水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古文書講座(4)年貢割付状(3)

2011-03-04 09:46:31 | 三鷹・歴史/地史
田畑以外の土地に対する課税


・ 林銭、8.14ha、 2貫104文
・ 藪銭、3.25ha、   492文
・ 芝野銭、7.57ha、1貫527文
・ 芝銭、31.73ha、 1貫601文
・ 草銭、0.22ha、    41文

 講師の説明によると、林は屋敷林および斜面林、藪は竹林、芝野は高位台地で潅木の生えた草地、芝はススキの生えた草地、草は野川沿いの低湿地、だそうだ。

 武蔵野台地は西暦1500年代まで一面ススキの原っぱであったそうだ。そこに入植者が入り、屋敷を建て、その周りに樹木を植え、田畑の開墾にいそしんだ状景が目に浮かぶではないか。

 「芝」は「柴」とするほうが感じが出る。林、芝野、芝は薪炭燃料調達地であったに違いない。

まあとにかく、約41ヘクタールの未開発地に、今日の金銭感覚で言うと約10万円ほど課税されていた、と考えていい。


 現在、大沢地区は1丁目から6丁目に区分されていて、その総面積は283ヘクタールである。
江戸時代に開発が進んだ地域は、主として低位台地(しんぐるまが立地する台地)であって、今の大沢4丁目~6丁目に該当する。その合計面積は101ヘクタールである。
一方、年貢割付状で課税された、土地の総面積は131.4ヘクタールである。

 このことから、何がいいたいか?
非常に荒っぽく結論にもっていくと、当時の高位台地(武蔵野段丘面)は、ほとんど開発の手が入っていなかった、といいたい。
なぜなら、高位台地上の課税対象面積は20.4(131.4-101)ヘクタールであって、それは、大沢村に属する高位台地上面積の約11%(20.4/(238-101))にすぎないからである。


 見学者の多くは、土蔵にぶらさげられた、3枚の土地利用図の説明を興味深げに聞いてくださるし、質問も多い。上の整理はその説明の補強だ。


  

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