事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

犯人しかわからない・・・

2013-08-30 18:30:38 | Weblog
三重県で痛ましい事件があった。行方不明だった15歳の少女が遺体となって発見された。司法解剖結果、25日に殺害され、死因は窒息死であることがわかっている。また持っていたとはずの携帯電話と財布などが周辺から見つかっていないという。被害者は8月25日の花火大会を見に行った帰り、友人と別れた後行方がわからなくなっていた。最後の連絡は午後11時半ごろと被害者の姉が証言している。家族の心情を考えると言葉が出ない。
 目立った外傷がないこと、財布などがないことなどから強盗殺人の可能性もある、しかし抵抗した跡がないということが気にかかる。状況を考えれば当然抵抗するであろう。抵抗跡がないのはなぜか。状況だけを考えれと、知人の犯行という見方も否定できない。発見された現場は普段は人通りがほとんどない場所らしい。だから発見も遅れたのだろう。となれば目撃情報も乏しいと推測できる。新聞によれば警察では防犯カメラなどの解析を急ぐとある。友人と別れた場所がJR関西線朝日駅なことから周辺の防犯カメラに不審人物が映っていないかの調べを進めるのだろう。
 いずれにしても小生がこの事件を重く見ているのは、抵抗がないという点だ。その上財布などがない。この二つの矛盾がどう結びつくのか。犯人しかしらない事実だ。
 ふとそう思う。(8月30日18:26記)
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忙店と暇店・・・

2013-08-28 18:08:07 | Weblog
月に一回の割合でお好み焼きを食べる。子供の頃の駄菓子屋でもよく食べた。当時は15円からだった。でもそれにはしょうがしか入っていなかった。30円になるとイカが入る。イカといっても茶色いさきイカのようなものだった。50円出すとそれに卵が入った。50円のお好み焼きは食べた記憶がない。握りしめていた50円をすべてお好み焼きに払う勇気はなかった。
 新潟に来てからもお好み焼き屋には足をよく運ぶ。昔は古町にも数軒あった。そのうちの一軒にはよく通った。今はもうない。店主は東京の人だった。
 今では家の近くのお好み焼き屋に行く。一軒は大阪風、もう一軒は不明関西風ではない。味は甲乙つけ難いが大阪風の方がいつも混んでいる。場所もいいので行きやすい。そこでおもしろい現象がある。それは大阪風のお好み焼き屋はものすごく忙しいにもかかわらず非常にサービスがいい。というよりもテキパキして頼んだものがすぐに出てくるし、ボタンを押せばすぐに来る。ところがもう一軒の暇な店はサービスが悪い。愛想が悪いというわけではない。しかしボタンを押しても反応が鈍い、頼んだものもすぐには出てこない。味が悪いわけではないが、印象がよくない。普通に考えれば暇であればすぐに来て、すぐに頼んだものが出てきてもよさそうだが、実はそこがおもしろい。
 こんな言葉を思い出す。「急ぐ仕事は忙しい奴に頼め」。まさにこれだ。暇な奴はテキパキせずに時間のゆとりをもって仕事をしてしまう。ところが忙しい奴は段取りをきちんと立て、計画的にしかもテキパキとこなす。まさにこれだ。
 両店舗のお好み焼き屋を考えてみればまさにである。忙しい店は反射的に動かないとこなせない。だからお客の反応も早い、片付けも早いすべて早い。そうでなければ客のオーダーに付いていけない。ところが暇な店はどうだ。いつでもこなせる。時間を計算する必要がない。だから効率を考える必要もなければ、段取りを考える必要もない。
 忙しい店の方が早く出てくる。暇な店は頼んだものが遅く出てくる。まさにである。
実はもう一つ言いたいことがある。それは正確性のことだ。これも反対な傾向がある。忙しい方は集中している。だから荒っぽいが意外と間違えない。一方の暇な店は意外と間違う。集中していないからかもしれない。これは仕事にもいえる。意外と忙しい時の方が、正確にこなせる。暇だとケアレスミスが起こりやすい。集中していないための要因だろう。
 暇な店の方が静かでいいのだが、暇なだけに遅いと余計に腹が立つ・・・ふとそう思う。
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鳴く間奪うゲリラかな・・・

