学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

夢をもち、挑戦しよう

2018-04-30 20:13:14 | 日記

2018年4月29日4月4日、僕はアメリカにいた。特に目につくものを軽い気持ちでメモしたり写真に収めたりしながらの旅を楽しんでいた。偶然この日はかの有名なマーチン・ルーサー・キング・ジュニア―牧師の暗殺された日である。アメリカの人種差別の解消に挑戦して立ち上がったキング牧師が残した最後の言葉がいつまでも心に残っている。

I have seen the Promised Land. I may not be able to get there with you.
But I want you to know that we, as a people, will get there to the Promised Land.
(私は約束の地を見た。皆さんと共にそこに行けないかも知れない。でも、知ってほしい、人間として皆で約束の地に行くことを)

人種の壁を越えて、皆が手を取り合って暮らすことができる“約束の地”を夢見て挑戦したキング牧師の言葉である。
このスピーチの翌日、39歳で彼は銃弾に倒れ人生を終えることとなった。アメリカでの人種差別の解消を心から望んだ偉大な人物の死はあまりにもあっけなく、世界中の人々の落胆の中で彼の死を認めなければならないという結末であった。途中で終わってしまったとはいえ彼は夢の実践者である。人種差別のない約束の地へ行きつくには時間がかかるだろう、ということを言いたかったのだろうが、“私は一緒にいけないかも知れない”という言葉はまるで彼の翌日を予言するかのように聞こえる。


僕の好きな言葉。“Be a dreamer and a doer. (夢を持つ人になれ、そして実践者になれ)”
人、それぞれ、みんな夢を持っている。「すごい人がいるんだなぁ」と感心している暇があったら、ちょっとの間、自分のことも考えてみてほしい。僕は教育に一生かかわってきた。素晴らしい人の業績を単に他人事のように見ているだけでなく、自分の得意分野に目を向けて、それを伸ばす努力をしてほしいとずっと若者に望んできた。教師の仕事の本質はそれしかないと信じている。教科書だけを教えることではなく、知ることの楽しさを教え、「自分もやってみよう」とその気にさせることが教育だと思っている。

失敗したらそこから学べ

2018-04-27 20:47:57 | 日記

外国を旅行すると通常では考えられないミスを起こしてしまうことがある。スーツケースの間違いで始まった今回の旅、最後を失敗というか不幸というか、帰国後もなぜか数日に渡って僕の眠りを妨げた出来事を記録しておこうと思った。
旅の最終日4月4日。帰国に向けて空港のすぐそばのホテルにチェックイン。明日の移動を少しでも楽にしようと一晩だけのステイである。夕方からポートランド国際空港のいろんな店を探索して夜の空港の雰囲気を楽しもうと予定を立てた。先ずは腹ごしらえ、一番ゆっくりできそうなレストラン・バー‘S’(仮にSとして明示することを避ける)に落ち着いてビールでのどを潤しながら料理を注文した。散々待たされて到着したのは自分たちの注文とは違った料理である。これは違うというクレイムでいったん持ち帰ろうとしたウエイトレス、「これは無料にします。あともう少しお待ちください」という対応。その提案を断りながら嫌な予感が頭をよぎる。注文したもののひとつ、オイスターのフライが数分後に届い時には驚いた。匂いは確かにカキ、だが小さいカキが数個と後は天カスのようなものばかり。大きな皿にポテトサラダやトマトのスライス、キャベツの千切り、そしてオイスターのフライらしきもの。子供の前で店と大喧嘩をするのは良くないと、怒りをグッとこらえた。いろんな経験をしてはきたが、これほど不愉快な思いをしてディナーをしたことはない。
誰もが間違いを犯す。No one is perfect. (完全な人間などいない)と彼らを許すか許すまいか、ずっと頭の中で葛藤しながら何も言わずにムッとして店を出た。それでも僕の頭の何処かで「バカにされたんだよ、君は」と言う声が聞こえてくる。やはり席を離れて、「マネージャーと闘うべきだったんだよ」と言う声も。次の結論を書きながらまた腹がたってきた。

僕の結論:Don’t let old mistakes or misfortunes hold you down. Learn from them.
(終わった失敗、不幸を引きずってはいけない。そこから学べ)

