学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

情熱に火をつけろ!

2019-06-28 17:55:26 | 日記
ご存知、NHKの「ダーウインが来た」に登場する動物の生態を見るのが好きである。
彼らが生きる姿は感動的である。特に子育てをする鳥の生き様が好きである。敵から巣を守り、天候と闘いながら子供に餌を与え続ける努力に見入ってしまう・
我が家の庭に雀がやってくるようになって久しい。時々一羽の鳩もその集団に参加するようになった。2~3年前に一握りの小鳥の餌を庭の一角に蒔いてやり始めてから決まって7~8羽の雀の集団がくるようになった。母親だろうか充分大きくなった子供に口移しで餌をやる姿を目にするようになったことがきっかけで、小鳥用の穀物の種をまいてやることが日課になってしまった。小鳥に限らず動物は日々の必要性を満たすために必死に生きている。そういう意味では人間も同じである。とはいえ我々人間は食べるという作業が満たされたら、人生を充実させるために心に火をつけてくれる何かが必要になってくる。
“我々の心の中にある情熱が火をつけてくれと待っているThe passion inside us is waiting to be ignited. ”「よし!」と腰を上げて挑戦してみよう、やってみようと自分自身が奮い立つ瞬間を自分自身が待っているのだ。どんな人も持っている得意分野の開拓に自分自身が立ち上がった時にpassion パッション(心の中にある情熱)に火が付くのである。
水曜日の夜のNHKの『逆転人生』とタイトルの付くドキュメンタリーに見入ってしまった。大吟醸中の大吟醸、「獺祭(だっさい)」という日本酒の開発に情熱を傾けた桜井博志氏のパッションに火が付いた挑戦だ。この銘酒、日本人で日本酒の好きな人で知らない人はいないだろう。日本酒に付きまとうフッとくる米臭さが抜けた澄んだ爽やかさが舌に浸み込む、そんなお酒だと僕は思う。日本酒は大好きな僕だけれど、偉そうにうん蓄を傾けるほどの舌をもっているわけではない。でも、その人気にあやかってか、ありがたくいただいている。このお酒、最初に味わったのは二年ほど前にも書いたことのある古い友人(大阪高槻市在住)からの贈り物であった。(ありがとう!)

本気になること

2019-06-25 19:56:33 | 日記
自分の周りに起こる日常の気付きからこのブログの日記を書くことにしている。さて今日は、と思ったがテレビ、新聞、右を見ても左を見ても八村塁。バスケットボールの世界最高峰といわれるNBAに指名を受けるという偉業を成し遂げた八村選手である。新聞の見出しに踊る「無限の可能性への挑戦」「日本のために戦う」などの言葉にプラス思考の言葉を収集研究している僕が反応しないわけがない。
出生を含めていろんな苦労を克服したルイ選手。中学から始めたバスケとコーチの坂本さんとの出会いに始まってアメリカ留学を果たすべく真剣に英語を勉強し出したのが高校生の終盤だという。留学先はワシントン州にあるゴンザガ大学。3年で中退しての今回のデビューである。ゴンザガ大学は僕が送った教え子も勉強した大学で、落ち着いた町の雰囲気もよく知っているので余計に身近に感じるのである。
ま、ゴンザガ大学のことはさておき僕が伝えたいプラス思考は“どんなことでも意味意義のあることを成就するための唯一の方法は、それにコミットする(心底打ち込む、本気で係る)”ということである。(英語ではThe only way to achieve anything significant is to commit ourselves to it)”
中学時代の塁選手のコーチは坂口譲治さんという。坂口さんに「お前はNBAに行く」と言われてその気になった。マイケル・ジョーダンの映像を仲間と繰り返し見ていたと塁選手は言う。ジョーダンのプレイする姿を目に焼き付けて本気でコミットする第一歩を踏み出した時期なのだろう。
われわれ一般人に話しを戻しても、自分が興味を持ったものに取り組んでみるといろんな側面が見えてくる。興味とはうらはらに自分には向いていないことを発見する場合もあるだろう。それでも人生に微妙に影響を及ぼす学びや発見が必ずある。若い時の開拓精神的なエネルギーは強烈なもので1人の人間の人生に及ぼす影響は計り知れないものがある。
自分がコミットできるものを見つけた時に人生の何かが動き始めるのだ。

