事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

遠くない県勢全国制覇・・・

2011-09-30 11:42:00 | Weblog
きのうハワイから帰国した。ハワイの話は時間を掛けながら今度ゆっくりと書く。このブ

ログはちがうことを書く。

 北信越高校野球県大会は北越が優勝した。北越は文理、明訓を破って優勝した。名実と

もに完全優勝と言っていい。小生この優勝の意味はすごく大きいと思う。新しい時代が始

まった予感がした。当事者たちは気が付いているだろ

う。北越の優勝は偶然でも奇跡でもない。やっと実った遅いくらいの優勝だと小生は思

う。今年の夏の大会は前評判は高かったものの、白根に惜敗した。勝つことの難しさをあ

らためて感じざるを得ない惜敗だったにちがいない。

以前の文理や明訓にもそんな時代があった。文理は勝つときは大勝、負ける時は大負け。

試合はいつも大味だった。打てる時は打てる。打てない時は打てない。打てない時にどう

やって打つのか、デリケートな試合展開をどうやって

対処し、自分たちのどうやって流れをつかんでいくのか。それが大きな課題だったが、

徐々に変わってきた。丁寧にアウトカウントを取りながら流れをつかめるようになった。

明訓もそうだ。ベスト8、ベスト4まで行っても必ず中越や新発田農が大きな壁になっ

た。悔しい思いを何回もさせられてきた。その悔しい思いを結集したのが、今の明訓だ。

以前の中越や新発田農の役割を明訓や文理が果たし、新潟県の高校野球界を引っ張ってい

る。ベスト8やベスト4での戦い方がある。そんな話を小生ベテラン監督から聞いたこと

がある。勝つ野球ではなく、負けない野球。一見すると言葉の遊びのようだが、微妙な勝

負に対するニュアンスがある。勝ちに行けば叩かれる、負けないという気持ちは消極的過

ぎる。その気持ちのバランスがすごく難しい。ケースバイケース。一試合一試合すべて状

況がちがう。パターンがあるようでない。無いようである。その試合勘は極めて高度な感

覚だ。野球には流れがあり、体力があり、人間には欲がある。どうバランスを試合の中に

反映させていくのか。

 新潟県の野球レベルが上がっていると先日のブログで書いた。下剋上と言えば少々大げ

さだが、これから先明訓、文理至上主義ではなくなる。文理が掲げている新潟県勢の全国

制覇は遠くないと思う。北越の優勝はそんな予感をさせた。
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必要なのは議論だ・・・

