今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

テツとの対話 その18・「捨て猫天国」 ~どうかしてるぜ、この国は~ 

2019年02月28日 | (故)テツ 
やあテツ、またまた久しぶりだね
こっちは今年になってからひっちゃかめっちゃかだよ
ニャーにテンにシロキにみう
病院通いが日課になっちゃって
自分の時間なんてあったもんじゃない

えっ? まあな、確かに自分で選んだ道だけど
それよりどうした?
お前にしちゃ珍しく浮かない顔してるね
そっちにも嫌なことってあるのかい?

そうか、お前には見えちゃうんだ
あまりにも簡単に、お前の仲間が殺されていく場面が
しかも殺されるノラたちの多くはまだ子猫
そうだよな、人間不信になるのももっともだ
殺してるのは人間なんだから


テツ (9ヶ月)
知り合いの家裏で生まれたノラの子、親離れ前にわが家に来たのでノラ生活を知らない


殺処分という非道はたびたび問われるけど
ペット業界の闇の部分(売れ残り処分)もたびたび問われるけど
もっと普通の人間、いや、やさしいと言われる人たちが
猫を殺す
捨てるという方法で

増えちゃったから
飼えないから
困ったから
そんな単純な理由で猫を捨てる
捨てられた猫がどんな思いをして、どんな最後を遂げるのか
考えもしない
だから罪の意識なんてないんだよな


右:テツ(2才半)、中:くも(5ヶ月)、左のおしりはハナ(7才)

テツよ、そもそもこの国では法律で禁止されているのに
つかまれば有罪になって前科一犯なのに
警察も役所も善良な市民も
みんなで見て見ない振りをする
何故なんだろう?
捨て猫はこの国の文化だと言わんばかりだ

ノラたちを幸せにしようと活動する人がいる
獲物のいない人間社会に生きるノラたちに食べ物を
せめてもの人間のやさしさだ
でも捨て猫を暗に肯定する人たちは、エサやりは猛然と非難する
人間性を語るなかれだ

なあテツよ、お前の怒りはよくわかる
どんなにノラを保護したって
片や無尽蔵に捨て猫が横行して焼け石に水だ
エンドレスの保護活動
非難されるばかりで報われない
これじゃあボラさんたちも病弊するばかり
お前は怒りというより、途方もなく悲しいんだよな


爆睡中の18才になった激やせテツ
この後ハナとくもをたて続けに失った


どういうわけか、頭脳の発達とともに利己主義が増長する
だから地球上の生物の中で、人間の利己主義は突出している
でも、人間は知性で利己の心を克服してきた
ネコを捨てる人に共通すること
それは知性が低いこと
だから利己の心を克服できずに、蛮行に走るんだ

でもな、テツよ
知性というのは後天的なものだから、教わることで発育する
だから結局、教育の問題なんだよな
仲間同士が無駄に殺し合う唯一の生物と言われる人類
教育が追いつかないまま頭脳だけが発達してしまった人類
いつか、自然という神のもとに帰る日が来ることを信じよう

それまでは、不条理の中で生きて行かざるを得ないようだ
お前のいる世界に行くまではね


亡くなる4ヶ月前のテツ

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蘇るんだ! 不死鳥テンちゃん

2019年02月24日 | (故)テン
気になるニャーとテンのその後です。
ニャーはとりあえず一般食に戻したところ、少しづつ食欲回復中。
その経緯は後日として、今回は危機的状況だったテンちゃんの速報です。
4日前にテンちゃんの記事を書いたときは、正直"そのとき"を覚悟していた。
毛並みや朦朧とした動き方が、見送る直前のテツと似ていたのです。


もうダメかと思った絶食5日目の朝

その翌日は、4月の陽気となる暖かな日だった。
日光浴のために店に来たテンちゃん、暖かくて調子がいいのか、よちよちと散歩も。
そして、夕方に少しだけレトルトを口にしたのです。
食べ物を口にするのはまるまる5日振りのことでした。

しかし動きはますます朦朧となり、その後の2日間、一昨日と昨日は家で過ごした。
一昨日は1日中、コタツの中か自分の寝床で。
ただ、総合栄養食のチュールを見つけたのでやってみると1本(14g)食べた。
それをきっかけに、シーバ10粒ほどとレトルトも少し。


