事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

悪戦苦闘の手掘り作業・・・・

2010-11-30 16:08:17 | Weblog
小生の異動に伴い、普段からお付き合い、お世話になっている方々にご挨拶を兼ねて手紙を書い

た。それに対し、大変ありがたいことにメールやら電話やらを多数の返事をいただいた。これほど

いただくとは思わなかったので、なんだかうれしかった。すぐに反応してくれたのがうれしかっ

た。中には「連絡ありがとう。覚えてくれていたんだね」となんだか寂しい返事もあった。

 普段あまり会話をしない仲間でもこんな時に連絡することで、心の中を共有できたように気分に

もなる。みんなそれなりに日々苦労しているのが今回よくわかった。思うように行かずに地団駄を

踏んでいる奴、50歳を前に辞めようと思っている奴。不本意な異動で八方ふさがりに陥っている

奴。みんな悪戦苦闘している。励ましの言葉をかけてくれた面々はほとんどがそんな境遇の輩だ。

小生もなんだか悪戦苦闘している仲間にされてしまったが、そうかもしれないとことの重要性に気

がつく。

 昨夜はちょっとした会合に出席をした。そこで小生の尊敬するジャーナリストと話す機会を得

た。異動の話になった。特になにかを言うためにその話題を持ち出したわけではない。そんな顔を

していたかもしれない。

その人曰く「悪戦苦闘は大事だよ。マスコミの仕事は手掘りなんだよ。一つ一つを手掘りしていく

んだ。だから見ている人に説得力がある、だから力を与えられる。機械に頼ったりしてはいけな

い。

手作業が大切だ。必要なのは気力と体力だよ」と諭された。重い言葉をもらった。いつもこの人は

言葉が重い。
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雷は警告音だ・・・

2010-11-29 17:17:40 | Weblog
小生きょうは休日。土日どちらかに出勤しているため、月曜日に休みをいただいている。

平日に休むのは、なんだか変だ。朝起きると、みんなが慌しくしている。なんで?そう

か?

部署が変わって、まだ頭と体が慣れていない。きょうは腰が痛くなるほど、脳みそが腐敗

しそうになるほど寝た。何もする気がしない。ただ腹はへる。小生の食欲が無くなった時

は死ぬ時ではないかと思うほど、食欲はいまだ健在だ。健康でいいが少し限度を超えてい

るところもある。

 それにしてもきょうはひどい天気だった。雷がすごかった。小生初めて新潟で冬を経験

したころを思い出す。雷と言えば関東は夏の風物詩だ。しかし日本海側では初冬の風物

詩。雪の前触れを指し示す警告音みたいなものだ。小生雷を聞いて思った。タイヤを取り

替えよう。去年は雪の中で往生した。平日だしとタカをくくってタイヤへ行ったのだが、

考えることは誰も一緒のようだ。いつものタイヤさんに午後3時ころに到着。あれ?3台

くらいが待っていた。40分くらい待たされた。みんな雷を聞いてそう思ったのか?

 久しぶりのスタッドレスの感触をハンドルで感じた。やわらかい。ハンドルも軽い。い

つものことだが、普通タイヤに戻すのはいつのことか。今年はどんな冬になるのか。去年

のような大雪は勘弁して欲しい。

桜のたよりが聞こえてくる日が今から待ちどうしい。ちょっと早すぎるか?