2011-09-22 19:05:43 | Weblog
先日に書いた遺体映像を放送するかどうかについて学生から意見をいただいたので、ここ

で披露させてもらう。本人には許可をいただいていないので、匿名で掲載する。返事は任

意でいいと前置きをしたので、一人しか返事がこなかった。返事をもらった学生は2年生

二十歳の女性でメディア専攻。今の学生らしい意見だ。

 まず最初に遺体映像の放送に関しては「反対」と明確だった。理由は4つからと書いて

いる。「目を背けたくなる」が一番の理由だ。これは予想された意見なので、特筆するも

のではない。しかし補足説明があった。東日本大震災の真相や実情を知りたい人は、つま

り遺体など通常のテレビで放送していないような内容を見たいのであれば、本やインター

ネットといった他媒体を使用して見るべきと書いている。「他媒体」という意見がメディ

ア専攻の学生らしいというか、今はテレビ以外で何かを見ることができるという認識のあ

ることがわかった。つまりこの学生はテレビで満足できない場合は、他媒体を使用して見

ているということでもある。最近は新聞を取らないのは当たり前で、そればかりかテレビ

もなくあるのはパソコンだけという学生も珍しくないという話を聞く。娯楽の万能という

古臭いことは言わないが、すでにテレビは唯一のものではないことがわかる。

 もう一点小生が注目した意見があった。それは遺体にも人格があるという意見だった。

これは個人の意見と思うが、一理あると思った。学生の言葉をそのまま書けば「亡くなら

れた方の尊厳です。亡くなられた方々はもしかしたら死んで横たわっている姿を他人に見

られたくないかもしれません。その人たちの意思やプライバシーを無視してテレビで流し

てしまうのは倫理的によくないと思います。遺族への配慮も含まれています」とある。放

送する場合でもモザイクなど特定できないようにすることは考えられるが、倫理や人格と

なるとモザイクもNGになる。

 こうして反対理由を書いているが、最後で「制約ばかりをかけてしまうと内容が浅く当

たり障りのないドキュメンタリーしか作れなくなる可能性もあり非常に難しいところで

す」と結んでいる。結びの言葉で制作者の悩みというか社会的な責任を書いている。ここ

が一番の問題というかこの問題の焦点と思う。小生、学生に疑問を投げかけたが、小生の

意見を問われれば遺体映像は見たくない放送したくないというのが本音だ。この学生のよ

うにいろんな角度からいろんな立場から議論を重ねていくべき問題だと思う。大事なのは

議論をしていくべき問題だということだ。感情論のみで済まさずに、マスコミの社会的な

責任などを含めて、議論すべきと思う。時が経てばまたちがった意見が出てくる可能性も

ある。デリケートな問題だ。


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フライングか・・・

2011-09-22 09:56:39 | Weblog
夕方は各局の台風中継を見ていた。一時危険な中継は自粛しようという申し合わせがあっ

たが、今回の台風中継を見る限りまたもとにもどった感じがした。小生もついこの前まで

逆側にいたので気持ちはわかるが、やはり見ていて少しやり過ぎと思う中継があった。 

今回の台風は950ヘクトパスカルという非常に強い勢力を保ったままの直撃だった。こ

の台風をどのように表現しようかと現場の記者やディレクターは考える。以前のように安

全を無視しての演出はできない。しかしまったくなにもないところでの中継やロケは無意

味だ。そこでここまでだったら許されるというぎりぎりの線でカメラを据える。

そのぎりぎりという線が以前に比べ少し前に、少し危険区域に入った感じがしたのだ。N

HKの中継も見ていたが、状況はよくわかるがはやり見ていて何かどこか物足りない。し

かもNHKは民放以上に何回も同じシーンを繰り返し使う。状況は一番わかりやすいが、

10分見ていると飽きてくる。NHKスタイルなのでしかたがないが、おもしろくない。

だからチャンネルを変えてしまう。そして目が留まるのはやっぱり激しい映像があるとこ

ろだ。危険な中継はご法度とは言うものの見ている側はどこかで激しさを求める。視聴者

は勝手なものだ。

テレビ局はなにを伝えなければいけないのか。テレビ局の社会的責任はどこにあるのか。

一つ一つの経験を基に内部で話し合って欲しいと思った。OBとして。


※あすからネット環境に入られない場所に行くことになりました。ブログは一週間ほどやすませていただきます。ご了承ください。特に0さん、Kさん、Bさんよろしくお願いします。帰ってきたらまたぼつぼつと書き始めます。

