那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

一休宗純師の歌

2013年02月27日 | 風狂考察
20代から30代「よく学びよく遊べ」の精神で生きていた頃、笑いや風狂に興味を持ち資料を集めていた時期がある。
 映画映像研究は非常に間口が広く、機材論、技術論、映画映像理論、理論史、映画史、記号論、心理学、などは勿論、歴史や世相などなど、総合芸術だけあって研究も自ずから総合的になってくる。古本屋巡りをしていると片っ端から買わないといけない状態になり、そういう生活の中で何かのきっかけで「風狂論」を書きたい気持ちが生まれたのだろう。
 現在は必要最低限のもの以外は処分しているが、一休禅師のことを最近書いたついでにここで彼のエピソードと歌をネットから引用して紹介することにする。

一見ニヒリズムやナンセンスのようでも、一休さんの風狂の世界には現代を生き抜くヒントが豊富に詰まっていると思える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94

応永22年(1415年)に京都の大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となる。「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから華叟より一休の道号を授かる。なお「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指す。

1481年、88歳で酬恩庵においてマラリアにより没した。臨終に際し、「死にとうない」と述べたと伝わる。(那田注:山本玄峰師は臨終のとき「旅に出る、支度をせい」と述べた。両極端の言葉で興味深い)

http://i.prodr.com/zen/z-19.html

 親当は一休に尋ねる 邪正一如とは何か?
(邪と正とは別々ではなくて、一つの心から
 出たものだから、もとは同一という事)とは?

一休は歌で答える。
 「生まれては 死ぬるなるけり
  おしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」


 親当は 空即是色とは何か?

一休は歌で
 「白露の おのが姿は 其のままに
  もみじにおける くれないの露」


 親当  色即是空は如何に?

一休は
 「花を見よ 色香も共に 散り果てて
  心無くても 春は来にけり」


 親当  仏法とは一口に言えば?

一休「仏法は なべのさかやき 石のひげ
   絵にかく竹の ともずれの音」

.*.・:★'.・*.・:☆.・*.・:★'.・*.*.

『道歌問答』

一休・・門松は めいどのたびの一里塚
   馬かごもなく とまりやもなし・・

 親当・・年越は めいどの旅の問屋場か
   月日の飛脚 あしをとどめず・・・

一休・・光陰は 矢ばせを渡る舟よりも
   はやいとしらばすえを三井寺・・

 親当・・分限に 粟津にゼゼをつかうなよ
   こころ堅田に しまつからさき・・

一休・・金銀は 慈悲と情けと義理と恥じ
   身の一代に つかうためなり・・・

 親当・・世の中に 負者有徳者苦者楽者
   なん者か者とて末はむしゃくしゃ・

一休・・今日ほめて 明日わるく言う人の口
   泣くも笑うも 嘘の世の中・・・・

 親当・・世の中に 乗合舟のかりすまい
   よしあしともに 名所旧跡・・・

   一休も やぶれ衣で出る時は
   乞食坊主と人はいうらむ・・・

一休・・袈裟衣 有り難そうに見ゆるども
   これも俗家の他力本願・・・
___________________________
この問答はまだまだ続いていく。興味のある方はurlをご覧下さい。

意味・無意味・感動の話

2013年02月25日 | 芸術・表現
今日は久しぶりに病院で血液検査を受けてきた。
疲れが溜まっているのでサボりたかったが、薬も切れたので仕方ない。

そういう訳で、今日は無理したので、過去に書いた文章でも貼り付けて手抜きをしようと思ったが、どうも見つからないので、昔考えていた芸術論的な話を簡単に書く。

微笑禅の会でも私は「言葉やイメージに囚われているのが一番よくない。如来というものがあれば言葉を使っていない」等々と書いたり話したりしている。

朝、意識は覚めても目が開かず体が起き上がらないまでの一時、放っておくと大抵はネガティブな言葉が連鎖してフラッシュバックのようにイメージが蘇ってくる。そういう時は寝禅がいいと自分の心身を実験台にして様々な工夫を凝らしている。

極端な結論を出せば、人間はそういう言葉やイメージの、意味、に囚われているから対立や紛争が起きる、と言っても過言ではない。

雑談風に言えば、「満月」という言葉は夜の空に光る真ん丸いお月様のイメージを示す。普通はそうなるはずで、例えば書道の心得のある人なら「満月」という文字の形だけを見て「満月」との違いが気になるだろうが、それは例外だろう。例外と言っても、書道家の場合は意味以上に文字の形や筆勢の力が気になり、全体的な感動を重視するので、すでに結論が出たようなものだが、意味と感動の力は当然直結していない。

学校の先生が、満月をテーマに俳句を読みなさい、と言ったとする。普通の生徒は「満月や」から一捻りしようとする。そこで芸術的センスに飛び抜けた生徒が「新月の」と発表し始めると、教師も生徒もドッと引くだろう。所謂ky発言である。そこで「新月の頃より待ちし今宵かな」と締めくくると、教師は「参りました」となる。
 つまり、この生徒は「満月」という意味に単純に囚われず、逆転の発想で満月という言葉を使わずに満月が宿している隠れた感動を最大限に引き出した、つまり表現したわけだ。ここに芸術の力の大きなヒントがある。

禅僧はよく、○(円相図)を一気に描く。何の意味も見えてこないが、語りつくせないほどの意味と効果がこの、○、の中に秘められている。

最も純粋な芸術は音楽だと言われる。例えばモーツアルトのピアノ協奏曲には「意味」がなくて「感動」のみがある。こういう歌詞抜きの純粋な音楽でも社会参加、革命運動が出来る、とかなり無茶なことを主張した人がいるが、音楽は意味がないからこそ感動する。これは別の角度から見ると非常に危険な側面もあり、鬱病で滅入っている人間は感動しすぎてさらにダウンする場合も多く、おぼろげな記憶だがある種の宗教(原始仏教だったかも?)では歌舞音曲の類いは禁止されたと何かの本で読んだことがある。

