事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

37年前をふと振り返る・・・

2013-07-31 18:12:38 | Weblog
大学もそろそろ夏休みを迎える。3ヶ月前、まだあどけない高校生のようだった1年生も今ではすっかり大学生っぽくなり、2~4年生と見分けがつかなくなった。月日に経つのは早いものだ。院生に試験はない。毎回の授業が試験みたいなものだが、学部生にとっては今が正念場。特に1年生にとっては初めて経験する大学での試験だ。だからなのだろうか、今大学内はあの入学生がキャンパスにあふれていた4月以来の大混雑ぶりだ。特に図書館がすごい。平日は8時30分が開館時間だが、いい席を取ろうとする学生が列をなす。きょうは小生気分転換もかねて図書館の机にかじりついているが、到着したのが9時30分。席は空いてはいたが、窓際のいい席はすでに満員状態だ。パソコンを使用するのでコンセントの確保と眺めの2つの条件をクリアしたいが、そうもいかなかった。2週間くらい前にはガラガラだったが、先週、今週とほぼ毎日7割から8割ほどの盛況ぶりだ。いつもはひろい机をどド~ンと資料を並べて独り占めするところだが、きょうはそうもいかない
自分の大学1年のころを思い出しながら、周囲を見回す。あのころは本当になにもわかっていなかった。というよりかなにをどうやって勉強すればいいのか、それさえも教えてくれる人がいなかったという印象がある。教えてもらうレベルまでは自分であがっていかなければいけないのかもしれないが、大学ではそこまで丁寧には教えてくれない。小生の場合は特になにか特別な目的があって大学に入ったわけではないということもあった。だから勉強しなくても危機感はなかった。どこかで何とかなるという気持ちでしかなかった。
37年後こうして大学の図書館で机にかじりついているとはだれが予想したか。自分が一番びっくりしている。目的があるのとないのとではちがう。
人生どこでどうなるかわからない。いつもそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見失う勇気と決断が生む・・・

2013-07-28 15:20:45 | Weblog
元テレビ新潟の岡田浩人君が書いた「最終回は終わらない」を買った。まだ読んでいない。売れているらしい。新潟市のジュンク堂では週間の売上げランキングがナンバーワンになった。彼はテレビ局では報道や営業などマルチに活躍していたが、どうしてもやりたいことがあると会社を飛び出した。いまではインターネットの中継などで主に様々なスポーツ分野等で情報を発信している。この本はその第一弾ということなのだろう。この本の中身については後日に読後感想を述べさせてもらうが、こうした本が出ること自体新潟も変わったと思った。スポーツレベルというか野球レベルの向上があって初めてこうした人間が出てくるという思いに至る。またフリージャーナリストとして県内を活躍場としても食っていけるという多くの輩に勇気を与えることになったと思っている。
 中には本が書けるから会社を辞めた。と思う輩もいるかもしれない。小生はそうは思わない。辞めたから本が書けたと思う。何かができるから会社をやめたのではなく、辞めたから何かができるようになった、と解する。本人には聞いていないが。「陸を見失う勇気がなければ新しい大陸は発見できない」小生の持論だ。
 フリージャーナリストになるには何かが必要、なにか担保するものがなければできないと思うのは正当だが、小生の考え方は逆で、フリージャーナリストになったからこそ何かができるようになった、ということだろう。問題は勇気と決断と思う。陸が見えなくなると他の見えてくるものがある、ということなのかもしれない。
 小生も机にしがみつきながら、ふとそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学びとったこと・・・