コタツの中のテンちゃん(暑くてダレてます)
遠慮か恐いのか、テンちゃんがコタツに入ると他の子たちが出ちゃいます

昨日は、家の中を歩き回ったり自分で水を飲みに行く動きも。
そしてシーバにレトルト、それに缶詰と口にする量も増えてきた。
今日は再び暖かい日となったので店へ。
その前に、朝は自分から出てきてご飯の催促。
食べた量は少なかったけど、いやあ久々の催促は嬉しかったですね。
店でもそこそこ食べたらしい。
帰って来たテンちゃんを見ると、ビロード毛並みが幾分戻っているように見えた。


オジンの膝の上で
実はテンちゃん、家では完全にオジンの後追いになりました

一方輸液に関しては、老夫婦が相手では断固拒否を貫いたまま。
というよりもうトラウマに近い。
準備を始めただけで身体を硬くして抵抗。
なのでただでさえ薄い背中をつまむことができない。
しかも針を当てただけでビクンと大きく反応し、立ち上がって暴れる始末。

ということで1日おきに病院に駆け込んでいます。
病院でのテンちゃんは、看護師さんたちに同じことをされてもまったくのリラックス?
こういうのを「借りてきた猫」って言うのでしょうか。
この病院は治療費も輸液セットもどちらかと言うと少々お高め。
でも、いざというときに持ち込んでお願いすれば看護師さんたちが厚意でやってくれる。
みんなとても親切です。


よちよち歩きながら青い草を探し回った3日前

ある病院のブログに、輸液を止めると尿毒が回って苦しくなる。
だから最後を迎えるにしても、安らかに逝ってもらうために輸液は続けた方がいいと。
我々保護者はその方針で行くことにしました。
あとはテンちゃんにもっと生きようという意志があれば、食欲は自然に回復するはず。
だから、テンちゃんがもっと生きたいと思うような日々を提供すること。
"最後"を視野に入れながら悲壮感もなく自然に頑張るテンちゃん。
お世話しながら、実はとても大切な何かをもらい続けているのかもしれません。

我々保護者のすべきことは決まりました。
あとは、何とか自宅輸液を実現することです。
長期戦に備えて。


「家猫もいいけど、やっぱり店は落ち着くなあ」


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ドジでおニブのブサカワ猫

2019年02月23日 | ハリー(灰白)とシロキ(白黄)
保護して3ヶ月になるシロキのことです
家裏生活時代から、その雰囲気はありました
灰白くん(後のハリー)と餌場の争奪戦をしていたとき
シロキの方に分があったけど、追い詰めても襲わない
その場でフミフミするような威嚇の仕方がユーモラスだった

その後、新顔ちゃんにラブラブになって
食事の最中に家の角から新顔ちゃんが覗くと
気付いたシロキが大慌てで新顔ちゃんに突進
ドテドテドテ
しかし新顔ちゃんはすらっと逃げる
シロキはそのまま樋に激突
グエッと声をあげながら、逃げる新顔ちゃんを見つめていた


保護当初、リンに見つめられて照れるシロキ

FIV陽性だったシロキ
保護した当初は他の猫を気にするので
慣れるまでと3週間ばかり保護部屋で過ごした
すると、今度は保護部屋から出られなくなった
実はとてもビビリだったのです
わが家での生活に慣れるのに、それから2週間かかりました

デブのシロキは豆タンク
目も小さいしとてもかわいいとは言えません
でも壊れたラッパのような甲高い声で
ぷりぷりとおしりを振りながら
階段を上り下りする姿がユーモラス


テンちゃんとシロキ

シロキは寂しがりやで甘えん坊
そしてとっても遠慮勝ち
人は怖いけど傍にいたい
何となく仲間がいると安心する
今では警戒もされず疎まれもせず
わが家の猫社会に溶け込みました

