水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(438)

2014-03-31 10:25:36 | 論語
夫人、小童、君夫人、寡小君(季氏第十六の14)

夫人(フジン)、小童(ショウドウ)、君夫人(クンフジン)、寡小君(カショウクン)


この節は(も、かもしれません)よくわかりません。

国王の妻を、立場の違いでどう呼びちがえるか、ということを書いています。
尊敬語と謙譲語の使い分けが乱れていたので、孔子が正そうとした、というような説明もあるようです。
が、もしそうなら、仁を全うするにはカタチからはいりなさい、といっているような文で、なんとも釈然としません。

まあとにかく、

夫人(フジン)=国王が自分の妻を呼ぶときの名称
小童(ショウドウ)=国王の妻が自分自身のことを呼ぶ名称、謙譲語
君夫人(クンフジン)=国民や他国民が国王のつまを呼ぶ名称
寡小君(カショウクン)=国民が自国の国王夫人を、他国人に対して言う場合に使う名称。謙譲語


テレビの番組が大きく替わる季節になった。
言葉遣いや漢字の読み違いなどに気を付ける、出演者の新鮮な顔を見るのは楽しい。

論語(437)

2014-03-28 09:22:58 | 論語
聞君子之遠其子也(季氏第十六の13)

君子の其の子を遠ざくるを聞く。

まともな人は、自分の子供を特別あつかいしない(ということを)知りました。


この文は孔子の言ではなく、孔子の、我が子に対する姿勢を説明したものだ。

陳亢という人(弟子か?)が伯魚(孔子の息子)に、
「あなたは、私たちとは異なることを(孔子先生から)教えていただいているのでしょうか?」
と聞くと、次のよう答えが返ってきた。

「まだそのようなことはありません。以前、父の前を走りすぎた際、詩を学んでいるか、と聞かれ、まだです、と答えると、詩を学ばなければ(えらそうなことは)なにも言えないよ、と言われました。それで、詩を勉強しました。その後また父の前を走りすぎようとすると、礼を学んだか、と聞かれ、まだです、と答えると、礼を学ばなければ(えらそうなことは)なにも言えないよ、と言われました。それで、礼を勉強しました。(いまのところ、父に言われたのは)これらふたつです。」

これを聞き陳亢は、「問一得三」(ひとつの問によって、三つの(大切な)ことがわかった)と言った。その三つは、

・ 詩を学ぶこと
・ 礼を学ぶこと
・ 自分の子供を特別扱いしないこと


まえまえから思っていることですが、僧侶、政治家、外交官などのなかに、その職業が家業ではないか、と思われる人が多くいるように思えます。そういうかたがたは、やはり、立派だ、とはいえないのでしょうね~。

論語(436)

2014-03-25 09:59:39 | 論語
其斯之謂與(季氏第十六の12)

其れ斯(コ)れ之(コレ)を謂うか

あれは、このことを言うのですね~。


およそ1年前、顔淵第十二の12(2013/3/21)を読んだとき、最後の文、「誠不以富、亦祇以異」を解釈不能とした。
なんと、この語は、詩経に出てくるもので、ここ、すなわち「季氏第十六の12」の冒頭に移動させるのだそうだ。
読み方、意味は次の通り。
誠に富をもってせず、祇(タダ)異をもってす=人間は貧富の差ではないもの(つまり、精神)で評価される(べき)。


斉の景公は四頭立ての馬車を千台も所有するほど金満であったが、その死に際し民衆は悲しまなかった。
一方、首陽山のふもとで餓死した伯夷や叔斉は、いまなお、民衆から尊敬されている。

詩経に出てくる上の言葉というのは、この、景公/伯夷・叔斉の話のようなことを言っているんですよ、と孔子が説明した。


我田引水になりますが、一年前、よくわからない、といったことは、必ずしも恥ずかしいことではなかったのだと思えました。
孔子様が、わざわざ事例を挙げて説明する必要があるほど、奥深かった文であったようです。

まあそれにしても、餓死より仁や正義を優先するって、小人にとっては想像を超える事態です。
ボクにはとてもできそうにありません。

論語(435)

2014-03-24 10:39:54 | 論語
吾聞其語矣、未見其人也(季氏第十六の11)

吾、その語を聞く、未だその人を見ず

私(孔子)はそのような言葉があることは聞きました。がそのような(ことを実践する)人をみたことはありません。


孔子が「見たこともない人」とは、どんな人か?

隠居以求其志、行義以達其道(隠居してその志を求め、義を行いてその道を達する)
目立たずコツコツと努力し、(ひとたび表に出れば)正義を貫徹しつつ自分の求める道を究める


前段では、「見たことがある人」を挙げている。

見善如不及、見不善如探湯(善を見ては及ばざるがごとく、不善を見ては湯を探るがごとく)
善いと思うことはガンガンおしすすめ、良くないと思うことは熱湯に手をつけるように(遠ざける)


オリンピックで活躍した人々を見た後でも、孔子先生は、「見たこと無い」とおっしゃるでしょうか?