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想定外ってものか・・・

2011-09-21 10:33:23 | Weblog
台風や雨のニュースに隠れてバリューが小さくなっているが、愛知県で福島県産の花火を

打ち上げれば放射能を撒き散らす。こんな声が寄せられて福島県の花火が打ち上げること

ができなかったということが起きた。驚いた。

 朝日新聞20日付によれば愛知県日進市で18日夜の花火大会で福島県川俣町の業者が

作った約80発が打つ上げられる予定だったが、実行委員会に電話やメールで「汚染され

た花火を使うな」など約20件の抗議や苦情が寄せられたという。市では放射能を測定す

る機器がないなど安全確認ができないなどの理由から中止を決め、違う業者の花火を打ち

上げたという。川俣町は一部が、原発事故で計画的避難区域に指定されているが、花火を

作った業者は区域外にあり、敷地内の放射線量は避難の目安となる基準を大きく下回って

いる。業者は「東海地方に避難している人もおり、福島の花火だと喜んでもらえると思っ

て協力したのに残念」と話をしているという。

 この記事を読んで小生だけではないと思うが、非常に残念に感じた。放射能汚染に対す

る気持ちがここまで進んでいるのかとびっくりした。小生もまったくありえないというほ

ど知識や確信があるわけではない。いろんな人がいるんだというとの驚きだけだ。残念な

のは市の対応でもある。すんなりとあまりにも引き下がるのが早すぎないか、市もまさか

のそんな苦情までくるとは思わなかったのだろうが、もう少し苦情に対しなんらかの言葉

があってもよかったと思う。

 このニュースきょう21日付の新潟日報に続報が出ていた。日進市その後だ。川俣町は

20日付け町長名で「打ち上げ中止が川俣町への新たな風評被害を引き起こす原因にな

る」として指摘し「被災地の状況、放射性物質に対する正しい知識の周知徹底」との抗議

文を送った。まったくごもっともな話だ。日進市には20日までに電話やメールによる抗

議が500件以上相次いでいるという。当然だろう。

 小生がこの問題を取り上げたのは苦情を言った人たちのことではない。むしろ市の対応

だ。このままでは済まされない。川俣町の名誉回復と花火業者への名誉回復をしなければ

ならない。そしてその内容をきちんと公開すべきだと思う。そのことは風評被害を今後一

切断ち切りことにもつながる。風評被害の怖さは放置しておくとどんどん広がることだ。

その後のフォローをちゃんとやって欲しい。花火で放射能か、想定外だなあ~。



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全国制覇の鍵jは・・・

2011-09-20 08:35:32 | Weblog
日本文理が負けた。小生試合を見ていないが、最近の新潟県野球レベルの高さを示す結果

と思う。20年以上前に108高校の野球部を取材したことがあった。それぞれいろんな

事情を野球部ごとに抱えている。勝ち負けとは関係なく人格形成のために一生懸命に野球

を教えている先生もたくさんいた。そんな先生たちと雑談するのが、その取材の楽しみで

もあった。残念だったのは、野球の経験なしということを理由にまったく生徒たちに関心

を示さない先生だ。今ではそうした先生はほとんどいないと小生は信じている。それが新

潟県の野球レベルが徐々に高くなっている要因と考える。

一番は底上げだ。文理といえども油断すればいつ負けるかわからない。逆に一生懸命にや

っていればどんなチームでも甲子園に行けるチャンスはやってくる。そんな気持ちを選手

にどのくらい伝えられるかだ。それが監督の大きな役割だ。それは野球ばかりではない。

社会に出ればそんなことはいくらでもある。始めからあきらめるのでなく、努力を積み重

ねて挑戦する姿が一番大事だ。それを10代後半の選手らに教えることは大切だろう。や

れば出来る。必ずチャンスがやってくる。だから今、必死になってやる。結果はどうなる

かもちろんわからない。最後の最後まで自分たちを信じて、チームメイトを信じてやり抜

く。そんなチームが多ければ多いほど、上のレベルのチームはもっと努力する。底が上が

れば上がるほど上はもっと上がる。県全体で切磋琢磨すれば、新潟県のチームが全国制覇
する日は遠くない。上だけのチームに全国制覇のチャンスがあるわけではない。

 だから全国制覇の鍵を握っているのは、下位でがんばっているチームだと小生は思う。
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時代に押された・・・