2013-07-26 11:27:37 | Weblog
日本文理が優勝した。2年ぶり7回目の甲子園だ。小生結局昨日も見ることができずに机にしがみついていた。携帯で経過をちらちら見ながら試合を気にしていた。桜が先制した時はこのままいくのかと思ったが、文理が逆転した。手に汗握るいい試合だったようだ。新潟を代表する名将同士の戦いにふさわしい試合展開であったし、両チームとも力を出し切った試合だったと思う。
 さてここから小生の無謀な試みをしてみたいと思う。なぜ桜は負けたのか。なぜ文理が勝ったのか。直接的な勝因、敗因は昨日からテレビ・新聞で伝えている通りであると思う。でもなぜというところまで踏み込むとなぜなのかが容易でない。そこにおもしろさがある。
 大井監督の采配は非常に独特だ。今回もすばやい投手リレーをした。この判断力にはいつも驚かされる。一番驚くは選手ではないかと思うくらい予想を上回る時がある。今回の系統がそれに当てはまるかどうかは定かではない。大井監督が日本文理に就任したのは1986年だ。今年で27年目だ。選手らも大井監督の選手起用を把握していると思う。であればいつどこで自分にチャンスがくるかわからない。そのためにはその準備を怠らずにやるしかないのだろう。甲子園で準優勝した時のキャッチャー若林も春までブルペンキャッチャーだった。しかしふいに訪れたチャンスをものにして夏はレギュラーとなった。その選手起用は大井監督ならではのものと思う。
 それと松田監督の談話にこんなことが書いてあった。「采配が一歩ずつ遅れた」と。さすが名将でも遠ざかっていたからかは定かではないが、判断が鈍ったのかもしれない。でもそれは責められないだろう。ではなぜ遅れてしまったのか。試合中の監督判断は結果論として片付けられる。しかし反省として次どうすればジャストタイミングな判断ができるようになるのか。それは研究する余地がある。
 ある監督に聞いたことがある。それは試合ごとにすべてちがう。同じように見えても見えるだけでまったくちがう。それをいつも気持の中にあると言われた監督さんがいた。人は考え方を単純化したがる。難しい問題になればなるほど単純化したがる。でもそこに落とし穴がある。経験値がまったく役に立たないときがあることを考えるべきなのだろう。言うは易く行うは難し。県央工業が甲子園で報徳学園にサヨナラで負けたことがあった。報徳学園に惜しくも負けた試合だ。最終回に好投していた投手を交代した。それが裏目に出た。予選ではすべてうまくいっていた。甲子園にはその系統があって出場できた。だから・・・。でもそれが裏目に出た。結果論ではあるが、経験が邪魔になることもある。
 勝手な話をしたが、野球ばかりではないだろうと小生は考える。こうしたことはむしろ野球から学んだことかもしれない。ふとそう思う。
村上桜ケ丘の今後の健闘を祈念し、日本文理の甲子園の活躍を祈念する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西へ東への高校野球行脚・・・

2013-07-25 09:25:52 | Weblog
毎朝、高校野球の地方大会結果を楽しみにしている。あらやこれやといろいろ思いを巡らのせながら長い時で一時間以上も結果を見ている。きのうは全国で24大会77試合があったと報じられている。今週中でほとんどのところで甲子園出場チームが決まる。
 きのうは宮城大会で東北高校が4回戦で敗退した。相手は気仙沼高校。どんなチームか小生は知らないが、東北高校がベスト8に残れなかったのは18年ぶりのことらしい。東京の西東京大会では早実が国士舘に敗れた。京都では龍谷大平安が姿を消した。奈良では知弁学園が負けた。和歌山では箕島が勝ちあがっている。広島では広陵が負けた。徳島では池田が負けた。
 どの試合も見てみたいと思う。小生が記者現役の時にはできるだけ春秋問わずに北信越大会を見に行っていた。北信越はレベルが当時は高かった。福井商業、星稜など全国でも優勝を狙えるようなチームが多かった。それだけにスカウト連中も数多く注目していた。そんな中に地方大会専門の常連がいた。日本中の注目高校を見て歩いている常連だ。時には高校のグランドまで足を運ぶそうだ。小生も金沢へ行ったときに星稜高校の練習を見に行ったことがあった。大阪ではPL学園のグランドへも行ったことがあった。
その常連はスカウトとも仲がよく、情報収集にも一役買っている。あのチームのあのピッチャーがいいとか。いつだったかは覚えていないが、知り合った人がいた。その人は長距離トラックの運転手だった。時間があれば休みを利用して全国各地の予選を見に行く。スコアブックも持っていて、知識もかなりのレベルだ。その日は巨人のスカウトマンと話し込み、情報交換をしていた。スカウトマンも新聞や地元有力者からの情報を収集しているのだろうが、こんな野球オタクとの情報交換も重要なのだろう。
 無理だと思いながらだが、全国の予選大会の様子を見ることができないだろうか。この多チャンネル時代ならば不可能ではない。一回戦からやるというのは無理だが、準々決勝からとか。業界をよく知っているだけにどれほど無理難題かは普通の人以上にわかっているつもりだが、やっぱりみてみたい。
 遠い夢を描くとすれば、きょうは北海道、あすは沖縄、そして大阪、広島、愛媛など全国高校野球予選行脚をしてみたい。スカウトマンになった気持で大器を探してみたい。野球ドラマを見てみたい。ふとそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オールドファン必見の試合・・・