時には悪戯好きな悪ガキ3匹に巻き込まれて
ドテドテドテ
ドテドテドテ
そのうちゴツン (ドアの隙間を抜けようとして正面衝突)
それでもめげずにドテドテドテ


ニャーとちび太のいるコタツに「お邪魔しまーす」

シロキの得意はトド寝とおっさん座り
油断丸出しの寝姿です
コタツの中で長々と寝ているとき
思わず蹴飛ばしちゃっても
目を覚ましもせずに寝続ける


得意のトド寝を披露

ふてぶてしいのか鈍いのか
今は背中の毛がボソッと抜けるトラブルで治療中
意外と繊細でストレスを溜めているのかもしれません
全快するまで、里親さん探しも延期中


食事はみんなと一緒です(右上がシロキ)

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もうひとつの命の話 ~テンちゃんからの贈り物~

2019年02月20日 | (故)テン
尿結石に膀胱炎、そして急性腎炎を繰り返し、ついには拒食症になったニャーにオロオロするうちに、もうひとつの命の話がゆっくりと、そして静かに進行していました。

テンちゃんのことです。末期的な慢性腎不全で「生きているのが不思議」と診断されたのに、その後の輸液で元気復活、今月5日の前回記事では余生を謳歌していると書いたばかり。そう言えば2年前に満身創痍のテンちゃんを保護したときも、別の先生に同じことを言われた。でも、それから奇跡の復活を遂げたのでした。やっぱりテンちゃんには、あの怪獣声でわめきながら店内を見回る姿がよく似合う。


昨秋まだ元気な頃、出荷待ちの花苗をバックにくつろぐテンちゃん(再掲)

ニャーの輸液事故が続いてあたふたしていた頃、テンちゃんにもやはり輸液ができなかった。しかしオシッコ詰まり騒動で緊急を要するニャーを優先させ、テンちゃんの輸液は3日ほど空いてしまった。そのことが関係したのか、テンちゃんの様子がおかしくなった。何も食べなくなって動くことすら億劫がるようになったのです。翌日には何とか在宅輸液を行ったけど状態はさらに悪化して、食べるどころか水を飲むだけで吐き続けた。

あまりにも急な変調振りに慢性腎不全以外の原因を予想し、さらに翌日、昨日になって病院に行きました。しかし先生は診察もせずに「想定内」と頷くばかり。高額の血液検査は自分の方から見合わせた。過去2回の検査でCREもBUNも測定限界を超えている。改善を期待できない限り、測定しても意味がないのです。それに、どんな結果であろうと結論は輸液を続けるしかない。それでも先生は吐き止めの注射と、胃酸調整や胃の働きをよくする薬を出してくれました。

病院の後は、店にいても事務所の片隅でうずくまるだけのテンちゃんを連れて帰った。それからは猫の終活や死期に関する情報を読み漁っています。その前日までは腎不全とF.L.U.T.D.(下部尿路疾患)の情報漁り。めまぐるしく変わる事態に気持ちの整理が追いつかない。それにこの情報集めこそが、保護者にとってはテンちゃんの最後を観念して受け入れるための儀式、のようにも思えてくるのです。


わが家ではもう仲間として迎えられています

我々老夫婦には話し合わなければならないことがあった。ひとつには、テンちゃんが輸液を苦痛に感じ始めていること。病院で輸液を受けたとき先生が驚いていた。テンちゃんの背中の皮膚が硬くなっていると言うのです。それは自分にも心当たりがあった。針が入らず、無理に入れるとテンちゃんが痛がる。テンちゃんの輸液に失敗が多い理由です。しかも既に皮と骨ばかりのテンちゃんがさらに痩せたら・・。こんな状態で毎日輸液を続ければテンちゃんの背中がボロボロになってしまいかねない。一応先生からは現時点で最適の場所を伝授されたけど、やはり不安は拭えません。

自然主義派の妻が、こんなにテンちゃんを苦しめるのならむしろそっとして・・と言い出すのは目に見えている。自分でも、テンちゃんが動けなくなって何も楽しめなくなったら、さすがに無理な延命は控えるべきだと考えていました。でも実際にその段階になると、そんなに簡単に切り替えられるものだろうか。そもそもテンちゃんの不調は、腎不全由来じゃなくて一時的なものかもしれないのです。それに輸液の中断は、果たして自然死と言えるのかそれとも安楽死なのか・・。

テンちゃんは昨日も、保護部屋にある寝床の中でじっとして動かなかった。今日でもうまる4日何も食べていません。強制給餌はもちろん断固拒否。ということで病院でもらった薬も与えることができないでいます。


