのだとは思う。「天変地異は天地の御政事」などと昔は人間の力の及ばない’天のなせる技’などと諦めていたらしいが現在では宇宙的規模の変化の兆候と合わせて発生の頻度が増えていて科学的な分析も加味して人災的な要素も考えなければならない。
僕が子供の頃はよく「地震、雷、火事、親父」などと逃げようのない恐ろしいものを表現したものだ。現在もその四要素は生きているとして、“感染症”と“熱中症”が加わって人が生きる上での試金石となってきた。暑い日が続くとやっぱり僕は冬がいいと思う。僕の天敵の蚊も女房の天敵のゴキブリもいない。冬になるとなったでまた口にするのであろう、夏の開放感が待ち遠しいと。