2013-07-24 16:48:18 | Weblog
1998年7月29日、全国高校野球新潟大会決勝を迎えた。春選抜に出場した新発田農業対新発田中央、新発田勢同士の戦いだ。新発田農業が勝てば春夏連続出場となる。県勢として春夏連続出場は1958年以来40年ぶりだ。
 試合は新発田中央が2回に相手エラーからチャンスをつかみ、先制するが4回に新発田農業が追いつき、結局3対1で新発田農業が逆転で接戦を制した。このときにキャプテンが今巨人に所属している加藤健だ。松田監督はこれ以降甲子園とは遠ざかっている。
松田忍監督は、旧朝日村(現村上市)出身。新発田農業時代には投手で、実業団ニチエー(現バイタルネット)に進み外野手に転向、80年と81年には新発田農業のコーチとして甲子園の土を踏んでいる。新発田農業監督には1985年に就任した。87年に甲子園に初出場し、1998年には春夏連続出場を果たした。そして1999年に村上桜ケ丘高校に移った。
(朝日新聞より)
 いくら人工芝とはいえさすがにきょうは中止になった。春の県大会優勝の村上桜ケ丘対日本文理の戦いは、新潟を代表する名将同士の戦いでもある。「決勝戦はそれまでの試合とはまったくちがう」と去年引退した前明訓高校野球部の佐藤監督から聞いたことがある。これまでの戦績がまったく当てにならない。その一方で百戦錬磨の監督同士の戦いだ。どんな戦法で、どんな決勝戦にするのか楽しみな一戦だ。松田監督は1999年に村上桜ケ丘に移ってから初めての決勝進出。一からチームを作りたいと14年間じっくりと地域の中に溶け込みながらここまで育ててきた。百戦錬磨の松田監督といえども感慨深いものがあるだろう。しかしその感慨が選手にプレッシャーとなってはマイナスになる。そのコントロールが難しいところだ。マイクの前では平常心といつもながらの口調になるのだろうが、心中は逆だろう。
 あすも雨模様になるようだ。どんな試合を見せてくれるのか。監督同士の駆け引きも見どころの一つだろう。オールドファンには懐かしい一戦になる。ふとそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうから夢の向こう側・・・

2013-07-22 11:06:39 | Weblog
彼が当選した。このブログで再三書いてきた彼が夢を実現させた。宮城県からみんなの党公認で立候補し、民主党の現職を破った。小生の勝手な予測でブログを書いてきたが、最終週に逆転し、みんなの党幹部の応援を得てそのまま逃げ切った。3位の民主党候補とはわずか5,000票差でしかなかった。昨夜は心配していた。票の伸びが鈍かった。彼の地盤は仙台市であるがゆえに都市部の開票が進めば票は出てくると思っていた。当選は日付が変わってからだった。
 「私も会社をやめます」と切り替えされた。意外だっただけにびっくりした。小生が大学院に進むことを決意したことを報告するために電話した時のやりとりでのことだ。NHKという職業というか看板を捨ててまで、と客観的には思うがなにか体の中に燃え盛るものを抑えきれずにいたのだろう。入局の初任地が新潟だった。その当時から精力的にアナウンサーという職種にとどまらずに積極的に動いていた。いまでも彼を覚えている新潟市民は多い。東京、大阪、帯広、仙台と転勤した。そして東日本大震災が彼の運命を変えた。
 電話口で彼は「もう今の政治にはがまんできない。東日本大震災に対してなにもしていない」と体から噴き出るマグマを抑えきれずに不満を口にした。とは言うものの行いは難しである。
 今年街頭で思いを訴える彼を訪ねた。のぼりを自分で準備し、仲間と2人で通勤するサラリーマンに民主党へのふがいなさを訴えていた。彼は変わったと小生は感じた。政治家に変身をしていた。右手でマイクを握り、左手で調子をとりながら訴えていた。
 初めからうまくはいかないし、本人も浪人覚悟で立候補したのではないかと小生は思っていた。しかし彼の熱意が民意を動かした。彼の体の中に燃え盛るマグマを有権者が感じてくれた結果だと思った。問題は継続だろう。一時的なテンションではなく、継続的な思いや政策能力、実現させていく力が試され、今日から有権者から監視される立場になる。これからが本番だ。小生陰ながら応援していきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