2013-08-25 16:33:16 | Weblog
集中力が切れ、時計を見るとすでに12時を回っていた。最近は腹時計と実際の時計とはちがう。散歩ついでに弁当を買いに出ることにした。歩いて片道10分、ちょうどいい散歩だ。表に出ると黒い雲が左に見えた。方角で言うと佐渡方面だ。携帯の天気サイトで調べてみると1時間以内に雨のふる予報はありませんとの表示。安心して歩きだす。弁当屋についてみると思った以上に混雑している。しかたがないので待っていると外が暗くなってきた。心配になって再度天気サイトを見ると予報が変わっていて28分後に雨の予報と書いてある。このまま弁当屋で待たされると雨に合うと思いながら待っていると、ゴーという雨音。あっという間に道路が川になり、自転車に乗っていた学生がびしょびしょで走っている姿、さきまでの日傘が急きょ雨傘になっている女学生もいた。車で弁当屋に来た人も降りられない状態の豪雨。ゲリラにふさわしい豪雨だ。三度天気サイトをみると13時には雲が消える予報が出ている。時計を見るとあと10分だ。10分待つのは長いが、今出ればゲリラの思う坪だ。シャワーを浴びたかのような目にあうわけにはいかない。しかたなく待つ。すると本当に13時に晴れた。キャンパスに着くとまるでその豪雨がなかったかのように道路が乾いた。蝉も鳴き始めた。あの豪雨はなんだったのか。でもその豪雨のおかげで風がひんやりした。気持ちがいい。クーラーにあたっているかのようだ。
 そういえば心なしか、蝉も夏を惜しんでいるかのような鳴き声に聞こえた。豪雨で蝉も去りゆく夏の鳴き間を一瞬奪われたのかもしれない。雨前より一層大きく鳴いているかのようだ。ふとそう聞こえた。
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監督たちの甲子園・・・

2013-08-21 18:55:25 | Weblog
高校野球決勝は、延岡学園と前橋育英になった。宮崎と群馬の戦いだ。群馬県勢としては1999年81回大会で桐生第一が優勝している。宮崎は決勝すら残ったことがなかった。
 ところで今大会ではベスト4に優勝経験高校が1校も残らなかった。トーナメント戦であるので何が起きるかわからない。だから残らないことが不思議という言い方は乱暴だろう。それがわかった上で少し乱暴な裏側を探ってみたい。
 一つ小生が気になっていることがある。それは今大会が一戦一戦抽選を行ったということだ。まったく次の対戦チームがわからない中での戦いが強いられた。その影響はなかったのだろうか。今の高校野球はすごい情報戦だ。相手チームを徹底的に調べ上げる。その徹底ぶりは一般にはあまり知られてはいないがすごい。
すでに日ハムがドラフト1指名を決めている桐光学園の松井裕樹を横浜が攻略し、3対2。準々決勝で下した。極論すれば松井クラスの投手を初見で打つことはプロの世界でも無理だろう。ここからは小生の推測域だが、横浜にとって松井を打たない限り甲子園は見えてこなかったはずだ。ではどうしたら打ち崩すのか。松井が投げた全試合のビデオを入手して徹底的に配球や投球を調べる。数千球を一球一球丹念に調べる。そして球の見極めを徹底した。どの球が打てる球か、どの球ならばヒットにできるかなど。低めのスライダーを捨て、抜けてくる高めの球を打つなど戦略が綿密に建てられたことは想像できる。もちろんそれを実践できる選手たちの能力には脱帽するが、かなりの情報が集まり戦略が練られただろう。
 今年のような大会運営を来年以降も続けるのかどうか、小生の知るところではないが、続けるとすれば甲子園の常連校はなにかの方策が必要になるだろう。まったく相手がわからず中2日程度で対戦しなければいけないとなると、甲子園出場チームすべての情報が必要になるということにもなる。その情報はどこからどのように入手するのかといった問題も大きい。本音を常連校の監督さんらに聞いてみたいところだ。
 今大会においてはこうした情報戦のことが小生の知る限りでは、ほとんど表に出てきていない。グランドでの戦いではない、もうひとつの甲子園。ふと気になる。
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夏の夜長・・・

