今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

自責に満ちた仮総括

2017年01月04日 | シャッポ
新年を迎えてニャーやおかあさんのご挨拶もあるし、書きたいことは山ほどあれど、どうにもこうにもシャッポのことが気になって手がつかないので、とりあえずシャッポの仮総括をすることにしました。

       店頭のシャッポ

悔やまれるのは、シャッポの最終目標が完全家猫だと決めておきながら、途中で迷いが生じて結果的にこんなことになってしまった。自分にとっての総括とは、この迷いとは何だったのかを解きほぐすことに他なりません。

初めに、シャッポの捜索に際して膨大な量のネット検索をしました。不幸にも無責任なレスポンスや偏執的な暴言に犯されてしまったスレッドが多い中、自分にとって励ましとなったいくつかを紹介します。賛成も反対も客観的な意見も、ニャンコへの気持ちが感じられるレスが多いスレッドです。古いのもありますが、この話に時代は関係ないと思うので。

発言小町「愛猫が1ヶ月以上行方不明です」

教えて!goo「猫は最長でどのくらいの期間、家出をしますか?」

教えて!goo「経験談聞かせてください!行方不明になった猫は何日で戻ってきましたか?」

もし自分がこれらのスレ主だったら、「そんなに大事な猫だったらどうして放し飼いになんかしたんだ」と非難の集中砲火を浴びるに違いない。確かにシャッポを完全家猫にして去勢もしていたら、今回の失踪はなかったように思う。

      (再掲)

ひどかったのはニャーとシャッポの違いを見誤っていたこと。シャッポは特に強い野生の本能を持ったニャンコで、人間社会に心底妥協するのには時間を要すると思っていた。しかし実はニャーは去勢済の脱走ニャンコ、シャッポこそが普通のノラだったのだろう。大人ノラを経験したことのない、自分の不明が招いた誤解でした。

さらに、「自己犠牲さへ要求する種族保存の本能の残酷さ」について触れながら、シャッポをその本能から解き放つこと(去勢)をしなかった。人間の都合で安易に「野生の性」に手をつけていいのか、と迷った。(「ノラの矜持」「ノラの本懐」の記事参照) そして、去勢は家猫になって種族保存の本能と決別するとき、と決めたりした。

しかし催眠術で死ぬことを命じられた人間だって、本当は生きたいに決まってる。本能が命の犠牲まで要求する野生の法則は、人間社会には馴染まない。だからシャッポも、種族保存の呪縛から開放してやれば、単に「自分自身が生きる」ために最善を尽くしたに違いない。

       ニャーとシャッポ(再掲)

でも、上記の反省だけで総括は終わらない。
全てのノラを家猫にすることは物理的に無理があるし、おかあさんのように先住ニャンコとの問題で幸せになれるかどうか悩むケースだってある。だから地域猫の考えが生まれました。でも自分にはR(元に戻す)ができない。それに代わる方法を模索している中に、シャッポはいたのです。さくら猫の世話、これをもう少し発展させると、家と寝床とトイレと食事、そして人間の温か味が揃ったいわゆる「外飼い」状態になる。

シャッポの生活が店で安定してきたとき、これなら無理に家に入れなくてもいける、場所的にも地域の人の理解も得られるのではないか、そう思い始めた矢先の本人(猫)の失踪でした。

おそらく多くのボランティアさんも経験していることだと思います。保護したノラには情が移る。できれば家で保護したいが事情があってできない。で、やむを得ずR。でもその後に消息を絶たれたら、どんなに心配で哀しく、そして悔しいことか。

自分の不完全な考えがシャッポの幸せになる機会を奪ってしまった。今は自責の念ばかりです。その一方で、限られた条件の中で最大限ノラ達を幸せにするもっと確かな方法を、もっとスピードアップして模索していかなければならない、とも思っています。

シャッポが帰って来たときのためにも。

   
         店内ストーカーだったシャッポ
        今でも視線を感じることがよくある


    
コメント
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