保護部屋の自分の寝床で1日過ごしたテンちゃん

一方この老保護者の頭の中には、前回食べないニャーのときと同じ考えが駆け巡っています。死期が近付いた猫の行動は? そもそも猫に死という概念や喜怒哀楽があるのか? 獣医師や動物学者など専門家の見解では、人間が猫の行動に自分の感情を映し出しているだけといったものが多い。本当にそうだろうか。愛猫と以心伝心の保護者ならわかる。猫は何かを伝えようとしているんじゃないのか。


食欲なくてもお膳の上に興味が・・家猫らしくなってきた

お店のスタッフも、テンちゃんの命の話には神妙です。人は死に直面した様子に接したとき、なぜか厳かで素直な気持ちになると言う。きっと、死という抗うことのできない絶対無比の力がそうさせるのだろう。何かに追われるように忙しい日々を送る現代人にとって、それは自分自身を見つめ直し、生きることの意味を実感できる、かけがいのない時間と言えるのではないでしょうか。

あのジブリの映画以来、猫の恩返しという言葉が言われるようになりました。猫の恩返しはあるのだろうかと、ネット上でも様々な意見が飛び交っています。保護者からあり余る愛情を注がれた猫は、その分だけ深い信頼と絆を寄せて、この上ない癒しを保護者に与えてくれる。そんな猫という動物の特性が、まるで「恩返し」のように思えるのかもしれません。

テンちゃんは今、まさにその命を使って我々に特別な時間を提供し、この2年間の一宿一飯の恩義に報いようとしているのかな、などと思えてしまうのです。


今日はとても暖かな日、病院帰りは店で過ごしました


この記事を書いている横で眠るテンちゃん
こんな光景、いつまで見ていられるのだろうか

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生きることの意味を問う? ~療法食を拒否するニャー~

2019年02月18日 | ニャー
人間にはあり得ないが、動物には安楽死という言葉がある。
競走馬は骨折すると安楽死処分となる。人間のように車椅子や義足を利用するのは難しいからだろうか。身体の具合が悪くもないのに突然拒食症になった猫は、放っておくと死ぬまで何も食べないのだそうです。自然に生きる動物にそのようなことはないそうだから、拒食症はストレスなど人為的な原因による疾患と考えられ、そのまま放っておくのは自然死というより安楽死と同じことだ。

今、自分の傍らにニャーがいます。いや、自分が家にいるときはいつも傍にいる。かつての相互信頼と相棒のような関係が戻ったのです。みうをはじめとして次々と新しい猫を迎え、ニャーが敵意を抱くたびに叱り付けてきた。ニャーのストレスを気にしながらもニャーを責め続けたことで、自分との信頼関係を崩壊させ、この上ない寂しさを味わわせ、挙句の果てはストレス由来と思われるF.L.U.T.D.(下部尿路疾患)に追い込んでしまった。そうなってようやく事態の深刻さに気付いたこの愚かな保護者は、それ以来ニャーのために尽くしに尽くし、何とかニャーの信頼を取り戻すことができました。


振り向けばニャーがいる暮らしが戻りました

しかしニャーは、以前の健康なニャーではなかった。尿結石から腎機能低下を起こして病院に駆け込んだ正月のときは、5日間の皮下輸液で腎機能の数値が正常に戻った。しかし尿の詰まりは解消せずその後も苦しみ続ける。一方失った食欲は少し回復。それで強制給餌を止め、腎臓の値が正常に戻ったので皮下輸液も止めた。オシッコが出ないで苦しむニャーを何とか楽にできないかと、そっちの方に神経を集中したのでした。しかし事態は再び悪化し、膀胱炎が再発した。

病院での処置は膀胱炎治療のメタカムと抗生剤の投与。尿pHは再びアルカリに上昇していたがエコーで見る限り、詰まっているのはストルバイトというより炎症で剥がれた微細繊維(膀胱の皮膚片)ではないかと。小さな繊維の集合体のようなものが尿道の入口でもやもやしているのが見えた。消炎剤投与を始めて数日経ったある日、ニャーが尋常ではないほど苦しみだした。徹夜で付き添ったその日は1日オシッコが出なかった。完全に詰まったのだと確信した。


体調が悪くても穏やかな表情は変わらない
(後ろで光ってるのはみう)