2013-08-20 10:27:39 | Weblog
8時過ぎから夕食が始まる。録画しておいた番組を見る。ドキュメンタリーあり、バラエティあり、定番は吉田類の酒場放浪記。毎日かかさずなぜか見ている。飽きない番組だ。居酒屋に入ってお通しから始まり、店主との会話や常連さんとの会話、肴談義と特に変わった話があるわけではない。でもなぜか見てしまう。2軒見るともう眠い。まだ10時くらいだがすでに夢に近づいている自分に気がつく。
 はっと目が覚めると2時くらい。まだ向かいのファミレスには明かりがついている。床についてから4時間あまり。眠りの一周期が終わったのかもしれない。ここからが最近は大変だ。頭の中で文章が出てくる。昼間出てこなかった文章がものすごい勢いで出てくる。頭がさえまくる。うるさいくらいいろんな文章が出てくるのでなかなか寝付けない。でもそれがなぜ楽しい。最近ブログを午前中書くことが多いが、ほとんど夢の中で浮かんだものが多い。
 今朝は大雨が降ったせいか目が覚めた。いつもながらの頭の中で駆け巡る運動が始まった。きのうは少し論文のことで進まずに悩んでいたが、そのことが急にいろんなアイディアが浮かんできた。一時は眠ろうとしたが、もう止まらない。しかたがないので、起きてメモ取り始めた。止まらない。ノートに4ページあまりも手が動いてしまった。小生夜中に起きて文章を書くことは珍しくはない。前にもよくあった。だから以前は枕元にメモ用紙を置いて寝ていた。最近はそこまで追い込まれていないのでメモ用紙は置いていない。
 困ることは朝になってそのメモを見てもなんだか浮世離れしていてネタとして使えないことが多い。どこかで興奮状態なのだろう。なにかの壁にぶつかってそれを突破するために発想を変えようと、とんでもないことをやろうとしているようだ。だから実際には使えない。今朝書いたメモはまだ吟味していない。また使えないのかもしれない。でもこうしたメモは発想の突破口になる。いままで悩んでいた方向を突破する力の原動力にはなる。さらに深い意味合いもこのメモには書かれることが多い。自分で書いておきながら「書かれていることが多い」という表現もおかしいが、そんなこともしばしばある。目の前の事実を単に語るのではなく、そこになぜという考察をいれることでより深く、どこにでも通用する論理を展開することができる。そんなメモもある。そんなシミュレーションが始まってしまうともう眠れない。秋ではなく、夏の夜長になってしまう。
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白黒写真の落ち着き・・・

2013-08-18 11:50:59 | Weblog
月刊誌文芸春秋が創刊90周年を迎えると新聞に書いてあった。古いとは聞いていたが、それほど古いとは知らなかった。初めて存在を知ったのは高校生の時だ。名前は覚えていないが、小説家志望という変な同級生がいつも持っていた。もう38年くらい前の話だ。なぜか持っていると知的な感じがしていた。小説家になるには読まなければいけない本なのかと思った。そしていつからか気になる存在になった。マスコミを目指している時はいつも買わないまでも本屋で必ず中を確かめた。毎月購読していた時期もあった。おもしろいというよりも小生には難しい読み物という印象が強い。時々とんでもない特ダネが出る。立花隆氏が書いた「田中角栄研究」はその一つだ。一躍有名になったネタだった。小生も買ってむさぼるように読んだのを覚えている。前勤めていた会社が写真入りで「田中角栄が作ったテレビ局」と掲載されたこともあった。東京に住んでいた時は電車の中刷り広告でその号の内容を知った。今は新聞広告で知る。時々本屋で手に取って見る。ちなみに今月号は「あまちゃん大人気の舞台裏、福島第二原発所長危機のリーダーシップ、池上彰・・あなたは日本をどう変えますか」といった硬軟の記事がある。また宮崎駿と半藤一利の対談もある。
 どこか知的な部分と、素朴な時代探求心を感じさせるものが多いのが特長だ。読まないと時代から遅れてしまうと思わせる。知的好奇心をくすぐる編集は見事だ。これを毎月、90年間も続けてきたことはすごい。
今でも巻頭の写真は白黒写真だ。同級生交歓という巻頭企画も白黒写真だ。なぜか白黒写真が落ち着く。どこか落ち着く。この雑誌の良さはどこか落ち着く。そこなのかもしれない。人気が落ちないのは、ふとそう思う。
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新しい時代への挑戦・・・

