水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(47)

2009-05-30 16:12:50 | 解説員日記
 今日の午前は、解説当番であった。がしかし~~~~~。
一昨日からの、梅雨の走り、が今朝まで続き、降りっぱなし。

前回に引き続き、見学者一名、説明機会なし。
記録簿を見たら、きのうもおとといも、見学者ゼロであった。
長いこと同じ事をやっていれば、こんなこともあるさ、パートツー。

土曜日の施設管理は、ある大学に関係する若い方々が担当している。今日の担当者は、知識欲旺盛でたのもしいかぎりの、やりはじめの人であった。
若さがうらやましい。

 写真は竜源寺門前にある、近藤勇墓碑。彼については、このブログに、だいぶ前書いたような気がし、探した。昨年の2月20日に記事以外に見つけられなかった。消してしまったようだ。もういちど、書き留めておくべきかもしれぬ。



 

末摘花

2009-05-28 09:32:21 | 72候
 二十四節気をさらに細分した、七十二候という季節分類がある。これだと、確か、今頃は麦秋だ。

麦秋のひとつ前が、紅花、だったか。

 紅花といえば末摘花、末摘花といえば源氏物語のシコメ話、「花が紅い」と「鼻が赤い」と掛けたあだ名、とか。本当かな?

 読んだことも無く、単なる聞きかじりからの連想で、書くのは問題だ。やめた。

とにかく、これから書く種に、七十二候も入れようと思う。


ビン

2009-05-26 13:14:46 | 雑感(5)その他
 何日か前、アルカリがアラビア語だ、と書いた。アルコール、とかアルゴリズムとか、自然科学系統の言葉の源がアラビア語に多いのは興味惹かれる。古代中近東における、文明度の高さが背景に存在していると思う。

 ところで、ビンラディンと言えば、あああの人、と誰でもわかる人だ。日本だけでなく、アメリカのマスコミさえ、かの人を「ビンラディン」と呼ぶ。ところが、アラビア人に対し、ビンラディンというと、「どのやつ?」とか「何番目?」とか、聞き返してくるらしい。

 ビンは息子と言う意味で、ビンラディンはラディンの息子の意、だそうだ。
名門ほど遠い先祖に遡れるのは洋の東西を問わないそうだが、アラブ系では、名前にビン~~をつけて先祖に遡るようだ。例えば、ウサマビンラディンビンアジズビンカーリッド。カーリッドの息子、の息子アジズ、の息子ラディン、の息子ウサマ、のように。

 このような名前のつけかたから、容易にわかるように、彼らの同族意識は極めて高い。その人脈を使えば、かの人を押さえることは簡単のはずだ。
ところが、世界の大勢はそれをしない、させない。なぜか?世界中のどこかに不安定要因の存在が必要だから。なぜか?

 

解説員として(46)

2009-05-24 15:03:03 | 解説員日記
 朝から雨、しかもしょぼしょぼ雨。昨夜聞いた天気予報は、確か、午後ないし夜に強めの雨が降るかも、であった。
日本の天気予報は難しい、とは思うが、こうも見事にはずれるとは。家に帰ってきたら薄日が差し始めた。的中率を調べて発表してほしいと、文句のひとつも言いたくなる。というのは、午前、解説当番であったから。

 見学者は一人。解説の機会なし。
まあ、たまには、こんな日もあるさ。

 対岸の、ほたるの里では、たんぼの代掻きを、20人ぐらいでやっていた。

 写真は竜源寺の山門。随分と立派になったものだ。左手に、近藤勇の墓碑、および胸像が、整えられた。見学者が多いのだろう。

アルカリ釉

2009-05-22 09:31:10 | 雑感(5)その他
 古代中近東の陶器をみていると、釉薬はアルカリ釉、と説明されていることが多い。

 アルカリはアラビア語であって、アルが定冠詞、カリは木灰だそうだ。なーんだ。

 が、これがなかなか奥深い。例えば、トルコの焼き物の色に緑がかった青がある。これはアルカリ釉に酸化銅を混ぜた釉薬だそうだ。ん!木灰に酸化銅を混ぜたら、日本では、織部の緑ではないですか。なぜ、緑がかった青と緑とに、違いがでてくるのでしょうか。どうも、トルコの木灰の中に含まれる鉛の多さが影響しているらしい。

