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事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

新人に不滅の栄光あれ。

2009-03-31 18:21:42 | Weblog
朝6時30分。小生が起きる時間だ。先日まで暗かったが、今は明るく今朝はさん

さんと日が差していた。朝のウォーキングをする時は5時30分に起きるが、まだ

起きることができないでいる。とはいえこの時期になると外歩きが楽しみだ。けさ

は天気もよく、30分あまり早くを家を出て、8時前にバスに乗った。おそらくこ

の時間に毎日乗っている方が多いのだろうが、まだ手袋をしている人が多い。朝の

早い時間はまだ冬なのだ。東京などで桜の開花が発表されて新潟でも一時時期春め

いてきただけになんだか、春気分のようになっているが、まだ最高気温は10度程

度。朝はまだ4度くらいでしかなくコートはもちろん必要だ。いつものバス停より

2つ手前で降りた。目指すのは沈丁花のにおい嗅ぎだ。小路から小路へと歩を進め

る。すれ違う人たちはそれどころでない様子で、足早に目的地へと急いでいる。目

当ての沈丁花が満開になっていた。花辞典で調べてみると、沈丁花は日陰の場所を

好むとある。だから路地なのかと思ったりもする。きょうは思った以上に香りが弱

かったが、それでも近寄ってみると十分ぷんぷんしていた。楽しめた。付近を通る

人たちもこの香りを感じているのだろうが、忙しい中で香りを存分に感じることな

くと通り過ぎていく。沈丁花はそんな花なのかもしれない。

きょうとあすはたった一日だが、街の様子が一変する。風景もちがって見える。毎

年感じる。新入社員の姿が街を変えるのだ。私の社会人初日は27年前だった。ど

う表現していいのかわからない緊張感とどうしたらいいのかわからないやる気があ

った。東京の大手町にある新聞社に入社するが、独特のインクの臭さが4月1日の

思い出でもある。あれからあっという間の時間が流れた。当時の友人と会うことは

今はないが、今年定年を迎えた先輩とは今でもお付き合いをしていて、1年に一回

くらい逢う。あの4月1日が縁の始まりだった。新しい年度が始まるということ

は、新しい人との出会いがあるということ。何年経ってもそれが楽しみで、新人ベ

テラン問わずいつもこの時期はドキドキする。ちなみに沈丁花の花言葉は「栄光」

「不滅」「不死」だ。新人社員に不滅の栄光あれ。

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心を込めるプレーの指導方法・・

2009-03-30 18:01:26 | Weblog
夏の甲子園に比べ、選抜は今ひとつ盛り上がりに欠けるが、それでもやはり全国上

位の力には目を見張るものがある。新潟代表の文理は一回戦で負けてしまったが、

残念ながら長崎清峰が一枚も二枚も実力が上であったことは認めざるを得ない。い

いピッチャーと当たってしまった。全国の壁が思った以上に厚い。北信越の壁を破

っているだけに次を期待したい。

残りチームが少なくってくると、実力伯仲で目の離せないゲームが続いている。本

当に最後の最後まで試合がわからない。ちょっと目を離していると逆転している。

圧倒的に有利に試合を進めていると思っていても、いつしか形勢がひっくり返って

いることも珍しくない。チャンスをいかに生かすか、点を取れる時に取っておかな

いと形勢は不利になりがちだ。

ところで小生も野球をやってきた人間として思うのだが、どんな指導をすればあん

なしぶとい粘り強い、神がかりのプレーが出来るようになるのか、実力そのものが

ちがうと言ってしまえばそれまでだが、それ以上のものを感じる。なぜあのような

場面で逆転打が打てるのか、知りたい。ある監督に聞いたことがあった。監督それ

ぞれだろうが、その監督は野球教育ではなく、人間教育から丹念に教え込むのだと

いう。その監督は5原則を唱ている。一つ目は集中すること。二つ目は積極的にプ

レーをすること。三つ目はすべては基本と確認。心、技、体。四つ目は監督のやろ

うとしている野球をやる。五つ目は心込めたプレーをやれ。最後が一番ポイント

で、心を込めることを356日選手に叩き込むというのだ。これが練習の真髄と説

く。その監督曰く、毎日どんなにつまらないと思ったことで選手に告げる。それは

野球意外にも及ぶ。夕食を出来る限りともにする。そこから始める。箸の上げ下げ

から食べ方まで指導する。とことん生活を見守る。そこから見えるものをとにかく

毎日指導するという。監督の思っていることを徹底的に教え込む。人生感しかり野

球感しかりだそうだ。

きょうの報徳学園と中京大中京の試合は鳥肌が立った。人間教育どうのこうのまで

はもちろんテレビからうかがい知ることはできないが、単なる野球技術だけではな

く、何かが必要だということだけは小生にもわかる。
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ゆで卵とほうれん草のおひたし