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立ち向うための心の中の使命感・・・

2010-11-28 10:21:57 | Weblog
ふと思う。なぜニュースを流すのか。なぜ人はニュースを見たがるのか。テレビ局でもっ

とも力を入れて、もっともお金をかけているのが実はニュース部門だ。

 これは小生の親友からの話だ。こんなことがあった。お母さんが車をバックさせて駐車

場から出ようとした時、後ろにいたわが子に気がつかずにひいてしまった。2歳のかわい

い男だった。即死だった。この事故を新人の女性記者に取材を頼んだ。彼女は泣きながら

私にはできませんと断ったという。なぜそのニュースを流すのですかと逆に聞いてきたと

いう。デスクや管理職としては悩ましいたとえば話だ。この話には大きな意味がある。な

ぜニュースを流すのか。

 夜中に叩き起こされて、小生も火事の取材に行ったことは何回かある。ちょっと遅れた

たために火が消えていた。他社の映像を見ると赤々と燃えている。見ているだけで怖くな

るくらい燃えている。この映像にもなぜニュースを流すのかの意味が隠されている。

 きのうは新潟市でひき逃げがあった。高齢の女性が車にはねられたまま路上に放置さ

れ、息が絶えていた。柏崎市でも85歳のおじいちゃんが87歳のおばあちゃんをひいて

逃げ、1時間後にひき逃げで緊急逮捕された。この2つの事件をニュースで流した。

 不幸な出来事ばかりを取材をしていると滅入る。楽しい取材をしたい。人が幸せになっ

ていくような瞬間にいつも立ち会っていたいと思う。

 上記に書いた新人の女性記者はその後会社を辞め、普通のOLに再就職した。人の不幸

には立ち会えないと最後に話をしたらしい。気持ちは痛いほどわかる。だれでもそんな場

所に取材に行って、子どもの顔写真をくださいなどとは生身の人間であれば言えないのが

普通だ。だから行き当たる。なぜニュースを流さなければ行けないのか。

 いろんな意見はある。その一つに二度とこんな事件や事故を起こしてはいけないと思っ

てもらう。その怖さを他人事ではなく、自分の身になって考えてもらう。記者には不幸な

事件や事故をだから取材して欲しいと小生は若い記者に考えを刷り込む。車をバックさせ

る時、事故を起こさないようにするためにはどうしたらいいのか、火事を起こさないため

にはどうしたらいいのか。消防署に人に言われたことがある。すごい火事の映像がニュー

スで流れると、火事は数日間減るらしい。テレビの影響力はあると言う。小生もすごい火

事の映像を見れば、火の元を寝る前に気にする。二度とこんなことが起きて欲しくないと

いう気持ちで取材し、ニュースを作っていくことの使命感が心のどこかで感じることが出

来れば、あの取材を拒否した彼女もまだきっと記者を続けていたと思う。感受性の向きを

少し違うところに向けてもらえれば、よかった。優秀な子かつ感受性が豊かな女性だった

だけに、余計に辞めたことを友人は残念がっていた。

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実は・・・732日目592本目・・外は雨が・・・

2010-11-26 15:17:50 | Weblog
「実は」というほどでもないが、このブログを初めて11月25日で丸2年が経過した。きょうで

732日目。本数は592本目だ。計算をしてみると8割のペースで書いてきたことになる。始め

た時はこんなに続くとは夢にも思わず、自分でもここまで来るとは思わなかった。正直びっくりし

ている。書き込みがあって、随分励ましもいただいた。感謝申し上げる。当初は誰も見なくても、

読まなくても自分の備忘録のつもりで書いていたが、反応があるとやっぱりすごくうれしい。いく

つになっても褒められるのはうれしいものだ。

 ブログを簡単に考えていた点も否定できない。芸能人のブログを毎日読んでいた時期があった。

彼らのブログは読み物と言うより、見世物というもので、文章はあまりなく、写真込みのものが多