避暑館で思うこと・・・

2013-07-21 17:19:33 | Weblog
きょうは高校野球新潟県大会の準々決勝。見に行きたいが、どうしても乗り切らなければいけない山があり、図書館で奮闘している。家で一人やっているとどうしても気が緩んでしまう。だから図書館にくる。ここにいると外の天気がどうあれ、世間でなにがあれ、ひたすらに勉学に励む姿に自分も励まされ集中できる。しかも汗がかくこともなく、涼しい。この時期は新大生ばかりではなく、一般のおじさんやおばさんも目につく。避暑にもいい場所だ。高校生も目につく。受験勉強真っ盛りなのだろう。彼らもここに来ることで自分を鼓舞できると思っているのかもしれない。
 図書館にいるメリットは疲れた時に本が読めるということもある。学術書ばかりに目を落としていると疲れる。そこで息抜きにちがった本を読む。散歩するようにあっちこっちといろんな本棚を見て回る。これが病みつきになる。辞書の書棚だけでもおもしろくあっという間に時間が過ぎる。自分の専門書書棚ものぞいてみる。学会で名刺交換した人の本、酒席でいっしょになって意気投合した人の本。いろんな人の本が並ぶ。研究する分野の幅広さにも驚く。なんでもかんでも研究材料になる。新潟大学の中にはあのゴジラの研究者もいる。先日論文を読ませてもらったが、なんだかよくわからなかった。
 そんな中で小生が先日おもしろい分野の本を見つけた。それは「噂」の研究本だ。噂と言ってはあまりにも一般的だが、「風評」「流言飛語」などだ。一番有名なのは、関東大震災の時における流言飛語事件だ。これを基に実は小生いろいろ調べてみた。新潟地震ではどうだったのか、阪神・淡路大震災、中越地震、中越沖地震、さらに東日本大震災とたどってみた。いまはきちんとマスコミがあり、的確な情報がすぐに流されるために関東大震災のようなことは起こらない。がしかし情報がまったくなくなったときに人はどうなるのか、東日本大震災では一時情報が数日間まったく入らないという事態に陥った町もあったと聞く。暴動などはもちろん起きていないが、その寸前までいったとある町の幹部から先日聞かされた。やはり現代でも噂や流言飛語が発生する可能性は否定できない。
 噂や流言飛語にはどんな要素が含まれているのか、なぜ人々は流言飛語に反応してしまうのか。今のような情報機器に囲まれて生きている限りは不思議な感じがするが、大きな自然災害では起こりうる被害なのかもしれない。ふとそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後まで信じ切れるかどうか・・・

2013-07-19 10:16:57 | Weblog
アナウンサー志望の子が小生を訪ねてきた。いろんな話をした。厳しいことや楽しいこと。小生話しながら自分のことを思い出した。記者になりたいと当時朝日新聞社のいわき支局に赴任していた先輩を訪ねたことがあった。「必ずなれるからがんばれ」と励まされた。でもいつなれるかはわからないとの返事だった。その先輩は一浪していた。朝日新聞の場合、2浪3浪は当時あたり前だった。いわき支局にいた局員でもストレートでの入社組はいなかった。「30歳まで受験資格があるからがんばれ」。いつかという答えはそういうことだった。小生も後輩には必ずなれると言い続けてきた。先輩に言われた同じことをいまだに言っている。必ずなれる。なりたいと思い続けることができれば必ずなれると。その子には言った。
 高校野球甲子園予選が真最中だ。去年、今年とあまり見る機会がない。新聞などで情報をつかむ程度だ。新潟の動向も気になるが、全国各地の動向も気になる。今年の新潟県代表の相手はどこになるのか、以前対戦した相手が今年はどんな戦いを予選でしているのかなどいろんな思いを紙面に落としている。
 甲子園に出場した監督さんや選手らとはこれまで縁があって様々なことでお付き合いさせてもらってきた。今でもそのお付き合いは続けている。小生も高校球児だった。でも甲子園はまったく縁がなかった。もし小生の高校生時代に、これまでお付き合いをさせてもらってきた諸兄と話す機会があったならば、ずいぶん当時の気持は変わっていただろうと思う。あまりにも遠い存在だっただけに当時は、甲子園出場チームや選手のことを身近に感じることはできなかった。彼らも高校生であり、ユニフォームを脱げば普通の高校生だ。それに気がついたのは記者として選手を取材してみて初めてわかった。野球の技量や野球環境などいろんな面でちがいはあるが、一番のちがいは取材してみて感じるのは気持ちだとわかった。甲子園に出場できるようなチームはいけるとどこかで信じ切っているところがある。それはどこから来るのか、普段からの練習や普段からの気持の持ち方などいろんな場面で常に甲子園を意識し、常にどうしたら甲子園にいけるのかを考え抜いている。その執念が甲子園出場を実現させる。取材をしてみていつもそう感じていた。だから甲子園の出場を決めても意外と淡々としている。こちらが大騒ぎするほど選手らは大騒ぎしない。彼らの頭の中ではむしろ当たり前のことを当たり前のやったとしか思っていない。取材する側が拍子抜けしてしまうほどだ。
 新潟も甲子園まであと4つまで来た。最後に決めるのは甲子園にいけると最後まで自分たちと仲間を信じ切れるかどうかにかかっている。ここまでくればいい、そんな気持ちのチームから姿を消していく。夢を実現させるのは、必ずできると信じる気持から始まる。
 ふとそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢実現まであと4日・・・