2009-03-27 17:10:29 | Weblog
酒は仕事には欠かせず、飲めない人と出会うとつい「たいへんですね」と声を掛け

てしまう。記者稼業は短時間でどのくらい、その人に顔と名前を覚えてもらうかが

勝負のようなところがある。となれば飲み会は絶好の機会で、名前を売り込むため

に懸命自説を訴える。というのが小生のやり方だ。最近は図々しい面に拍車がかか

っている。歳の所為だろう。小生も最初から酒が飲めたわけではない。むしろ飲ま

なかったタイプだった。

大学の野球部で一番辛かったのは、練習ではなくリーグ戦終了後の飲み会だった。

小生の大学は一気飲みなどをやるような過激なものではなかったが、それでも高校

を出たばかりの小生にはかなりの地獄だった。新入生のほとんどはトイレに行った

まま帰れず、そのトイレの中で寝込む奴もいた。寝込むといえば体がいいが、意識

がもうろうとしている奴が多かった。また帰りのタクシーの中で、先輩の学生服に

吐いた豪傑もいた。とにかくリーグ戦の打ち上げは地獄だった。合宿もたいへんだ

った。飲酒量はそれほどでもないにしろ、毎日酒を飲まされる。先輩の晩酌に付き

合わされる。もちろん次に日にはきっちり練習がある。

酒の苦しさは社会人になっても記憶から離れなかった。晩酌はやらなかった。アル

コールを口にするのは友人らとの気楽な宴会でしかなかった。無理に飲まなくてい

いのがうれしかった。お酒イコール辛い、苦しいというイメージはしばらく消えな

かった。しかも車の運転が小生の唯一の楽しみだった。当時乗っていたカリーナ

1800ccでギアのセカンドで目一杯引っ張ってサードに入れさらに加速する体感はな

んとも言えず、ストレス解消になった。アルコールとは無縁な生活を過ごしてい

た。

新潟に来て2年目くらいだろうか、転機がきた。当時住んでいた近くの札幌ラーメ

ン屋でストレス解消のためにビールちびちびと飲む習慣がついた。酔うのがなんと

なく、心地よかった。しかも一人で。一人ならばいやになったら残せばいいという

気楽さもあった。最後にラーメンを食べて終わるが、つまみはゆで卵とほうれん草

のおひたし。週刊まんがを読みながら、スポーツ新聞を読みながらちびちびとやる

ビールはなんとも言えず、うまかった。お世辞にもきれいとは言えない店だった。

店内にぶら下がっているメニューは油にまみれでべたべた。小生お気に入りのカウ

ンター席テーブルも油でちょっとべたべたしていた。しかし、その汚さがなんとも

いえず我が家のような心地よさを感じ、仕事の終わった開放感や達成感を感じるま

るで天国のように感じた。そのシチュエーション全てがビールの味に加わった。こ

んなにビールがうまいとは知らなかった。あれほど辛く、苦しめたビールが小生に

は別物に感じた。あの頃に飲んだビールとほうれん草の味は今でも引きずってい

る。
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降った?・・咲いた?・・ネタもう一本・・タイミング悪りぃ!!

2009-03-26 17:25:15 | Weblog
雪が降った。春になれば雪が舞うという表現を使いたいところだが、きょうは降っ

たが正しいほどだった。デスクのころ、ネタがなくなるといつも天気をこれでもか

と思うほどやった。おまえのニュースは天気ばかりだと上司から怒られることもし

ばしばだった。当時はまだ予報士という資格はなかったが、天気の本を買い込んで

自分なりに勉強をした。自ら予報できればネタ興しが楽なる。気圧配置、等圧線、

低気圧の動き、高気圧の動きなど季節ごとのパターンがいろいろあっておもしろ

い。特に新潟は冬がおもしろく、しかも複雑だ。沿岸地域に雪が降るのか、平野地

域に雪が降るのか、山に雪が降るのか。単なる西高東低の冬型というだけでは判断

できない。等圧線の微妙な曲がり具合で、沿岸地域に雪が降ったり、平野や山に降

ったりと微妙だ。毎年気象台で冬の雪量を予報するが、カマキリの卵の場所で積雪

予報をやっている人がいるというので取材をしたことがあった。今では有名で、カ

マキリの研究で工学博士号を取得したが、当時はまだ無名だった。カマキリは子孫

を守るために、卵が雪で壊されないように高さを調節して産むという。だから卵の

産み付けている場所を丹念に調べれば、その場所の最大積雪がわかる、というもの

だ。その後この調査は徐々に広まり、春になって積雪の検証結果から研究の信憑性

が高まり、建設省の正式な資料になった。特に山の中を走る高速道路の積雪量予測

は気象庁ではしないだけに重宝したようだ。

雪の降り始めは各局特ダネ争いのような状態になる。正式には気象台の庭で観測し

なければ、初雪とはならない。降った!電話しろ!まだです!昼ニュースに入れ

る!降ったと言わせろ。乱暴なやりとりが担当者との間で飛び交う。デスクにして

みるとネタが一本できるかできなかは死活問題だ。気象台とのやり取りは実は雪ば

かりではない。桜の開花宣言も同様だ。東京のソメイヨシノの標準木は靖国神社に

あるが、新潟は気象台の庭にある。それを観察しながら開花しているかどうか、開

花宣言を出そうかどうしようかを決めている。ここは取材に行く。これ咲いていま

すね?直質問。開花宣言どうしますか?追い討ちをかけての直質問。記者にはきょ

うはネタ薄だ、開花宣言を出してこいと励まして送り出す。一つの花では開花宣言

は出せない。複数開花でないとOKが出ない。ニュースが後一本欲しいという時に

限って、開花宣言が出ない。夕方になれば、気温が下がり翌日に持ち越しだ。翌日

はネタがたくさんあるから、あさってしましょうなんて、その場で宣言遅らせ陳情

をする。しかし!翌日午前10時「開花宣言」。タイミング悪りぃ!デスク稼業は

そんなもん。
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気持ちの力を強くする・・一郎のヒットを生んだ言葉