かった。文章もメモ程度で小生が同じようなものを書いてもおそらく、だれにも相手にはされなか

っただろうと思った。

 このブログを書き始めて小生はとにかくメモを持ち歩くようにしている。何かあれば、ちょっと

気がついた時はすぐにメモを取る。居酒屋でメモ用紙片手に飲んでいるとなんだか異様な感じにな

るが。それをブログのネタにする。「後でいいや」はない。忘れてしまう。その時の感動、興奮を

そのままメモにする。さらに欲を言えば、メモをメモではなく文章にすることだ。それによって文

章イメージが出来上がる。文章力も身につく。生きた勉強になる。

 ネタ探し・・・。愛読者が何人かいる。ありがたいことだ。よく聞かれるのは「毎日よくかけます

ね」だ。確かに。去年同じようなことを書いたと記憶しているが、スタートした時は毎日書いてい

なかった。「何かあれば書けばいい」という気楽な気持ちだった。しかし妻からクレームがあっ

た。何かあればでは人間はやらない。何もないところから何かを生み出すのが大事だ。と厳しい一

喝。ネタは毎日あるわけはない。必死になって探す。見えないものも見る。感じないものも感じる

ように心がける。伊集院静氏は「半日ベンチに座って人間を観察していれば、一冊の本が書け

る」。想像力が創造力を生む。そんなところから小生も自分の大学講座に「イマジネーション&クリエ

ーション」というタイトルを付けた。

しかしこれまで何回もきょうはやめよう、きょうこそはやめようと思ったことが何回何十回もあっ

た。そんな時でもまず、キーボードに手を乗せてみる。そして天気のことを書く。そこから目一杯

想像を膨らまして、書き始める。気がついてみると、意外にいいものが出来上がっていることも珍

しくない。諦めなくてよかったとほっと胸をなでおろす。そしてなんとも言えない達成感が来る。

その達成感を味わいたくて、苦しくてもキーボードに手を乗せてかいているようなものだ。これか

らもきっと変わらない日々が続くのだろう。これからもよろしくお願いします。

「実は」というほどではないが、実はきょうもネタがなかった。外は雨が・・・・。

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3年連続?ですか・・・・

2010-11-25 15:35:37 | Weblog
北朝鮮による砲撃は思わぬところに影響が出ている。

新潟県の高校は近年海外へ修学旅行に行く学校が最近増えている。早くは20年くらい前から実施

しているところもあったが、近年は県立高校でも一般的になっているようだ。  国内より安く行

け、学習効果も高いのがメリットのようだ。海外に出た場合は単に見学するだけではなく、現地高

校との交流など国際交流を目的とした修学も実現できる。海外へ出れば、日本という国を見直すい

い機会にもなる。一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなるというわけだ。しかしリスクもある。

ある県立高校では、2年前から中国に行く修学旅行計画を立てた。しかし、不運にもインフルエン

ザなどで2年連続で中国行きを断念せざるを得ない状況に追い込まれた。そこで今年こそはという

わけで中国をあきらめ、思い切って韓国に行き先を変更した。新潟からは一番近い外国であり、新

潟空港を利用すれば2時間足らずで行ける。生徒たちには事前にハングル語を勉強させて、現地の

高校との交流会も企画した。準備万端だった。生徒、先生問わず楽しみにしていた。それが・・・2

3日のあの砲撃・・・。

その高校ではまだ行くとも行かないとも結論は出していない。情勢を慎重に見極めている段階だ。

もしものことがあったら・・・との思いがある。しかし3年連続はなんとか避けたい。何とか行きた

いと本音をもらす。しかしまだ安全という確信がない。これからも韓米合同演習の話もあると聞

く。お祓いをしなければいけませんと、と小生に愚痴った。
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危機管理の「き」は意識の「気」だ・・・

