学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

いつか行く道、通る道

2022-09-30 16:27:04 | 日記
 「無聊(ぶりょう)を慰める」、という表現があるらしい。僕は一度も使ったことがないが、何もすることがなくて退屈な“無聊”を紛らしている、というような意味だ。特にすることがなくて暇な時は、徒然(つれづれ)という言葉は頭に浮かぶことはある。高校時代に覚えた吉田兼好『徒然草』の冒頭の文だ。“つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなごとを…”と展開していくのだが、要するに、何もすることがなくて暇なので、1日中、すずりに向かって頭に浮かんでくるあれやこれやを書つけていると…というような意味合いだ。
 僕はこれがいつも頭に残っていて、何かをしていないと理由のない罪悪感に苛まれる。いわゆる世間で言う貧乏性ということだ。そこで、最近は暇さえあれば「足踏み体操」なるもので足の筋肉を鍛えて悦にいっている。先日、御堂筋でイチョウの木のそばのブロックの囲いにポツンと独り座って休んでいる高齢者の婦人に気がついた。腰が曲がっているので頭が胸のところにぶら下がっているように見える、そしてひどく疲れているようにも見える。徒然、などというような悠長な感はどこにもない。人生に疲れ切ったという風情だが…それでも時々頭をあげて、道ゆく人を目が追っている。どことなく孤独感が前面に出ている光景ではあるが、思い切って人通りの多いところに出てきて「”無聊”を慰める」ということだろうか、彼女なりに、何か諦めではなく、隠れた微かな意欲を注入しようとしているようにも感じた。御堂筋を颯爽と行く若者の皆さん、「いつか自分の通る道」、街にもっとベンチを設置して年寄りの座る場を作り、高齢者にやさしい街づくりをお願い…おっと、これは吉村知事さんに言う言葉だ。

年寄りの昔の経験談は役立つの?

2022-09-27 16:29:48 | 日記
 年寄りが夜に眠りが浅くて何度も起きるという話をよく耳にする。僕の場合もトイレが近くなったのか目が覚めるのが先なのか、とにかく頭が冴えてやたらと早朝にベッドを抜け出すことになる。ただ早朝起きの利点があって、それは新鮮な空気と爽やかな空、辺り一面が自分の一人占めであることだ。今日は曇り空、午後には雨の予報が出ている。朝焼けの雲が東の生駒山の上で秋を感じさせる雰囲気をかもし出していた。
 今日の予定は、全国の高校生が写した写真展に出かけることで、カメラの魅力や撮影者の感性といったものを肌で感じることである。楽しみにして出かけたものの会場の「ニコンプラザ大阪」にたどり着けないのだ。理由は簡単なことでスマホのナビが使いこなせないのだ。大体の場所がわかっている程度で正確な位置を知らなかったことから今日の混乱が生じた。新聞も新聞で、写真展が開催されているという情報以外には会場のこのプラザの名前だけで電話番号も住所も書かれていない。考えてみればこんな不親切な情報が記事になることが不思議で仕方がない。とうとう、近くの若いサラリーマンの男性に助けを求めた。“あっと驚く為五郎”(昔のTV番組)、自分のスマホを操作して瞬時に場所を教えてくれた。「年寄りは若者に教える事がある」というのが老人の存在意義である、などと言われることがある。何をとぼけたことを、昔の経験は今は役立たず、若者が年寄りに教える時代が来ているのだ。時代の変化に我々年寄りは、ただただ右往左往しているだけなのだと気がついた。写真展では窓越しの夕日と自宅のベッドだろうか、に横たわる老人が写った「老いた日のこと」が奨励賞を取っていた。

目を白黒にさせる時

2022-09-23 16:34:54 | 日記
 差別だなどと大袈裟に捉えずに、単に“年寄りの驚き”として今日のブログは読んでほしい。
 世の中が変わったなー、時代が変わったなー、僕らの世代はいよいよお呼びではないなー、などという思いが頻繁に頭をよぎるようになってきた。夏に一番身近にそれを感じたのは若者の通勤の姿である。黒いズボンに白いシャツ、そして背中には僕らから言わせれば黒いリュックサック。女性の場合はスニーカーで会社まで、会社に到着してオフィスでパンプス(たぶん中ヒールのようなもの)に履き替えるなどという日常の話を耳にするときだ。
 そうそうもっとショックを受けるのは男性が化粧をすることだ。ジェンダー・フリーが叫ばれる今日この頃、自分の意識の遅れを否が応にも感じる瞬間だ。僕らの世代の人間にとっては化粧などは時間を取る面倒くさい作業以外の何者でもない。しかしデパートに男性専用の化粧品売り場が登場し始め、「メンズメイク」「メンズコスメ」などという言葉を目にして、あたふた、驚きを隠せない。確かに営業のお仕事などに関わっている人達にとってはいわゆる「見た目」「第一印象」などは重要な要素ではあるだろうとは思う。僕達の時代には清潔な服装とか爽やかな話し方などが強調されていたように思う。ZOOMでのウエブ会議が日常になってきた今日この頃、やっぱり見栄えや顔写りを気にする男性が増えてきたのだろう。社会が変わりつつあることを受け入れられず、スマホに四苦八苦しながらSNSってなんですか、と僕に聞く人がいる。人と人がLINEやメールでつながることです、という程度の説明をすることでお茶を濁している。

