すっかり葉室麟の世界にすっかりはまってしまった。すでに5冊を読了した。初めて手に
したのは直木賞を受賞した「蜩ノ記」だった。すでに先日書いた。これをきっかけに彼の
持つ世界にすっかり魅了され「無双の花」「散り椿」「いのちなりにけり」そしてさきほ
ど「銀漢の賦」を読了した。これは松本清張賞を2007年に受賞している作品だ。
葉室麟さんの作品は詳細な舞台となっている地域の詳細な説明があるわけではなく、詳
細な主人公が住む藩の説明があるわけではないので、あまり歴史的は知識のないひとにと
っては序盤のストーリーはわかりにくい。そこが司馬遼太郎とはちがう。司馬はすこし説
明が長すぎるところもあるが、葉室氏はいっさいない。小生歴史小説は嫌いではないが、
あまり日本史の幅広い知識があるわけではない。歴史小説の好きな理由は時代を超えた人
間模様があざやかに展開されるところだ。小生の本棚には司馬遼太郎氏、山本一力氏の作
品が並んでいる。いずれもその時代を精一杯に生き抜いた主人公たちが巧みな言葉で表現
されている。そこに惹かれるのだ。
葉室麟氏の作品は小生のボキャブラリーではとても書評を書く能力はない。描かれてい
る登場人物に対する葉室氏の思いにすごく感動してしまって、いつのまにか引き込まれて
いく。5作品とも最後のページまで休むことなく、読み終えることができる。
「銀漢の賦」の解説を担当している国文学者で文芸評論家の島内景二氏は「友情の味は、
恋に似て」と題する書評を最後に書いている。紹介する。
「何よりも文体が、比類なきまでに清れつ(清く澄んでいること)である。人間の心は、
悩みや苦しみさえも、こんなに高雅(気高くてみやびなこと)文章で掬(すく)い上げる
ことができるものなのか。時として強烈な血の匂いも行間に嗅いだような気がするけれど
も、肉体から流れ出た血液ではなく、魂の傷口から滲み出た形而上(かたちえを超越した
もの)学的な血液なので、まことに透明である」と評価している。
そして結びでは次のように書いている。「葉室麟の時代小説は、現代日本の暗雲を吹き飛
ばす一陣の涼風である。作者のメッセージを心の耳で聞き取り、魂全体で感じ取った読者
は、現代社会で現代文明に対する葉室麟の辛辣な批評精神が、熾烈に、しかも美しく燃え
さかっていることに気がつくだろう。ここから、新しい日本文学の領域が切り拓かれ
る」。
是非一度手にとっていただきたい。ふとそう思う。
したのは直木賞を受賞した「蜩ノ記」だった。すでに先日書いた。これをきっかけに彼の
持つ世界にすっかり魅了され「無双の花」「散り椿」「いのちなりにけり」そしてさきほ
ど「銀漢の賦」を読了した。これは松本清張賞を2007年に受賞している作品だ。
葉室麟さんの作品は詳細な舞台となっている地域の詳細な説明があるわけではなく、詳
細な主人公が住む藩の説明があるわけではないので、あまり歴史的は知識のないひとにと
っては序盤のストーリーはわかりにくい。そこが司馬遼太郎とはちがう。司馬はすこし説
明が長すぎるところもあるが、葉室氏はいっさいない。小生歴史小説は嫌いではないが、
あまり日本史の幅広い知識があるわけではない。歴史小説の好きな理由は時代を超えた人
間模様があざやかに展開されるところだ。小生の本棚には司馬遼太郎氏、山本一力氏の作
品が並んでいる。いずれもその時代を精一杯に生き抜いた主人公たちが巧みな言葉で表現
されている。そこに惹かれるのだ。
葉室麟氏の作品は小生のボキャブラリーではとても書評を書く能力はない。描かれてい
る登場人物に対する葉室氏の思いにすごく感動してしまって、いつのまにか引き込まれて
いく。5作品とも最後のページまで休むことなく、読み終えることができる。
「銀漢の賦」の解説を担当している国文学者で文芸評論家の島内景二氏は「友情の味は、
恋に似て」と題する書評を最後に書いている。紹介する。
「何よりも文体が、比類なきまでに清れつ(清く澄んでいること)である。人間の心は、
悩みや苦しみさえも、こんなに高雅(気高くてみやびなこと)文章で掬(すく)い上げる
ことができるものなのか。時として強烈な血の匂いも行間に嗅いだような気がするけれど
も、肉体から流れ出た血液ではなく、魂の傷口から滲み出た形而上(かたちえを超越した
もの)学的な血液なので、まことに透明である」と評価している。
そして結びでは次のように書いている。「葉室麟の時代小説は、現代日本の暗雲を吹き飛
ばす一陣の涼風である。作者のメッセージを心の耳で聞き取り、魂全体で感じ取った読者
は、現代社会で現代文明に対する葉室麟の辛辣な批評精神が、熾烈に、しかも美しく燃え
さかっていることに気がつくだろう。ここから、新しい日本文学の領域が切り拓かれ
る」。
是非一度手にとっていただきたい。ふとそう思う。