平成19年度にボランティアの仕事を卒業した仲間が毎年1回旅行に出かける。今年は(秘境・瀞峡と那智勝浦方面)に1泊2日で出かけた。
まず鬼が城という所に下車しぱらぱら雨の降る中ライオン(鬼?)の顔に見える大きな岩の中を散策した。
昔、桓武天皇の頃、熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多賀娥丸を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂が征伐した。その伝説に基づいて鬼の岩屋と呼ばれたが、後に鬼が城と言われるようになったそうだ。
平成19年度にボランティアの仕事を卒業した仲間が毎年1回旅行に出かける。今年は(秘境・瀞峡と那智勝浦方面)に1泊2日で出かけた。
まず鬼が城という所に下車しぱらぱら雨の降る中ライオン(鬼?)の顔に見える大きな岩の中を散策した。
昔、桓武天皇の頃、熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多賀娥丸を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂が征伐した。その伝説に基づいて鬼の岩屋と呼ばれたが、後に鬼が城と言われるようになったそうだ。
このところ近くの街路樹、南京ハゼが色づき始めた。
やっと紅葉という言葉が私たちの地域にも似合ってきた。小国神社もきっときれいになってきたことでしょう。
3週間前の東北旅行を思い出して写真を見直した。
米の収穫後のわらの始末が珍しく写真に収めた。家畜のえさになるのか?肥料になるのか?
わからないままで終わってしまった。
奥入瀬渓流(10月22日)
先日の旅行で弘前城によった時、移動した天守をバックに写真を撮ろうとしたら、おたがいに撮りましょうと言って知り合った方が珍しいものをくださいました。
世界に私しか造る人がいないという作品。銅版で作った小さな小さな鶴をいただきました。
彼は3羽の鶴を使ったペンダントをつけていました。
その方は青森の方で、天守の移動を見に3回ほど弘前城に来たそうです。
奥様とは青森のリンゴを一番おいしい時期に送りましょうとお約束しました。
楽しみにしています。
弘前城天守は1611年に築城されたが、1627年落雷により焼失されたそうです。
現在の天守は1810年に再建されたもので、江戸時代に再建された天守としては、東北地方に現存する唯一のもので、重要文化財に指定されているそうです。
しかし天守を支えている石垣が崩れそうになっているということで、天守を移動して石垣を大修理するというニュースを数か月前にテレビで知りました。
その後難しい問題を解決しながら移動していることもテレビで知りました。そこで一度見たいものだと東北旅行に組み入れて弘前城へ出かけました。
すでに移動は終わり,仮の場所に降ろす作業が始まっていました。確か60mほど移動したような気がしましたが・・・・。
6年間借り位置に据えられるそうです。
写真を撮るための展望台が設置してあり、そこでカメラに収めてきました。