2009-03-25 17:55:37 | Weblog
WBCは堪能した。仕事どころではなかった。プロ野球をこれほど真剣に見たのは

本当に久しぶりだ。いつのまに日本はこんなに強くなったのだろう。高校野球はず

っと追いかけて見ているが、プロ野球はメジャー以外見逃していたようだ。メジャ

ー選手意外でも本当にいい選手がいることを今回証明してくれた。そう感じたのは

小生ばかりだろうか。今回見ていて一番のカルチャーショックはキューバだ。あん

なに弱いと思わなかった。もちろん日本が強いのだが、キューバは穴が目立ち、ツ

ボを外せばそれほど怖いチームには思えなかった。弱点域を見抜いて、それを攻め

切れれば負けない相手だ。それに対し韓国は本当に強かった。逆に弱点域の狭いチ

ームに感じた。よく勝てた。精神的にも技術的にもかなりのレベルだ。リードして

いると9回までがすごく長く感じ、負けていると9回までがすごく短く感じる。1

球1球、目が離せず疲れる試合になる。

ただし昨日の試合でちょっと気になったことがあった。それは10回1・3塁にな

った時、一塁手がベースに付かずに簡単に盗塁を許した。そして一郎がセンター前

ヒットで2点タイムリーになって勝ち越した。盗塁を許されなければ1点しか入ら

ずに、その裏の攻撃で反撃のチャンスがいくらでもあると感じた。それとも無理な

勝負を避けるような指示があったのか。いずれにしても1点差ならばダルヴィッシ

ュのあの時の雰囲気ならば、まだ勝利の女神はどちらに微笑んだか分からないと小

生は思った。今まで見たことのない韓国らしからぬ、雑な野球を見た気がした。理

解に苦しむ判断だった。

もちろんあの場面で打った一郎はすごい。びっくりさせられたのは、そのヒットを

打つ前のワンバンドになりそうな球をファールにしたことだ。地面にバットがぶつ

かりそうになりながらファールにしたのには恐れ入った。あれは一郎しかできない

だろう。ヒットの伏線になったファールだろう。一郎は記録に残る選手ではあった

が、記憶に残る選手ではなかった。その汚名返上をした。記録にも記憶にも残る選

手になった。いつのインタビューかよく覚えていない。アメリカに勝った時だった

かもしれないが、一郎がこんな言葉を吐いた。「気持ちの力を強くする」。気持ち

の力という表現は初めて聞いた。うまい表現と感心した。一郎ならではの心情を言

葉にしたものだろう。
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厳しさあっての魅力な町

2009-03-24 16:45:06 | Weblog
久しぶりに軽井沢へ行った。アウトレット店長の友人は売り上げが上がらないと嘆

いていた。来週からの高速道路の値下げにかなり期待をしているようだ。不況の波

はもちろん軽井沢にも押し寄せていた。

今回は軽井沢友人夫妻と会食が実現した。友人が予約をしてくれたMレストランで

のひと時は時間を忘れ、おまけに財布の中を忘れての食事だった。このMレストラ

ンがある塩沢町の通称グルメ通りは、不況知らずにオフシーズンなしの盛況ぶり

だ。どこも予約なしではまず入れない。だからクレームンナンバーワンは、「予約

が取れない」だ。「入れない」というクレームではなく、予約が取れないというの

だ。今回行ってみてそのからくりがわかった。それはそろそろ食べ終わり、帰ろう

とした時だった。店員さんがテーブルに来て「次はいついらっしゃいますか」。な

んと次の予約を取りきたのだ。これにはびっくりした。常連になれば、ほとんどの

客が次の来店を予約して帰るらしい。というより次の予約をして帰るのがこの店の

流儀のようになっているらしい。料理は申し分なく、財布の中身を忘れてもいいく

らい安価、しかもうれしいことにワインがとてもリーズナブルだ。厨房は一人で切

り盛りしているらしいが、料理の出てくるのが非常に早い。といって出来合いのも

のが出てくるわけでもない。そんなところも人気の秘密なのだろう。金持ちで舌の