世の中、人知れず努力を積み重ねていつ人はたくさんいるように思います。
孔子先生が「見たこと無い」とおっしゃった御意図がよくわかりません。

論語(434)

2014-03-21 08:56:29 | 論語
君子有九思(季氏第十六の10)

君子に九思あり

まともな人間は(一般に己のことに関し、)思うことが九つある。

・視思明(見るに明を思う)=対象を細部まで見ているか?
・聞思聡(聞くに聡を思う)=人様の話を最後ま)聞いているか?
・色思温(色に温を思う)=穏やかな顔か?
・貌思恭(貌(カタチ)に恭を思う)=謙虚な態度か?
・言思忠(言に忠を思う)=誠意をこめて話をするか?
・事思敬(事に敬を思う)=自分の仕事を大切にしているか?
・疑思問(疑に問を思う)=疑問を持ったら人様に聞くか?
・忿思難(忿(イカ)りに難を思う)=怒りを爆発させたとき、周囲に与える影響を考えているか?
・見得思義(得るを見て義を思う)=手にする利得に正当性があるか?

どれもこれも、「ハイ。大丈夫です」とは答えられぬ恥ずかしさよ!


解説員として(165)

2014-03-20 17:02:31 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

しかし、見学者はゼロ。

その理由。朝から冷たい雨。しかも予報は遅くなるほど荒天。
これでは、外歩きする人があるわけない。

読みかけの本(アメリカの影、加藤典洋、2009、講談社文芸文庫)を持参、読み過ごした。

気になった部分をひとつメモしておく。

吉本隆明が書いているそうだ。
日本人の国家感:国家は国民を足元までスッポリと包み込んでいる袋のようなもの。
西欧人の国家感:国家は社会の上に聳えた幻想の共同体で、実社会より小さく、社会から分離した概念。

ウクライナを取り合っている西欧諸国の基本哲学がこれか、と感じた次第です。

彼らは戦国時代にいるようなもので、スキがあればぶんどる、強いもの勝ちなのです。
某国も、スキをみせたらやられますよ、ということでしょう。


論語(433)

2014-03-18 11:20:15 | 論語
困而不学、民斯為下矣(季氏第十六の9)

困(クルシミ)て学ばざる、民これ下(シモ)となす

悩んだときに学ばないような人は(人間として)最下等である。


では上には何があるか? 孔子は、上、次、其次として、次のように挙げている。

・上:生而知之者=生まれながらにして之(人間としてのありかた)を知っている人
・次:学而知之者=学ぶことによって知ることができる人
・其次:困而学之=悩んだ末に学ぶ人


これら四種のうち、人間として最も価値があるのは、どれでしょうか?
孔子はこういうとき、自身の考えを言いません。自分で考えなさい、ということでしょう。

「上」は神様・聖人のたぐいでしょうから、論外。
「下」は、やはり、「考える葦」を放棄しているわけですから、人間として論外でしょう。
「次」に該当するような人はいるでしょうか?まともであれば、学べば必ず困(クルシム)に違いありませんから、現実世界にはいそうもありません。

ということになると、「其次」が、世間一般の人々、ということになりそうです。
孔子様が、人間として生きようと思ったら「悩む」そして「考える」という過程を避けてはならない、と言っているように感じる節です。


 

解説員連絡会(24)

2014-03-17 16:53:17 | 水車解説関連
3月11日に開催された、標記会議の議事録が送付されてきた。

出席しなかったため、熟読(最近のいつものことだが~~~、お恥ずかしい)。

・ 4~6月のスケジュール確認。当たっている当番日、すべてOK。人様に迷惑かけぬよう、注意せねば。

・ 新しく、万力(歯車)6点が展示される。説明法を考えねば。

・ 川向うの箕輪家の公開は、平成27度のようだ。楽しみだ。

・ 運営が定常段階に入り、解説活動に大きな影響を与えるような変化はなさそうだ。
全体としての役所の姿勢に、細かなところまで目を行き届かせよう、との意気込みが感じられ、心強い。

・ 問題は、見学者数の頭打ち、かもしれぬ。もうちょっと派手に宣伝してもいいと思う。

論語(432)

2014-03-14 09:17:22 | 論語
君子有三畏(季氏第十六の8)

君子に三畏(サンイ)あり

まともな人間には三つの畏(オソ)れがあります。
畏れ=つつしみかしこまること

・ 天命=天から与えられた使命。寿命。宿命
・ 大人=人格者
・ 聖人(=人格の理想を具現化した人。儒教の場合は尭・舜か?)之言

反対に、まともではない人(小人)は、

・ 天命を、知らず、畏れない(不知・不畏)
・ 大人になれなれしすぎる(狎)
・ 聖人の言をかろんじる(侮)


