那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

山本玄峰ふたたび

2012年09月23日 | 
 今日は忙しかったので、私が禅僧の中で最も尊敬する山本玄峰師の言葉を引用しました。
師に関しては既にこのブログに書いていますが、読み直すと本当に勉強になります。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kuromakuron/genpo.htm より抜粋引用


「人間の心は意馬心猿といって、ちょっと油断をすると、心が馬や猿のように飛んで廻るから、何時も自分で自分の心を引き締めておらねばならぬ」。
 「一番業の深い、最悪の生物は人間じゃ」。
 「木は気を養うものだ」。
 「人とたばこの良し悪しは、煙になりて 後にこそ知れ」。
 「臨済の一喝、ある時は人を殺し、ある時は人を活かす」。
 「僧堂にはいろいろな人がくるが、まともな人間は余人に任せる。わしは世間から、あばれもの、やくざもののように見られている連中を世話する」。
 「法に親切、人に親接、ご自身に辛切」(松原泰道氏の評伝)。
 「隠徳を積め」。「人間は若いときに陰徳を積んでおかないと、歳を取ってから苦労するから、常に陰徳を積むことを考えよ」。
 「学問はいくらでもせい。しかし学問を鼻にかけちゃいかんせ、坊主で何より肝腎なのは、道心じゃ。これに学問があれば鬼に金棒さ」。
 「わしの部屋は乗り合い舟じゃ。村の婆さんも来れば、乞食も来る。大臣も来れば、共産党までやって来る。皆同じ乗合舟のお客様じゃ」。
 「棚からボタ餅の堕ちてくるのを待つように、天命は俟つものではない。天命には従うものだ」。
 「お前は、まだ解らぬのか!わしは、世のため、人のためにと念じて修行したことは一度も無い。みんな自分のためにやっているのや」(田中清玄に放った言葉)。
 「いや、あんたは座禅組まんでもええわ。あんたは、ええ新聞つくりなはれ。それが、あんたの座禅やで」(老師が進藤次郎氏へ述べた言葉)。
 「足の裏と肛門をきれいにしておくのが、健康の秘訣じゃ」。
【玄峰老師の名言その二、講話系
 「正法興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ。よろしく正法を守り仏法を興すべし」、「正法の行われる家は繁栄し、正法の栄える家は隆盛になる。ひたすら正法の久住に勤めよ」。
 「性根玉を磨くのが修行じゃ。人間の性根玉は元来、清浄であるけれども、永らくの宿業によって性根玉が曇っておる。それで元のきれいな性根玉に磨き出してゆかねばならぬのじゃ」。

 「性根玉が磨かれると、どうなるかといえば、自然に物事の道理が解ってくる。『天下の理に従う者は天下を保ち、天下の理を恣(ほしいまま)にする者は天下を失う』ということがあるが、物事の道理が解ってくるとろ、一切の物が語法神となって自分を守ってくれる。又何を行っても自然に成功し、成就するようになる。人生において一番大切なことは、この、なにゆえかは知らぬが、何事も自然に成就することである。そうなるには、性根玉を磨かねばならぬのじゃ」。

 「性根玉は磨くだけではいけない。性根玉を自覚し、悟らねばならない。本当に自分の性根玉が解ると、いつでも風呂から上がりたてのような、饅頭の蒸したてのような、ぽかぽかした楽しい気持ちがするものだ」。
 
 「時世には流れと勢いというものがある。これに逆らってみたところでどうにもならん。人が東に走る時には、共に東に走り、西に向かう時には、共に西に向かわねばならんが、泥棒と巡査のようなもので、同じ方向に走っていても、心掛けはそれぞれ違っていなければならん。それと同様に、同じことをしていても、心の置き場所が違わねばならぬ」。
 「人間は早く出世することを考えてはならん。若いときにはなるべく人の下で働き、人を助け、人の為に働かなければならん。40歳以前に人の長上に立ってはいけない。40歳以前に出世すると、60、70になって凋落してしまう。『年年に咲くや吉野の山桜 木を割りて見よ花のありかを』という歌があるが、これは人生には根肥(ねごえ、寒中の葉も草も無い時に木の根にやっておく肥料)が大切ということだ。花も葉も無い寒中に、木の根に肥料をやっておくように、人生には何よりも根肥えが大切なのじゃ。人間は40よりも50、50よりも60と、歳を取るに従って人に慕われ、人の役に立つ人間になり、むしろ喜んで人に惜しまれ、人を教えてゆくような人間にならなければならん。それが為には出世を急がず、徳と知恵と力を養っておくことじゃ」。
 「人間は手足を大切にせねばならぬ。炊事や風呂の世話をしてくれる人が旅館の手足じゃ。この人たちが一番大切な人じゃ。『車の功を云うときは輪は与らず』と云って、車で一番大切なものは輪であるのに、人は輪の有り難味を忘れがちである。輪を大切にすることを、よく考えねばならぬ」。