事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

コミュニケーションの話・・・

2017-07-18 15:47:36 | Weblog
コミュニケーションに関する本を読んでいて、ふと思いついたことがあった。野球に関してのことだが、野球はボールによってコミュニケーションが成り立っていると考えることができる。試合中は特にそうである。ピッチャーが投げると、キャッチャーが捕球する。内野ゴロが打たれれば、野手が捕球してファーストに投げ、ファーストが取って、アウトになり試合が進行する。コミュニケーションの真ん中にあるのは、ボールであり、ボールの行方というものが、コミュニケーションの中心になる。当たり前のことを言っているだけだが、それでは、そのコミュニケーションから外れている選手はどんなコミュニケーションを行っているのだろうか。そのコミュニケーションは、どんな役割をもっているのであろうか。野球をやった経験があれば、バックアップということをやっている。カバーリングともいう。それはそれでコミュニケーションに貢献しているという言い方もできる。三人いて、二人が会話している時に、もう一人は言葉を発してはいないが、頷いている。そうした光景はよくあることだ。野球におけるコミュニケーションのカバーリングは、そんなことに例えることができるかもしれない。でも全く関係のないところの選手たち、もしくはベンチにいる選手たち、ベンチに入れないスタンドで応援している選手たちとのコミュニケーションをどのように理解すればいいのだろうか。なにかおもしろ理論でこのコミュニケーションを説明できないか、考えてみた。答えは見つからない。でもなにか野球というものを理解する上で、このボールのないところのコミュニケーションは、野球の別の魅力が隠されているのではないか。説明ができないが、そうしたものを感じるのである。
 野球ではなく、駅伝はどうだろうか。言うまでもなく、駅伝はタスキがコミュニケーションツールになっている。当事者同士はタスキによってコミュニケーションが行われる。それではタスキの受け渡しに関係のない他のランナーのコミュニケーションはどんなコミュニケーションが成立しているのだろうか。野球と同じである。ボールの行方と関係のないところと、タスキの受け渡しに関係のないランナーと、コミュニケーションがどう成り立っているのであるのか。タスキのないところでのコミュニケーションを理解することができれば、駅伝の別の魅力を発見できるのではないだろうか。視点をかえれば、そのコミュニケーションがしっかりできるようなチームや駅伝チームであれば、ボールやタスキのようなコミュニケーションツールがなくても、きちんとしたチーム内のコミュニケーションが成立するのではないかという仮説も成り立つ。これは試合の時で身に付けるものではなく、練習の時からの訓練で、そのコミュニケーションの大切さを学ぶしかないのであろうし、指導者がそのようなボールの飛んだ行方の関係する選手ばかりではなく、またタスキの受け渡しに関係する当事者だけのコミュニケーションだけではなく、別の場面でのコミュニケーションの大切さを理解させていかなければならないということになる。書いているうちに訳がわからなくなってきたが、これは指導論なのか、それともコミュニケーション論なのか。もう少し考えてみることにする。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 時間はうそつかない・・・ | トップ | コミュニケーションの話の続... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事