水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(143)

2013-05-30 22:00:26 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

天気予報は雨。ということで、予想通り、見学者はゼロでした。

しかしまあ、幸いなことに、新人解説員お一人の研修につきあわさせていただいた。
今日を含め、4回の研修が課せられている。
前回おつきあいした方と同様、大変熱心な方で、解説を気持ちよくかつ長く、お続けになる、に違いないと確信した。

出かける前に、過去に配られたプリント類をめくっていたら、自分の研修時にいただいた資料(水車市民解説員心得)を見つけた。
日付は20060930。書き手の名は、みたか水車クラブ。

忘れてはならない心得が書いてあり、自戒をこめて、そのいくつかを記しておきたい。

・ 市民解説員はボランティアだが、公の立場に立っている(市民参加と協働)。市民としての節度保持を!
・ 人間として、常識的対応を!
・ 知ったかぶりは禁物!
・ 技術だけでなく、歴史、文学、芸術などの視点を持とう!
・ 知りたい人には詳しく、そうでない人にはそれなりに!
・ 知っていることをすべて話すのはやめよう!
・ 情熱を!好きこそものの上手なれ!

ボランティア解説員という、またとない機会を持った幸せを感じる度合いが、年齢をかさねるにつれますます強くなっているように感じる。


しかし、今日のサッカー、対ブルガリア戦はいただけません。6/4が非常に心配です。今カッカきています。
ヘタをすると、6/11までイライラしなければならないかもしれません。
サッカーの話は、いずれ、じっくり書きたい、と思います。



論語(314)

2013-05-28 08:47:21 | 論語
三年有成(子路第十三の10)

三年にして成すこと有らん

三年もすれば、(やらねばならぬことは)やりとげます。


この節は、孔子の恨み節ではじまる。

「苟有用我者」(苟(イヤシク)も我を用いる者有れば)
もし、私を(解決困難な問題に対して思い通りに、職責を以て)働かしていただけるなら、

「期月而已可也」(期月にして可ならん)
(ほんの)ひと月いただければ、解決のための工程表を示します。

そして、上に続く。


このような聖人であっても、我々と同じように、タラ、レバを口にし、重要な役職に就きたいと切歯扼腕なさっている。
孔子を身近に感じることのできる節だ。


論語(313)

2013-05-25 09:42:48 | 論語
庶矣哉、富之、教之(子路第十三の9)

庶(オオ)きかな、之を富ます、之を教えん。


全部で35字で成り立つ、この節はわかりにくい。孔子の言は、上の三つ(7字)だけ。

全体の意味合いを解釈すると次のようになる。

弟子の冉有を従えて衞の国を通りかかったとき、孔子先生がおっしゃった。

「なにもかも多いね~」(庶矣哉)。

それを聞いて冉有が、「もう目いっぱい多くなっています。次にすることは何でしょうか?」

孔子の答えは、「富ますことでしょう」(富之)。

冉有の質問が続く、「もう十分富んでいます。次にすることは何でしょうか?」

孔子の答えは、「教育でしょう」(教之)。


たぶん、今の中国共産党政権は、「富之」の段階と認識していいだろう。
では、「教之」の段階になるまで、これからどれほどかかるのだろうか?

歴史的に概観すると、中国は庶民を食わすことのできる人が権力を握ってきた、といえるらしい。
現政権も、20億になんなんとする人々をひもじい思いをさせぬために懸命の努力を払っているのだろう。
その努力のあらわれのひとつが、国土・領海の膨張工作に違いない。
もしそうなら、真の意味合いでの諸外国と友好関係なんて、作り出せるわけがない。
なにせ、人民を食わしていかねばならないからだ。

論語(312)

2013-05-22 09:42:55 | 論語
始有苟合、少有苟完、富有苟美(子路第十三の8)

始め有るに苟(イササカ)合う、少し有るに苟か完(マッタ)し、富(サカン)に有るに苟か美(ヨ)し

荊という名の人の生き方について、孔子が述べた感想。

「荊さんは、実に堅実な家庭の築きかたをしています(善居室)」、と言って、上につなげた。


貯え始めたときには「なんとか間に合ってきました」と言い、貯えが多少整ってきたときには「十分貯まりました」と言い、随分貯まったときには「立派になりました」と言う(ような人です)。


自らの立ち位置を常に控えめに処することの重要さを指摘している。

某国を取り巻く外的環境は、羨望と嫉妬の渦、と認識せねばならない。
こんなときこそ、目立たず、下手に、控えめに、だ。

個人の生活を営む上では、足るを知る者は富む、あるいは、禍は足るを知らざるより大なるはなし、を肝に銘じねばならぬ。


今日の言は、使えますね。覚えておきたい。
始有苟合、少有苟完、富有苟美(シユウコウゴウ、ショウユウコウカン、フユウコウミ)

論語(311)

2013-05-21 09:59:48 | 論語
魯衞之政兄弟也(子路第十三の7)

