歳をとると老眼鏡を探し回る人が多いと聞くが僕の場合はそこらじゅうに置いているのでその点は大丈夫。僕といえば家に居る時に何の気なく置いたスマホを探すことが頻繁になってきた。いやいやスマホだけじゃない。漢字が思い出せない、人の名前が出てこない。ここ二、三日の問題は断捨離をした後のシュレッダーするはずの古い不要書類がいつまでも別の部屋に残っている。ついでの時に、と考えたらもうおしまい。何故か思い出せなくて残ってしまうのである。「物忘れ」はよく半ば冗談で「認知症だ」とからかわれる。年寄りには恐ろしい一言だ。
「物忘れ」は何かに関する単発の忘れ症状だ。それは老化によるものが多いという。一方、「認知症」はある事象の全体を忘れてしまうこと。何かをしたこと自体の全体を忘れているというか、それに関わった意識がない。ご飯を食べたのに食べていない、と主張する老人の症状が認知症だ。…ということで少しは安心したものの、いずれは認知症につながるのではないかと不安は拭えない。僕の脳みそが穴だらけになったスイスチーズを思い描いてしまうのだ。
物忘れとは次元が違うかも知れないが、人生という時間の流れの中では年齢とは無関係に、不思議とあまり面白くなかった事、嬉しくなかったこと、いやいやむしろ苦しんだ事はいつまで経っても忘れられない。夢にさえ出てくるほどだ。過去のことはどんなにあがいても変えられない、終わったこと。今、現在やこれからの未来は自分の意志で何とでも変えることができる。「物忘れ」は脳が忘れることの重要性を老化と共に教えようとしているのかも知れない。
「物忘れ」は何かに関する単発の忘れ症状だ。それは老化によるものが多いという。一方、「認知症」はある事象の全体を忘れてしまうこと。何かをしたこと自体の全体を忘れているというか、それに関わった意識がない。ご飯を食べたのに食べていない、と主張する老人の症状が認知症だ。…ということで少しは安心したものの、いずれは認知症につながるのではないかと不安は拭えない。僕の脳みそが穴だらけになったスイスチーズを思い描いてしまうのだ。
物忘れとは次元が違うかも知れないが、人生という時間の流れの中では年齢とは無関係に、不思議とあまり面白くなかった事、嬉しくなかったこと、いやいやむしろ苦しんだ事はいつまで経っても忘れられない。夢にさえ出てくるほどだ。過去のことはどんなにあがいても変えられない、終わったこと。今、現在やこれからの未来は自分の意志で何とでも変えることができる。「物忘れ」は脳が忘れることの重要性を老化と共に教えようとしているのかも知れない。