いよいよ年の瀬が迫ってきて、今日が今年最後のブログとなった。コロナ、コロナで明け暮れて振り回されて一年が暮れようとしている、26日の土曜日の夜に盲目のピアニスト、辻井伸行さんの“音楽で世界を繋ぐ”という番組を楽しんだ。辻井さんは世界の旅を続けながら音楽を通して人と人の交流を続ける。その番組の中で一瞬だったが「沈黙の中には音がある」という言葉が字幕に出されてなぜか頭から消えなくなった。世界にはなんと雑音が多いことか。それが人の心のざわつきを生み出してストレスという名の悩みや苦しみを生み出していく。
「沈黙」という言葉ですぐに思い出したのが「静寂の音」、日本語ではよく「シ〜ん」と記されることが多い。誰もが一度は聞いたことがあると思う「サウンド・オブ・サイレンス Sound of Silence 」という曲、大学にいる時、この曲の歌詞の翻訳を授業で試みたことがあった。学生によって、静寂の音を様々に理解して翻訳することを期待しての意図があった。学校の構内であれ、自分の家の部屋の中であれ、目を閉じてじっと耳を済ませてみると、本当にいろんな音が聞こえてくる。目をつむった暗闇の中になんと複雑な音の共鳴があることか。私たちの脳は不思議なもので、音に付随して自分の声が聞こえてくるように思うことがある。
“やぁ、暗闇さん、古くからの友よ (Hollo darkness, my old friend) / また君と話したくて来てしまった (I’ve come to talk to you again)/ “ で始まって聞く人を暗闇の中の静寂のなかに引き込んでいく出だしである。続いて、“なぜって或る予感が忍び寄り/ 僕が寝ている間にその種(たね)を撒いていったんだ…” と眠っている間に見る夢が何かの予感を感じさせる。
31日の年越しの夜には庭に出て久しぶりに除夜の鐘に耳をかたむけてみよう。遠くで響く「ゴ〜ン」という音に自分は何を感じるかに耳をすましてみようと思う。
皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。
「沈黙」という言葉ですぐに思い出したのが「静寂の音」、日本語ではよく「シ〜ん」と記されることが多い。誰もが一度は聞いたことがあると思う「サウンド・オブ・サイレンス Sound of Silence 」という曲、大学にいる時、この曲の歌詞の翻訳を授業で試みたことがあった。学生によって、静寂の音を様々に理解して翻訳することを期待しての意図があった。学校の構内であれ、自分の家の部屋の中であれ、目を閉じてじっと耳を済ませてみると、本当にいろんな音が聞こえてくる。目をつむった暗闇の中になんと複雑な音の共鳴があることか。私たちの脳は不思議なもので、音に付随して自分の声が聞こえてくるように思うことがある。
“やぁ、暗闇さん、古くからの友よ (Hollo darkness, my old friend) / また君と話したくて来てしまった (I’ve come to talk to you again)/ “ で始まって聞く人を暗闇の中の静寂のなかに引き込んでいく出だしである。続いて、“なぜって或る予感が忍び寄り/ 僕が寝ている間にその種(たね)を撒いていったんだ…” と眠っている間に見る夢が何かの予感を感じさせる。
31日の年越しの夜には庭に出て久しぶりに除夜の鐘に耳をかたむけてみよう。遠くで響く「ゴ〜ン」という音に自分は何を感じるかに耳をすましてみようと思う。
皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。