肥えた人たちを黙らすのは、容易なことじゃない。

この友人には以前にもう一軒紹介された。その店は初め軽井沢駅前でやっていた

が、手狭で、いつも満員、予約の電話が鳴りっぱなし、いう三重苦に陥り中軽周辺

に移転した。手狭ではなくなったが、いつも満員で予約が取れない状態は相変わら

ず続いている。店内には大物女優やロック歌手、政治家、作家とテレビで見たこと

のある人が多く来店する店としても有名だ。

 軽井沢町は普通の町とちがう。それはコンビニが24時間営業ではない。197

6年から深夜営業の自粛を促しているからだ。静穏が崩れればイメージが損なわれ

るという訳だ。初めて軽井沢に行った時にコンビニが閉まっているのにびっくりし

た。コンビニが閉まっているのはあまり見たことがない。軽井沢のコンビニはまさ

にセブンーイレブン営業になっている。ところで今回歩回った範囲で2軒のコンビ

ニが閉店していた。どんな理由かは定かではない。周辺にもう2軒あるので、飽和

状態だったのか、それとも観光客が減少したためなのか。意外だが、軽井沢はスー

パーマーケットが充実している。観光客用のガイドブックに紹介されるようなスー

パーマーケットもある。ウィンドーショッピングするだけでもおもしろい名店だ。

閉店、開店はコンビニに留まらない。中心地ではブティック、レストランなど入れ

替わりは日常茶飯事だ。極端に言えば、半年ご無沙汰すれば、景色が変わるほど

だ。

 予約が取れない店があると思えば、客が入らず半年程度で閉店に追い込まれる店

もある。この厳しい競争が軽井沢の魅力を支えている。
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真剣勝負がみたいから人気

2009-03-20 18:55:18 | Weblog
普段のペナントレースはつまらないからほとんど見ない。でもWBCはおもしろ

い。テレビにかじりついた。視聴率は35%超だそうで、紅白並みの関心があるよ

うだ。かつて人気のあった巨人戦でさえ、今は視聴率一桁になるこのご時世だ。す

っかりサッカーに人気が奪われたような感じさえしていた。が、そうではなかった

ようだ。それはなぜか。「どうしても」という意地の張り合いがある。それが試合

を盛り上げている。普段のペナントレースは長丁場の戦いなので「どうしても」と

いう試合にはなかなかならない。「できれば」「できたら」という試合になってし

まい、緊張感に欠ける。だからつまらない。試合の雰囲気が緩んでいる。一方WB

Cに一瞬の緩みはない。テレビを通して全力感が見える。見る方も緩められない。

1球1球も見逃さずに固唾を呑む。小生は大リーグで活躍している「一郎」や「松

坂」「岩村」らに関心が行きがちだったが、どうしてどうして。気迫に満ちた村

田。センス抜群の中島や青木。こんな選手がいたのか。知らなかった自分を恥じた

ほどだった。またテレビにはなかなか映らないが、ソフトバンクの川崎は常に大声

で選手に声をかけ、グランド内では常に全力疾走するということが紹介されてい

た。そんな様子もぜひ見て見たい。試合に出場している選手ばかりでなく、ベンチ

にいる選手が一体となって戦う姿勢は地味だが、極めて大事だ。アマチュアによく

見られる行為だが、プロアマ問わず、気を込めることが有効だ。10人目の選手と

しての後押しは貴重な貢献だ。

高校野球も同じだ。甲子園での試合に緩みは感じない。勝ち負けには運がともなう

が、大切なのは全力を出し切れたかどうかだ。一時のチャンスも見逃さずに、冷静

かつ大胆に戦況を見つめ、勝負と対峙する姿から感動が生まれる。

プロ野球人気がなくなったのは、王や長島のようなスター選手がいなくなったから

ではない。一日一試合、真剣勝負する選手がいなくなっただけに過ぎない。WBC

を見ていて思う。明日から選抜高校野球だ。
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「どうしても」がなければ超えられない