2010-11-24 14:06:24 | Weblog
既報の通り、小生昨日は知事らが出席する国際会議を取材をしていた。会議の中身は非公開で記者

は外に出されてしまう。ボサーと小生が待っていた時、何気なく携帯電話でニュースを見た。その

時、飛び上がった。北朝鮮が韓国に砲撃?戦争?何が起きたのか、なぜ起きたのかが全く書いてい

ない。いずれにしてもとんでもないことが起きてしまった。

小生たちはなにか大きなことが起きれば「新潟では・・・」を合言葉にしている。「新潟県民はどう

思う・・・」をニュースにする。

この会議には北朝鮮は欠席をしている。それは本能的に確認をしていた。韓国は出席をしている。

中国もいる。しかし砲撃とはまったく関係ない人たちだ。マイクを向けても何もしゃべることはで

きないだろう。であれば知事と新潟市長に感想を聞こう。とういうことを思い立った。各社あまり

反応はよくない。他社を誘う必要はない。反応を示したのは、もう一社だけだった。ところが知事

は会議室にいないことがわかった。事務方にどこにいる?いれば北朝鮮の砲弾について感想を求め

たいと申し出た。答えは「ノー」だった。今はわからない。そのニュースを知事が把握をしている

のかわからないと突っぱねられた。小生、それを聞いて記者魂が動いた。それはおかしい。知らな

いならそっちの方がニュースになると反論した。250万県民のトップである知事が、対岸で戦争

状態になっているにもかかわらず、知らないということはどういうことか。危機管理体制を疑うと

少しだけ?、もめた。事務方には申し訳ないと後で謝罪をしたが、わからないことを聞いてくれる

なという危機管理を疑った。結局は知事が再度会場に訪れた時にマイクを向けた。知事はマイクを

向けると青ざめた表情で、情報収集に務めるように指示をしたと答えた。危機管理体制に特に問題

があるようには思わなかった。

きのうの砲弾は今までは違って、軍と軍ではなく民間人も巻き込まれていることが大きな点だ。と

はいえ、日本国内がすぐに砲弾の危険があるといえば、それはない。政府も否定している。肯定す

る情報は今のところない。しかし小生が言いたいことは、不足の事態というのは、いつどうなるか

わからない事態のことを言う。予想を超える事態だ。佐渡汽船の船の故障がいい例だろう。

危機管理の「き」の字は「気」。意識の気。いつでも意識をちゃんと持っている組織こそ危機管理

体制の充実だろうと思った。
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りっぱな国際会議場で感じること・・・

2010-11-23 14:10:29 | Weblog
小生本日は出勤日。しかも取材に出かけた。しかも国際会議。マレーシア、タイ、インドネシア、

ラオス、フィリピン、ロシアなど13カ国が出席している会議だ。内容は深いが、一般にはあまり

興味がない会議。

蛇足だが、ちょっとお付き合いしていただく。アジア、特に東アジアの経済発展はめざましい。日

本もそうであったが、経済優先の国では環境問題がどうしてもおろそかになる。この会議で取り上

げられているのは酸性雨問題。酸性雨を防止しようというレベルではなく、実態を調べて今後どの

ように対策を立てていけばいいのかを話し合う会議だ。いっしょになって、同じ基準で酸性雨を調

べようと12年前に日本が呼びかけて始まった。いわゆる対策を立てる前段の会議だ。ちょっと一

般の人にはわかりにくい。それはいいのだが・・・会議の共通言語はもちろん英語。同時通訳者もい

る。小生たちが中で取材できるのは、3人の冒頭あいさつのみ。環境省審議官、新潟県知事代理の

副知事、それに篠田新潟市長の3人だ。環境省の審議官はあまりうまくはないが、英語でスピーチ

した。単語は専門用語だったが、普通の言い回しでわかりやすい英語だ。次の副知事は日本語でス

ピーチ。知事のメッセージを代読した。篠田市長も日本語だった。最後だけ二人は「サンキュー」

でしめた。小生、若干失笑。

 国際会議場をもてるようになり、新潟市もハード面はかなり充実した。久しぶりに小生は取材に

出かけ、あまりにもりっぱな会議場できょろきょろした。ここがあの国際会議場かと。同時通訳の

ボックスもちゃんと整備されていて、すごい。新潟市も国際都市になったと歓心した。


ニュースでは取り上げませんが、であればやっぱり副知事はともかく、市長には英語でスピーチを

して欲しかった。挨拶の半分でもいい、最初の歓迎あいさつだけでも英語であいさつをして欲しか

った。すごく残念だった。

 ひょっとするとそれが一番のニュースかもしれないと、ふと思った。
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県議会のライブ感・・・

