学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

劣等感と口癖

2018-06-29 21:11:39 | 日記

僕の家の道路を挟んで向かいに薬局がある。薬を処方してもらいに来た二人の若い主婦。僕の家の塀に寄りかかりながら井戸端会議である。PTAかなにかのいわゆるママ友の関係であるようだ。自分を含めて子供の問題を長々と話している。聞こうと思はなくても庭に出ればいやでも耳に入ってくる。要するに何かの“劣等感”が話題である。僕は立ち話をするのは嫌いだし、それを聞くのも迷惑だ。家に駆け込んだ。

An inferiority complex is just a state of mind. (劣等感は単なる精神状態である)
昔、大学で教えている時に研究室に相談に来る学生の中に時々自分の劣等感を打ち明けに来る者が数人いた。大学の先生だって全能の神ではない。どうしてそんなことを打ち明けるのかと疑問に思ったことは何度もあったが、要するに他人に聞いてほしいのだと思う。僕は「口癖には要注意」という話をよくしたのを思い出す。「僕はこういうことには弱いんです」とか何かが「苦手」という人は、何度もそれを言っている内に口癖になって自分の弱点を繰り返すことで本当に弱点になってしまうことを知らないのだと思う。
先ず彼らはすぐに自分を兄弟や友人と比べる。比較は劣等感を生み出すきっかけとなるのに。人は皆、それぞれ違うことに強みをもっているということを知らないために、自分で自分を劣等感の世界に追い込んでいくようである。
劣等感の落とし穴から抜け出す方法の一つは「まぁいいか…」と楽しくやろうという姿勢を持つことである。二つ目はどんな人にも長所、得意な分野があるということだ。自分の長所に一日でも早く気付いて伸ばそうとすることで人生が楽しくなると信じている。

(追)大阪は今日も蒸し暑い。梅雨はまだもう少しの間続くのかな。

マイナス気分を変えるには

2018-06-27 21:13:37 | 日記

梅雨のジメジメ感は人を憂鬱にしてしまう。腕や体にまとわりつく汗とジメジメ感がその大きな原因だと思う。梅雨の嫌な感じを逆手にとってアジサイを利用しながら楽しむ方法があるらしい。ガラスの一輪差しに切り取ったアジサイの花を生けて、窓際に置いて楽しむということらしい。窓からの明かりとアジサイは、想像力を生かしてみると、きっと切り取った絵や写真のように室内に季節感というアクセントを生み出すのだろうと思う。

我が家ではこの季節に盛んに咲いてくれるクチナシの花を楽しんでいる。切り取ったばかりの花は本当にどうしてこれだけの白色をだせるのかというほど、真っ白である。初日の一日目が過ぎて二日目の後半には徐々に黄みが帯びてきて、やがてはだらしなく茶色の花の塊(かたまり)になってしまう。ただこの花、独特のミルキーな香りが楽しめるのが家の中のジメジメ感を吹き飛ばしてくれる。花を利用することで、家の中を明るくして気分を変えるという方法は一考に値する。

Learn to find pleasure in simple things. Be happy.
(単純なことに喜びを見つけることを覚えよう。ハッピーでいよう)

分かっていてもなかなか難しいのが“心の持ちようで周りが変わる”ということ。人間は厄介な動物だから、逆に言えば自分の身のまわりに一工夫をすることで心が変わるということも言えそうな気がする。部屋の片付けをして気分を変えるとうことも同じような効果があるという人がいるのはこういうことなのだろう。

要注意:地震と無力感

2018-06-25 17:35:17 | 日記

大阪北部地震の余震に怯える知人が数人、震源地の高槻市に住んでいる。余震が来る度にカタカタと家や部屋の中にある何かが音を立てる状況だという。落ち着いて家に居れないという状況で不安が増幅して、心理的にそうとうの圧力になっているだろうことは想像に難くない。自分ではどうしようもない無力感が恐怖心となって人々を苦しめるということをアメリカ留学中の学生時代に心理学の授業で学んだことを思い出した。

確か狭い2部屋に別々に入れられた犬の実験だったように思う。一匹が入った部屋の床には軽い電流が流されて、頻繁に電流が流れたり止まったりする。自分では制御できない環境である。
別のもう一匹の部屋は所々に電気が流れない場所があって、犬はそこに避難することが出来る。少なくともその犬は避難場所を学習することが出来るのである。
最初の犬は完全に無力感に支配されて、まったく無気力になってしまうという実験だった。

余震が続く中での日常生活の大変さに思いを寄せてあげることはできたとしても、それ以外に他に何ができるだろうか。
Try not to be always in fear. (いつもビクビクしていないように頑張ろう)という英語表現がある。他人ごとのような冷たい表現に聞こえるかもしれないが、そういう意味で言っているのではない。罹災されたみなさんには、なんとしても怯(おび)えるという心理状態から脱してほしいという励ましとしてとらえてもらえることを望んでいます。

大阪北部地震に思う

2018-06-22 20:59:05 | 日記

久しぶりの太陽である。それでも朝はかなりの蒸し暑さだ。洗濯物も干して一日が始まった。
梅雨時のジメジメ感はなんとなく憂鬱である。家じゅうの廊下や板の間が歩く度に、少し大袈裟かもしれないがベタベタと足の裏に湿気がまとわりつくような気がする。カラッとした日がなく火曜日は特に一日中の雨で梅雨であることを思い知らされた。

前日の月曜日が例の大阪北部の地震で、被害に会われた人々は随分と不快感をもたれたことだろう。震源地といわれている高槻市の人々はガスが使えない。交通機関の麻痺で、立ち往生と果てしなく続く行列や会社への行進の様子をテレビで見ると、雨や湿気の高いことは本当に不快であったろうと推察する。それでもやっぱり人々は何と整然と冷静に行動していることだろう。テレビに映る人々の不便や不快を考えると皆さんの姿勢に感心する。

Being kind to others is a way of being good to yourself.
(他人に親切であることは自分自身を大切にしていることである)

さて地震から5日が過ぎ今日はどれだけのインフラ改善がみられるだろうか。大きな余震が来ないことを願いながら、今回の地震で亡くなられた人々のご冥福をお祈りいたします。

失敗から前進することを学ぶ

2018-06-20 20:57:06 | 日記

かつて何十年も前に京都を訪れた時に“娑婆(しゃば)で生きることが本当の修行”と教えてくれたお坊さん(だったと思うが定かでない)がいた。僕のメモ帳には書いてあるのだがなぜか場所を含めてまったく他の情報が書かれてない。
娑婆(しゃば)を辞書で調べてみた。良く使われるのが刑務所から見た外の自由な世界とある。仏教用語としては人間の世界、俗界という意味があるらしい。

先日は大阪が激しい地震に襲われた。この地震で思い出したのがなぜかこの娑婆の話し。テレビでは被害の状況や地震対策に関する評論家の意見などがこと細かく報道される。日本の各地で起こる地震の度に取りざたされるのが違法建築。その場を繕う(つくろう)その場限りの対応が、地震が起こると表面にでてくる。一心不乱に良い仕事を目指す人がいる一方で、お金を中心とした考え方の拝金主義で手抜き建設をしている人がいる。いやはや、娑婆とは大変な世界なのだと思う。それでも失敗から学ぼうとするのが人間だ。
By falling, we learn to go forward. ( 転ぶことで我々は前に進むことを学ぶ )
よちよち歩きの子供が、倒れては膝を打ち、半泣きで前に進もうとするのをよく見かける。まさに人間の娑婆とはこの繰り返しなのではないだろうか。