2011-09-19 07:12:04 | Weblog
12日から行方不明になっていたJR北海道の中島社長が、18日小樽市の沖合1キロ付

近で水死体で発見された。自殺と見られている。家には遺書が10通残されていた。今年

5月に石勝線で特急列車が脱線炎上し、乗務員の避難誘導が遅れて多数の乗客が手当てを

受ける事故が発生するなど、ここ数年JR北海道では様々な事故が相次いだ。18日会見

した小池会長は「社長は相当心労が蓄積していた」自殺原因を明らかにした。企業の不祥

事でトップが自殺をすることはあまりない。よほどの心労と八方塞の状態に追い込まれた

のだろうと推察する。

 小生が初めて北海道に足を踏み入れたのは、高校に入る前の春休みだ。SLを追いかけ

友人3人と出かけた。周遊券で道内を駆け巡り、宿泊先はユースホステルだった。3月下

旬とはいえ、まだ道内にはかなり雪があった。今でも覚えているのは稚内の雪原だ。札幌

から夜行に乗った。朝目を覚ますと一面の雪原を車窓から目の当たりにした。同じ北海道

でも札幌周辺と稚内とはまったくちがった。札幌には春の兆しがあったが、稚内はまだ酷

寒だった。稚内周辺でSLを狙った。雪原の上でじっとSLを待つ。遠くから汽笛が響

く。空にその汽笛がこだまする。地球というドームにいるかのようだ。しばらくすると地

平線から黒い煙が噴出す。そして「じゃりじゃり」と音を立てながら、「ポー」と汽笛を

鳴らしながら走ってくる。まるで体をゆすっているかのようだ。映画の世界だ。水平線と

SLが重なる。望遠で覗いているが、アップで撮るのがもったいない。レンズで追うのが

もったいない。夢をみているような風景との出会いだった。

 SLを追う旅は10日間にもおよんだ。様々な雄大な風景を見た。どこに行っても広

く、雄大だった。SLだけではなく、ディーゼル機関車、ディーゼル客車どれにレンズを

むけても絵になった。光景ばかりではなく、独特の石炭のにおいもまだ鼻に残っている。

どこの駅に行ってもSL独特のあの石炭のにおいがあった。

 民営化、高速道路整備、価格競争、時代は鉄道に厳しく動いた。地平線を走ったSLは

時代遅れの産物としてこの世を去った。今では観光資源して、郷愁として各地で活躍する

が時代のOBとしての存在でしかない。

 中島社長は時代に押された。小生ふと思った。合掌。


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愚者・・・凡人・・・賢人・・・

2011-09-17 11:09:36 | Weblog
10年以上前になるのだろうか。M高校からプロ野球選手が誕生、それを機に毎年ファン

感謝パーティを開くことになった。驚くことに突然小生にそのとりまとめをして欲しいと

の依頼があった。喜んで引き受けたものの、取りまとめるのは今だから言えるが、たいへ

んだった。出席をすることはあってもパーティを主催する経験はなかなかない。小生その

時、会社で事業に所属していてパーティ主催はお手の物だった。依頼はそんなことからだ

ったのだろう。しかしパーティはともかく一生つきあっていける面々とそこで出会った。

人との出会いは、突然だ。結局そのパーティは7年ほど続いた。運営の話し合いは楽しか

った。あれやこれやいろんな趣向をみんなで考える。毎年決まってクイズ大会をやる。最

後まで残れればユニフォームはグローブなど豪華な商品を用意した。パーティに来ていた

だいた人にどうやって楽しんでもらうか、お客様目線での運営をどうしたらできるのかを

毎年みんなでアイデアを考えた。小生にもすごくいい経験になった。今でもやりたいくら

いだ。

 今はパーティを開いていない。現役を退いたからだ。しかし小生にはその時の仲間が残

った。ゴルフをやったり、時には一緒に一献やったりと人のためではなく今は、自分たち

のためにパーティを時期をみながら開いている。

そのメンバーが昨夜小生のために激励会を開いてくれた。中には今では一年に一回しか会

わないようなメンバーもいる。新しい仕事を見つけて一生懸命やっている輩もいる。忙し

い中みんなが小生のために集まってくれた。いろんな言葉をもらった。背中を何回も押し

てくれた。たかが言葉されど言葉。言葉の重みを教えてくれた。勇気付けられた一夜だっ

た。深謝。

小生の言葉ノートにこんな一文がある。誰の言葉なのか、どこからメモをしたのかはわか

らない。

「愚者は縁を知らず、凡人は縁を生かせず、賢人は縁を生かす」身にしみる言葉だ。
 