2010-11-22 16:34:28 | Weblog
衆参問わず、予算委員会は聞いても、見てもおもしろい。つい見入ってしまう。つい聞き入ってし

まう。質疑のやりとりは小生にとって勉強になる。理論で押された時にどのように交わすのか。攻

撃の間隙をどのように縫うのか。決して相手の言うことには理解を示さず、自分の論理を展開する

手法はとても参考になる。

 予算委員会で小生がもうひとつ気になるというか、耳を澄ませているのが「やじ」だ。ライブで

予算委員会を見たことがないので、「生やじ」を聞いたことがないが、最近の予算委員会は特のそ

の「やじ」が凄みを増している。だから余計に聞きたくなる。「やじ」というと短いコメントのよ

うに感じるが、国会の中の「やじ」は長い。耳を澄ませているだけなのでちゃんとは聞こえてはい

ないが、「やじ」が演説のようになっているものもある。ぜひあの「やじ」をマイクにのせて欲し

い。聞いてみたい。

 小生若い頃、県議会を取材していたが、「やじ」はなかった。議場でも各種委員会でもシ~ンと

静まり返った中で質問が出され、答弁がなされる。他県の様子は知らないが、新潟にやじは存在し

ない。

退屈?忙しい?かどうかはわからないが、議員はよく寝る。こんな川柳もある「不眠症座れば治る

 議員の椅子」。寝てはいけないという規則はない。だが、限度がある。

シ~ンと静まり質問を読み上げていると、突然議場に「Zzz・・・」の音。始まったか!!。あの

県議の居眠りが始まった。毎回なのでみんな慣れてはいるが、それにしても大きい音だ。無呼吸の

後「ZZZZ・・・・ZZZZZ・・・・ZZZZ」。「やじ」であれば「お静かにお願いします」と注

意できるが、本人は気持ちよく寝ている。起してまで注意するのも・・・ということでいつも見逃さ

れている。質問をしている議員の耳にもその「ZZZ」が達する。

怒り心頭で質問し、知事の政治姿勢を質している最中の「ZZZ・・・」。これにはさすがに攻めて

いる側も苦笑い。議場全体が一転して和やかなムードに包まれる。緊迫感がないと言えば、それま

でだが、「やじ」とはちがう意味のライブ感だ。
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慣れの怖さ・・・

2010-11-20 16:36:18 | Weblog
小生仕事が変わった。2年半前の部署に戻った。突然の辞令でびっくりさせられた。小生のような

業界は部署が変われば、転職をしたようなものだ。小生はいろいろ渡り歩いているので、それほど

の違和感はないがそれでも以前いた部署に比べると、今の部署は世の中の見方感じ方は180度違

う。だいたい勤務時間がまったくちがう。夜中でもおかまいなしに仕事は存在するのが今の部署

だ。必死になって仕事をしていた時期は仕事時間が長いとは思わなかった。相手に合わせて、時代

に合わせて働いていた。世の中にはもっと長く、低賃金で働いている人はいくらでもいる。そんな

人たちといっしょになって時代を追いかけていれば、勤務時間は気にもならなかった。疲れたら、

寝ればいい、お腹がすけば何か口に入れればいい。職場環境はともかく、自分の仕事環境を整える

のがやっとだった。

 異動して他部署に行けばそうはいかない。仕事があってもなくても椅子に座っていなければいけ

ない。疲れても眠れない。お腹すいても何も口には入れられない。じっと我慢するしかない。でも

午後6時を過ぎれば帰ることが許された。夏は明るいうちからビールで乾杯をしていた。祝祭日は

当たり前に休めた。近年は特に休日が多い。「また連休?」なんて贅沢なことを言ったこともあっ

た。そんな言い草も懐かしい。

 きのう新潟市内でひき逃げ交通事故があった。怪我の程度は重傷だ。狭い道での事故で、近所の

人しか通らないような道らしい。そしてさっきその犯人が捕まった。捕まえてみれば、80歳のお

ばあちゃんだった。なにかぶつかったような気がしたが、人を引いたとは思わなかったと言ってい

るらしい。何の感慨もなく、淡々と記者は原稿を書く。もし身内だったら、もし実母だったら。親

戚だったら。考えると怖い。その81歳のおばあちゃんの健康状態は知らないが、これから長い時

間取調べがあって、ひょっとすると収監される可能性もあり、体力的、精神的にも心配だ。

 ニュースを見てそれは大変な状況だと想像させるような、考えさせるような原稿を書く工夫は必

要だろう。それが事故事件の再発防止にもつながる。自分の身に置き換えたような原稿を書く工夫

はいつも頭に入れておかなければいけない。

小生2年半ぶりに現場に戻ると同僚たちの異様な慣れを感じる。もっと悲しみ、もっと感激し、も

っと怒って、取材をしてもいいと思う。慣れは判断を狂わし、視聴者を遠ざける。
 ふと思う。
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どうしても手が出る駅弁の魅力・・・