再び病院に駆け込んで、4度目の尿管カテーテルによる膀胱洗浄と腎機能検査。そのとき詰まりはなかったが、病院にい行く途中で多量の尿漏れがあり、おそらくそのときに開通したのだと思われた。問題は腎機能。正月に駆け込んだときより悪く、急性腎不全の再発でした。

とりあえず効き目の長い抗生剤を打ち、それ以来毎日輸液を行った。正月のときと同様食欲を完全に喪失していたので強制給餌を再開した。しかし今度は食欲がなかなか復活しない。正月に5日で腎機能が回復したときは、食欲も戻ってきてその兆しがあった。腎機能が回復すれば体内の尿毒が減少して食欲が復活する。逆に言えば、食欲が出ないうちは腎機能が回復していないのではないか。しかし2週間ほど経つと、ニャーがもの欲しそうにこっちの顔を見るようになった。でも何をあげても匂いを嗅ぐだけで食べない。


当時の強制給餌には抵抗もなくいい子そのものだった
(撮影:オバン)

それでも食欲が出たということで、腎機能検査に行きました。結果はCRE2.0、BUN21。ほぼ正常に戻っていた。ほっとしたのもつかの間、そのとき先生に言われたのです。再々発を避けるために療法食に徹すること。輸液をしばらくは続けること。しかしこのふたつの条件は、ニャーにとっても保護者にとっても大変な難題でした。

在宅輸液に関しては、はじめのうちはよかったが感性の強いニャーは次第に意識過剰になり、準備するだけで身体を硬くして逃げようとする。遂には輸液中に暴れだして、一度は保護者の手に、二度目は自分(ニャー)の身体に深く刺さるという事故が相次いだ。それで保護者の方がすっかり自信をなくしてしまったのです。


何はともあれ正常値に戻ってよかった
病院の帰りには古巣の店に立ち寄りました

さらに、ニャーは療法食をまったく食べなくなっていた。そのため強制給餌には通常の液状食をやっていたがそれはダメだと。再発防止のために何としても療法食を。先生のアドバイスで、すり鉢を買ってきて水でふやかした療法食を液状にし、ニャーの口から流し込むことにした。ところが、それが見るからにまずそうなのです。案の定、それまでの強制給餌のときはまんざらでもなかったニャーが明らかに嫌そうな様子で、そのうち全身の力で抵抗するようになったのでした。

この2日ほどはニャーを押さえつけて、すりつぶした療法食を無理矢理流し込んだ。療法食に徹するとなれば強制給餌しかない。ニャーは激しく抵抗し、今度は普通の食事すら食べなくなった。せっかく信頼関係を回復したのに、これじゃあまるで迫害だ。何とかニャーに健康を取り戻してほしい保護者と、その保護者の行為にとまどうニャー。こんな状況での強制給餌を続けられないことは明白だ。それで、冒頭の悩みに陥ってしまったのでした。


かつて店時代に定位置だった場所にて
とっても懐かしい光景が蘇りました

猫には死という概念があるのかないのか、専門的にもネット上でもいろいろな議論があります。自分には、かつてテツがその前日に涙を見せたように猫は死を理解しているのだと思えます。ただ人間のような捉え方ではなく、もっと自然に受け止めている。だから生きるために我慢するという発想がないのです。耐え忍ぶだけの人生(猫生)なら生きている意味がない。食べることを止めてしまったニャーは、この先どのような道を選ぶのだろうか。何が何でも愛猫を失いたくない保護者には、どのような道があるのだろうか。

ニャーは今年になってから1kgほど痩せました。家に来た頃は大柄な子だと思っていたのが、今では背骨も浮き出てキーやクウよりも小さく見える。とにかく食欲を回復させるための情報を漁って、試行錯誤の日々が続いています。オシッコの詰まりもなく数値的には健康なニャー。食べない原因が心因的なものであることは明白だ。自分がニャーにした仕打ちのツケがこんな形で回ってくるとは。相変わらず穏やかな表情で自分の傍にいるニャーを見ていると、かつての自分の仕打ちを責めようともしないそのやさしさに、心底救われた気がするのです。


手前のリンを見つめる視線が昔に戻った?
食べなくても今のところ元気なニャーです


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