2009-03-19 17:43:13 | Weblog
大学3年後半になれば就職活動を始めるらしい。落ち着いて学問に専念できないと

大学当局は現状の就活に疑問を投げかけている。およそ28年前、小生のころは就

職協定があり、10月1日解禁だった。もちろんフライングはあった。小生も8月

中に文房具商社から内々定をもらっていたが、所詮2カ月前でしかない。ちなみに

マスコミは新聞社が11月1日一斉で、全国紙を複数受けることは出来なかった。

 8月頃、新聞記者で福島の支局に赴任していた大学の先輩を訪ねた。どうしても

記者になりたい。どうしたらいいか。秘策を教えて欲しいと。作文が勝負。と教え

てくれた。そして先輩曰く、必ずなれる日が来るからその日を夢見て、がまんして

がんばれと励ましてくれた。そういわれると成れる気がしたから不思議なものだ。

その先輩は2年浪人した。もちろん必ずなれると思って毎日を過ごしていたとい

う。新聞社に入ってみると思った以上に就職浪人が多いと言う。だから、焦らずに

じっくり腰を落ち着けて勉強に励め。必ず道は開けると繰り返した。自信が湧いて

きたのを思い出す。

 今は逆の立場に小生はいる。毎年28年前の小生のような悩みを抱えた学生がく

る。その時「なりたい度」を聞く。3段階ある。①なればいい②できたらなりたい

③どうしてもなりたい―。もちろんなれるのは③のみ。①や②ではだいたい途中で

挫折してしまう。「どうしても」という気がなければなかなかなれない。世の中で

名を上げている人はどんな世界でもこの「どうしても」という気持ちがある。だか

ら名を上げている。できたらといった程度では立ちはだかる壁を簡単には破ること

はできない。就職活動はほんの入り口なのだ。3段階でなんて学生に言うと始めは

冗談かと思うようだが、話を進めるうちに表情が変わってくる。冗談ではない。プ

ロになるという厳しさの入り口であって、生半可な気持ちではうまくいかない。む

しろ小生はなれればいい程度なら、やめておいた方がいいと引き止める。運よくな

ったとしても、途中で挫折する。雇ったほうも雇われた方もお互い苦労するだけ

だ。

 小生も面接官を何回かやったことがある。採用基準はいろいろある。しかし、小

生の第一優先基準は本当になりたいかどうかだ。それをどんな言葉で、どんな表情

で訴えるのか。それを見極める。結局人間最後はそこでしかないからだ。

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みかん缶の思い出

2009-03-18 19:22:15 | Weblog
やっぱり暖かいのはうれしい。年齢のせいでしょう。年々寒さが身にこたえる。そ

れだけ毎年春が待ち遠しくなっている。毎日暖かいと記しているけれど、きょうが

一番暖かった。タイヤ交換をしている人の姿もいた。新潟市で21度。上越市で2

5度を観測した。5月中旬から6月上旬の陽気らしい。早く5月がきて欲しい。昨

日までは暖かったが、風は正直で肌寒く感じた。しかしきょうは本物だった。とな

れば散歩。雰囲気の悪い韓国戦の試合運びに業を煮やし、WBCそっちのけでプチ

散歩に出かけた。川沿いを歩き、そこから路地か路地へと歩を進める。すれ違う人

は頬が緩んでいる感じさえする。陽気が気分さえ、変えてくれる。新しい沈丁花ス

ポットは開拓出来なかったが、路地には生活の雰囲気がある空間で、どこかほっと

させてくれる。

路地を歩くと、いつも子供ころの缶蹴りを思い出す。遊びの定番だった。馬蹄形の

都営住宅団地が決戦場だった。その団地は平屋の家が立ち並び、さつきの垣根が家

と家の間に植えられていて、目隠しになっている。レギュラー参加者は5人くら

い。隠れる場所は、トイレというより便所といった方がいいような家の裏が絶好の

場所だった。正式な名前は知らないが、触るとすぐに丸くなる「便所虫」、触ると

手が腫れるぞと驚かされた「ムカデ」。当時は備え付けのゴミ箱があった。コンク

リート製でトタンのふたがあり、小生はその中に隠れたこともあった。汚い場所も

おかまいなしで、鬼の目から逃れていた。虫ばかりでなく、小さな植物も育ってい

た。

虫とはちがって、植物には名を付けなかった。興味がなかった。それなりには季節

感を感じていたのだろうが。ところで缶蹴りの缶にこだわりがあった。缶蹴りの缶

は低からず、高からずが最適だった。一番人気はみかん缶やフルーツポンチ缶だっ

た。高さは低からず高からず、太さも細からず太からずでちょうどよく、しかも頑

丈で長持ち。不人気なのはパイナップルや桃缶だった。背が高く、蹴ればよく飛ぶ

が踏むとすぐに潰れ、耐久性からも鬼から不評だった。缶がくの字に曲がってしま

い、踏み損ない相手に蹴るタイミングを与えてしまうからだ。そうなると鬼からタ

イムがかかり、みんなが集まって話し合い、缶の交換が鬼から提案さえることもし

ばしばだった。小生がみかんの缶詰が大好物だったので、ほとんどの缶は小生家の

ものが採用された。これでみかん缶詰を買ってもらう理由にもなった。缶蹴りは小

生にとっていわば一石二鳥だった。 今缶蹴りの決戦場には14階建てのマンショ

ンが建っている。先日行ってみた。缶を蹴る音「カーン」。缶が転がる音「カラカ

ラ」。一斉に逃げる声「ワー」。耳を澄ますと聞こえてきた。