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励まされます・・・

2011-09-15 19:01:05 | Weblog
意外と、と自分で言うのもおかしいが、真面目に毎日県立図書館に通っている。授業を受

けているつもりで1時間目、2時間目と自分で時間を決めながら勉強している。もちろん

休憩も入れる。

辞めた直後はみんなからその歳から勉強?それはたいへんですねとか、大丈夫ですかと

か。いろんなご意見をいただいた。小生もそこまで言われるとなんだか心配になったが、

図書館に行くと少し安心する。平日の図書館は8割が高齢者だ。これからどこでなにをす

るのかは知らないが、みんなよく勉強しているというか、ノートにびっしりとわけのわか

らない言葉を綴っている人もいる。古文書からなにかを調べているような人もいる。休憩

時間には図書館内の人間ウッチングに出かける。なかなか楽しめる。今の60歳以上の方々

はむしろ小生たちとちがって活字で育っているだけに、文字を読むということにあまり抵

抗がないのかもしれない。小生があの歳になってもあそこまで活字を追いかける気力があ

るかどうか疑問だ。目を細めて本を読んでいる姿をよく見かける。それに比べれば小生は

まだまだ鼻たれ小僧だ。そんなこともあってか図書館に行くのはまったく苦にならない

し、むしろ安心する。

今の境遇ならば、サボろうと思えばいくらでもサボれるが、今はサボることにすごく恐怖

心がある。会社のように上司という監視役がいて、サラリーや昇進昇格に影響が出るとな

るとやっかいだが、小生はその点はまったく気楽。なんにもない。すべて自己責任だ。な

にをしようと自由だ。会社を辞める時はそんなことを考えていた。気楽でいいだろうと。

なんにもないだろうと。早くそういう生活をしたい。本当に思っていた。しかしいざその

生活になってみると、人間不思議なものでそうはいかない。むしろその自由が怖くなっ

た。きょう学習したことがしっかり身になっただろうか、試験に出たらきちんと対処でき

るだろうかと、自分らしくない恐怖心に毎日襲われる。相変わらず夢には頻繁に英語が出

てくる。英語が小生を襲ってくるのだ。

まあそれでも勉強できる時間があることに感謝しながら、一つ一つ丁寧に時間がかかるこ

とはそれなりに時間をかけてやっていくしかないし、焦らずに積み上げていくしかないと

最近はむしろ落ち着いてきた。

一言で言えばたのしいッス。てなところでしょうか。


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ゼロは疑問・・・

2011-09-14 11:36:29 | Weblog
ありがたいことにまだ送別会は続いている。相手も飲む口実ができていいのかもしれな

い。いずれにしても大変ありがたい。ちなみに小生は一切無料で飲ませていただいてい

る。このままいつまでも続けばいいと内心思っている。

 昨夜も少人数でも送別会になった。大先輩や中先輩らが集まってくれた。小生の送別と

いう話はほとんどなく、ほとんどが世間話だった。めったに会えない方々なので、それは

それで楽しかった。ありがたかった。その中にちょっとここで記したことがあった。それ

は大先輩が言い出した。

それは東日本大震災関連報道で一切遺体の映像がないのはいかがなものかということだっ

た。実は小生もずっと考えていた。ことが事なだけになかなか言い出しにくい。写真週刊

誌でビニールシートの隙間からちょっと足がのぞいたり、手が見えたりすることはあった

が、顔はもちろん体の部分はほとんど言っていいほど、公開されていない。現場に行った

記者からは悲惨な状況を見てきたという報告はある。人とは思えないような姿を何回も見

たということを聞いている。そして津波の映像があれほど撮影されているにも関らず人が

流されていくような映像は一切ない。撮影できなかったのか、撮影しても使っていないの

かは定かではない。しかし遺体映像はあるはずだが、一切使用されていない。昨夜議論に

なったのは、それでいいのかということだった。これは極めて難しい問題だ。いたずらに

遺体を撮影し、公開していいという積極論は昨夜の議論の中にはさすがになかった。でも

この悲惨な大災害を後世に伝えていくためには、リアルな映像も必要ではないのかという

意見があった。壊れた家や瓦礫の山、陸に打ち上げられた船などだけでいいのか。遺体の

写し方の問題、公開の問題は議論の余地はあるが、一切ないというのはいかがなものかと