2010-11-19 15:24:27 | Weblog
小生、新幹線に乗る時は駅弁を買う。買ってしまう。駅弁は決して安くはない。平均すれば800

円くらい。1000円を超えるのもある。駅周辺にはコンビニがたくさんある。コンビニで弁当を

買えば、800円はしない。まして1000円はとんでもない高額だ。でもなぜか小生駅弁に手が

出る。新幹線に乗るときはコンビニの弁当ではなんとなく駄目なのだ。贅沢と言ってしまえば、反

論の余地はない。しかし、駅弁を食べてみると値段の高さがわかる。中身はあまりコンビニの弁当

とあまり変わらないが、食べてみると非常に丁寧に作ってある。きんぴらにしても、卵焼きにして

も、鮭らしきにしても非常に丁寧な味付けがしてある。口の中に入れてみると、即座にわかる。コ

ンビニとは比べものにはならない。米ももちろんちがう。その日の朝、炊いたばかりの白米なの

で、いかにも新潟米という味だ。コンビニの弁当がまずいとは言わないが少し乱暴な作りで、味も

大味で、濃かったり、甘かったりと丁寧さを感じない。大量生産、大量消費を前提にしているの

で、それはそれで仕方がない。

 もう一つ駅弁にはコンビニにはない特徴がある。それは包装紙だ。すごくいい紙を使っている。

さらに包装紙を包む紐がまたすばらしい。毎回、毎度何かに利用できないかと思いながら、しかし

いい知恵が出ず、残念だがゴミ箱に入れて帰ってくる。申し訳ない気持ちになる。駅弁は弁当の中

身だけなく、包装紙だけでもかなりの経費がかかっていると想像できる。実にもったいない。

 それだけ高いとさぞかし売れ行きがあまり芳しくないと思うが、実は売れ残るものがあまりな

く、ほとんど完売するそうだ。どんな人が買うのかまでは知らないが小生が買う時いっしょになっ

て買う人は、小生と同じような50歳代のサラリーマンのように見える。同じ弁当でもやっぱり少

しでも手間の掛かった家庭の味がする弁当を好むのかもしれない。

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近未来への旅・・・Inter Bee

2010-11-18 15:50:18 | Weblog

Inter Bee(通称インタービー)国際放送機器展2010を見てきた。千葉市美浜区の幕

張メッセで17日から19日まで開かれている。見に行くために上京したわけではないが、時間が

あったので覗いてみた。3年ぶりくらいだろうか、久しぶりのインタービーだ。詳細は把握してい

ないが、放送機器展としては国内最大で、世界でも有数と聞いている。主催者によれば今年は過去

最大の824社が出展しているとのこと。小生実を最近は最先端技術には疎く、会場をくまなく見

て歩いたがあまりよくわからなかった。強いて感想を捻り出せば、「黒船」を見に行ったようなも

ので、すごい機器が世の中には存在するんだなあという極めて稚拙な言葉しか浮かばない。放送機

器と一口で言っても広い。カメラや編集機ばかりではなく、音声機器や伝送システム、送出設備、

三脚やカメラの防水カバーメーカーもブースを出している。わからない



なりに歩いているとおもしろい。今回は少し遠慮したが、アンケートに答えると粗品をくれる企業

が多い。いい気になって以前は粗品狙いでいろんな会社のアンケートに答えて、ボールペンやらわ

けのわからない粗品をもらって帰ってきたことがあった。後日案の定アンケートを書いた企業から

ごっそりと商品の資料の山が届いてうんざりしたことがあった。

 今年のこの機器展の目玉はなにか言えば「3D」(立体視)機器だ。しかし今のテレビ業界はア

ナログからデジタル切り替えを終えたばかり。また一般家庭で3Dを視聴するのはまだ無理があ

り、それほど一般に普及する状況ではないというのが現状だ。たまたま知っているメーカ



ーの新潟担当がいたので、現在の3D市場を聞いてみた。当たり前だが、放送機器メーカーはそれ

ぞれ駆使して3D関連機器開発に力を入れてはいる。が、今はそれほどの市場規模ではなく、先を

見ても市場動向は読めない状況だと話す。故に今は様子を見ている段階らしい。うなずける話だ。

小生の会社がすぐにでも3Dで番組を作り、放送するというのは極めて非現実だ。動きはあること

