歳をとってくると夜中に目を覚ます事が多くなって、なかなか若い頃のように前後不覚の状態で眠ることがなくなるという。僕も浅い眠りの繰り返しでどうすれば“無”の状態で眠れるだろうかと悩んだ末、最近は禅のお坊さんの細川晋輔(しんすけ)氏の新書版『人生に信念はいらないー考える禅入門』という本を寝床に入って5分ばかり毎晩読み始めた。精を込めて本を読む時間ではないので軽く4〜5ページ読んで眠りに入る。暗闇の中で“無”の境地のほんの一部でも味わえるのではという淡い期待を持ちながら…早く眠りにつけるようになったが、相変わらず脈略のない夢を見たり昔の失敗や焦り、そして未来への不安などの夢を見て目を覚ます。
本の中で細川僧侶さん、禅の教えの「前後際断」を使って、前後、つまり過ぎ去ったことに囚われてしまったり、どうなるか分からない未来を憂いるのではなく今日、目の前のこと、今に集中するのが禅の生き方と述べられている。厳しい座禅三昧の禅僧の生活で雑念から解放される方法のひとつなのだ。僕も暗闇への精神集中で眠りに入ってはいるけれど、夜中に目を覚ました時や日中はやっぱり雑念から解放されることはない。心のどこかで僕の生き方は「想像力が世界を支配する(Imagination rules the world.)ーナポレオンの名言」的な未来志向から開放されることはない。ナポレオンのようにヨーロッパを支配するなどというようなことを考えているわけではもちろんないが、想像できる未来があるから今を生きることができると信じている。
修行する禅僧は本の題名どおり“強固な信念より、柔らかな心の柱”で自然と一体となりながら“無”の境地の入り口に立てるのだろう。雑念の衣を纏った僕のような人間はときには「吾唯足知」=吾ただ足るを知る”などというひと言に気が楽になることがあって、まあそれでよしとしよう。
本の中で細川僧侶さん、禅の教えの「前後際断」を使って、前後、つまり過ぎ去ったことに囚われてしまったり、どうなるか分からない未来を憂いるのではなく今日、目の前のこと、今に集中するのが禅の生き方と述べられている。厳しい座禅三昧の禅僧の生活で雑念から解放される方法のひとつなのだ。僕も暗闇への精神集中で眠りに入ってはいるけれど、夜中に目を覚ました時や日中はやっぱり雑念から解放されることはない。心のどこかで僕の生き方は「想像力が世界を支配する(Imagination rules the world.)ーナポレオンの名言」的な未来志向から開放されることはない。ナポレオンのようにヨーロッパを支配するなどというようなことを考えているわけではもちろんないが、想像できる未来があるから今を生きることができると信じている。
修行する禅僧は本の題名どおり“強固な信念より、柔らかな心の柱”で自然と一体となりながら“無”の境地の入り口に立てるのだろう。雑念の衣を纏った僕のような人間はときには「吾唯足知」=吾ただ足るを知る”などというひと言に気が楽になることがあって、まあそれでよしとしよう。