2013-08-16 09:24:30 | Weblog
駅前や古町など繁華街は帰省客でにぎわっているようだ。どこのレストランも満員状態だと聞いている。ところが新潟大学周辺はゴーストタウン状態だ。特に昨日まで大学もお盆休みに入り、すべての事務が休みに入った。図書館も休館となり、キャンパスはカラスと蝉の独壇場となった。小生はといえば、9月に急きょ研究発表することになり、それどころではなくあくせく毎日大学通いを続けている。先日のことだったが、肩こりからくるめまいで朝から体調を崩し、一日寝込んだ日があった。ここにいるとなんだか自分の年齢を見失うことがあって、土日もほとんど休まずに机にしがみついていた疲れが出たのかもしれない。
 寝ていれば少しは楽なので、寝転びながら久しぶりに高校野球を観戦した。今年は新潟代表が早々と姿を消したので、すっかり新潟県にとって甲子園は遠い存在になっているが、甲子園ではまだ3回戦だ。済美の試合と大阪桐蔭の試合をいねむり半分で見ていたが、驚いたのがレベルの高さだ。以前はプロ野球と見比べて感じたのは、スピード感に見劣りを感じていた。ストレート、変化球、野手の動きなどだ。ところが最近はまったく変わらないように見える。レベルの高い試合を見たからということもあるかもしれないが、見劣りはしなかった。むしろプロ野球の緩慢な動きが目についた。新潟県チームもレベルが年々上がっているが、甲子園で勝つのは年々難しくなっていることが否めない。今年の文理も弱くなかった。以前の新潟県代表とは一味ちがう。その証拠に大差で敗れたものの、無失策だった。つまらないエラーで自滅してきた以前の新潟県代表とは一味もふた味もちがう。しかし大阪桐蔭のあの迫力とレベルの高さを考えれば勝つのはちょっとたいへんだ。大井監督も5点は取られると読んでいたようだが、あのチームから6点取るのは決して容易ではない。つまり勝つことは容易ではないということだ。大井監督も試合後の「予想以上の打撃力」と驚きを隠せなかった。
 文理の名前は今でも「あの最終回」というブランドがついているが、甲子園レベルはあの時とはまたワンステップレベルアップしていると感じる。おそらく口には出さないものの、大井監督はそのレベルアップを実感して帰ってきたのではないだろうか。
 投手は150キロが当たり前、3番4番は甘い球ならば軽くスタンドに持っていかれる。そんなチームに勝つためにはどんな策があるのか。様々な鍛え方を他県から学ぶ必要をさらに求められる。今年の甲子園をみてあらためて新しい甲子園時代が始まった感じ、ふとした。
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猛暑考・・・

2013-08-12 10:09:43 | Weblog
以前だと35度と聞いてびっくりしていたけど、最近ではすっかり耳慣れした。今では40度時代に突入している。昔は線路が曲がったり、お店の蝋細工のウインドウメニューが溶けたり、アスファルトがぐじゃぐじゃになったりとニュースになったが、今ではそんなニュースは見なくなった。きょうも暑い。
 ところで最近、この暑い時期に高校野球をなぜやるのかという議論を耳にする。体に良くないということだろう。今年は途中で中休みを入れるようなった。暑さ対策というよりも体力的な面や肘などのケアを考えての措置が講じられようになった。小生の高校生の頃は水さえ飲ませてもらえないような時代だったことを考えれば、よく生きていたと思う。日射病ということは聞いたことはあるが熱中症という言葉はあの当時聞いたことがなかった。あの時ののどの渇きはトラウマになっている。だから今でもこぼれるように水を飲む快感がある。あふれんばかりに飲める幸せを今でも感じる。それほどのどの渇きはつらいものがあった。
 甲子園の開催時期の話だが、熱中症になった監督はいたが、管理が行き届いているせいか高校生球児が熱中症で倒れる選手は見たことがない。普段から鍛えているということもあるのかもしれない。むしろ観戦する方がたいへんだろう。そういう観点から開催時期問題が年々ひょっとすると大きくなる可能性も否定できない。以前のように30度でびっくりするような時代ではなくなってきた。選手はともかく審判や観客のことを考えれば今の開催時期に否定的な意見は大きくなるばかりだ。小生はこの時期の開催に賛成派だ。論理的な根拠はまったくない。風物詩をいつまでも続けて欲しいということだけの理由からだ。場所についての検討を促すような意見もある。東京ドームのような屋根付きがいいとか、様々な意見が飛び交っている。
 ところでこの論理をそのまま東京オリンピック招致にあてはめることはできるのだろうか。あてはめるとなると招致は不利になる。名乗りを上げている東京オリンピックの開催期間は2020年7月24日から8月9日まで、パラリンピックは8月25日から9月6日までとなっている。異常な暑さの中での開催になる。日中は猛暑で夕方になれば突風や豪雨に雷という異常気象状態での開催になることは否定できない。招致委員会はこの異常気象を考慮にいれるのだろうか。甲子園での開催時期議論が東京オリンピック開催まで及ぶのかどうか、ふと思う。
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迎えに行く時代に・・・