 木は土中のミネラル成分を吸い上げる。したがって、木灰の成分はその土地のミネラル成分を反映する。とすると、土中のミネラル成分は地域毎に微妙に異なるはずである。この異なりが、陶器の地域性のもとになっている、と考えたい。
人工的に合成された釉薬の風合をものたりなく感じるのはこんなところに原因がある、と一人合点している。

 上で使った「アルカリ」は、我々が通常化学で使う、「酸・アルカリ」のアルカリと同じ。念のため。

四国

2009-05-19 09:20:43 | 雑感(1)日常
 先週は、我が家恒例の旅行をした。今年は四国。新神戸から新幹線で帰ってきた。ちょっとかすめただけとはいえ、例のインフルエンザに感染しているかもしれぬ。昨日のクラス会出席が心配。今週は出歩かぬよう用心する。

 旅行での印象をいくつか書く。

・鳴門の渦潮
 鳴門大橋の上から渦潮を見た(写真がそれ)。入場料500円。大潮期の引き潮時であったので、見ごたえがあった。ただし、風が強く震え上がった。入場時に暑かったので油断したこちらが悪いのだが、切符売り場で現場の体感温度を知らせてくれるとありがたい。

・大塚国際美術館
 「すごい」とは聞いていたが、これほどとは思っていなかった。午後だけの半日ではとても見切れない。最短でも一日かかる。再度行く機会ができたら、二日は見ていたい。
 世界の歴史的名画1000点以上を、陶板画に複製し、展示している。本物を見ることも大切であるが、素人にとっては、この複製品を静かな環境で見れば十分満足。圧倒される迫力だ。
 美術館の名を「国際」というより「西洋」とするべきかもしれぬ。キリスト教関係の宗教画が多すぎる、と感じた。もっとも、東洋のものも、そのうち展示するつもりなのかもしれぬ。もしそうなれば、国際的な観光名所になることうけあいだ。
 
 ・高速道路
 松山から徳島まで高速道路を使った。「僕の前に見通す限り車はいない。僕の後ろにもずーっと車はいない」状態が何度もあった。がしかし、その夜のニュースで、徳島県知事が、「渋滞発生の可能性があるので、全線二車線にしてほしい」と国土交通省に陳情していた。よくわからん。生活物資の物流に渋滞が発生しては大変だ。が、観光目的の車が高速道路上で渋滞しても、どうってことない。もしソレが心配なら、在来の道路ネットワークシステムを充実させるべきではないの?

 ・お遍路さん
 歩き遍路をなさっている方を大勢見た。徳島あたりでは、まだ初々しい姿だが、松山あたりでは、いかにもくたびれた姿に変わっている。特に持ち物が劇的に少なくなっているのが印象的であった。歩いているうちに、持ち物をどんどん削っていくのだと思う。

 ・砥部焼
 これもなかなかのものだ。なにごとにおいても全国一律化が進み、地域性が薄れていく時代、どこの陶器作りも地域性にこだわっている。今回、砥部焼が船乗りに密接に関係していることを教えていただいた。大収穫。

 ・水車
 淡路島で、一箇所、朽ち果てかけた水車を見た。が、写真を撮るのを忘れ、悔いを残している。

 

クラス会

2009-05-18 08:38:07 | 雑感(4)思い出
 記事書き込みをしばらくさぼってしまった。

 
 昨日は中学三年生(三鷹一中)時のクラス会に参加した。幹事の方々の御努力により毎年開催されているが、欠席を続けていた。今回は、先生の喜寿ということもあって、出席した。50年振りの再会を喜んだ友人が二人もいて実に楽しかった。その一方、悲しい訃報も聞くことになる。年を取った者の宿命か。