上り調子の、イケイケドンドンの、時代を泳いできた小人が、いまさら言うのもおこがましい限りですが、
やはり人間謙虚でありたい、としみじみ感じる節でした。

論語(431)

2014-03-12 09:37:30 | 論語
君子有三戒(季氏第十六の7)

君子に三戒あり

君子たるべき人に関して、戒めが三つある。

①少、血気未定、色
年少時は生命力が不安定なので、戒めは色(男女の情)。

②壮、血気方剛、闘
壮年時は生命力が強いので、戒めは人様とのあらそいごと。

③老、血気既衰、得
老年になったら生命力は衰えていくので、戒めはむさぼり。


少子高齢化が急激に進行している某国では、年寄りが威張りすぎているきらいがある。
老い先短い老人が、土地だ、金だ、車だ、食い物だ、菓子だ、薬だ、医者だ、なんだかんだガツガツむさぼるのは、確かに醜い。

③の原文は次の通り。老人の座右の銘に、なかなかいいと思いますが。

及其老也、血気既衰、戒之在得
(其の老いたるに及んでは血気既に衰えり、之を戒むること得にあり)

論語(430)

2014-03-10 10:52:32 | 論語
侍於君子有三愆(季氏第十六の6)

君子に侍するに三愆(サンケン)あり

愆=あやまち、それも料簡違い

君子にお仕えする人がおかす過ちとして三種挙げることができる。

・ 躁(ソウ)=言うべきがきていないのに、ペラペラしゃべる
・ 隠(イン)=言うべきときなのに、しゃべらない
・ 瞽(コ)=場の状況をわきまえず、しゃべる


「言うべき時に言わず、言ってはならない時に言ってしまった」人生であったなあ、とつくづく思う。
聡明な人は、「口は禍の門」を肝に銘じているらしく、一般に、言葉が少ないらしい。

しかしまあ、おかれた場の状況を正しくわきまえる、って本当に難しいですよね~、孔子先生。

FC東京2014(1)

2014-03-09 09:29:54 | 雑感(3)スポーツ
昨日、友人におつきあい願い、FC東京の味スタでの試合を見にいった。

・ 毎年のことだが、今年こそ優勝戦線に居続ける、と期待している。
・ が、昨日の試合はいただけなかった。

感想は以下のとおり、

・ 4・3・3 システムが十分機能しているとは思えない。監督の説明が悪いのか選手の能力が足りないのか?

・ 急いで修正してほしい点がふたつ。
・ FWの攻撃。相手守備陣形を崩す努力が足りない。もっと動かないと後ろからパスが出せないでしょう。
・ 左サイドの守備。ここを徹底的に突かれているのに対応が遅すぎる。監督はなにをみていたのか?

まあ、とにもかくにも始まったばかり、カッカせず気持ちをおおらかにして、今年も応援を続けたい。


解説員として(164)

2014-03-06 16:51:48 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

快晴だが、北風強く寒し。


見学者ゼロ。ただし、下のような来場者一名あり。

・ 雑誌用(と言っていた)の写真撮影ロケハン。
「この家屋が気に入ったのですが、使わしてもらえるでしょうか?」
「生涯学習課に相談してください」


啓蟄や 指先しみる 寒さかな

家人の忠告を聞かず、自転車で往復したのだが、震え上がった。反省!



論語(429)

2014-03-04 09:53:47 | 論語
益者三楽、損者三楽(季氏第十六の5)

えきしゃさんゆう、そんしゃさんゆう

人間の楽しみ(好み)には、人格形成によいものとそこなうものとが、それぞれ三種ある。

益者が好む楽しみ
・ 礼楽(先祖や神々をうやまう祭祀儀礼)
・ 道人之善(人様の良い面を話題にすること)
・ 賢友(賢い友人)が多いこと

損者が好む楽しみ
・ 驕楽(横柄な態度)
・ 佚遊(イツユウ、怠け遊び)
・ 宴楽(酒盛り宴会)


振り返れば、ついつい高慢な態度をとり忌み嫌われ、怠け者と言われ、酒盛り宴会にうつつをぬかした、「とりかえしのきかない反省」の人生でした。

論語(428)

2014-03-03 14:26:59 | 論語
益者三友、損者三友(季氏第十六の4)

えきしゃさんゆう、そんしゃさんゆう

自分の人格形成に影響する友人について、益する人と損じる人と、それぞれ三種挙げることができる。


益者
・直=正直なこと
・諒=誠意を尽くすこと
・多聞=博識なこと

損者
・便辟(ベンヘキ)=不正直なこと
・善柔(ゼンジュウ)=不誠実なこと
・便佞(ベンネイ)=小才がきいて立ち回りがうまいこと