2013-08-09 16:01:35 | Weblog
きのう、きょうの2日間オープンキャンパスだった。小生は記録ビデオ係を仰せつかりしっかりと仕事をさせてもらった。さてオープンキャンパスなるもの小生のころには存在していなかった。平たく言えば、現役の高校生に大学を見学してもらい一人でも多くの人に入学をしてもらおうというイベントである。これが結構ビックイベントで、新潟大学の五十嵐キャンパスでは朝から夕方まで教授陣自ら模擬講義や希望する学生には進学相談まで行う。また新潟大学の在学生はキャンパスライフなどを発表するなどして新潟大学の売り込みに一役買う。正確な数字は不明だが、この二日間で2,000人以上が訪れていると思われる。もちろん高校生ばかりではなく、随行員として先生や中には両親同伴という生徒も珍しくない。小生はカメラマンとして、あっちこっちの模擬講義などを見て回り、また新潟大学の人文学部の全体説明を聞いた。カメラマン仕事というよりも自分も高校生になったつもりになった。
 ところでこのオープンキャンパスに来た高校生がどのくらい新潟大学に入学するのか。そこが一番の問題だ。このビックイベントに大学側もかなりの経費をかけている。一番の目的は学生確保にある。ところがこれも正確な数字を小生は把握していないが、あまり効果が上がっていないのが現状のようだ。普通に考えれば高校三年生がこのオープンキャンパスの一番のお客さんと見るが、アンケート調査などによれば一年生が多いという結果らしい。大学と高校との思惑がずれているということになる。
 受験生は、いまはそれどころではない、というのが現状だろう。そして高校側は一年生や二年生を連れてくることで受験勉強へのモチベーションを高めたいという考えがあるようだ。考えてみればこのオープンキャンパスは高校の受験教育の一環に組み込まれているといっても過言ではなく、大学側から見ればやらされている感もある。
 しかしいわゆるこうした高校生への誘い込みをやらないわけにもいかない。私立はもっとこうした生徒の誘い込み活動は激しい。県内のある私立大学では二カ月に一回の割合で行っている。また神奈川県のある私立大学では全国に付属高校があるが、新潟県は空白県ということで受験指導や試験会場などを幅広い誘い込み活動を積極的に行っている。聞いたところでは教授らが担当地区を受け持って夏、冬を担当地域の主要な高校に出向いて様々な情報を提供している。
 それに比べればまだ新潟大学は余裕があるのかもしれない。がしかし「国立大学でございます」などと言って呑気にしている時代ではないことは明白だ。きのう、きょうと新潟大学に来た高校生はどんな感想を持って帰ったのだろうか。ふと気になった。
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日本最大のお祭り・・・