いう大先輩の意見だった。小生もその意見には賛成だった。言い方を変えると一切見せな

いという権利をマスコミは持っているのかという意見だ。自粛というのは言葉は極めて耳

ざわりがいいが、しかしマスコミがそこまで制限していいものかどうかは賛否あるだろう

と思う。公開をしてしまえば激しい抵抗はあるだろう。家族のことを思うとそれも厳し

い。でも一切ない。どこも映像を使わない。すべて同じ方向にマスコミが向いているとい

う状態は、どこか異常ではないかと小生は思うし、みなさんも同じ意見だった。どこか一

社くらいは違った考え方や違った角度からこの大震災を見てもいいのではないか、

どこかでこうした意見をきちんと整理しながら、今後につなげていくべきと小生、ふと思

った。今度学生にこの問題をぶつけてみよう。



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意識の風化発言・・・

2011-09-12 11:11:41 | Weblog
鉢呂吉雄経済産業大臣が「死の町」「放射能をうつす」との発言で辞任した。
 
これを聞いて小生、まだ半年しか経っていないのにすでにここまで悪冗談が言えるくらい

まで風化しつつあるのかと感じた。

 きのうは3・11東日本大震災から半年として各局いろんな角度から特集なり特番を編

成していた。少しずつだが、瓦礫の山や陸に打ち上げられた船などが片付けられているよ

うだ。しかしまだまだ津波に襲われたままの状態になっているようなところもあった。も

う半年ではなく、まだ半年いう印象を受けた。復旧、復興を考えると10年単位で考えな

ければいけないのだろうと思うし、被災した人たちの心の傷は一生癒えることはなく、そ

の悲しい記憶を背負いながら生きていかなければいけないと思うと、言葉が出ない。

 さて話を戻そう。鉢ロ経産相だが、「死の町」は記者会見での発言。「放射能をうつ

す」は夜回りの時のオフレコ発言のようだ。オフレコや公式の場での発言はともかく、言

っていい事と悪いことの区別が極めて杜撰といわざるを得ない。言うまでもないことだ。

ついいい気になって悪気なく言ってしまって、被災地や被災民を傷つけるつもりはなかっ

たのだろうと思うが、大臣であるという職責を考えるとお粗末な発言だ。

 どんな場所でもどんな時でも、たとえ冗談であっても通じるときと通じない時がある

し、決して今回の発言は許されない。発言の影響の想像力が欠けていた。という問題より

も被災地に対する発言、放射能に対する悪ふざけの発言はどんなに言い訳をしても決して

通らない。その極めて安易な冗談なのか不用意なのかは知らないが、少し自覚が足りなす

ぎると思う。この人は特別なのかもしれないが、ある意味もうここまで冗談が言えるくら

いに東日本大震災は風化しつつあるのかと思ってしまった。風化させない意味でもこの辞

任は当然の措置だと小生は感じた。


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テーマは「志」・・・

2011-09-10 12:36:09 | Weblog
小生、今年の授業が大詰めを迎えている。今年学生に出した課題は「志(こころざし)」

だ。この課題をVTRにする。簡単ではない。

 新潟大学で非常勤講師を務めて5年になる。普段メディアの受け手である学生を送り手

に変身させるのがこの授業の趣旨だ。メディアリテラシー授業の一環だ。課題テーマに沿

って5分程度のドキュメントを作ってもらう。3~4人が一組になって、カメラ、編集、

ナレーションなどすべてが学生に実習してもらう。毎年小生は意地悪く抽象的な課題を出

す。今年の「志」も少しやっかいだ。


 昨日は座学の最終日ということで取材や制作にあたっての注意事項ややるべきことなど

を講義した。ほとんどの学生がテーマに沿って人を取材する。今年であれば志を持った

人、持っている人、これから志を立てようとしている人など、取材対象者は人になる。そ

こで小生が人取材に対してこれまでの経験やらを話した。


 取材のポイントは「なぜ」と何回も聞くこと。志であれば「なぜ志を立てたのか」など

を丹念に丁寧に聞いていく。一回や2回では決して本音まで到達できない。必ず、その本

人の本音を聞き出してこいと口すっぱく学生に言う。というはいうもののテレビ局記者で

あっても本音を聞くことが出来ずに帰ってくることも少なくない。ではなぜその本音を聞

き出すことができないのか。それは相手と勝負をしないからだ。単にその人の人生観を野

