事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

忙しい8月・・・

2018-08-19 10:52:32 | Weblog
去年とちがって忙しい8月を過ごしている。というよりも去年が暇すぎたのかもしれない。上旬は宮城県大崎市、石巻市、仙台市と明星大学生を引き連れて、研修旅行をしてきた。大崎と仙台市太白区のコミュニティFMラジオ局では、学生は生番組に飛び入り参加するということもさせてもらった。石巻市では市内の復興状況について市役所の係から、ローカル新聞である石巻日日新聞の記者から解説してもらった。学生ばかりではなく小生自身も非常に勉強になった。中でも石巻日日新聞の記者からは「インフラの復興」ではなく、「心の復興」という言葉が印象的だった。
 先週は、東京・立川で大内ゼミコンパを決行、あまり人数が集まらなかったが、それでも手足の不自由なゼミ生がお父さんの送り迎えで参加してくれた。すごくうれしなかった。しかし全員未成年という中で還暦の小生だけが、ビールにワインで、話すこともまったく合わずにいるというのも疲労度が増した。今週は今週で、いろんなイベントが予定されている。最終週は、調査のために熊本入りする。
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ボタンの掛け違い・・・

2018-08-06 08:37:03 | Weblog
きのうは中越の試合を凝視した。今年はまったく予選を見なかったので、中越を見ること自体初めてだった。なるほどいいチームだし、新潟県代表にふさわしいチームと感じた。これであるならば1回戦も十分に勝機があると思った。また甲子園に対して、選手一人ひとりにアウエー感がなく、余計な緊張をしている様子もなかった。それだけに敗戦はショックだったし、なんとか勝たせたかった。あらためて甲子園で勝つことも難しさを感じた。
 なぜ勝てなかったのか。いろんな理由があるのだろう。本田監督も「大舞台で競り合うところまできた」と中越高校野球部の成長をたたえた。しかし私自身はなにか違うものを感じた。もうちょっとではなく、どこかボタンの掛け違いをしているのではないか。うまく言えないが、そんな気がするのだ。それがなにかはわからない。鈴木元監督が1回戦を突破した時は、選手から練習を取り上げるという荒業にでたというエピソードは有名だ。その他にも甲子園で一勝したことのある監督からはさまざまな秘策や荒技を聞いたことがある。技術的な面は十二分だと小生は感じた、しかしそのボタンを掛け違えない手法がわかれば、相当の成績を残せるのではないかとそんなことを感じる試合だった。
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野球におけるコミュニケーションとは・・・

2018-08-04 10:36:27 | Weblog
はじめて新潟医療福祉大学の試合をみた。偶然にラインを送ると、明星大学とのオープン戦をこれからやるというので、新発田市の五十公野公園野球場にでかけた。用意していただいた席は3塁側ベンチという特等席だった。オープン戦だから許される席だ。最近は野球から遠ざかっているので、野球試合そのものが新鮮だった。高校野球とのちがい、大学野球ならではの考え方などさまざまなことを教えてもらった。なるほどと思うことが多かった。今回久しぶりに見てみると、小生の感じることが以前と違っていることに気がついた。それは、野球という競技をコミュニケーションという観点から見るという観点だ。ボールを投げ合うというコミュニケーションはだれもが感じることだが、それ以外の選手とのコミュニケーション、もしくはこれからコミュニケーションがあるかもしれないというコミュニケーションを予測する力もきわめて大事だ。
 こんなプレーがあった。ファースト前のぼてぼてのあたりで、ピッチャーが取れずにファーストが取らなければいけない状態になった。しかしそうなると、ファーストベースが無人状態になった。そこでセカンドがうまくカバーをして間一髪のアウトにした。送りバントであれば、セカンドがカバーする体制は当たり前だが、そうではない内野ゴロの場合は処理が難しくなる。こうしたプレーは簡単ではなく、その他の野手の機転が必要になる。この場合はセカンドが機転をきかし、予めフォローする動きを見せていた。コミュニケーション能力が非常に高い選手だと小生は感じた。こうしたプレーができるのは、突然ではなく練習から身につけるかやなんらかの兆しを感じかどうかなのだ。そうしたプレーはあえてコミュニケーションということばをつかうことで、わかりやすくなるのではないかと思った。声をだして味方選手を励ます、ピンチに陥った投手に声をかける、アイコンタクトするなどさまざまなコミュニケーションがあるが、充分にそうしたコミュニケーションを意識することで、次のプレーに対する準備や対応が変わるような気がして、野球の試合を見ていた。
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非常勤講師⑬・・・とりあえず前期終了

