学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

病院時間という時間が存在する

2024-02-27 16:31:06 | 日記
 今日の1日は病院でのCT検査からはじまった。多分何事も深刻なことはないとは思うのだが、先日の帯状疱疹から右脇腹の痛みに腎結石の疑いがあるとのこと。歳をとると、前立腺や頻尿、など身体のいろんな箇所で金属疲労的な現象がが起こっている。血液検査などで表示される数字による健康の数値のように完璧な身体などほぼあり得ない。
 病院にいる人たちの観察はおもしろい。会計の前でスマホに「どこにいるのよ!」とどなっているご婦人がいた。想像するに車でこのご婦人を病院に送ってきた付き添いのご主人の姿が見えないことにいらだっているのだ。じっと待つことに我慢ができなくなったご主人が病院の喫茶室か売店にでも行って時間をつぶしているのだろう。スマホのおかげで待ち合わせがアバウトになった。特に病院などにいる時は、いつでもスマホさえあれば合流できる。待ち時間ほど長く感じる時間はない。病院では1分は5分に感じるし、30分は1時間にも感じるものだ。時間とは本当に不思議なものだ。「何事も為さぬにはあまりにも長く、何か為すには余りにも短い」と言った偉人がいた。成功する人とは誰にでもある余った時間をうまく活用する人だとも。それから、心に負った傷を癒してくれる妙薬もやっぱり時間というものだ。時間の経過は「今」を中心(今が一番大事)に左から右に一直線で表せる。「今」の左にあるのは過去、右にあるのは未来、「今」だけに囚われすぎると面倒になることもある。あのスマホの先のご主人、そんなことを知ってか知らずか…ついでにご夫人方はお強い(?)ことも忘れずに。

ペットの目、口ほどに物を言う

2024-02-23 16:50:57 | 日記
 昨日の昼、NHK-BSで映画『ボブという名の猫2』を楽しんだ。映画好きの人たちにとっては何を今頃、というレベルのものだろうが僕は初めてみる映画だ。猛烈なスピードで話が展開するこの頃のアクション映画とは一味違うなんとなく昔を思い出させるゆっくりペースの映画に懐かしさを感じた。それはいいとして、要するに、ストリート・ミュージシャンと彼のペットとなった猫がお互いを支え合って厳しい現実社会を生き抜いていくというお話だ。ペットとの暮らしは単に癒しの範囲にとどまらず人の生活に肯定的影響を与えると言われる。(良いことばかりではもちろんない。病気の治療費やフードもお金がかかる)いろんな世話に追われる一方で、毎日を楽しくし、心穏やかな日が増えた、生活が規則正しくなった、などの効用が指摘される。
 僕が子供の頃、我が家では犬も猫も家族の一員だった。彼らを見ながらいろんなことを観察する癖がついたのではないだろうかと思うことすらある。犬は粗野で遠慮なくものを言うが上目遣い。猫は寡黙で上から目線、フラッといなくなって適当に食事時間に帰ってくる。冬には置き炬燵を占領して皆が頭や毛を撫でてその存在を確かめる。犬であれ猫であれ、彼らの”目の力”なるものを感じたのもこの頃だ。言葉は使えないけれど、彼らの目つき、まなざし、が語りかけるのである。まさにこれが「目は口ほどに物を言う」ということなのだろう。「ペットほど優れた精神科医はいない」という言葉もあるのはどこか頷けるような気がする。

病院の待合で人は”我慢"を学ぶ

2024-02-20 16:23:28 | 日記
 忍耐、辛抱、我慢、根気、これらを試す所はど~こだ。と聞かれたら「長蛇の列ができるラーメン屋さん」などと答える人は健康な証拠だ。僕は絶対「病院の待合」と答える。僕も特に病院のお世話になる機会はほとんど無いほど健康には恵まれたと思っている。ただ女房のお付き合いではよく出入りした。昨日はとうとう僕自身のことで病院の皮膚科と泌尿器科の待合でぼぼ5時間ほどを過ごす羽目に陥った。帯状疱疹とそれに伴う横腹脇の痛みで診察を受けたのだ。僕が驚いたのは泌尿器科の混み具合である。僕の診察券の番号は69番、待合のスペースには30人を超える患者さんと付き合いの家族で空席などまるで見当たらない。多くの先着の人たちは喫茶室で30分は時間をつぶすと耳にした。順番待ちの時間が長くなることを覚悟して、この膨大な浪費時間をどのように過ごすかを考えた。先ずはスマホいじり、それからやはり僕の得意な観察である。
 ほぼみなさん高齢だ。もう一つ、出入りする女性が特に首から肩、背中にかけて猫背のように前かがみである。背筋がまっすぐにピンとしていないのだ。なせだろうか…などと答えの出ない疑問の回答をもとめて少なくとも30分は消化できた。”人の振り見て我が振り直せ”などという教訓があるが、僕の姿勢は問題ないとひと安心である。とはいえ、病院の待合と言われる空間には「ただじっと待つことをやめよう。事は起こすものだ。未来を描け」などと気合を入れるような場所ではない。オリンピックに"待合競技"などというものがあったらこの人たちの誰かが金銀銅のどれかメダルを取れると確信のできる場なのだ、などと"笑い"を考えて時間を過ごした。
 

