学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

早起きは三文の…表と裏

2023-05-30 15:14:33 | 日記
 「お兄ちゃんは足が早いからええわ」と言いながら家の前を走りすぎた女の子がいた。ちょうど雨が降り出してランドセルを背負った妹の小学生には走りづらかったのだろう。人と比べる弊害については何度も耳にして来たように思う。兄弟同士、友人同士、その他いろんな状況の中で、我々は当たり前のように人を比べてしまっている。自分を他人と比較することはうまく行っても悪くいっても碌なことはない。自分を苦しめたり、他人を苦しめたりもする作用があるからだ。人と比べることで、場合によっては自分を傷つけることになる。自分にとって都合が良くても他人を傷つけることになるかもしれない。教育の場は考えてみれば意図しなくても人間関係の微妙な環境を作ってしまう場なのかもしれないと現場から離れて感じることがある。
 物事にはいつも両面があって「早起きは三文の得(徳)」すら場合によっては逆になる。夏の場合は別として冬の早起きはストーブだの暖房の無駄遣いと言えるかもしれない。「命長ければ蓬莱(ほうらい)に会う」などといって長生きは良い事に出会う機会も多い、などと言っているかと思えば「命長ければ恥多し」などと時代に遅れて恥をかくことも多くなるかもしれない。「居心地の良さ」と「学び」は反意語だと言った人がいた。「心地よい場所(コンフォートゾーン)」から脱出できない人は「学びの場・機会」を失うという意味だ。諺や偉人の名言はいろんな苦い経験を通して生まれることが多い。それでも何か良いことや予想外の幸運が来ることを楽しみにしているのが人間だ。「イワシ網に鯛かかる」という諺もあるよなー。

人生の「昨日、今日、明日」

2023-05-26 16:17:29 | 日記
 我が家の庭には古い二本の木犀(もくせい)の木があってちょうど今頃の日中には僕にとっての絶好の日陰休憩の場となっている。ボヤッと椅子に座って考え事をしたり、何も考えずに脳を休めたりする場を提供してくれるのだ。なかなか金銀二本の木犀の木が揃っているということは珍しいことで、秋にあの甘い匂いを当たり一面に撒き散らす。近所の人が楽しみにしていてなんとなく僕の自慢の二本の木である。一体誰がここに植えたのだろうか。ご先祖のどなたが植えたのかなど分かるよしもない。そんなことを考えながら、昨日や今日や明日のことを考えてみた。
 あのアインシュタインがいみじくも残した名言がある…「昨日に学び、今日を生きて、明日に希望を Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow.」若い時には特に注意を払うこともなくやり過ごした名言であるが、現在の僕、80歳ともなれば含蓄のある言葉だと思う。
 話はとぶが、大相撲の9日目に明生という力士が横綱照ノ富士を寄り切りで破って今場所の勝ち越し(8勝)を達成した。インタビューで二桁勝利など次の目標を聞かれた彼は「9勝」と答えた。続いて、「9勝がなければ二桁勝利もないから」と答えたという。相撲に限らないかもしれないけれど、スポーツの世界では今日を生きなければ明日は無い。海の彼方、アメリカでもベーブ•ルースが「昨日のホームランは今日の試合の勝利を意味していない」などという名言を残している。そういえば、アメリカで頑張っている時に、「明日のことは心配するな、日本ではもう次の日になっているのだから」と言われたことがあった。

待てど暮らせど来ぬ平穏

2023-05-23 16:39:01 | 日記
 5月の今頃になると我が家の庭に宵待草の黄色い可憐な花が10輪ばかり咲く一角がある。どこから来たのかがわからない。いつしか毎年開花するようになって大歓迎なのだが、宵待草は雑草なのかなぁ。太陽が西に沈みかけてその日の暑さがやっとひと段落して、一番心地よい時間に淡い黄色い花を咲かすのである。トワイライトタイムというのかこの時間帯は僕を哲学者にしてくれる時間だ。気持ちがゆったりしていて考えたり“ひとり時間”を楽しんだりと最高の時間なのだ。
 今日は空を見上げたり、宵待草をスマホで写真を撮ったりしながら頭をよぎったことを整理してみた。一つは広島で開催されたG7のこと。人々が地球上で仲良くお互いの違いを認めながら共存共栄、平和に過ごせたら問題はない。でも、自国を中心に世界を、地球を回転させることばかり考えている自己中な政治家がいる限り地球に平和は来ないような気がする。
 もう一つ気になったことはカラスの声がやたらと聞こえることだ。なぜこんな住宅街に、しかもこの時間帯に。夕焼け小焼けで日が暮れて…家路にいそぐカラスの家族などと悠長なことを言っている状況ではないことが気になるのだ。繁殖の時期と割り切ればいいのかもしれないけれど、山に人が進出し食べ物が無くなって彼らが町に降りて来たなどと考えると、また気掛かりが一つ増えることになる。二羽のカラスが電柱に停まってカァカァと甲高い声で叫ぶ姿はなんとなく不気味で不穏な予兆ですらあるような気がしてくる。日中には咲かない一夜限りの儚い宵待草、何を人に語りかけているのだろうか。あ~、(♪)宵待草のやるせぇなさ…

