学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

来年は何か新しいことに挑戦だ

2018-12-28 20:10:25 | 日記

今年もいよいよ残すところあと3日、新年に向かって頭を整理し始める。僕は新年の決心を元旦に書きだして成功したためしがない。それで年末に今年の行動などの総決算をしながら、くる年のことを考える、というのが自分には合っているようにおもえるのだ。何となくゆっくりと時間をとりながら考えを巡らすという作業は楽しいのだ。テレビを見ながらでもいいし、トイレに座っている時間も利用できる。シャワーやお風呂の時間も利用できるので心の余裕があるのである。後はメモをして考えをまとめていくのだ。大晦日の昼頃にはちゃんと整理されて新しいスケジュール帳カレンダーの一月一日の前にある空白に書き出すだけである。
さあ、いよいよ新しい年がやってくる。今年の反省もだいたいできた。来年がまた健康で楽しい年であるますように。新しい年に向かって自分を鼓舞するために、何か新しいことをやってみよう(Try new things! )そして自分が生活をしていて居心地のよい居場所を見つけよう( Keep searching for your niche! )などと考え始めた。 別に家に居て自分が落ち着ける場所がないという意味ではない。趣味などを含めて自分の気持ちがフィットする物、場所を探し続けたいという気持ちをこの英文で表現してみた。
英語のniche という単語、意味は壁にくぼみをつけて花瓶などの置物を飾る場所のことである。そしてまた、人にとってもその人にふさわしい場所をも指す。どんなものにもそれに適した場所があるということを教えてくれているような気がする面白い単語である。

さてこの年末から年始にかけては寒波が日本列島を覆うと天気予報が伝えている。確かに今、現時点で外の空気は大阪でもグッと冷えているのを感じる。今年のブログは今日で終わりになると思う。お付き合いありがとうございました。みなさん良いお年を…。
I wish you all a very happy new year!

クリスマスと忘年会

2018-12-25 19:40:55 | 日記

今日はクリスマス。商業化され過ぎたこのキリスト教のお祭りにいろんな意見が交錯する。僕は先日書いたように、クリスマスの“他人を思いやる精神”を大切にと考えているが,本心、もう一歩考えをすすめてみると日本のようなキリスト教の国ではなく仏教や神道の国では違った見方もできるのかなと思っている。そんなに躍起になってクリスマス精神を強調しなくても日本のクリスマスの過ごし方があるのかも。
歳の瀬がせまってきてクリスマスやお正月を意識するこの時節になると、日本ではなぜか今年の一年を振り返るということを世間の皆さんは自然な形で意識せずにやっているらしい。そこで登場するのがクリスマスの前後から活況を呈する忘年会。今年一年に起こった嫌なことを忘れて、新しい年を迎えようという気持ちの表れである。
新しい年に目を向けようとする意識が出てくる直前にやってくるのがクリスマスだ。一年の終わりにこの日が来るのは何というタイミングだろうか。僕はまず次の英語を思い出す。
Look on the bright side and make your heart happy!
(明るい面に目を向けて気持ちをハッピィに)。
クリスマスをこの精神で楽しめたら、いよいよ次は新年に向かおうとする前向きの気持ちである。この時節に日本で慣習となった忘年会や飲み会はきっとこういう心情の表れなのだろう。
済んだことは済んだこと、失敗したことは元に戻らない、いくら反省しても済んだことは元に戻らない。ならば、えーい、忘年会ですべてを流して楽しもう。
外国の風習や習慣から学ぶことはたくさんある。西欧のクリスマスを祝う意味を考えながら、日本のクリスマスや忘年会を考える心の余裕を持つことがきっと大切な心のもちようなのだろう。     …Merry Christmas!!…

クリスマス精神

2018-12-21 12:15:21 | 日記

12月といえばあと数日で最高の盛り上がりを迎えるクリスマス。世界中の大都会ではかなり商業化されてしまって本来の意味がなおざりにされている。日本も例外ではなくて飲食街の悪乗りには気分を害するようなものがある。
アメリカに留学していた時、クリスマスといえば人々が“寛大さ(generosity )について再認識する日のことだ、などと先生が教室で話していたのを思い出す。“寛大”、つまり他人を思いやる気持ちという意味でその先生が教えていたように思う。その寛大さがどんどんその本質の色合いを失っていく。
日本のクリスマスを考えてみると、とにかく大人は飲み会、子供はプレゼントを期待する、ということでお金を使うようなイメージが付きまとう。大阪では中之島や御堂筋のイルミネーションに飾られた木々を見て、ロマンチックと感ずる人と、飲みにいこうとお酒に誘われているようにさえ感じる人がいるというのには驚きである。
高価なドレスやカバンが陳列されているショウウインドウを覗きながら、いつかはこのようなものを買えるようになりたいと憧れている人や虚栄心を刺激されている人もいる。そしてさらに世の中の経済格差に嘆いている人もいるだろう。
クリスマスがなぜかお金に結びつくようになってしまうと、それがストレスとなってこの季節は好きではないという人にも会ったことがある。自分の懐(ふところ)具合を気にする人には次のような英語がある。If we live within our means, life is less stressful. (収入に見合った生き方をすれば、人生のストレスは軽減される)。面白いことに歳を経て、充分な財力が出来た時には若い頃にあこがれた買い物には興味がなくなってくるという事を忘れてはいけない。
今年もまた、いろんな人のいろんなクリスマスがあるのだろう。でも、少しは他人を思いやる本当のクリスマス・スピリットを人々が思い出してくれればと思う。