車を運転することは人生の方向を決めることに通じる

2018-04-25 20:48:36 | 日記

アメリカ・ポートランド市への旅行第8日目。4月2日レンタカーでMt. Hood (マウント・フード)に向かう。マウント山の形状はミニ富士山。ミニとはいえ高さは3,200mあるのだから高い山である。真夏に行っても頂上から三分の二の高さまでは雪がある。今はまだ4月に入ったばかり、子供たちにスノーボードやスレッド遊びを楽しませてあげようと大張り切りで山に向かった。ポーランド市内は青空で太陽もあり暖かい絶好の日和である。口笛を吹きながら、ヤッホー、ヤッホーてなもんである。
ポートランド出発から1時間を超えて予定通りいけばもうすぐ目的地のロッジに到着という頃から雲行きが悪くなる。雲がどんどん厚くなりあたりが暗くなってきた。なんと雪だ。さらに吹雪くようになってきて道路コンディションを伝える電光表示が‘通常のタイヤの車は注意!’などと警告を発しだした。道路の雪で確かに車がスリップするようになった。「駄目だ」とハンドルをきってUターン。人生にUターンが必要な時もある。
運転席に座っているものは同乗者の身の安全も考えなければならない。ハンドルを握るということはその瞬間から後の時間に責任を負わねばならない。

When you are in the driver’s seat, you can decide the direction you want tomorrow to go in.  
(運転席にいる人は、明日という日が向かってほしい方向を決めることができる)
* 解説:want ~to --- は~に…してほしい、最後のinは方向in the direction のin.

要するに、明日を良くするのも悪くするのも運転者、ということだ。考えようによっては“自分の人生に運転者であれ”とも解釈できるような気がする。自分の人生に責任を持てということを意味するのだ。

“見る”と”見られる”

2018-04-23 15:23:41 | 日記

3月28日アメリカ観光第3日。ポートランドにある「オレゴン動物園」に出かけた。一緒にいる孫へのサービスである。動物を来園者に見せる工夫がされていて面白い。オープンな園の設営で、ガラス窓の目と鼻の先で豹を見ることが出来たりする工夫に子供達も大はしゃぎである。運動のつもりでかなりの距離を歩いた。京都のどこかのモンキーランドは人間が檻(おり)の中から外の猿達を見るように造られているという。
留学していた時に履修した「アメリカ文学」の授業でユージン・オニールと言う作家が檻の中の猿が鉄格子の中から人間を観察するという話を勉強したことがあった。確か“Hairy Ape (毛むくじゃらの猿)”。題名などを自分で勝手に訳してストリーを楽しんだのを思い出す。それ以来、動物園に行くと動物達は人間をどのように観察しているのだろうか、などと一瞬考えてしまうようになった。ふと、第三者的に自分を考えてみたりするのだ。

思い出すと言えばもう一つ、アメリカの日本人向けの語学研修のクラスを見学したとき、学生が‘Identityアイデンティティ’の意味を先生に聞いていたのを思い出した。日本では「自分の独自性」とでも訳すのだろうか、その先生いとも簡単に言い放った。
It means、“Who you are’. なるほどと即答した先生の対応に納得したものだ。
What is the self? 自己とはなんぞや?‘self ’は辞書には自分、自己、自我、ななどと訳されている。なんか、肩がこるなぁ。僕の趣味の街歩きで人間観察などを楽しんでいる時、自分を見ている目もあるんだよな。
もう結構毛だらけ???動物園には余計なことを考えずに運動と動物観察を楽しむことをお勧めします。

自分は自分、人は人

2018-04-20 21:36:24 | 日記

アメリカを旅行すると道行く人々が個性を大切にしていることを思い起こされる。街歩きやピープル・ウオッチングの面白さは、店頭の広告のユニークさ、そして特に人々の服装に表れていると思う。思わず写真に収めたくなる町並みは、とにかく外国に居るという奇妙な雰囲気が漂っている。5歳の孫が「マリオに出てくる街みたいやな」などと言ったらしい。
僕にはあまりピンとこないが、ゲームの中の風景なのだろうか。
気温16,17度の中でまるで夏のようなスリーブレスや半袖のT-シャツを着ている人がいるかと思うと、真冬の衣装の人もいる。とにかく他人のことを気にしないというのがアメリカ・スタイルということか。
昔、留学中にアパートの二階に住んでいるビルというかわいい金髪の少年が、彼の母親に諭(さと)されていた。「友達と同じ服装をするなんてやめなさい!」と。僕は不思議な叱り方があるものだと目を白黒させていたのを思い出す。当時の日本なら出来る限り目立たない服装で、あまり人とかけ離れた格好は避けるように諭されたものだ。
アメリカ人はなぜ tattoo (刺青)を身体中にするのだろう。握手するために差し出された手や腕に地肌が見えないほどのイレズミは手を引いてしまいそうになる。僕にはイレズミは決して美しいものには見えないのだ。僕はやはり時代遅れになってしまったのか。自分の脳にカビが生えてしまったのかなぁ。

さて、今日のテーマは‘ユニークさ’ということで落ち着かせたい。外面上のユニークさではなく、内面的なもの、考え方等など、やはり他人とは違うという個性的なものを大切にすることは生きる上で重要だ。僕の積極思考ノートには次の文がメモられている。

Don’t ever forget that you are unique. Be your own self.
(自分はユニークな存在だということを決して忘れるな。自分自身であれ)