はある。WOWOWが10月24日にボクシングのWBC世界S・バンタム級タイトルマッチを3

Dで生中継して注目を集めた。とはいえ一般的ではないと言える。

 会場を見渡してみても例年のようにテレビ局関係者は少ないように見えた。その分はやり3Dに

熱心な映画会社や一部のプロダクション、さらにアメリカは3Dチャンネルがあるそうなので、ア

メリカのプロダクション関係者の姿があった。

 小生にとって、インタービーは近未来を見せてくれる展示会かもしれない。
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手間と意識の問題か・・・

2010-11-17 14:45:09 | Weblog
テレビ局にはたくさんのお宝映像が眠っている。一般の人たちに公開すべきだという議論が大学の

メディア研究家にある。「すべき」というほど強制力や脅迫性はないが、意見がある。小生もなる

ほどというところはある。言うまでもなく昔の映像には歴史映っている。テレビ局が見る視点と学

者や研究家が見る視点は違う。洋服を一つとっても当時の流行が見えてくる。人々の暮らしが見え

る。時代を象徴するようなものがある。例えば昭和30年代の新潟市内を隅々までみると実におも

しろい。細かいことを言えばきりがないが、歩く速度、車の速度、看板など、見るもの全てが歴史

だ。今と見比べれば本当におもしろい。映っている人がほとんど亡くなっていると思うと、不思議

な感じもする。テレビ局にとってほとんど興味のないものでも、その道の専門家が見ればまさにお

宝映像になり得る。

 小生が駆け出し記者の頃、田中角栄元首相の演説は日常茶飯事だった。当時のものまね芸人は誰

でも田中角栄元首相をやっていた。「まあ~その~」あのダミ声調子だ。小生のよく知る警察官も

うまかった。今の某新聞社社長も宴会芸はいつも元首相だった。この田中元首相の演説映像もテレ

ビ局の倉庫に眠っている。放送されることはまずない。新潟地震の映像も同じだ。防災としても貴

重な資料になるようなものが映っている可能性がある。

 なぜそうした映像を流せないのか。答えは簡単だ。手間と意識が邪魔をしている。法律的な権利

はあるが、それは手間と意識をクリアできれば実現可能だ。小生の勝手な解釈を申し上げれば、お

そらく近い将来、今テレビ局が持っている映像が一般公開する方向に傾くと見ている。時代がテレ

ビ局の重い腰を動かすと思っている。

 「見せたい!」というあの海上保安菅のような強い意識の局員がいれば、いつでも実現可能なの

だが、今のところ小生の周辺にはいないようだ。もう少し時代の後押しが必要な状況だ。

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重い判決に重い言葉・・・今後の影響は・・・

2010-11-16 17:24:37 | Weblog
横浜地裁できょう、裁判員裁判で初の死刑判決が出された。死刑判決が出されるのは時間の問題と

思っていたので、特別な考えはない。しかしこの判決で注目されたのは、裁判長が判決を言い渡し

た後に「控訴を勧める」と発言したことだ。これはいったいどんな意味を持つのか。とりあえず判

断を下したが、再審理をして欲しいという意味なのか、それとも裁判員が決めたことなので、控訴

してプロに再度判断を委ねるべきではないかという意味なのか。いろんな意味に取れる。小生の拙

い経験で言えば、控訴を勧めるのは聞いたことがない。

 人が人を裁く。特に死刑ともなれば法律論だけではなく、感情論が動くのが当たり前だろう。特

に今回は、被告が反省していることもあって、死刑という判決は感情論も加って厳しい判断だった

ようだ。裁判員は判決後に記者会見し、何回も涙が出たと話をしている。しかし最終的には最高裁

の永山基準が適用され、死刑判決に至った。


 この「控訴を・・・」と言う言葉が今後どのように理解され、裁判員に浸透していくのか。裁判員

制度にとっては、非常に重い言葉だと小生は感じた。
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黒と白のバランスが優劣を決める・・・