年賀状を書く

2018-12-18 20:55:55 | 日記

日曜日からまた今年も年賀状を書くのに大わらわ。ちょっとした書き損じをすでに3枚、もっと注意して丁寧に、などと自分に言い聞かせながら8割程度はできあがった。25日までに仕上げないと年始の挨拶としては遅刻だと言われために大慌て、今年はおおよそ100枚程度にしようと決めている。それでも昨年に頂戴した年賀状を繰りながら、アメリカに住んでいたときに教えてもらった英語を思い出した。
Old friend and old wine are best. (友人とワインは古いものほど良い)
チョット訳を気取ってみた。Best という単語があるので「古い友人とワインはベストである…」などという訳はひと工夫するべきだと僕は考えている。
宛先と名前を書いていると不思議なことに、どこでお会いした人だとかその時の状況が思い出されるのだ。僕が書く年賀状の半数の方々とは随分のご無沙汰である。それでも、毎年年賀状をいただくし、僕も年賀状だけは出している。今年は数人の友人に、僕がいかに歳をとったかを強調した一文を書き添えた。「鏡の中の自分を見つめて…『あんた誰?』」と書いてみた。毎日鏡をみながら、歳をとったなぁと思ってしまう。僕が感じる素直な感情だ。
最近は写真を印刷して送ってくれる友人も増えた。家族写真も素晴らしいものもある。ただ卒業生が赤ちゃんだけの写真を送ってくれるのはあまりうれしくない。ご家族にとっては一生の中での大事件で最高に興奮を覚えたことなのであろうが、その赤ちゃんはすぐに大きくなるだけではなく、多分、一生、僕がお会いすることはないだろう。
ま、とにかく良き友といえる人が周りにいることは幸せである。これからも、これらの人達とはかつて一緒に体験した昔のいろんなことを相変わらず共有できるのだということに幸せを感じるような歳になったのだと気づき始めた。
僕が出した年賀状、お年玉が誰かに当たりますように…

我慢からの解放

2018-12-14 20:19:07 | 日記

長い間教育の現場にいた僕が言うのはなんなんだが、学校とは人生における我慢を教えるところである。人生に我慢は付き物だからこれもまた学びの大切な一面である。もちろん学校があるから歴史を知り、文化を学び、算術や化(科)学の基礎を学んだ。しかし、実際は学校で学んだことの大半は人生でのガマンだという事に気付いている人はどの程度の割合で存在するのだろう。
例えば僕が主としてかかわった若者の大半は大学に通いながら別に自分が興味も覚えないような面白くもない内容の授業や退屈な先生の講義などを聞きながらガマンして大学に通うという経験をしていたのだと思う時がある。「ガマンから自分を解放した時に、自分が何をして生きていきたいのかが見えてくる」という説がある。確かに人それぞれ、自分が興味を持っていて出来ればしたい、やりたいと思うことがあるはずだ。これをしている時が一番楽しくて充実感があるというものは自分を我慢から解放した時に見えてくるという説に説得力があるような気もする。教え子たちと同窓会などで酒を飲みかわしながら話している時にフッとそんな思いを抱く時がある。(断っておくが僕は「退屈な授業はしていないぞ!」っと自己防衛をしたりしながら…)。
時間の経過というものがいろんなことを教えてくれる。小中高、そして大学時代の同窓会に参加して、ふと振り返ってみる機会があることは良いことだと僕は思う。人生のその時々で自分が興味を覚えていて、いわゆるはまりこんでいた物事があったのだ。
Time is the best counsellor. ( 時間に勝る相談役は存在しない)という英語があって振り返ってみると…時間の経過が相談役を務めてくれていて今まで見えていなかったことが見えてくることがある。あの時、あの方向に進むべきだったなどと考えたりする。つまるところ「思いたった時が吉日」という言葉がわれわれに何かを教えてくれる力強いインパクトをもっているのだ。歳をとっても歳をとったからこそできることがあるはずだ、などと考える今日この頃である。