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沈丁花が春雷で目が覚めた

2009-03-17 17:46:40 | Weblog
昨夜の春雷はすごかった。パシーと雷音。同時に稲妻。一郎が浴びるフラッシュの

ようだ。そしてドーンと花火がすぐそばで上がったかのような地響き。さらに駐車

中してあった車の警報ブザーが雷で作動したらしく、ブーン、ブーンとけたたまし

くマンション全体に鳴り響いた。このまま誰かが止めないとこのままかと心配した

が、1分ほどで鳴り止み、元の静寂が戻った。それにしてもすごかった。最近では

あまり経験をしたことがないような雷で、ほとんどの人が目をさましたことだろ

う。

 朝まで雨が降っていたが、次第に天気は回復し、日中は春を思わせる陽気となっ

た。昨日よりさらに暖かい感じがした。ようやくコートも要らなくなる日も近い。

コートと言えば、今年は念願のロングコートを手に入れた。ロングといっても裏地

はついているものの、若干薄手でスプリングコートのようなものだ。今年は細身で

短いのが、主流らしくロングコートが見つからず、ずっと探した。着ている人に聞

いてみると、今年買った人はいなかった。また来年探すかとあきらめかけていたと

ころ、あった。しかもデパートでバーゲンをやっていた。ロングは流行らないから

と倉庫にお蔵入りさせていたらしい。色は刑事コロンボ風。姿もあんな感じ。後輩

からは「出来る刑事風です」とお褒めのお言葉をいただいた。寒いのはもう勘弁と

はいうものの、気に入っているコートなだけにもう少し刑事風を楽しみたい気もす

る。

 昨日同様昼は少し散歩に出てみた。ならば毎年楽しみにしている沈丁花の様子を

見に行ってみた。今まで気がつかなかったが、すでに二分咲きくらいになってい

た。(写真)ひょっとするときょうの陽気で咲き始めたかもしれない。しかし香り

がいまひとつ。鼻を近づけてようやくあの香りを感じた。やっぱり今日の陽気で咲

き始めて、香りを漂わせるのはこれからのようだ。明日また行ってみよう。


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明暗の作り方

2009-03-16 17:08:38 | Weblog
きょうはほんのり暖かい風を感じます。普段はドアツードアで昼食場所に行きがち

ですが、きょうはちょっと歩きたくてワンブロック遠い駐車場に車を止め、周辺を

散策してみました。通りかかった家の前には黄色い花をつけたパンジーの小さな鉢

植えが置いてありました。街中の公園によってみると、いつも桜といっしょに咲く

ユキヤナギの新芽が出始め遠くから見るとうっすら全体が新緑に覆われているかの

ように見えます。少しずつですが、季節が変わろうとしているようです。

夜桜中継を5年ほど担当しました。その番組は今までの視線を変えて中継をするこ

とがコンセプトで、しかも生中継が大前提でした。もう一つのコンセプトは、人が

あまり知らない場所がありました。しかし、これにはさすがに無理があるので、提

灯のあるようなお花見場所は避けましたが、それでも場所探しが大変でした。夜1

1時近くの中継ですので、大容量の照明が必要で電源確保にも一苦労でした。ロー

カル放送で大容量の照明を必要とするような中継をすることはありません。経費が

かかる上、人員もかなり必要となるからです。滅多に経験できない大容量の照明を

使うことで、照明というものの考え方を学ぶことが出来ました。奥が深いです。照

明は。もし私が映画やドラマのスタッフをやるのであれば、照明をやってみたいと

思うようにもなりました。夜桜中継の良し悪しを決めるのは、照明マンの腕にかか

っていました。

照明の変化で有名なドラマに必殺仕事人があります。昼の顔と夜の顔、藤田まこと

の仕事人ぶりや仕事人が現場に向かい時の照明には独特な表現があります。

桜中継で一番困るのは早咲きです。日本列島南から中継スケジュールを決めます。

なかなかその通りには桜は咲いてくれません。多少の葉桜であれば決行しますが、

散ってしまい見るのもみすぼらしいのであれば、中継を止めざるを得ません。ある

時のことです。あまりにも暖かく、中継予定日の前にほとんどが葉桜になってしま

ったことがありました。といって中止にすることが出来ずに本当に頭を抱えまし

た。そこで助けてくれのが、照明の人です。それまで私は照明とは明るくするため

にあると考えていました。当たり前のことです。明るくするから照明なんだ。と、

思っていました。しかしそれはある意味でちがいました。

照明の人が葉桜を消してくれたのです。画面上、葉桜が全部とはいえませんがほと

んど姿を消していました。

照明の大きな仕事に明るくするという仕事ももう一つに、暗いところを作るという

ものがあるそうです。必殺仕事人では顔半分を暗くしたり、暗い場所と明るい場所

を交互に作ることで、距離感を出したりしているようです。この場合は桜の花に重

点的に照明を当てることで、葉桜がなくなったのではなくて、見えにくくなったと

いうわけです。この経験で私の夜桜中継に幅が出ました。暗い場所をうまく演出す

ることで、平面的になりがちな夜桜中継をより立体的に見せることが可能になりま

した。

明るいところを作ることは、暗いところを作ること。暗いところを作ることには、