次馬的に聞こうとすれば、相手も身構える。そうではなくて、本気になってその人と対峙

して、気持ちをぶつけ合えば必ずなんらかの答えが出てくると思う。少々学生にはハード

ルが高いかもしれないが、体験するだけでいいと思う。「志」というテーマは簡単ではな

い。しかしそのテーマと取材する側の自分が向き合うことで、相手の志の中に入っていけ

る。中に入って初めて「なぜ」が出てくる。そして本音を探れる。ドキュメンタリーは長

くても短くても、結婚式のビデオのようにあるものを単に撮影するということ単純作業で

はない。相手から気持ちを引き出さなければいけない。そのことがものすごくたいへんな

作業なのだ。

 このテーマの到達点は、志を持つということがその人にとってどんなことなのか、どん

な意味があるのか、成功よりも失敗したことでなにか得たものはないのか、志を持ってい

る人とそうでない人とはどこがちがうのか、そんな人生観を深く掘り下げるところに本当

の意味の狙いがある。

 今年の学生がどんな人をどんな風に取材し、表現するのか、楽しみだ。


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初めての秋・・・

2011-09-07 17:36:18 | Weblog
小生宅は8階だ。真夏でもエアコンを入れる日が4~5日あるかないか。極めて風通しが

いい。ところが最近は朝が寒い。秋を語るのは早いと思うのだが、空を見てもなんだか秋

を感じるようになってしまった。小生は夏好き。暑いくらいがちょうどいい。年齢を重ね

るほどに夏の暑さはこたえるが、それでも雪や寒さよりはいい。またあの雪がやってくる

と思うと少し気分がへこむ。

 28年前、初めて新潟で秋を迎えた。秋は東京でもなんとなく物悲しい気分になる。初

めての秋は仕事でそれどころではなかった。7月から研修が始まり、夏も研修に明け暮れ

た。10月に開局。田中元総理のロッキード判決が開局後すぐにあった。長岡駅前から生

中継やらテレビ朝日の特別番組やらでたいへんな一日を過ごした。あの頃はあっという間

に時間が過ぎていった。家路に着くのはいつも午前様。家に帰ってくればバタンと倒れて

寝るだけ。また朝起きて必死になって会社へ行く。そんな暮らしをしばらくした。研修に

明け暮れた夏は暑かったが、疲れて暑苦しさを感じないほどよく寝た。たまには早く帰っ

て一人でのんびりと思うのだが、そんな日に限って先輩から飲みの誘いがあって、嫌いで

はないのでつい古町へと足を運ぶ。しかし疲れて歩くのもやっとの状態であっちふらふ

ら、こっちふらふら。

 小生の住んでいたアパートの隣に犬がいた。小生がタクシーで降りると決まって吠え

る。なにが気に食わないのか知らないが、毎日吠えられるとこっちもなんとなくめげる。

一回だけ酔った勢いで小生も四つんばいになって吠え返したことがあった。誰にも見られ

ていないと思う。それ以来なぜかそいつは吠えなくなった。理由はわからない。

 毎日くたくたになって帰ってきた時にふと空を見上げると、東京の空よりも広い空を見

た。そして星がたくさん見えた。新潟の空はきれいなんだ。初めて新潟で暮らしているこ

とを感じた。そしていつも広い空を感じるときは稲わらを焼くあのにおいがした。なんだ

か懐かしい。
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至福の時・・・

2011-09-06 17:54:56 | Weblog
会社を辞めてからパソコンから遠ざかることが多く、ブログの更新が思うようにいかなく

なった。たいへんご無沙汰しております。まだ一週間しか経っていないが、勤めていた頃

がすごく遠い感じがする。将来の不安はあるが、会社を辞めてからすっかりストレスが消

えた。なんだかその頃が懐かしいが、二度と戻りたくない。28年間の記憶はあっという

間に消えた。

 生活を乱さないように服装はともかく毎日図書館へ通って規則正しい生活を心がけてい

る。来年に備えて本を読んだりしている。始めは家に居たが、どうしても甘えが出て集中

しないので図書館へ行くことにした。最初はなんだか物珍しさも加わって集中できなかっ

たが、ようやく慣れてきた。慣れてくるとこんなに居心地のいい場所はない。小生本を読

み出すとついついうとうとするが、一眠りしながらまた起きて本を読む。至極幸せな時間

だ。疲れたら疲れを取るために少しリラックスできる本を読む。本には本で疲れを取る、

というわけだ。言うまでもなく本はいくらでもある。そして読む本の種類はまったく困ら