バイオリズムを下げる原因はどこに

2024-02-16 16:26:51 | 日記
 新聞を読むことから1日が始まるというのが僕の日課ではあるが、最近はどうも新聞のページをめくる作業にワクワク感がなくなった。戦争記事、外国で次々と名乗りをあげる強権主義のリーダー達、国内に目を転じてみると政治にまつわる裏金問題。テレビも然り、ニュースも能登地震の復興に向けて励む人々の姿以外には、耳を疑う悲惨な幼児や児童虐待の話など気が滅入る話のオンパレードだ。僕のバイオリズムに少なからず影響を与えるのでテレビを消す時間が増えてきた。
 そうそうもう一つ、書き忘れていたことがある。僕自身が帯状疱疹でここ数日苦しんでいるのだ。どこでどのように感染したのか定かではないが、とにかく身体の右半分の背中にかなり重傷を思わせる疱疹が広がっている。とにかく痛い。病院で処方された薬の中にカロナール錠という鎮痛剤があるが、指示通り服用していても特に夜はかなりの痛みに苦しめられている。眠れないのだ。(徐々に笑いが消えた僕のバイオリズム低下の主たる原因かも知れない)
 アメリカで文学の授業を受けていた時に僕が留学を果たした数年前に亡くなったアメリカの詩人、エドワード・E・カミングス(1894~1962) の話がノートに記録されている。ちょっと変わった人だったらしいが名言「笑いのない日ほど無駄な1日はない」を残している。周りの否定的な出来事に負けてはいけない。人生には笑いが必要。笑いや喜びがあるからこそ充実した人生を送ることができる。分かってはいるけれど否定的な周りに影響されてしまうのは情けない。(”分かっちゃいるけどやめられない”…古ツ!、植木等をご存知の人は笑って下さい)

断捨離とは捨て難いものを見つけること

2024-02-13 18:11:45 | 日記
 今年も暇な時間があれば断捨離を継続している。とにかくいろんなものを溜め込むのが人間だとはいうけれど、僕もご多分にもれずあれこれ溜め込む趣味はひけをとらないと自慢にもならない性癖に反省しきりである。先日は柱にかける幅10cmあまりの長さ24、5cmのカレンダーの束を保管している箱を見つけた。日めくりのように一週間づつ破いていくタイプで表紙も発行元もわからなくなっている。ただ破いたその月や週の気に入った名言を溜め込んできたのである。
  種類は歴史上の武将の名言から、文学者や詩人の名言、哲学者の物など数種類に及ぶ。保管箱の一番上で見つけた古代ローマの詩人(マルクス・ウァレリウス・マルティアリス)の一言が書かれた平成26年度のカレンダー、その名言は「1日1日その日限りの贈り物がある」。そしてその下にはフランスの道徳家」ブリュイエール、「時間の使い方の最も下手な者がまずその短さについて苦情を言う」が残っていてかつての僕が思い出されて暫し苦笑いである。深い意味はないのだが僕はカレンダーを眺めている時がなぜか好きだ。B-5ノートの1ヶ月が見渡せるスケジュール帳に予定やその日のちょっとした出来事や気温などを書き込んいる。朝食後にこのノートを見ていると一日一日がフレッシュで毎日の区切り感がいいのである。日が変わって今日はまた何か新しいことが…などと思えることが心地よいのである。ところで、マルティアリスの”その日限りの贈り物”は毎日起こるいろんな出来事はすべて人生の糧(かて)になることを意味するんだって…。そうやなー小さいことの積み重ねが人生だもんなー。まだ捨てられないな、この箱は。