明るいところを作ること。照明だけの話で終わらない気がしました。蛇足ですが。

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想像に創造を重ねたブルトレ

2009-03-13 18:36:41 | Weblog
列車番号一番、寝台特急富士・はやぶさ。ブルートレインがきょうで姿を消した。

とうとう乗れなかったという思いがある。小学生から鉄道マニアとして多くの車両

を写真に収めた。小学生では東京駅や上野駅には行けなかった。だから自宅から自

転車でおよそ30分の赤羽駅近くの陸橋から東北本線の特急列車を見に行った。始

めは大冒険だった。バスの通っている道をひたすら走り、案内看板を頼りにペダル

をこいだ。

子供ころ自宅から荒川を渡る列車の音が聞こえた。「ピー」という汽笛の後に橋を

渡る音が夜空に響いた。今のはどこに行く列車か、列車内はどんな人たちが乗って

いるのだろうかと。音から思いを馳せた。赤羽にはいつか見に行ってみたいと思っ

ていた。地図で見ると自転車でいけると思った。勿論親には内緒。もしだめなら引

き返して来ればいい。知らない道を走るのは楽しかった。途中で公園に寄り、水を

飲んだ。遠足気分だった。30分では着かなかった。

 当時はまだ長距離列車が走っていた。機関車先頭で木製の客車が多くあった。駅

近くの陸橋から列車を眺めているだけで、旅行気分を味わっていた。黒磯ってどん

なところだろう。仙台ってどんなところだろう。列車に1時間乗るってどんな気持

ちだろう。たった赤羽駅まで来るだけで楽しいのに、もっともっと遠いところへ行

けばもっと楽しいだろうと、想像するだけで胸が高まった。

 中学になって行動範囲が広くなると、友人を誘ってカメラ片手に東京駅や上野駅

に出かけた。狙いはもちろんブルートレインだ。時刻表で入線時間を確認してホー

ムへと急ぐ。機関車に引かれ、ブルトレが入ってくる。ゴーと音をたてているのが

電源車。客車の全ての電源をまかなう。いいにおいを振り撒き、窓に白いカーテン

で飾られているのが、食堂車だ。今思えば、バターを溶かしたような洋食のにおい

がした。

 その当時の愛読書は時刻表だった。富士は東京を出ると14分後に横浜に着く。

次の熱海には午後7時30分。おそらくそのころになると、食堂車はにぎわうのだ

ろう。大阪には7時間後の深夜1時すぎに着く。そこからブルトレは岡山も通過

し、広島まで駆け抜ける。停車駅と停車時間を見ながらわくわくドキドキしなが

ら、まるで推理小説を読んでいるかのようにページを追う。

 大阪までわずか50分。福岡まで1時間30分。年齢を重ねるごとに、時間を買

うようになり、飛行機を利用するようになった。いつかそのうちと思っているうち

にとうとうブルトレには乗れなかった。
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被告人が背中で教えてくれたこと

2009-03-12 14:12:54 | Weblog
その瞬間肩を震わせた。首はうなだれた。右手で目をぬぐった。判決は求刑通りの

無期懲役だった。判決によれば、被告人は定職につかずにいた。小遣いに困ると近

くに住む祖母を訪ねお小遣いをせびった。祖母は仕方なく、いいなりの金を渡して

いた。だが、ある日たまりかねて注意したところ被告人は逆上し、台所にあった包

丁で殺害した。身勝手な反抗で情状酌量の余地はないと断罪して、求刑通り無期懲

役を言い渡した。記者という仕事について、1年経たないころに取材をした初めて

の重要犯罪判決公判だった。判決内容に特にニュース性はなかった。被告人が涙を

流したからといって、それを取り上げるような事件でもない。ただ法廷という場所

と被告人の姿に私は飲み込まれた。法廷内をよく見れば、全員が人である。裁判

長、陪席裁判官、書記官、検察官、弁護士、裁判所事務官、被告人、傍聴人そして

記者。極めて当たり前の光景ながら、あらためて見回して考えた。みんなそれぞれ

の人生を歩んできたにちがいない。苦しい時、楽しい時、つらい時、数え切れない

ほどの人生の場面があったであろう。もちろん被告人にもはずである。ではなぜ彼

だけがこの席に立たされているのか。私は裁判長が読み上げる判決理由を聞きなが

ら、考えていた。社会問題が介在しているのか、幼児期の教育に問題があったの

か、単なる個人資質の問題なのか。さらに私があの被告人席に立たされる時は来る

可能性があるのか。同じ人間である限り、まったくないとは言えない。ではなにが

彼を被告人にまで追いやったのか。難しいことではなかった。人間力の弱さでしか

ない。そして世間の人がほとんど見ることのない法廷ドラマの根底にあるのは、人

間力と間力が交差して作られていることに気がつく。しかし、その間力を

攻めるだけでは、ドラマは解決しない。根本にある問題はなにか、そうさせてしま

う社会の病巣があったのか。つい被告人という人間にだけ目が行きがちだが、本来

の見るべき点がどこにあるのか、私がやらなければいけない仕事をこの被告人は背

中で感じさせてくれた。大学のゼミの教授が言った言葉が思い浮かぶ、法律はあく

までも社会学の則っているということを。
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大阪おもしろがり文化に脱帽