ない。座り続けて疲れると書棚周辺を散策する。普段目にしないような書棚でいろんな本

をのぞいて見る。世の中いろんな人がいろんな本を書いていることに感心する。雑誌もあ

る。これまであまり読まないにもかかわらず買っていた文芸春秋や週刊新潮も、業界雑誌

もなんでも揃っている。これだけそろえるのも相当な経費がかかっているのだろうと余計

なことを想像してしまう。新聞も豊富だ。Newyork Timesまでちゃんとあ

る。

 きょうは少し早めに家を出た。といっても出勤していた頃よりはだいぶ遅い。図書館は

9時30分からだ。9時すぎに着いてしまった。車の中で本を読みながら時間をつぶして

いたが、10分くらい前に入り口に行ってみた。時間前に行く人はいないのだろうと思い

つつなんとなく恥ずかしい気持ちもあった。しかしびっくり。30人ほどが列を成してい

る。職員に聞いてみると毎日こんな感じらしい。ほとんどが60歳以上の高齢者だ。小生

が一番若いかもしれない。家に居ても退屈な人たちなのだろう。小生もそんな風に思われ

たのか?ところでこの人たちはいったいどこへ向かうのか、なんの本を目当てに並んでい

るのだろうか。興味津々だ。9時30分になってドアが開いた。この列の人たちはさ

て・・・。と思っていると新聞閲覧にほとんどの人が向かった。中でもスポーツ紙は競争

が激しかった。家ではスポーツ紙は取っていないのだろうし、図書館でしか読むことがで

きないのかもしれない。この人たちにとってはこの居心地のいい空間でスポーツ紙を読む

ことが至福の時なのだろう。みんな幸せそうに新聞を広げていた。


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勉強させてもらってます・・・

2011-09-02 12:53:12 | Weblog
きょうは大学での講義日。今年で5年目。なんとなく教授の勧めもあって続けてきた。最初は緊張の

連続だった。こんなことを言えば笑われるのではないかと、学生に見透かされているような気がして

教壇に立った。自分自答しながら授業をしてきた。一時間30分は普段社会ではあまりなじみのない

時間だ。何かをやるには短いし、集中するには長い。番組ならば長時間だ。時間の使い方がわからず

に最初はしゃべりまくった。おそらく学生も疲れたであろう。最近はすっかり慣れて学生の反応を見

ながら楽しんでいる。小生疲れたなら、疲れた勝手に休憩を入れる。

 授業はある番組を見せる。その番組の感想を紙に書かせる。できるだけ学生とコミュニケーション

を取りながら進めていく。感想はなんでもいいとしている。本来ならば構成とか演出とかカメラワー

クとか、ナレーションとかを言わせたいが、対象が2年生ということもあって少し遠慮している。だ

から気がついたことなんでもいいから書けと指示している。

前回の講義だった先月26日は20分のNHK番組を見せた。紀行番組だ。タレントが出てきたある

地方を歩きながら、特産品の紹介や地元の人間関係を訪ね歩くという番組だ。軽く見られる割にはN

HKらしくきっちり構成が立てられていて、しかもNHKらしい演出と強引さが随所に見受けられ

る。学生にはなんでもいいと言ったが、その強引さが見抜けるかどうかを本当は知りたかったかが、

さすがに演出の裏を指摘するような学生はいなかった。

小生は画面にたくさんの字幕を入れることをあまり好まない。ごちゃごちゃしてなんだか落ち着かな

い。しかし耳の不自由な方からは喜ばれている。テレビはいろんな方が見ているので、一概にはいろ

んなことが決められない。学生が一番指摘したのは、このテロップだった。この番組は場所と名前以

外テロップを使っていない。だから「わかりにくい」の指摘があった。小生は反対意見を述べた。

「映画には入っていないけど・・・」。小生のテロップに対する考え方は、あくまでも「補助」であ

って主役ではない。しかも紀行番組のように風景を見せるような番組でテロップを入れたら、邪魔に

なるのではないかと思う。ケースバイケースであり、映像コンテンツであれば、映像にこだわるとい

う姿勢も大事だ。小生すこし力説した。時代の流れであって、何が正解というのはない。学生とのそ

んなやりとりが小生には非常に勉強になり、刺激になる。

 きょうも少し仕掛けてみようと思っていることがある。学生がどんな反応を示すのか、楽しみだ。

毎年のことながら勉強をさせられているのは、小生だと実感する。
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