扇風機に向かって「あ~」と言う

2023-05-19 16:49:14 | 日記
 突然夏が来た!…と思ったら今日はまた小雨ふる肌寒さ。大阪ではこの時節としては珍しく、むしろ寒さが勝る温度である。つい先日の水曜日には東京では32.5度、大阪でも30,0度の最高気温だ。一気に半袖どころか熱中症すら報道されるほどの急変であった。温度の急変ということになると衣服の衣替えから勢い今度は扇風機の出番である。我が家では、真夏はエアコンと扇風機の併用で、汗を吹き飛ばしてホッとさせてくれるのは扇風機の方だ。誰がこんな便利なものを発明したのかといえば、もちろんあの発明王、トーマス・エジソンである。“私は失敗した経験はない。うまくいかない1万通りを経験をしただけだ”という名言はいつも僕を力付けてくれたことを思い出す。僕はエジソンから工夫の重要性を学んだと思っている。
 偉人の伝記を読むのが好きだった子どもの頃の僕の憧れであったエジソン、小学校から追い出されるほどの先生泣かせであったという。追い出された理由はといえば、なんと二言目には「なぜ?」を連発したからだという。ま、それはさておいて、子どもの頃、扇風機の前で「あ~」と言えば、「わらわら~」と聞こえたりすることが楽しくて声とは切れるものなのだ、などと決めつけていたのを思い出す。戸外に目を転じてみると“風”はたくさんの詩のテーマになっている。多くの木々にとっては冬には試練の象徴だし、夏には爽やかな歌だという。“愛とは風の様なもの。目には見えないけれど感じることができるもの Love is like the wind, you can not see it but you can feel it.”などとロマンチックな詩も詠まれている。さあ、本格的な夏の到来だ。今年もまた扇風機の前で「あ~」をやってみようか…(若さを維持するコツだよ…へっへっへ)

“とにかくやってみよう”の精神

2023-05-16 16:36:21 | 日記
 急に思い立って、気の向いた時に物事をする人のことを半分からかって「むいたはん」という。これは大阪弁なのかどうかは定かではない。ま、いずれにしろ僕の断捨離は「むいたはん」であることは間違いがない。一時期、かなり熱心に実行していた断捨離は、最近では本当に気が向いた時にしかやらなくなった。何より断捨離だの片付けに少し飽きが来ていることは事実である。昨日の片付けで断捨離はまだまだやり続けなければならないことを実感した。断、捨、離、は僕に決断を迫る。残りの人生、僕はどこまで身軽になることができるのだろうか。
 押入れの奥から34、5年前の書籍や写真、メモ帳などが段ボールの中から出てきた。僕がいなくなった後、誰がこれらを必要とするのだろうか。僕にとっては懐かしい教え子との写真、でも一緒に写っている学生だった人たちの名前も顔も覚えていない。処分するしか他に道はない。ただ一つ、処分しない箱に入れたのは僕が大学で教え始めた頃にアメリカで購入して、授業でも頻繁に参考にしたプラス思考の書籍の一つ、『とにかくやってみよう Feel the fear and do it anyway.(1988発行・スーザン・ジェファーズ著)』という本だ(今は翻訳本も出ている)。“人は成長しようとする限り不安は必ず付きまとう”というフレーズがこの本の主題である。何か新しいことに挑戦しようとする人は、この不安という脅迫者と対峙しなければならない。とにかくやってみようとする精神、つまり第一歩を踏み出すことがこの脅迫者との戦いに勝利出来る唯一の方法であると説く。一人の人間の人生とはそんなことの繰り返しなのだろうなぁ。