明日のために今日がある

2019-06-21 19:58:19 | 日記

アメリカのオハイオ州の小さな町アライアンスの老人ホームを訪問したことがあった。マウントウニオン大学のすぐ隣に広大な敷地をもち素晴らしい施設を備えたホームである。そこで仲間と退職後の日々を楽しんでいる‘金持ち老人達’に出会った。“昨日自分がしたことが思い出せないけれど、若い時のことは細かい事まで覚えている。I sometimes have trouble remembering what I did yesterday, but I remember my youth with individual detail.”と言って笑っていたのを鮮明に思い出す。古今東西なぜ年寄りはこの問題を抱えているのだろうか?加齢の所為だと言ってしまえばその通りなのだが…
最近は友人と会うと共通の話題になるのが物忘れ。特に漢字は読めるのに書けなくなったという悩みである。PCのワードで物を書くからだと人に言われて半ば納得している自分がいる。確かに手書きの文章を書かなくなった。絵画や写真の展示会の案内が新聞に出ればすぐにそれをスマホでパチリという状態だ。とにかくスマホは便利だ。物事の細部を記憶の引き出しに閉まっておく必要は全くなくなった。
十年後には大阪梅田界隈は大きく変化して交通の便も飛躍的に伸びると聞く。老人にとってはそれがどうというの?自分はもうこの世にいないかもしれない。十数年後には大阪と東京間にリニアの新幹線が開通してその便利さは…と言われても。自分が利用することはないだろう、などと自分の生活とはつながらないのである。明日がない人は先のことを考えても意味がない。今日起こったことを覚えていても明日への繋がりに欠けるのである。
プラス思考で明日を考えている(特に)若い人達は自分の将来を考えて頑張っている。これから先に起こるであろう楽しいことに胸をときめかせて(?)明日に挑戦しようとしている人は今日が大切な日なのである。過去は戻ってこないから、昨日の失敗などにくよくよせずに明日に向かうための今日が大切なのだ。退職している人と現役の人達の違いはまさにここにある。老人がなぜ昔の若い頃のことをよく話すのかの理由は、たいしたことも起こらない毎日に思いを寄せてみても、ただ時間が過ぎていくだけなのだから。おォ~恐ろしや。僕はまだまだ先を見るぞ!最近ギターを練習し始めた。

ごろ寝と枕上(ちんじょう)

2019-06-18 19:29:43 | 日記

退職して,まる一日まったく何もしないで過ごしてしまうと何とも言えない罪悪感に襲われることがある。そこで思い出したことがある。
大学で教え始めた頃、それは日本のお父さんが本気で身を削って日本の経済を支えるべく働いていた頃の話しである。日曜日が来ると何もしないでごろ寝をしているお父さんのことを話す学生がいて、父親の日曜日や休日のごろ寝の習慣を面白おかしく話していたのを思い出す。なぜ彼女のことを思い出すかというと、彼女は父親の“ごろ寝”の休日の過ごし方を半ば批判的にでも好意的に話していて英語で表現するとどうなるかという課題に挑戦していたからである。
彼女の父親の細かい日常の過ごし方や性格の話しはもちろん忘れてしまったが、のんびり何もしない、ブラブラしている、などの英語の表現を使ってクラス皆で短いストリーを作文し合ったことははっきり覚えている。
英語にはsit around (ブラブラする)やsit back (のんびりと何もしないでいる)という表現がある。“何もしないでブラブラするな(Don’t just sit around doing nothing.)”ということはアメリカに居る時よく聞いた言葉だった。それともう一つ、椅子に座ってボーとしている学生に先生がボケッとしないで、勉強しなさい Don’t just sit back. Get to work! などと学生のお尻をたたいている表現を覚えたものだ。
クラスの学生にはお父さんはテレビを見ながら何もしていないように見えるけれど、会社のことや仕事のことを考えているのですよ、と世の父親の弁護も忘れないで付け加えたものだ。三上(さんじょう)という言葉があって「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)」という。昔の人は物事を考えたり、何かの案や文章を練る時には馬の上で、また枕に頭を乗せて寝転がっている時に、そしてまたトイレを使っている時にひらめきがあるという意味である。現代でも通用するこの三上は我々の日常にも普通に起こって一考を要する言葉である。

挑戦、準備はOK?

2019-06-14 20:09:21 | 日記

通学路の我が家の前をいつものように歩く学校帰りの小学生の会話。鉄棒の逆上がりが出来ないらしい。「わたし、無理!」という大きな声が聞こえた。この無理という言葉でいつも思い出すエピソードがある。僕の孫娘が3歳前後のころだったか、公園に連れて行って遊ばせた螺旋状(らせんじょう)に降りてくる滑り台だ。何でも挑戦する頼もしい彼女、他のみんながやるように階段を昇って滑り台に上るのではなく、少し離れた所に設置してあった昇り棒にしがみついて登ろうとした時、うまく行かなくて「無理!」と叫んだのを覚えている。小さい彼女が叫んだ言葉にしばし大笑いしたことがあたった。挑戦にもいろいろあって、その価値があるものもあれば身体的能力を考えると無理なものもある。
英語の否定表現に次のようなものがある。I can’t, I don’t. I won’t.「出来ない」,「しない」、「やらない」である。大人になってからこれら否定語を発する人達の理由を考えてみると、何かをやろう、挑戦しようとおもっていても、気持的に真にその気になっていない、準備が整っていない、機が熟していない、その段階ではない、などということが考えられる。結局、計画不足や準備不足が主たる理由だと分かるのである。準備や計画から研究を経て実行に移る段階が重要だと思う。そしていったん実行したらあとは信念をもって一定の期間、例えば3年は続けるという一連の行動が成功に結びつくとおもう。「石の上にも3年」という有名な格言は何事にも当てはまる。
僕はなぜかいろんな人の成功物語を調べたり、テレビで観たりするのが好きである。なぜか気分が高揚してくるのを覚えるのだ。最近では岡山県の美作市(みまさかし)の山間に土地を買い、庭を造りログハウスをそれぞれ自分の独力で建ててペンションを営む50才を超えた夫婦のこと。ローンを組まないという信念でコツコツと貯金、2~3年かけて夢を実現したのだ。松本郁夫さんと奥さんの郁子さんのご夫婦の挑戦と成功物語には惹きつけられた。