2013-07-17 10:01:10 | Weblog
友人の選挙速報の続報。どうやら当選圏内入りしたようだ。けさの読売新聞の世論調査でも書き方は自嘲気味だが、民主党の候補を追い抜いたようだ。今日入れて選挙戦はあと4日。まだ油断できない。民主党の相手も百戦錬磨であろうし、ここまでの苦戦は想定内だと考えると、ここでぬか喜びしては日曜日に泣くだけ。民主党がこれからどんな策を打ってくるのか。ここからがむしろ勝負になるだろう。様々な世論調査を見ると、どうやら1人区では民主党は惨敗の気配だ。せめて複数区での議席確保に懸命だ。しかし東日本大震災の被災地での得票は厳しいと見るのが一般的だ。終盤戦で逆転したのは、連日の大物応援がある。先日は三木谷浩史氏が応援に入り、三木谷の応援演説そのものがニュースになっていた。こうした反響は大きい。大物入り応援はむやみに来るのではなく、勝てそうな相手だから応援に入る。十分に勝機あるとみるや一気にたたみかけるのである。相手にとってこれほどいやな戦術はない。
しかし、小生も選挙取材をこれまで数多く経験してきたが、世論調査ほどあてにならないものはなく、実際の投票とまったく逆の結果になったことはこれまでに数え切れないほどだ。最後まで誠実に、相手は民主党ではなく自分自身との戦いに徹して欲しい。
ゴールが見えてきた。夢の実現まであと4日である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年先は・・・

2013-07-16 17:25:00 | Weblog
あれから6年が経ったのか。その日は五十公野球場で高校野球を見ていた。下から突き上げるような揺れに思わず立ち上がった。周りの人も異変に気が付いた。「地震だ」。思わず口に出た。ついに来たのか。東南海地震かと思った。携帯ですぐに震源地を調べるが、なかなか繋がらず。そしてぱっと震源地が出てびっくりした。中越地区、柏崎。「またか」と。中越沖地震だ。 
 中越地震では全国各地から支援をいただいた。人的支援、機材支援、取材手法など数えればきりがない。ヘリコプターも一時は3機空港に駐機させていた。地震取材、地震報道が落ち着いてから会議では必ず、始める前に時間をもらって御礼を言わせてもらった。「今度は私たちが当該局に応援に行きます。共にがんばりましょう」と結んだ。携帯の震源地の「中越」でその挨拶が吹っ飛んだ。
 部員の手際はよかった。問題は柏崎刈羽原発だった。いろんな問題が露呈した。一時は黒煙でどうなるのかと思った。先日論文調査のために柏崎に行った。えんま通りはすっかりきれいになっていたが、それでも爪痕は隠せない。不自然な空き地もあった。
 それから4年後に東日本大震災が起きた。考えてみると3~4年周期でなにか起きていることになる。東南海地震はいつ来てもおかしくないと言われている。富士山の噴火もどうなるかわからないと言われている。5年先、10年先はいったいどうなっているのか。
 ふとそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いけるかもしれない・・・

