那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

『A』(森達也、1998) 映画批評

2012年09月24日 | 書評、映像批評
以下、昔書いた批評なので文章が硬いですが。

オウム真理教がサリン事件を起こした後に、オウム真理教広報部長の荒木氏を中心にして、オウムの側の視点から取られた問題作。
 この作品の優れている点。
一般概念として「悪」と思われてきたオウムの内側に入ることで、むしろマスコミや一般庶民が悪であり、オウムの信者に立派な人間が多い、という逆説を映像で見せた点である。
 ある信者が出家した動機は、恋愛して結婚しようとしたが、愛すれば愛するほど死による別れは悲しくなる。だから生死を超越した世界に解脱を求めた、という。また、大学に入学して3日目に退学したのは、周りの大学生を見て、こいつらが社会を牛耳るのだから社会が腐敗するのは当然だ。自分は出家者となってその腐敗をくい止めよう、と決心したのだという。これらの発言を見ていると、オウムの信者の多くは、一般人よりも心がけのピュアな、心のステージの高い人々から構成されていることが分かる。
 それに対して、取材攻勢で阿修羅のようにうろつきまわるマスコミ関係者のゴロツキぶりや、オウム信者をエイリアンのように忌み嫌う「善良なる市民」の無知蒙昧ぶりが写される。
 このように、オウムの内部に入り込み、オウムの視点から社会を逆照射することで、思わぬ真実が現れてくる。

この作品のピークは、あるオウム信者に付きまとい、その信者が逃げようとすると、後ろから追いかけて突き倒しながら、まるで自分が被害を受けたかのような演技をして、信者を「公務執行妨害」で逮捕する警察官のあざとい行動を一部始終捉えている部分だろう。
 この信者は逮捕されるが、オウム側弁護士がその様子をとったフィルムがあることを警察に突きつけると、不起訴になって出てくる。
 警察は、なんでもやるところだとは知っていたが、この場面を見ると、なるほど、逮捕しようと思った相手にはこんなことまでして無理やり逮捕するのだな、と分かる。

もう一つの見せ場は、荒木広報部長を一橋大学のゼミの学生が応援する場面だろう。女子大生たちは、興味深く彼に、「性欲はどうやって処理するのか」と聞く。荒木氏は、性欲の強い人にはそれを消す修行法があるが、自分には必要ない、と答える。このあたり、女子大生の関心のありかが明瞭に分かっておかしかった。
 別の場面で荒木氏は、キスもしたことのない童貞であることを打ち明ける。この場面も、なかなか感動的だった。同年代の若者たちが愛欲のルツボの中で青春をバカ騒ぎしているときに、解脱を求めて出家する人間の尊さが浮きだって見えてくる。
 このゼミの学生たちは、オウムの破防法適用反対を主張してハンストを行う。

この作品の劣っている点。
撮影が素人並みである。完全な素材主義で、映像に美学が全くない。
音楽の使い方では、上記した公務執行妨害の場面に「グッナイベイビー」をかぶせて「対位法」的使い方をしているのに感心したが、ラストシーンでは、荒木広報部長が祖母の家を訪ねる場面で、センチメンタルなロックを流して台無しになっていた。作品の中で音楽が使われるのはこの2回だけである。一度目はうまく、二度目は下手である。要するにこの監督は、映画作家としての美学を持っていない、ということである。
 最大の欠点は、オウムが坂本弁護士一家を殺し、地下鉄サリン事件を起こした、という事実を「当然の前提」として省略しており、どこにもその説明がない。
 だから、この作品は外国上映や、年代が立って人々がこの事件を知らない時代に上映されたときには、全く意味の分からない作品になってしまうことだ。
 このあたり、作品を構想する段階で配慮すべきところだが、それがなされていない。致命的な欠点である。

結構話題になり、あちこちで上映会が開かれた作品なので見た人も多いかと思う。私としてはマアマア面白い作品だった。
 個人的に気になったのは、結跏趺坐の組み方。座禅の組み方と逆になっている信者のほうが圧倒的に多かった。右足を左の太ももの上に乗せるのが本当の足の組み方である。私も座禅修行をして悟りを目指しているので、このあたりが気になった。
 それから、彼らの修行に対する心構えの誤りが気になる。悟り=解脱の途中で現れる神通力(超能力)に異常に興味を示し、教祖=グル=麻原に対する個人崇拝が異常であることである。

禅では神通力を「魔境」とか「外道禅」と片付けて重視しない。その力を得ても救済の絶対的な力になりえないと、軽視する。また個人崇拝も許されない。仏と言えば全ての人間が仏なのである。特定の個人を絶対視することは仏教では禁止されており、それを「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」という。様々なカルト宗教がそうだが、人間はどうしても個人信仰に陥る。人を偶像化する、というのは人間の業といっていい。宗教は基本的にその思想体系を信じるのであり、師弟の関係はあっても、人本尊に偏るのは邪道である。詳しくは「三身」((法身・報身・応身)説を調べて下さい。この辺りの人間一般の持つ弱さを追求すると、この作品はもっと普遍的価値を持つことができただろう。

この作品は、悩める青年=荒木君を主人公とした青春ドキュメンタリー、の要素が後半になるに従って強くなる。
 話題作ではあるが、傑作とはいえない。原一男のドキュメンタリーなどとくらべると、素材に対する踏み込み方が足りなりので不満が残る・・・・・・・