学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

雑念との戦い

2021-10-29 17:05:39 | 日記
 歳をとってくると夜中に目を覚ます事が多くなって、なかなか若い頃のように前後不覚の状態で眠ることがなくなるという。僕も浅い眠りの繰り返しでどうすれば“無”の状態で眠れるだろうかと悩んだ末、最近は禅のお坊さんの細川晋輔(しんすけ)氏の新書版『人生に信念はいらないー考える禅入門』という本を寝床に入って5分ばかり毎晩読み始めた。精を込めて本を読む時間ではないので軽く4〜5ページ読んで眠りに入る。暗闇の中で“無”の境地のほんの一部でも味わえるのではという淡い期待を持ちながら…早く眠りにつけるようになったが、相変わらず脈略のない夢を見たり昔の失敗や焦り、そして未来への不安などの夢を見て目を覚ます。
 本の中で細川僧侶さん、禅の教えの「前後際断」を使って、前後、つまり過ぎ去ったことに囚われてしまったり、どうなるか分からない未来を憂いるのではなく今日、目の前のこと、今に集中するのが禅の生き方と述べられている。厳しい座禅三昧の禅僧の生活で雑念から解放される方法のひとつなのだ。僕も暗闇への精神集中で眠りに入ってはいるけれど、夜中に目を覚ました時や日中はやっぱり雑念から解放されることはない。心のどこかで僕の生き方は「想像力が世界を支配する(Imagination rules the world.)ーナポレオンの名言」的な未来志向から開放されることはない。ナポレオンのようにヨーロッパを支配するなどというようなことを考えているわけではもちろんないが、想像できる未来があるから今を生きることができると信じている。
 修行する禅僧は本の題名どおり“強固な信念より、柔らかな心の柱”で自然と一体となりながら“無”の境地の入り口に立てるのだろう。雑念の衣を纏った僕のような人間はときには「吾唯足知」=吾ただ足るを知る”などというひと言に気が楽になることがあって、まあそれでよしとしよう。

用もないのに電車に乗って

2021-10-26 18:15:27 | 日記
 昨日のコロナの感染者数、東京17人、大阪26人と感染状況が落ち着き始めて街に人出が戻り始めたという報道が目を引くようになった。歳をとってくると特に用事がなくても外に出て、ある一定の緊張感を維持しないと老化の進行が速まるということを頻繁に耳にするようになった。自分が歳をとってきたから余計にそんな記事や話が耳に入るのだと思う。とはいえ、この話が出る度に頭をよぎる事がある。25年も前に94歳で亡くなった僕の父は晩年外に出たがって家族が危ないからという理由で止めていたのを思い出すのだ。彼は特に徘徊癖があったわけではない。コロナで外出の自粛を叫ばれていた現在のような世でもなかった。年寄りの外出への心情が分かっていたら一緒に外を散歩したり近辺を短時間の電車での遠出やちょっとしたお酒の一杯も付き合ってあげればよかったのにと後悔の念が時々顔を出す。
 僕が小学生の頃の小説家で岡山県出身の内田百閒(ひゃっけん)という人は電車(当時は鉄道と呼ばれた)に乗ることを目的とした今でいう“乗鉄(のりてつ)で、紀行文(?)、多分小説『阿房列車(あほうれっしゃ)』で名前を知られていたらしい。「何にも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行ってこようと思ふ」という文がいろんなところで引用されているらしい。外に出たがった父はひょっとするとこの内田百閒を読んでいたかもしれない。一度だけ父に連れられて二人で広島県の三次へ汽車に乗って出かけた事がある。窓を開けて昔の福知山線の汽車の煤(すす)が目に痛かったのを思い出した。当時の僕は小学生、今は後期高齢者、自粛が解けて特に用はないけれど、出かけて外の空気を吸いながら人の行き来を楽しみたい歳になっている。

かんぱ〜い!