2018-07-26 08:35:40 | Weblog
明星大学の前期が終わった。今年は高校野球をまったく見ることもなく、授業準備に追われた。毎週火曜日、904の新幹線に乗り、大宮から埼京線で武蔵浦和で武蔵野線に乗り換えて、西国分寺。そこから中央線に乗り換えて、立川。そして多摩モノレールで中央大学、明星大学。乗り換え時間も含め行きは、およそ3時間半、帰りは乗り継ぎ時間が合わないので4時間ほどかかる。最初はなんだか旅行気分だったが、GW後から疲れが出てきて、6月にピークとなった。それでも少しずつ慣れて来て、なんとか乗り切った。学生も小生に慣れてきたこともあって、最後は疲れながっらも楽しい授業運営になった。それにしても大変勉強人なったというのが、第一印象だ。授業で使った教科書は、博士論文のために読み込んだ本と同じものを使ったので、一度読んでいるし、それほどの予習は必要ないとたかをくくっていたが、甘かった。人に教えるためには、細部にまで目を通していかないとだめで、すべての授業で再読をせざるを得ない状況となった。その授業は毎週2コマ連続であった。おまけに学生はまったくの予習ないという状態が続いたので、殆どの授業で最初は小生のひとり舞台だった。それも仕方がないと思いがんばった。そんなこともあり、非常に勉強になり、博士論文の時に読んだ同じものとは思えないほど、吸収し学ぶことが出来た。ある意味で学生たちには感謝している。
 その一方で心の病を抱えた学生の対応には心を痛めた。2年生で一人まったく授業に出てこれなくなった学生がいる。心療内科に通院しており、学校の医師にも相談している学生だ。先日ようやく医師を通して、その学生と逢うことができた。後期はなんとか授業に出たいと病も治まっているようだが、新潟大学ではそうした学生をあまり見ることがなかった。なにが原因で彼らが心の病を患うのかはわからないが、なにかが彼を圧迫し、この世の中についていけない状況があるのかもしれないと思うと、普段小生があまり見る事がない裏の世界を垣間見たような気がする。
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新潟野球を垣間みた力学

2018-07-19 09:05:18 | Weblog
「不思議な勝ちあり、不思議な負けなし」とよく言われる。きのう(18日)新潟高校が文理高校に勝った。なにが起きるかわからない予選だが、戦前の予想は文理圧勝と予想する人が多かっただろう。しかし実際の結果はまさかの県高の勝利だ。小生すっかり高校野球から遠ざかり、いまの文理、いまの県高の事情はわからないが、甲子園を目指すチームにとってこの4回戦は鬼門なのかもしれない。それは準々決勝、準決勝に照準を合わせ、調子をあげてくるのが慣例になっていると思われる。ということはまだこの4回戦は調子のピークまで達していない時期でもあるのだ。エースの調子、打線の調子も本調子に上がり切れないチーム事情で、下から勢いよく上がってくるチームとの対戦は、厳しい。
 もう一つの「不思議な負けない」は、この県高の勝利は、新潟県の野球レベルの高さの表われという見方もできる。かつて清原が「甲子園の一回戦よりも大阪大会の予選突破の方がしんどい」と言ったことがあった。小生が野球取材で奔走していた時に、「なぜ新潟野球はレベルが低い」という難題をいろんな指導者にぶつけてインタビューしていた時期があった。なかなか難しい問題だが、その中で一つヒントになることとしたら、「底上げ」だった。下位チームが力をつけることで上位チームがさらなる力をつけることができるという力学だ。文理といえども、うかうかしていられないというのが、いまの新潟県内の野球事情かもしれない。これからが甲子園向けての一番の大勝負が見られる。
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