魯衞の政(マツリゴト)は兄弟(ケイテイ)なり

魯も衞も、紀元前11世紀から紀元前3世紀にかけて、中国中原に存在した小国

紀元前、6世紀~5世紀に生きた孔子は、これらの国々を含め中原を放浪した。

魯と衞の政治はまるで兄弟のようなものです、と言っているこの節の真意は、わからない。

朱子は両国の衰退ぶりを嘆いた、と解釈したそうだし、伊藤仁斎は、小国であるにもかかわらず、しっかりとした政治体制をつくりあげようと努力する両国に好感を持っているのだ、と解釈しているらしい。

論語(310)

2013-05-20 10:24:25 | 論語
其身正、不令而行(子路第十三の6)

その身正しければ、令さずとも行われる。

(部下を持つ立場にいる人の)言動がまっとうであれば、(部下は)言いつけられなくても(職務上)やらねばならぬことはやるものです。

某国某自治体の首長の発言が波紋を呼んでいる。
儒教の教えに基づけば、「彼自身の今おかれている立場はどうあらねばならないか?」と自問することがキイになるのであろうか?
荷なっている自治体や政治団体がまっとうに機能するための言動とはなにか、熟慮してほしい。
歴史は教えます。
人間、イエスマン取り巻きが多くなると、世間が見えない裸の王様になり、とりかえしのつかぬ失態をしでかす、と。


論語(309)

2013-05-17 09:52:38 | 論語
誦詩三百、雖多亦奚以為(子路第十三の5)

詩三百を誦し、(___)、多しといえども奚(ナンゾ)もって為さん

(___)の部分には、次のような意味の文がある。

政務を担ってもなにもできず(政不達)、また使者として派遣されても一人で対応できない(使於四方不能専対)、(のであるならば)。


詩経三百を暗誦することにばかりとらわれて、それらから何かを学ばないでいると、役立たずの人間になってしまいますよ。


今、小学校から英語教育、と推進されているようだ。それはそれでいい。
しかし、年少者に対する教育のポイントは、自ら考え行動することの重要さをたたきこむことだ、と思う。

英語。確かに日本人はしゃべるのが苦手だ。そのかわり、読み書くことをあまり苦にしない。
アメリカ人から聞いたことがある。日本人一般について、会話能力に比べ筆談能力が格段に高いことにびっくりしたそうだ。

会話は誰でも、いつでもできる。しかし、論理を構成せねばならない、書く、そして読む、能力は簡単には会得できない。
日本語を大切にする教育をないがしろにしてもらいたくない。

解説員として(142)

2013-05-16 17:04:50 | 解説員日記
今日の午後解説当番であった。

午前当番の方から、今日は開店休業でした、と申しおくられた。

午後の見学者は、地元の方が、お二人をご案内で、計三人。

先をお急ぎのご様子なので、早々に切り上げた。


今日は、解説研修中のお一人が張り付いた。

次のような、自分の重視する解説姿勢を強調しながら、個々の具体的説明へのブレイクダウンを試みた。
・ 解説の無理強いはしない。
・ 見学者の興味のあるところを探す。
・ こちらも楽しむ。
・ 見学者が入場料100円を惜しまぬよう、誠意をこめる。
・ メリハリをつける。

うまくいったかどうかは不明だが、大変熱心な方で、たぶん解説員として続けていただけるように感じた。

天気予報通り、16時ごろから、ポツポツ落ちてきて、家に着いた直後本降り。
ギリギリぬれないセーフ。こんなときもある。いい気もち。

論語(308)

2013-05-15 09:29:41 | 論語
上好礼、上好義、上好信(子路第十三の4)

上、礼を好め(ば、則ち民は敢えて敬せざることなし)、上、義を好め(ば、則ち民は敢えて服せざることなし)、上、信を好め(ば、則ち民は敢えて情を用いざることなし)

(特に政治にかかわる)リーダーは、礼・義・信を第一に大切にしなければならない。

樊遲(バンチ)という弟子が、「先生(孔子)のもとで、農業を究めたい」とお願いしたところ、「私は農業技術者ではありません。(そもそもあなたは、人の上に立ちたい、と思っているのでしょう。)であるなら、」と言い、上の言葉につなげた。


某国における最近の大震災のとき、多くの人々は、リーダーたるにふさわしくない人を首相に頂くことの危うさをまのあたりにした。部分が気になり、全体を俯瞰することの苦手な人であったらしい。

一方、最近のマスコミが流すニュースの中に、某国リーダー達の、礼・義・信を軽んずる言動が目立つ。

人間なんて、2500年前も今も同じで、決して進歩することはない、と考えねばならないのだろうか?
一億人を超える人々を背負っている、という意識があまりにも稀薄すぎる。

論語(307)

2013-05-11 10:04:44 | 論語
必也正名乎(子路第十三の3)

