水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

日n名残り(31)

2018-05-31 15:24:29 | 日の名残り
I had expected the room to smell of death, but on account of Mrs Mortimer - or else her apron - the room was dominated by the smell of roasting.

私は部屋には死臭があるものと予期していましたが、 ミセス・モーティマーの - あるいは、エプロンの - おかげで、 部屋には焼肉の香ばしさが立ち込めていました。


ダーリントンホールでの重要な国際会議の最中に、執事のスティーブンス氏の父親が倒れた。忙しさの合間をぬって、父の枕頭に立ったとき、そばにいた料理長の、ミセス・モーティマーさんにしみついた、焼肉のにおいが鼻についた。


場の状況に全く関係のないことが、ふと思い浮かぶことがよくある。父親の死に直面し、緊張しているからに違いない状況をたくみに表現した一節だと思う。


(身辺のあわただしさにまぎれ、ブログ更新を怠った。「日の名残り」はかならず、読破するので、ご期待願います)

日の名残り(30)

2018-05-18 11:52:12 | 日の名残り
'In my opinion,' Mrs Mortimer said, 'He's suffered stroke. I've seen two times and I think he's suffered a stroke.' With that, she began to cry.


「卒中ですよ」ととミセス・モーティマーが言いました。「卒中の人はこれまでに二人見たことがありますからね。私の考えでは卒中ですよ」そう言って、泣き始めました。


執事として頑張らねばならぬ、重要な会議のまさにどまんなかで、自分の父親である副執事が倒れた。ミス・ケントンの好意あふれるケアがなされたのであるが、容体がさらに悪化した。
会議の場から急遽父の枕元に駆け付けたときの、コック、ミセス・モーティマーの言が上。
父の顔は、いままで見たこともないような、赤みがかったどす黒い色をしていた。
スティーブンス氏は仕事を優先し、「悲しいことだが、もどらねばならぬ」と、会議場にもどった。


年齢を重ね、社会のオミソとして毎日を過ごしていると、責任ある仕事にたずさわっていた、あのころが無性になつかしくなることがある。
同時に、そのころの失敗を突然思い出し、「ウッ」とわめき、家人にいぶかしがられる時もある。

人それぞれ、さまざまな生き方をしてきたのだ。




日の名残り(29)

2018-05-12 10:57:49 | 日の名残り
Once my father had been laid in his bed, I was a little uncertain as to how to proceed; for while it seemed undesirable that i leave my father in such a condition, I did not really have a moment more to space.

父をベッドに寝かせたあと、私はどうしたものか迷いました。この状態の父を残していくことは望ましくないとはいえ、私にはもう一瞬たりとも余分な時間はありません。


ミス・ケントンが、この場を、「私がしばらく付き添いましょう」といって、救ってくれた。
彼女とは、様々な場面で衝突してきたのだが、このことで、スティーブンスー氏の、彼女に対する気持ちが微妙に好転するのだ。

スティーブンス氏の父親の年齢は72歳。

この私、72をはるかに超える年齢に達しています。
いつ何が起こってもいいように、身辺をきちんとしておかねばなりません。





日の名残り(28)

2018-05-07 15:58:20 | 日の名残り
the first footman had come hurrying down the staircase in some distress to inform me that my father had been taken ill upstairs.

下僕頭が青ざめた顔で階段を駆け下りてきて、父が上で倒れたと言った。


1923年3月の最終週に、国際会議がいよいよ始まったのであるが、まさにその初日、忙しい最中に、スティーブンス氏の父である、副執事が、仕事中のに倒れたのだ。

よりによって、とんでもないときにとんでもないことが起こってしまった。

スティーブンス氏の綱渡りの執務が始まる。


でも、こいうことって、我々の日常でも、よくおこるような気がします。


冗談的には、マーフィーの法則って言うのでしたっけ。

ワタクシ的には、すんなり過ぎ去りたい、これからの数か月です。



日の名残り(27)

2018-05-03 20:31:03 | 日の名残り
Some were gentlemen who felt strongly, like his lordship himself, that fair play had not been done at Versailles and that it was immoral to go on punishing a nation for a war that was now over.

(ダーリントン)卿ご自身と同じく、ベルサイユではフェアプレーが行なわれなかったと感じ、戦争が終わってからも敗戦国を罰し続けるのは道徳的のもとる、という方もおられました。


スティーブンス氏が思い出にひたっている、ひとつの出来事が、ダーリントンホールで行われた国際会議の裏方仕事であった。その会議での主要な議題は、第一次世界大戦後に締結されたベルサイユ条約の過酷さの緩和にあって、ダーリントン卿はなんとかしたい、と汗をかいたのだ。


ドイツは、二度も完膚なき状態にまでつぶされてもよみがえってしまったのであるが、本当にすごい国だと思う。
そういえば、この国も、一度ひどい目にあって、今日までよみがえってきた。しかし、今後はどうなるのだろうか?

日の名残り(26)

2018-05-01 11:24:26 | 日の名残り
It was one of those events which at a critical stage in one's development arrive to challenge and stretch one to the limit of one's ability and beyond, so that thereafter one has new standard by which to judge oneself.

ある人の発達の決定的段階に何事かが起こり、その人の能力の限界に挑み、それを拡張させます。その何事かを克服した人は、それ以後、新しい基準で自分を判断することになります。


ダーリントンホールでの、初めての重要な国際会議を支える立場にある執事のスティーブンスは、ただでさえシッチャメッチャカであるのに、最も信頼を置くことのできる副執事の父親の健康状態がかんばしくなく、本当に窮地に立たされた、と思ったことでしょう。

スティーブンスが、そのことを今思い起こすと、あの窮地があったからこそ、執事としてひとつ上のレベルに到達できた、と思えたのでしょう。


自らを思い起こせば、かんじんかなねの時に、いつも逃げていた私がありました。
あのとき、ああしていれば、と後悔することばかりです。