水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(171)

2016-02-29 11:10:25 | 古今和歌集
36 鶯の笠にぬふてふ梅の花 折りてかざさむ 老かくるやと
むめの花ををりてよめる
東三条の左のおほいまちうちぎみ(源常)

梅の花の咲いた枝ぶりを花笠、それも鶯が縫い上げた梅の花笠、というのだそうですが、せっかくこんなきれいな枝ぶりをみせてもらっているので、ちょっと失敬し、折ってかざそうと思います。そうすると、私の、みにくい老顔を隠すことができそうだから。


この歌の元歌的な歌が、古今集の巻末ちかくの、神遊びのうた、に示されている。
それが次

青柳を片糸によりてうぐひすの縫ふてふ笠はむめの花笠
返しもののうた

鶯が、しだれ柳の若葉を糸に使って、梅の花を花笠に織っています。


古今集以後今日まで、鶯、梅、花笠、青柳を読み込んださまざまな詩歌が創作されています。
以上の背景を知ったうえで、それらを解釈する必要があるわけです。
ひとつだけ例を挙げておきます。

鶯の笠落としたる椿かな 芭蕉
椿の花がいくつも落ちていますが、もしかしたらこれらは、鶯が織り上げた花笠かもしれないですね~。
上の背景を知っているといないとでは、連想する世界がぜんぜん異なります。


詩歌の鑑賞って、なんとも奥深いものだ、としみじみ実感したところです。


蛇足ですが、東三条の左のおほいまちうちぎみ(源常(みなもとのときわ))の死亡年齢は42才です。
なかなかの人物であったようですが、歌からも品性のまともさ、を感じます。
そして、わが身の老いを恥ずかしく感じ、もするのです。

古今集(170)

2016-02-24 09:07:35 | 古今和歌集
41 春の夜のやみはあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる
春の夜の梅の花をよめる
みつね

春の夜の闇夜というものはおかしなものです。梅の花の色は、確かに、判断できませんが、香りをかくすことはできませんよね~。


前回の歌の次に示された歌で、これら二首をならべて状況を想像するに、男の求愛の場、と理解される。


古今集の春の歌を見比べていると、この時代の上流人は、梅の香りに興味があったように感じる。

例えば、
33 色よりも香こそあはれとおもほゆれ たが袖ふれしやどの梅ぞも
題しらず
よみ人しらず

梅というのは、その色よりも香りのほうが価値があるように思う。だって、高貴なお方の袖に触れたように感じるのですもの。


梅の鑑賞は今、だと思うのですが、とても外出する気分になりません。だって、寒いのですもの。

昔の人々は、今の人々より(もとい、私より)、ずーっと寒さに強かったのですね~。

古今集(169)

2016-02-22 10:27:45 | 古今和歌集
40 月夜にはそれとも見えず 梅の花 香をたづねてそ知るべかりける
月夜に「梅の花をを折りて」と、人のいひければ、折るとてよめる
みつね

月夜だと梅の花の咲いている状況がよくわかりません。しょうがないので、カオリの強い枝を折ることにしました。


今夜あたりが、満月でしょうか。
そんな満月の夜であっても、この時代は梅の花の様子を見分けることができないほど暗かった、と理解できます。

おそらく、あいびき相手の部屋で女性に、「梅を一枝ほしいのですけど~」といわれ、足元もおぼつかないくせに庭に出たのでしょう。

相手の心の内を見極めようとする、女性のしたたかさ、と、それにまんまと引っかかって、ノコノコ外に出る男性の甘さが、よくあらわれた歌、と感じました。

古今集(168)

2016-02-18 10:42:49 | 古今和歌集
19 春日野の烽火の野守いでてみよ 今いくかありて若菜つみてん
題しらず
読み人しらず

烽火=トブヒ、のろし。いくか=幾日

ちょっとちょっと、春日野原にある烽火台(ホウカダイ)の守衛さん!外に出て野原の状況をみてください。あとどのくらいで若菜つみに出かけられるでしょうか?


待望の春がやってきた喜びにあふれた歌で、こちらもウキウキする。


烽火台は、その設置網を整備することによって、地方での出来事をすみやかに中央に知らせることができる。つまり古代では、それは中央集権体制を確立するために必要不可欠なものであった、と思う。

西暦733に書き上げられたとされる、出雲国風土記に「烽」はしっかりと記載されている。

この歌がいつごろの時代かはよくわからないけれども、古今和歌集が編集された、西暦900年ごろ、春日野には守衛をおいた烽火台が存在していた、と理解でき、興味深い。

おそらく、西暦700年ごろから何百年にもわたって、地方から中央へ烽火台を使った緊急報告がなされたことであろう。
例えば、どのような報告がなされたのであろうか?
一体全体、どのくらいのスピードで伝達なされたのだろうか?

