先週、なんとなく閉塞感を覚える今、なんて書いた。なんでこんな世になったのか?
蘆花著、標記文庫版下、P72から、ヒントを与えられた。明治45年7月に書かれたもので、小文のタイトルは、「有たぬ者」。「有」を「も」と読ませる。つまり、「有たぬ者」は「持たぬ者」のことだ。文頭は次で始まる。
「新宿八王子間の電車線路工事が始まって、大勢の土方が入り込み、村は連日戒厳令の下にでも住むように恐恐として居る」
京王線の敷設工事に動員された作業員達の傍若無人振りは、他のページでも言及されている。確かに子供のころでも、彼ら達の荒々しい雰囲気は、残っていたような気がする。
上の小文、中段で彼らのことを次ぎのように述べている。
「失うものがないから、彼らは恐るることを知らぬ。生存競争の戦闘に於いて、彼らは常に寄せ手である。唯進んで撃ち而して取ればよいのである。守るというは、有つ者のことである。守るというは、己に其第一歩に於いて敗北である。」
そう、今の世、老人が増え、全体が守りの態勢に入っているのだ。
都知事が声高に、オリンピック招致の旗を振るのは、このような閉塞的守りの現状を憂い、打破させようとしているからか。
そして、毎度のことだが、蘆花の小文、文末に唸る。
「有たずに強い彼らも、有てば弱くなるおそれがある。世にも恐ろしい者は、其生命さえも惜しまぬのみか、如何なる条件をもって往っても妥協の望みがない人々である。ーーーーーーーーー。其一切を獲ん為には、有てる一切を捨てて了う位は何でもない。耶蘇も仏陀も其恐ろしい人達である。」
蘆花著、標記文庫版下、P72から、ヒントを与えられた。明治45年7月に書かれたもので、小文のタイトルは、「有たぬ者」。「有」を「も」と読ませる。つまり、「有たぬ者」は「持たぬ者」のことだ。文頭は次で始まる。
「新宿八王子間の電車線路工事が始まって、大勢の土方が入り込み、村は連日戒厳令の下にでも住むように恐恐として居る」
京王線の敷設工事に動員された作業員達の傍若無人振りは、他のページでも言及されている。確かに子供のころでも、彼ら達の荒々しい雰囲気は、残っていたような気がする。
上の小文、中段で彼らのことを次ぎのように述べている。
「失うものがないから、彼らは恐るることを知らぬ。生存競争の戦闘に於いて、彼らは常に寄せ手である。唯進んで撃ち而して取ればよいのである。守るというは、有つ者のことである。守るというは、己に其第一歩に於いて敗北である。」
そう、今の世、老人が増え、全体が守りの態勢に入っているのだ。
都知事が声高に、オリンピック招致の旗を振るのは、このような閉塞的守りの現状を憂い、打破させようとしているからか。
そして、毎度のことだが、蘆花の小文、文末に唸る。
「有たずに強い彼らも、有てば弱くなるおそれがある。世にも恐ろしい者は、其生命さえも惜しまぬのみか、如何なる条件をもって往っても妥協の望みがない人々である。ーーーーーーーーー。其一切を獲ん為には、有てる一切を捨てて了う位は何でもない。耶蘇も仏陀も其恐ろしい人達である。」