2013-07-15 11:43:32 | Weblog
選挙もあと一週間になった。これからが本番だ。きのうは我が家のそばで自民党の候補者が演説をしていた。声が枯れていた。ここがふんばりどころだ。
 ここで名前を言うことはできないが、小生の友人が奮闘している。正直言えば出だしは知名度、実績など様々な面で現職に遅れをとっていた。はじめの世論調査でも水をかなりあけられていたようだ。Facebookでの選挙活動の様子をみても、街頭演説においては人の集まりがあまりいい状態ではなかったように見えた。顔もなにかどこか頼りない感じがしていた。はじめての選挙でもあるし、簡単にはうまくいくものではないと思っていた。がしかし、ここのところでかなり状勢に変化があったようだ。東京の本部からの応援弁士もかなりの大物が入り込んでいるようだ。明るい見通しが見えてきたのかもしれない。党独自に世論調査も行っているのだろう。もう少しのところまで来ているのかもしれない。Facebookでもこれまでとはちがって写り込んでいる人の数も多くなってきた。かなり浸透してきたようだ。これはいけるかもしれない。写真で見る顔もかなりいい顔になってきた。選挙にとって顔がすごく大事だ。特に終盤戦において有権者はその顔付きには敏感に反応する。特に浮動票は見た目で意図も簡単に動く。
 あと一週間。死力を尽くしてがんばってもらいたい。小生の読みでは行けそうな気がしてきた。選挙区内で雪崩現象が起きている予感がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クールビズ考・・・

2013-07-11 17:37:36 | Weblog
暑いのはそれほど苦にはならない。がしかしどうも湿気だけは苦手だ。最近の天候はどうも苦手な日ばかりが続いているようでなんだか体に力が入らない。ふにゃふにゃしている。
 ところで先日石巻へ論文調査に行ったときに何を着ていこうか迷った。天気予報では雨で気温は22~23度だ。最近にしては涼しい。昔、小生迷った末にカジュアルなスタイルで出かけて失敗したことがあった。その場に言ってみればみんな正装だった。しかも小生が一番の若手だった。世間知らずのようで恥ずかしかった。
 さて今回はそんな教訓からクールビズを無視して長袖シャツにネクタイ、スーツで出かけた。相手はカジュアルなスタイルだったが、こちらからお願いすることもあったので、礼儀を尽くせたと安心した。
 大学でネクタイにスーツというスタイルは事務職員をのぞけばほとんどいない。Gパンの愛用者もいる。入学式や卒業式くらいしかスーツを着ないような人たちばかりだ。小生は入学後2~3ヶ月ネクタイをしていた時期があった。それの方がなんとなく落ち着いた。今年も春先はネクタイ着用していた時期もあった。先月の愛媛県松山市で開かれた学会にはスーツにネクタイで出席した。高価ではないが、それなりのメーカーものをサラリーマンの最後で買いそろえていたので、クローゼットに眠らせておくのはもったいないという気持ちもある。洋服は着ないと痛む。
 参院選挙の公示日写真を新聞で見ると、新潟の場合だが3人がネクタイをつけていた。もちろんそれに対する質問をするようなマスコミがいるわけではないので真相は明らかではない。でも単純になんでなんだろうと思う。いまや日本中がクールビズである。でもあえてネクタイにスーツ姿。小生はなにかそこに日本人のなにかを感じる。結局クールビズにはなりきれないものを感じるし、結局のところTPOを使い分けるしかないと小生は思う。小生ネクタイ姿で一番思い浮かべるのが、和食職人である。地味なネクタイではあるが、きちんとしたネクタイ姿である。最近高価なお店から遠ざかっているからお目に掛かることはないが、おそらく今でも和食職人にクールビズスタイルはいないだろう。それはなぜか。はっきりとした答えの言葉がでてくるわけではないが、なんとなく日本人ならばわかる。着ているものがくだけていればなんとなく刺身も新鮮さが失われているような感じがする。ぱりっとしたものを感じない。襟元が黒ずんでいるような職人さんが作るような料理は論外だろう。
 クールビズはオールマイティではないことがわかった。さて今月21日が参院選の投開票日だ。当落を事務所で待つ候補者らは果たしてクールビズ姿かそれともネクタイ姿か。小生テレビの前でじっくりと観察させていただく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事に就いた理由・・・