2013-08-07 10:08:37 | Weblog
あすから甲子園が始まる。カナダにいる小生の従兄弟が日本で一番見てみたいお祭りと表現していた。野球の好き嫌いに関係なく、一度は見せたい日本の最大のお祭りかもしれない。外国人向け夏の最大イベントとして売り出せばかなりの観光客が見込めると思うのだが、実現できていないのは思ったほどではないのか、それとも席の確保ができないのかのどちらかだろう。好試合日になるとすでに大阪、梅田駅周辺で「すでに甲子園への入場はできません」という告知が出るほどだ。今年は大会6日目の8月13日が満員札止め日になりそうだ。この日は第一試合で横浜、第二試合で日大三、第三試合で花巻東、第四試合で明徳義塾が出てくる。4試合ともじっくり味わえる一日だ。
 さて日本文理は大阪代表の大阪桐蔭を引いた。予想できない試合展開でいつもびっくりさせてくれる日本文理なので楽しみだが、まともにぶつかっては勝てない相手だろう。しかも初日だ。できれば6日目もしくは7日目あたりが理想だった。調整時間がもう少しほしかったところだろう。
 朝日新聞で「語る松井秀喜」を連載している。今朝はあの5連続敬遠の話が載っていた。1992年のことだ。この年は小生にとっても思い出深い年だった。甲子園に同行取材するはずの後輩が怪我して急きょ小生が同行することになった。甲子園切符を手にしたのは長岡向陵だった。下手投げの竹内がエースだった。当時は一回戦の抽選は西と東に分けられていた。引いた相手は星稜高校だった。富山からが西と東の境界で、石川は同じ北信越にも関わらず夏は西の別ブロックだった。もちろん星稜は松井がいた。第四試合だった。ナイター試合になり、小生はネット裏で試合を見ていた。健闘はしたものの長岡向陵に勝ち目はなかった。5連続敬遠はそのあとの2回戦で起きた。なにか小生の見た松井とあの時に松井が重なる。そんなことから思い出深い年として今でも思い出す。
 松井はあの敬遠にこんなことを言っている。「相手投手に恐れられているので気持ちは悪くない。ただあの試合ではすべてタイミングを取った。体に近い球が来たら、打とうと思った」と書いている。そして「プロに行って鳴かず飛ばずだった場合、『なんだ、勝負しても勝てたんじゃない』と思われてしまう。あそこで敬遠された打者としての実力を証明しなきゃいけないと思っていた」と敬遠があったからこそ、ここまで来られたと受け取る発言をしている。松井は心技体を持ち合わせた選手であったと今更ながら思う。
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日傘文化の考察・・・

2013-08-02 15:12:21 | Weblog
最近、院生から相談を受けることが多い。ありがたい。相談する方は担当教授には言えないし、かといって自分では解決できない、相談相手がいないという理由で小生のところにやってくる。先日はここでも書いたが、アナウンサーになりたいという女学生が来た。
 先日のことだ。中国からの留学生から課題リポートを見てほしいとの相談を受けた。気軽に引き受けたものの、どこに提出する課題リポートなのか、どのレベルなのかを確かめずに引きうけた。ちなみにその留学生は小生より上の博士課程に在籍している女学生だ。数日経過してメールがきた。内容は東京の大手広告代理店のインターシッに参加するための課題で「男性用日傘推進協会から今年の夏に男性用の日傘を大流行させる提案」となっている。手ごわい課題だ。さっそく彼女の書いたリポートを見せてもらった。
 指摘、手直しできるほど小生がこうした課題リポートを書けるほど能力はない。しかし考え方は提示できる。まずなぜこうした課題を出したのか。なにを書けば先方の目に止まるのか。ということをまず念頭に置かなければいけない。そして提案として大きく二つに分けることができる。一つは日傘そのものに関する提案である。日傘の形状、価格など日傘そのものに対する提案だ。残りのもう一つがさす側への提案である。流行させるという条件がついているので、さす側の心を打つような提案が望ましいかもしれない。
もうワンステップ進めると、いま日傘をさしている女性も少ないし、男性に至ってはほとんどいない。ときどきゴルフ場で見かける程度だ。それはなぜか。なにが原因で日傘を男性は必要としていないのか。逆にどうしたら日傘をさすようになるのか。
 彼女の書いたものを手直しするというのではなく、このように考え方を一つ一つ丁寧に説いた。そして最後に日傘という概念をそのままにしておいてはおそらくこの課題は書けないと思うと小生は結んだ。とんでもない発想と概念を打ち破るような考えがないとおそらく先方の目に止まることはないだろう。ではとんでもない発想とはなにか。そこは遊びの世界である。残念ながら小生のアドバイスはそこで終わった。あとは自分で考えて、と結んだ。正直小生もわからない。小生日傘をさした経験もなければ、もちろん持ってもいない。雨傘さえ面倒くさいのに日傘なんてとんでもない。という輩である。おそらく男の大半がそう思っているだろう。
 来年、なにかのきっかけで日傘をさすような日本になるだろうか。彼女にお願いをしてみた。どんなリポートがあったのか後で教えてほしいと。それを知ったら小生は日傘をさすようになるだろうか。試してみたいとふと思った。
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