探しているのですが、この辺のことを書いた本を見つけることが、まだできません。

古今集(167)

2016-02-15 10:43:37 | 古今和歌集
8 春の日の光にあたる我なれど かしらの雪となるぞわびしき
二条のきさきの東宮の御息所ときこえける時、正月三日おまへにめして、仰せ言あるあいだに、日はてりながら雪の頭にふりかかりけるをよませ給ひける
文屋やすひで

(あなたさまという)春の光のようなお方のおそばにおつかえする栄耀に浴する私ではありますが、頭の毛には白髪がはえてきていて、イヤハヤなんともわびしい次第です。


このあいだ紹介した、二条の皇后、に関連した歌。
文屋康秀が二条の皇后に呼ばれ、「太陽が照っているのに雪が舞っている状景を歌に詠んで!」と言われて、提出した歌。

呼んでくださった方を「春の光」と持ち上げ、自らの加齢を謙遜している。とっさに詠ったのでしょうが、さすがプロ、と思わせます。


先日、古い友人お二人と、久しぶりに会った。加齢に伴う体力の衰えを、互いに隠すこともできず、年月の経過をしみじみ感じました。
日中の都心であっても、闊歩する老人がやたら多く、この国の将来がやたら心配になりました。
そのように友人に話たら、「むこうも、こっちを見て、同じことを言っているよ!」ですと。

やすひでさんのように、謙虚に息をしなければ、と思っています。




古今集(166)

2016-02-12 09:11:23 | 古今和歌集
4 雪のうちに春はきにけり 鶯のこほれる涙いまやとくらん
二条のきさきの春のはじめのお歌

雪がまだ残っているというのに立春がきました。凍っていたであろう鶯の涙もここで溶け出すことでしょう。


ちょっとした興味から、このお后さんの時代を調べたのですが、とんでもないところに手をつけた、との思いです。
天皇家をめぐる藤原一族のドロドロ政争、まさにその中心におられるような方でした。

9歳の清和天皇の後室に、藤原北家の方針で、18歳で入れられてしまったのです。
見目麗しかったらしく、在原業平と恋の道行をしたらしい。
清和天皇とのあいだにできた子供は、陽成天皇と呼ばれる人ですが、これが臣下に嫌われ廃位されてしまいます。
50歳ごろ、坊さんとの色恋沙汰が発生(もしかしたら濡れ衣)します。

とにかく、大変波乱にとんだ一生をお過ごしになられた女性です。


そんな背景を知ったうえで、上の歌を読み返すと、歌の真意がどこにあるのか、ナゾの多い歌、と感じます。


和歌にしても、俳句にしても、結局は、読者個人個人の受け止め方の集約が、評価の基本になるのでしょうか。

古今集(165)

2016-02-08 10:43:27 | 古今和歌集
11 春きぬと人はいへども 鶯の鳴かぬかぎりは あらじとぞ思う
春のはじめの歌
みぶのただみね

春がきたぞ、とみなさんおっしゃるけれど、鶯の声が聞こえぬかぎり、私はまだ春がきたとは思いません。


今日は、旧暦の元旦、4日が立春でした。
今朝の日差しの強さは、やはり、冬のものではなく春を思わせます。

鶯とまではいきませんが、梅もちらほら咲きはじめました。
旧暦は季節変化を正確に反映して、いいですね~。


古今集(164)

2016-02-04 10:52:46 | 古今和歌集
338 わがまたぬ年はきぬれど 冬草のかれにし人はおとづれもせず
ものへまかりける人をまちて、しはすのつごもりによめる
みつね

(こんなに年をとっちゃって、)新年なんてきてほしくないのにきてしまう。それなのに、来てもいいな、と考えている人は来もしません。


醍醐天皇に絶賛された凡河内躬恒でも、年齢を重ねてしまえば、ただの人となって、世の中から忘れ去られてしまう。
そんな、加齢に伴う悲哀みたいな気分を感じさせる歌です。


今日は立春、旧暦の12月26日です。29日が「つごもり」です。
旧暦のほうが、季節感があって、いいように思うのですが~~~。

それにしても、例の「爆買い大集団」が、かの国からおいでになるのでしょうか?
スッタモンダなしの、おもてなし、を期待します。

そして、これを横目に、お隣のお国では、観光事業での巻き返しを図るべく懸命のようです。
特に今は冬季五輪準備に集中しているのでしょうか。
アルペンスキーのテストイベントが2/6開催されるようです。
100台を越える降雪機でコースは完成したそうですが、付属施設にいろいろ問題があるようです。



古今集(番外1)

2016-02-01 13:37:42 | 古今和歌集
照る月を 弓張りとしも いふことは 山辺をさして いればなりけり
月を弓張りといふ心は、何に心ぞ。これがよしつかふまつれ(醍醐天皇)
凡河内躬恒

半月となっている月のことを「弓張り」というのは、あたかも弓が山辺に向かって射ようとしているように見えるからです。


古今和歌集は、醍醐天皇の命令によって、勅撰和歌集としての編集がはじまった。編集委員の一人である凡河内躬恒が、天皇みずからのお声がかりで、課題を与えられ、詠んだ歌。(この時代の身分制度のもとでは、躬恒にとってとんでもない栄誉。フルエて詠んだことでしょうが、さすがプロ。見事な歌だと思います。)


たまたま、大鏡を読んでいたら、上の歌にぶつかった。


さて今日の課題はここから。

新聞の天気予報の覧には、月の満欠の図が出ている。しかし、上弦の月、下弦の月、を区別したものを見たことがない。
折角大事な紙面を使っているのであるから、上弦/下弦の区別を図として示すべき、と常々思っている。
(投書すればいいのに、そんな勇気がない)

月没近くの月の状態を見たときに、弦の部分が上(丸い部分が下)にある月を「上弦の月」、弦の部分が下にある月を「下弦の月」という。
そして、新月と満月の間が「上弦の月」で、満月と新月の間が「下弦の月」と、昔、理科で習った。

さて、今日の本当の課題。
上の歌を詠んだ躬恒さんは、上弦の月を想定したんでしょうか?それとも下弦の月でしょうか?

どっちも「アリ」でしょうかね~。愚問でした。