2013-07-09 17:23:24 | Weblog
論文調査のために人に会う。その時は必ず生い立ちを聞くことにしている。いきなり聞く場合もあれば、最後になって聞くこともある。生い立ちを聞けばその人の考えがわかるからである。生い立ちばかりではなく、今の仕事に就いた理由も聞く。理由を聞けば行動の裏付けになるからだ。論文を書いているとしょっちゅう聞き取り調査したはずなのに言葉に詰まる。会っているときは納得して聞いているのだが、帰って冷静になって文章を作ろうとすると必ずと言っていいほど言葉に詰まる。聞き忘れているのだ。なぜかその場では納得してしまっている。そんな時にその人の生い立ちや仕事に就いたわけなどが役に立つ。直接ではないにしてもその人柄から想像出来る場合もある。
 先日は一日で二人の人と会った。一人は小学校の先生。もう一人が新聞記者だ。小学校の先生は話し方から顔つきから上から下までどこから見ても小学校の先生という感じだった。それはもちろん小生が先生ということを知っているからにすぎないが本当に先生らしい先生だった。もう帰ろうとするときに最後に聞いてみた。「なぜ小学校の先生になったのか」。どんな答えが返ってくるのが楽しみだった。生まれた時から先生のような人がどんな理由で先生になったのか。なにがきっかけになったのか。わくわくしながら待った。
 「声が大きい人が注目されたり、成績や運動神経のいい子が注目されたり、でももっとすごい子やもっといろんな子がいるのになぜその子たちを先生たちは見ようとしていないのか、まじめでおとなしくて、苦しんでいる、本当は困っているのに声が出せない、思いを声に出せない。そんな子を救いたい。そう思ったのは9歳の時でした」。意外な答えだった。そんな芯のあるようには見えなかったからだ。もちろん今言ったようなことを9歳の時に理由付けとして言葉が出たわけではない。それでも鋭くいろんな角度から観察をしている子供だったようだ。おそらく今でもそういった目で児童を見ているのだろう。
 もう一人の新聞記者にも聞いた。小生と同じ年だ。「なぜ新聞記者になったのか」。
 14歳の時に思ったそうだ。「きたない世界を見てみたかった」。裏側という意味なのかもしれない。記者ならばその世界を見ることが出来るだろうと思ったようだ。それがなぜかはその時はわからなかったらしい。なぜかそう思ったらしい。なんとなくわかる気がする。小生はなぜマスコミの世界にあこがれたのか、あまり聞かれたことはない。でも答えは用意していた。「一番前で世の中を見ることが出来るから」。小生もその方にこの答えを披露した。
 いろんな人がいる。おもしろい。だから人に会うことがやめられない。また人捜しにいこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本音・・・まだ

2013-07-05 15:53:10 | Weblog
フィールドワークのため石巻市へ行ってきた。これで4回目だ。今回は初めて市内に宿泊した。少しずつ知り合いが増えてきたので、一献やりながらいろんな話を聞きたいと思ったからだ。今回調査した人は石巻市立雄勝(おがつ)小学校の前教諭で、震災当時は5年生の担任だった。インタビューで聞いたことをルポとしてまとめてみた。

 石巻市立雄勝小学校の職員室で激しい揺れを感じた。藤坂雄一教諭(以下、藤坂)はすぐに自分の担任していた5年生の教室に戻った。児童らは掃除中だったが、12人全員机の下もぐっていた。揺れが収まると同時に校庭に避難した。雄勝小学校では避難の段階が決められていた。第一次避難が机の下、第二次避難が校庭、第三次避難が裏山の神社となっている。校長の指示で校庭に集まった生徒や教諭それに保護者らとともに裏山に避難することになった。もしこの時に校庭にとどまっていたら、また体育館に避難していたら流されていたことになる。その後体育館は津波に建物ごとそのまま流され、校舎にぶつかっていた。雄勝地区は2005年4月1日に石巻市と合併している。これまで雄勝は1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波、1960年のチリ地震津波と3回の大津波を経験している。だからどの家も山へ通じる避難路を持っている。
 山を児童と登りながら藤坂は後ろを振り向いた。すると真っ黒い風呂敷のような一枚の布が覆い隠すような津波が見えた。死ぬかもしれないと生命の危険を感じた。児童らには津波を見せては行けないと思い、前を向いてちゃんと歩くように声をかけた。途中動けなくなっている女性のお年寄りがいたが、教員が山頂まで背負って避難させた。上空をヘリコプターが時々飛んでいた。しかし通過するばかりでまったくこちらには気が付かない様子だった。手元にラジオがあった。気仙沼のことや女川のこと、さらには多賀城のことなどが繰り返し報じられていたが、石巻のことや雄勝のことなどは一切情報としては報じられることはなかった。この時藤坂氏は「ここにいる私たちは認知されているのだろうか。そんな思いが強くあった。ラジオで雄勝の人たちは山の上にいますということが流れてくればきっと私たちもそうですが、私たちを心配する周りの人たちも安心するという思いがありました」と当時の様子を話している。
 翌朝、校長の指示でこのままでは児童の健康状態も心配であるし、食料と暖を取れるような毛布などを支給してもらえるように救助を求めるために、同僚の教員3人とともに石巻市内へ行くことになった。歩き始めて津波警報が出るたびに山に何回も引き返した。そんなことを繰り返しながら運良く消防団の車を乗せてもらった。サイレンを鳴らしながらガソリンスタンドで給油待ちの渋滞を避けながら走った。石巻市内中心部でまず消防隊の前線本部に行った。雄勝の様子を伝えた。消防団員からは「雄勝の情報は初めて」と知らされた。しかし雄勝だけ優先するわけにはいかないと言われた。情報がまったく途絶えているならばこの情報をもっと多くの人に知らせる必要があると藤坂は考えた。
 