2009-03-11 17:31:20 | Weblog
おもしろい。カーネル・サンダース人形発見のニュースは本当におもしろい。東京

だったらまずありえない。だいたい川に投げ込むこともしないだろうし、それがた

とえ見つからなくても、伝説や呪いに例えるわけがない。まさに大阪のおもしろが

り文化だ。昨夜のニュースでは、カーネル・サンダースの見つかった現場にカメラ

が走り、ビニールに包まれたカーネルおじさんを運んでいる人に向かってカメラマ

ンが「ビニール袋取って見せて」と叫び、そこ置いて欲しいと懇願する。さらにカ

メラマンが何処で見つかったんですかと即席インタビューをやっている。まさに緊

急事件現場であるかのように、緊張感が伝わってわってくる。そのあとには見つけ

た会社の責任者がピースサインをしてカーネル・サンダースといっしょに記念撮影

に収まっている。なんじゃこりゃ。ここにも大阪人の笑いを取ろうとする努力が見

える。以前大阪で活躍する構成作家から、笑いを取るにはとにかく一生懸命にやる

こと。絶対に照れたり、自分から笑ったりしてはいけない。と聞いたことがある。

必死になってカーナル・サンダースを追いかけるカメラマンこそ笑いと取ろうとす

る大阪人の本能を感じた。計算した動きではなく、本能だと思った。そこがまたお

かしい。カーネルおじさんは、1985年10月16日阪神タイガースのセリーグ

優勝が決まった際、ファンが道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人のランディ・バ

ースに見立て、店員の制止を聞かずに胴上げの末、道頓堀川に投げ込んだ。それ以

後、阪神は成績低迷に陥り18年間リーグ優勝から遠ざかった。これを阪神ファン

はカーネル・サンダースの呪いと言っている。当然だが、ことある毎に道頓堀川は

船でヘドロやゴミなどの清掃作業をしてきた。テレビ朝日系列で大阪の朝日放送制

作の探偵ナイトスクープでも探偵が川底を捜索するというコーナーを放送したこと

もあった。こんなこともあった。1992年に阪神タイガース優勝が目前に迫ろう

としている時、亀山に似ているという何処とない噂からあの「くいだおれ太郎」が

道頓堀川に投げ込まれそうになる危機に見舞われた。そこで考えたのが「わて、泳

げまへんねん」と題した浮き輪に水中眼鏡という格好。関西以外なら投げ込むなの

注意看板が設置されるだけかもしれない。結局阪神は優勝を逃したが、いかにもと

いう必死のジョークで何とか難を逃れた。さらにきょうは日本テレビ系列で大阪の

読売テレビが制作するミネヤ屋では今東京に出張しているこのくいだおれ太郎が

「よかった」と談話を発表したとわざわざテロップで放送し、文化を伝えていた。

徹底した演出にほっとするやら、あきれるやら。ここまで来たら、大阪でお帰りな

さい感謝祭でもやったらどうだろうか。大阪のおもしろがり文化には脱帽。最高で

す。

参考:Wikipedia
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必要より便利を優先させてきた10年

2009-03-10 17:42:17 | Weblog
大学を卒業して社会に出たのは、今から27年前。情報関連機器というものはコピ

ーくらいだった。会社には大きなコピー機があった。いつも壊れていた。新人の私

の大きな仕事だった。個人で持ち運びできる情報機器はポケットベルのみ。しかも

その時のポケットベルは音がなるだけ。「ピー、ピー」。しばらくするとワードプ

ロセッサーが出現した。日本人が初めて経験するキーボードかもしれない。私の記

憶からすれば、このワープロの出現から世の中が変わり始めたような気がする。と

はいえ、当時はまだ個人でワープロを買うというのはまだその頃は高嶺の花だっ

た。しかも持ち運びが出来るものではなく、テレビのような大型で机に備え付ける

ようなものだった。特別な人が触るもので、一般の人がワープロを使用することは

まだなかった。

 我が家のIT関連機器が配備されたのは、1985年頃だった。留守番電話だ。

当時は画期的なものだった。とりあえず名乗ってくれれば、掛け直すことができる

からだ。独身住まいには大変助かった。難を言えば、いないのにも関わらず電話が

着信してしまい、電話料金が課金されてしまうことだった。次のステップは、FA

Xだった。電話でのやり取りでは情報量が少なすぎるので、なんとか文書のやり取

りをしたかったので、これも大変重宝した。図も送れた。姉が海外に居たので、余

計に助かった。国際電話料金の節約にもなった。

 必要は特になかったが、思い切って携帯を買ったのが、たしか15年くらい前だ

ったと思う。契約形態はドニーチョというもの。今でもそんな契約方式があるのだ

ろうか。平日は午後6時から翌朝の6時まで。土日は全日使用可能というものだ。

今考えると、携帯というのは名ばかりで、大きく重かった。上着のポケットに入れ

ると、上着が傾いたくらいだった。それでも歩きながら、電話が出来るなんてSF

映画や「007」に出演しているかのようだった。用もないのに、人が見ているとこ

ろで電話をしたのを覚えている。しかし、あまりかかってはこなかった。今でこそ

すぐ電話をかけるが、当時は携帯電話が一般的ではないので、電話をかけるという

行動は、薄かった。人を探すのであれば、家や夜であれば居酒屋に直接掛けてい

た。当時の居酒屋さんの電話はワイヤレス電話が主流だった。

携帯がそれなりに一般化してきた時、東京の友人から「電話でニュースが見られる

ようになった」と新型携帯を紹介された。私は「携帯でニュースを見る必要ないで

しょ」と返答した。「電車の中でもナイターの結果が分かるし、便利」と言う。電

車の中まで野球の結果を見なければいけないのか。私には便利さより、必要性に疑

問を持った。見せてもらったが、液晶画面が今の5倍くらい大きく、文字が出るよ

うになっていた。電話の半分が画面になっている。電話をするのではなく、情報が

そのまま見られるようになっている。そしてそれがIモードであることをすぐに知

った。開発者の松永真理さんの著書「Iモード事件」がベストセラーにもなった。

あれから10年。私の情報入手先はすっかり携帯電話になっている。極論すれば携

帯がなければ、きょうどんな天気なのかもわからない。必要より便利を優先させて

きた10年だったかもしれない。もう10年経った時、今の状態をどう振り返るの

だろうか。
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