2021-10-22 17:12:04 | 日記
 酒類提供の制限解除のニュースに「待ちに待った開放感です」「友人と約束しています」「ストレス発散はやはり居酒屋でしょ」などなど、街でテレビにインタビューされたサラリーマンの答えだ。待ちに待っているのも、友人との約束も、ストレス発散も、全てが飲食店でのお酒の提供を待ち望んでいた人達の声である。仕事と時間に追われ、自分の信条とは違った仕事を押し付けられ、どこかに逃げ場を探す日本のサラリーマンの悲哀を感じさせられる。
 ハッピーになるにはやはりお酒、仕事人間にとってはそうなんだろうとは思うのだが、他にも方法はあるような気もしないではない。それでもやっぱり最後はお酒ということになるのかな。アメリカだって同じで酒愛をいろんな著名人が言葉を残している。例えばアーノルド•シュワルツネッガー氏、「ミルクは赤ん坊のために、大人になったらビールを飲もう」、そして僕が好きなベンジャミン•フランクリンは「ビールは神が我々を愛し幸せであることを望んでいる証しである (Beer is the proof that God loves us and wants us to be happy.)」との言葉を残している。現状はコロナ感染予防のためにハッピーになっても大声ではしゃぐことには要注意だ。
 テレビ番組の『イタリアの小さな村』を見ていると、家族が大勢集まってピザやパスタ、そしてワインで楽しい食事をしている姿が印象的だ。田舎の小さな村が取材されているのだから家族のそんな姿は当たり前だろうが、日本の都会に漂うなんとなく刹那的な幸せを追う雰囲気とは異なることに少し考え込んでしまう。日本人はなぜか時間に追われて心の余裕を失っているのだろう。ビールのジョッキの中に、日本酒の瓶、そしてワインのボトルの中に人と人を繋ぐ想いや人生に対する一人ひとりの思いが閉じ込められている。チヤーズ Cheers! かんぱ〜い!

大阪会話「知らんけど」

2021-10-19 17:26:59 | 日記
 子供というのはなぜ大声で叫ぶように話すのだろうか。小中の学校の先生達が疲れるのがわかる気がする。我が家の前を通る学校帰りの地元中学校の男子生徒二人の会話。プロ野球の優勝の行方について「阪神なんてまだ勝てると思ってるん?絶対無理やって…知らんげど…」でた〜大阪人の”知らんけど”。テレビの影響だろうか、最近はこの”大阪人の知らんけど”が話題になる事が多い。大抵の場合「絶対」などの断定語を伴って確信的なことを主張しながら最後に“知らんけど”でいっきに責任逃れの道を開くスペースを会話の中に持ち込んでくる。それで大笑いして会話がまた弾む。大阪人独特の会話法である。
 大阪人には細かい現実のデータは不要なのか。プロ野球セリーグの優勝争いは巨人の脱落によってヤクルト球団と我が阪神タイガースの一騎討ち。今朝の時点で阪神は残り6戦を全勝してヤクルトの残り8試合の成績が4勝4敗でも勝率を上回ることはできない。僕のいうプラス思考で可能性はゼロではないと思いたい人はいるのだろうが、今年の阪神の優勝はプラス思考を持ってしてもさすがに可能性はほぼ無し。それでも「知らんけど大阪人」はヤクルトが予想以上に負けを背負いこむかもしれない、巨人だって何かの拍子にこの終盤10連敗などで失速してしまったではないか…などと言う。勝率だの理論だてた説得や説明は“タイガースが命”の大阪人には「面倒臭いことを言うな」と一蹴される。緊急事態が解除されて、居酒屋が少しは活気を取り戻しただろうが、どうせ酒の肴に阪神だのヤクルトだの、いや巨人は、と会話の中できっと「知らんけど…」が飛び交っていることだろう……「知らんけど」(知らないのなら言うなと言う話)

時間表示「あと何分?」

2021-10-15 16:42:41 | 日記
 “新聞は情報の宝庫”と昔から言われているが、最近はスマホの普及で“情報の飛ばし読み”なる言葉が横行している。サラッとうわべを拾い集める情報の収集の仕方だ。時間の節約がスマホのおかげで悪い意味で助長されつつあるのは嘆かわしいい徴候だ。一方、自分の残りの持ち時間が「もしもあと1日の命だったら、いやあと一週間いや一年だったら」という人生への対応の仕方を扱う本が出回っていて歳をとってくると否応なしに考えざるを得ない課題を突きつけてくる。
 人々の時間の意識が生活習慣に影響を与えている。バスの到着が「あと8分」などとのバス停で表示は「よかった、間に合った」という種の安心感を与えてくれる。時間待ちの間はやはりスマホをいじって悠々と時間を潰す。場所を変えて、アメリカのオレゴン州のポートランド市のストリート•カー(路面電車)の停留所も同じやり方で電車の到着を表示している。不思議なことにあと何分の待ち時間が長いとなると人々は次の停留所に向かって歩き始めるのだ。どうやらアメリカでは運動意識が強い事が原因らしいがなんとなくせわしない。一つにはアメリカの電車やバスの表示時間は曖昧なもので、日本のように一分一秒の遅れが大層なことになるようなことはない、となると少しでも体を動かす軽い運動に意識が向かうのであろうという僕の結論だ。
 何時何分という“絶対時間”の表示は常に「あと何分で」とか「何分前に」などと自分の行動の目安を頭で計算しなければならない。しかし、「あと何分」的な時間認識の変化によって行動を起こす目安のようなものを示してくれるという利点がある。(僕らの仲間、お年寄りには何かをする前にトイレに行く時間があるかどうかを考える余裕も出てきそうだ……)