2010-11-16 13:47:08 | Weblog
小生、知人を通して「書」を頼まれた。光栄の至りだが、小生にはたして書けるのか。素朴ながら

疑問が浮かぶ。頼まれた経緯はこうだ。

知人が病気になり、長期入院することになった。そこで小生が酔いながらも筆ペンで手紙を書い

た。自分で言うのもおかしいが、もらった人はさぞかしうれしいだろうと思うほどの出来栄えだっ

た。写真を撮っておけばよかったと思うほどだ。話はそこから始まる。実はその手紙を見た人が

「書」の発注者だ。これならば・・・ということらしい。

 書いて欲しいという「書」は孫の名前に至った物語のような文章だ。孫のためという極めて大事

なものを書くということであるならば、貴重なものに違いなく、小生はプレシャーがかかった。し

かし気軽とはいえ、引き受けてしまった以上、書くしかない。覚悟を決めた。

小生には変な癖がある。文章でもそうだが、一度頭の中で書いてから実際に書く。癖になってい

る。だから大事なほど、時間がかかる。今回も頭の中で何回も書いた。筆の質感も頭の中で想像し

てみる。

頼まれてから2週間くらいが経つ。先日ようやく頭の中のシミュレーションを終え、実際に書くた

めに紙を買ってきた。さー書くぞと思って紙に向かったが、酔っていたずらに書くのとは訳がちが

う。真面目に書けば小生のボロが出る。頭の中でいろんな考えが回る。「一生その字は誰かが見

る・・・お孫さんが大人になってもその「書」は生き続ける・・・」そんなことを考えると余計に書けな

い。手が動かない。とりあえず、練習用の半紙に書いてみる。数十枚書いてみた。段々と慣れてき

たところで、本番の紙に書いてみた。「うー」自分で言うのも中々いい。調子に乗って5枚ほど書

いた。




 これほど真面目に「書」を書いたのは本当に久しぶりだ。字を書くのは楽しい。何か身体が洗わ

れるような気にもなる。不思議な感覚だ。それにも増して一番難しいのは、バランスだ。「字の

形」のうまい下手よりも黒の墨と空白の白とのバランスがその作品の優劣を決めるような気がす

る。バランスが勝負だ。

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白鵬・・・足の怖さ

2010-11-15 19:12:11 | Weblog
白鵬が負けた。きょうはまったく相撲を見る時間がなく、偶然テレビに目をやったら白鵬と稀勢の

里が立会場面だった。

白鵬の勝ち誇った姿が浮かんだ。しかし様子は最初からちがった。白鵬の足があまり滑らかではな

い。稀勢の里の方が良く動いていた。危ない。もしかすると。そんな相撲が展開された。白鵬の顔

も心なしか、慌てているように見えた。中盤持ちこたえたように見えたが、いつもの軽やかな足捌

きは戻ってはこない。稀勢の里はその分足が動いていた。ズルズルと土俵際に攻め込む。足が動か

ない相撲のつらさを見た。きょうの白鵬はどうもおかしい。足が動かない。まったく使えていな

い。小生の錯覚だろうか。なぜだろう。69連勝に対するプレッシャーなのか。それがきょうなの

か。あぶないと思った瞬間、白鵬は土俵の外に倒れていた。

 テレビカメラは勝った稀勢の里をまったく追わなかった。引き上げる白鵬の顔は真っ赤。目には

うっすら涙が浮かんでいるようにも見えた。放心状態のようにも見えた。なにが起きたのか。連勝

が63でストップした。白鵬らしからぬ、相撲だった。

 相撲は下半身の動きがいかに大事かを感じた一番でもあった。

コメント (1)
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