淡々と彼は答えてくれた。教諭という使命感が彼の背中を押したのだろう。この後彼は地元ラジオ局に行き、雄勝地区の惨状を話す。雄勝の津波は20Mと言われている。10M以上の建物の上にバスが乗っかった写真を見たことがいる人もいるだろう。
 いろんな話をしてくれたので小生は感激した。非常に実のあるフィールドワークだった。しかし一点だけ疑問があった。あれだけの惨状を目の当たりにしながらあまりにも淡々と話す彼の姿に少しだけ違和感を抱いた。それが2年という歳月だろうかと思った。でも雰囲気を見て、勇気を振り絞って聞いてみた。なぜそこまで淡々と話すことが出来るのか。すると彼の顔つきが変わった。そしてこんな話をしてくれた。

 私はたぶん、本当の喪失感にまだ行っていないのかもしれません。しゃべりながら気を紛らわせているようなところもあります。語り部としてしゃべることでなんだろう、カウンセラー(自分自身)でもあるんですがまだ泣けない。なんか本当は泣くことができれば全てを受け入れることが出来るんでしょうけど、まだ自分が起きたこと、経験したことを客観的にしゃべっているところがあって受け入れていない状況なのかなあと思ったりします。それは身内だったり近い人間が流されたり、亡くなったりしていないということも重なっているのかもしれませんが、ただ私の中では同期だった教員が大川小学校で殉職しているし、先輩たちも大川小学校で殉職しています。悲しむべきことはたくさんあるんですが、十分に悲しもうとしていない部分があるので、だから淡々とした語りになってしまうのでしょうね。

被災者たちの本音かもしれない。まだ彼らの心は癒されていない。ふと彼の顔を見てそう思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最終ランナーに選ばれた・・・

2013-07-02 18:23:11 | Weblog
安藤美姫の出産には驚いた。男性として特に興味があるわけではないが、なぜばれなかったのか。情報操作術に驚かされた。夕方になって様々なルートから情報が入ってきた。テレビ朝日のスクープだ。それは宮島さんの特ダネらしい。彼女は女性としてはスポーツ記者の草分け的存在だ。小生は古い話で恐縮だが、神戸のユニバーシアードで取材をご一緒させてもらったことがあった。1985年の話だ。当時から彼女は輝いていた。国際的なスリートで彼女を知らないものは当時からいなかった。小生ごいっしょと言っても後ろからついて行く程度だった。
 安藤の話に戻す。なぜばれなかったのか、本当に不思議だ。どこかだれかが気が付くはずだと小生は素人ながら思う。おそらく情報操作のプロが中にいるにちがいないとまで思ってしまう。そして最後まで隠さなければいけない理由があった。それがなにかはまだわからない。
そして最後は宮島さんにリークして、特ダネを献上した形にしたのだろう。そう考えるのがふつうだ。宮島さんは長年女性のスピードスケートを手がけてきた。スポーツのおける女性問題にもかかわってきた。そんな彼女はこの情報の最終ランナーとして選ばれ、そして世に生み出された。そんな構図かもしれない。もちろん小生の勝手な想像以外なにものでもないのであしからず。一番平和的な構図を選んだことでご了承いただきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訪問者数