 順番にやらされるスピーチで、つぎの話を披露した。

 夏休み中に級友4人で雲取山に行った(野営一泊)時、何時に帰着するか不明の我々を、驚くなかれ先生は、立川駅で待っていてくださった。
今思い起こすと、あの時先生は、最悪事態の発生までを想定し、その事後処理や責任をどう取るかを準備した上で、我々を行かせてくれたに違いない。恥ずかしながら、この年になってやっと、あの時の先生のお気持ちの一端を理解できたつもりになっている。遅きに失していることは重々承知しているが、今、心の底から感謝申し上げます。

 当然のことながら、というか、先生は「なにも覚えていない」とおっしゃった。たとえ、覚えていたとしても、こう答えることが教育者としての矜持(誰かが最近お使いになった言葉ですな~)だと思う。あらためて、この先生に出会えた幸運を強く感じた。


まあなにはさておき、旧友達と、残り少ない日々を悔いなく生きねばならぬ、と誓い合った日であった。
 

解説員として(45)

2009-05-03 17:24:50 | 解説員日記
 今日の午後は解説当番であった。

 多数の見学者が予想されたからであろうか、3人体制であった。がしかし、見学者の来場は、途切れることなく、また一時的に溢れるようなこともなかった。解説しやすい一日であった。総計百人になったかどうか。

 対岸(つまり、野川左岸)を下流から上流に向かって歩く人が途絶えることがなかった。どこかが主催したウオークラリーだったか。このグループがこちら側を歩いていたら大変なことになったろう。クワバラクワバラ。

 今日は子供さんへの説明がよくなかった。彼らの顔をこちらに引きよせる力が足りない。反省だ。なんか、考えなくては。

 思い返すと、日によって解説の力点の置き場が微妙に異なる。意識してやっているわけではないが、我ながら不思議だ。今日は気がついたら、動態保存の主要な意義が技術やノウハウの伝承ある、と強調していた。
市役所の覚悟の程を感じているからかもしれない。

 閉館時刻直前にお見えになった女性が、気になり、話しかけた。二小卒業で、当時の友人に会えないか、と歩き回っているとのこと。同窓会でもあるのだろうか。
「気になった」のは、多分、彼女の「浦島太郎」気分(びっくり、心細い)を感じたからだったか。
確かに、この辺の変貌振りは半端ではない。

  

 


ペルガモン展ボランティアガイド(23・最終回)

2009-05-02 17:20:19 | ペルガモン展関連
 今日の午後は、標記ガイドであった。が、ガイド役が総計3名になっていたので、遠慮し、早々に切り上げた。
2名で十分。ガイドがそれ以上多いと、見学者の目障り、邪魔になるだけ、と思う。

 この企画展は5月6日で終了。当方のガイド役は、今日でおしまい。
担当学芸員に、ご指導いただいた御礼を申し上げた。彼らの展示準備の大変さが最も印象に残った。

 終了が近づいていること、連休中であること、などが理由であろうか、今日は、多数(といっても100名未満か)の見学者で賑わっていた。

 振り返れば、このガイドを始めるきっかけは、昨年秋の三鷹ネットワーク大学講座聴講であった。当初持った二つの目的に関し、結果は満足。ハナマルだ。

 「イスラム期以前の中東の歴史を知る」という第一の目的については、実に楽しい勉強をさせてもらった。面白すぎて、はまりそうである。

 「解説方法のスキルアップ」という第二の目的については、「王道なし」が結論。展示物やその背景について、真剣に勉強すればするほど、そして、その全てを話してはいけないこと、が見学者を引き込む、コツといえばコツだ。
 見学者の専門性や興味の対象は、ひとりひとり異なる。その辺を探りながら話をする緊張感というか、ある種のスリルは、正直楽しかった。

 3000円を払い、ギャラリーメイト会員になった。これからは見学者として勉強する機会をなるべく多く作ることにしよう。