「類を見ない巨大台風」報道

2022-09-20 16:55:31 | 日記
 昨日は近畿地方への台風の影響を考慮して、大阪では夕方から環状線はじめ在来線が運転を取りやめた。高齢者の避難を喚起する報道、風雨が強まる予想の注意の勧告、山手にある住宅への土砂災害への注意など、何か恐ろしい事が起こるという不安が常に頭を支配する。しかし僕が住む近畿中部では、雨は降っていないし風も微風程度で時々やや強めの風が吹く、そんな状況だった。夜中の雨も注意勧告とは裏腹にいつもの雨と変わりがなかった。
 「今度の台風もまた全然影響なかったな。ありがたいな」と今朝の隣人の挨拶。時々耳にする“オオカミ少年効果”が頭をよぎる。気象庁のいろんな勧告がいわゆる空振りになることだ。イソップの寓話の一つで、「オオカミが来た!」と村人を何度も混乱させる羊飼いの少年のせいで、本当にオオカミが来た時に羊が全滅してしまったというお話である。「経験したこともない巨大台風」などとその大きさを繰り返し報道する気象庁の人達の苦悩が伝わってくる。人々に注意を喚起するときに被害の予想を軽い目に発表しても誇大に発表しすぎても問題がある。
 台風が来ると近畿地方という表現が広範囲すぎて、北部、中部、南部を分けて注意喚起をしてくれればと思うことがある。北部は日本海側の京都の天橋立から南部は和歌山の潮岬まで、一括して近畿と言われれば当然のように誤差が生じる。となると、ある程度の分けた地域区分や、台風(発達した低気圧)の気圧、hPa(ヘクトパスカル)の数値が小さいほど風雨が強く、数値が大きくなると規模としては弱くなる、などの基本情報を説明して、ある程度自分で台風の強弱を考えることができるようにすることも必要なのではと思う。それでも山に近い住宅の人には線状降水帯による雨での土砂災害の注意は必要だ。世の中、完璧はない。難しいなぁ。

年寄りのためのGPSは?

2022-09-16 16:02:20 | 日記
 我が家からの最寄りの駅前に大きな遊技場がある。人は主にパチンコを目的にこの建物に集まっているらしい。二階から上は広い駐車場を持つこの建物のパチンコ屋さんの入口には平日であろうと休日であろうと、朝の10時には長蛇の列がある。僕が楽しむ人間観察(People Watching) には格好の場所で、それは偶然はじまることが常である。
 先日はたまたま出くわしたおばあさん、僕の前を歩いていたのだが、このパチンコ屋さんの前でもう一人の老婦人と待ち合わせをしていた様子だ。10分ほど歩いた後の駅への階段の横で僕はちょっと一休み、この二人を偶然ウオッチングする機会を与えられた。僕の前を歩いていた老婦人は髪の毛は真っ白、チョコレート色のワンピースにスニーカという出立である。待ち合わせの相手のご婦人はモンペ風のズボンにチェック柄のブラウスだ。僕が階段に一歩足をかけたその時、二人はパチンコ屋の中に消えていった。「ふ〜ん、やっぱり暇を持て余しているんだなー」と老人のことをおもいやりながら階段を登った。(それがどうしたの?)
 僕が帰路にそのパチンコ屋のトイレを借りて騒音の中を出口へと急いだその時、例の老婦人お二人が夢中でパチンコ台に向かっているではないか。「ウソでしょう。朝に出会ってからもう5時間はゆうに経過しているぞ」と離れたことろから二人に再度目をやった。家族の人はおばあちゃんのことを心配していないのだろうか。犬や猫にチップをつけて位置確認を、という運動があるそうだが、“年寄りの位置確認も怠りなく” などという考えがふと頭をよぎった…