必ずや名を正さんか

子路が孔子に、「先生(孔子)が政治にたずさわるとしたら、まずなにをなさいますか」と聞いたときの答え。

正名=名と実を合わせること。身分・立場に応じた役割を明確にすること。

名不正則言不順、言不順則事不成
個々の役割がはっきりしないと、言うことが妥当ではなくなり、そうすると、やりたい事が成就しない。


孔子の言いたいことは、官僚組織を的確に機能させる根幹は、「仕事の内容にふさわしい職名をつけよ」ということになるのだろう。
しかしまあ、これがいきすぎると、硬直した縦割り組織になってしまうし、身分格差社会の構成を助長する根拠に利用されてしまう。

いづれにしても、儒教の重要な教えのひとつ、正名論の出所がここであったらしいことを、はじめて知った。
「子路第十三の3」を重視する人をあまりみないが、この節はとても重要だと思う。

論語(306)

2013-05-10 09:16:42 | 論語
先有司、赦小過、挙賢人(子路第十三の2)

有司を先にし、小過を赦し、賢人を挙げよ

仲弓が、政府の高官になったとき、(私が心がけるべき)「政」とはどのようなものでしょうか、とたずねたときの孔子の答え。

有司=役人


まず人事ですね。こまかなことに目くじら立てず、(個々のポストにふさわしい)人材を登用することです。

これを聞いて、仲弓は「人材をどのように見つけるのでしょうか」と質問した。それに対する孔子の答えが次。

「あなたが確信をもてる人を登用すればいいのです。(そうすれば人様が)あなたの知らない人を推薦してくるはずです。」


某国の前政権は、折角念願の政権交代をやりとげたにもかかわらず、人事に失敗し、細かなことにこだわりすぎ、大局を見失った、と思う。
一方政権を奪還した現政権は、最近衣の下の鎧をみせはじめた。賢人達が離れぬよう身を引き締めたほうがよい、と思う。

特に政治にかかわる方々に論語の熟読をお勧めしたい、今日このごろである。

論語(305)

2013-05-08 08:33:18 | 論語
先之労之(子路第十三の1)

先んじ労す。

子路が「政」の要諦を質問したときの、孔子の答え。

大字典によれば、「政」の原義は次、
「人々を強く励まし、正道に導くこと」

政治にかかわる人間に求められることは、「なにがなんでも、率先して働くこと」と孔子は考えていたようだ。

子路が、もうちょっとわかりやすく教えてください、と言ったら、

孔子は、怠ってはならない(無倦)、と答えた。


国民栄誉賞授賞式の演出はアザトすぎた。が、これは某国首相取り巻きの責任か。
彼の、異常なほどの、アドレナリン分泌はまだ続いているようだ。
しかし、これだけ突っ走ると、どこかで必ず切れるはず。
その時をしのぐ方策をきちんと手当しておかないと。
「やるなら、今でしょう!」

論語(304)

2013-05-06 09:32:17 | 論語
以文会友、以友輔仁(顔淵第十二の24)

(君子、)文を以て友を会し、友を以て仁を輔(タス)く


これは、孔子が直接言った言葉ではなく、弟子の曽子が、(孔子の意を忖度して)言った言葉だが、わりに有名。

リーダーたらんとする人間は、学問をするために議論を戦わせることのできる人間を探し、そのような友人同士が、人間性を高めるために、お互いに補完しあうものである。

真の友人を得ることはまことに難しいことだが、それをあきらめてはいけない。

論語(303)

2013-05-03 09:35:25 | 論語
忠告而以善道之(顔淵第十二の23)

忠告し、善を以て之を導く


子貢が友人とのつきあいかたを聞いたときの、孔子の答え。

心を込めた諌め方ができ、(対象となる友人を)善導できるような(つきあい方)。


「忠告善道」、としてかなり知られた言葉であるが、この言葉の次が、実は、重要なのではないか、と思う。
それは、

不可則止、無自辱焉(不可なれば則ち止め、自ら辱めらるることなかれ)
(忠告や善道が)うまくいかない、と感じたら無理強いせずにやめ、(互いの)プライドを傷つけないようにすること。

つまり、孔子の理想とする友人つきあいは、互いの人間性を尊重しつつ、人間としての生き方を見つめ合うこと。


ととと、かなり大胆な、自分勝手解釈でした。

解説員ちして(141)

2013-05-02 18:50:16 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

晴れ。肌寒し。

が、見学者は予想をはるかに越え、6組、総計20人。
まるで時間を計ったように、切れ目なく見学者がおいでになったので、こちらは約2.5時間話しっぱなし。
このため、喉がカラカラ。こんなの久しぶりだ。

三鷹市民はたった二人。近隣市在住に方々もほんの数人。「しんぐるま」見学が主目的ではないものの、野川沿いの散策を目的にかなり遠くから(川崎、世田谷、東村山等々)いらっしゃるようだ。

このブンだと、明日からの連休中、かなりの数の見学者が期待される。


解説は、みなさんに満足していただけたようで、問題なくできた、と思う。

しかしあいかわらず、そば粉製造小屋の説明に対しては食いつきが悪く、心苦しい。なんとかせねば。