禅の話題に戻れば、姿勢を整え、呼吸を整えて、無念無想の状態を続けるのが基本になっている。意味とイメージを一切払って、何も考えない。ナンセンス状態を維持する稽古だと思えばいい。そうすると、言語やイメージの組み立てではまず見えてこない豊かな世界が広がる。ゼロが最大限に突然に化けていくのだから面白い。

頭で考えて行動して疲れ果てたときは、何も考えず、物思いに浸る時間を消すこと、そうすると心身が蘇り、善と悪、黒と白との対立が乗り越えられるかもしれない。


眠っているときに赤ちゃんは時々ニコニコと微笑むときがあるが、あれは何を夢見ているのだろう、とフト思いました。赤ちゃんは無敵ですね。

自殺する子供たち 生きがいの喪失

2013年02月24日 | 世直しのためにどうすべきか
タイトルとは全く関係ありませんが、微笑禅の会のネット会報は、これまで「禅」のジャンルにいれていたのを「微笑禅の会ネット会報」というジャンルを新たに作ってそこに纏めました。興味のある方はご覧下さい。

さて本題に入る。マイミク(mixiの友達)に貴重な情報を載せている人がいる。今日はそのオリジナルから引用することにする。


http://www.shinrankai.or.jp/jinsei/jin01.htm(浄土真宗親鸞会のHPです)

◆第1章◆「人生の目的」なかったら大変だ!

(1)「なぜ生きるか」  問われている時代
「あなたの家族が、自殺しようとしたら、どう言って止めますか」
 こう聞かれ、自信を持って答えられる人は、どれだけあるだろう。

 平成10年の自殺者は、急激に増加し、初めて3万人を突破した。1日あたり約90人も自殺している。自分の家族や友人に、いつ、自殺者が出てもおかしくない。いや、自分自身が、何か大きな障害にぶつかった時、果たして、大丈夫だろうか?
「死んではならない。生きることが尊いのだ!」 と子供に叫んでいた大人が、次々と自殺していくのは、一体どうしたわけか。

 平成11年、日本を代表する評論家が手首を切って自殺し、世間を驚かせた。
 校長先生の首吊り、飛び降り、割腹自殺も相次いで報じられた。
 警察官がピストル自殺、エリート官僚が飛び降り自殺、政治家が首つり自殺……。
 どんな"偉い人"も、分かったつもりで、まったく分かっていないのが、人生の目的「なぜ生きるか」の答えではないだろうか。

 新聞の投書欄には、子供たちの、"心の叫び"が寄せられている。

●千葉県・高校二年生 「着たくもない窮屈な制服着せられて、受けたくもないつまらない授業を受けさせられて、やりたくもない部活やらされて、家に帰っても宿題とか家事とかいっぱいあって、だーれも生きた心地なんてしてないのに『命の大切さ』なんて口先だけで教えられたって実感なんて持てない」(朝日新聞・平成10年4月20日)

●和歌山県・高校生 16歳 「人は何のために生きているのかと思います。日本人の平均寿命は80歳前後です。80年間も何のために生きていくのですか?  学歴社会ー当たり前のように使われているこの言葉が、たいして勉強のできない者にどれだけ不安を与えているか分かりますか。自分の夢に向かって一生懸命がんばってるのに、つらいことの方が多く残りの人生がとても嫌です。  最近の高校生はーと、よく言われますが、まじめにやっている者もいるんです。それでもうまくいかなくて、不安で逃げ出したくなって、自分のような人間が、本当に何か役立つんだろうか、つらいことを乗り越えて、まだ生きていく必要があるのか。  命は大切です。当たり前のことで、分かっているけど理解できない。あと六十年以上も、この苦しい日本の中で生きていきたくない。こんな思いで毎日過ごしています。  人は何のために生きているのですか。だれか教えてください」(産経新聞・平成10年3月19日)

●神奈川県・高校一年生 「実はみなさんに相談があります。  それは『人(自分)は何のために、何を目的に、何を目指して生きているのか』ということ。自分であれこれ考えて、一度は納得してみるものの、またすぐに、『夢を目指してがんばるのもいいけど、それをかなえて、そして自分が死んだ時、何が残るのかなぁ?』などと考えてしまいます。  みなさんに聞けば、いい答えが見つかりそうな気がします。期待しているので、どうかみなさんの意見を聞かせてください」(毎日中学生新聞・平成11年12月14日)

 近年、子供の自殺も急増している。平成10年度に自殺した公立小、中、高校の児童・生徒は192人。前年度より四割も増加しているのだ。
 子供たちの、素直な問い掛けに、誠意をもって答えたい。それが、自殺を予防するだけでなく、我が身の人生を見つめ直すきっかけになる。

「なぜ生きるか」、人生の目的を知りたいという声が高まる中、あなたは、どんな解答を準備しているだろうか。(略)


(3)目的なき人生イコール不安な人生
 「人生の目的がない」という人は、着陸する空港が分からないまま飛んでいる飛行機と同じで、不安、苦悩から離れられない。
 オギャアと生まれた時を、飛行機が飛び立った時にたとえてみよう。大空では、一分一秒たりとも静止できない。休む暇なく飛ばねばならないのが人生である。

 では、どこへ向かって飛べばよいのか。目的地もなく飛び続ければ、やがて燃料切れの墜落が待っているだけだ。
 着陸すべき空港が見つからぬまま、刻一刻と燃料切れが近づいてくる。こんな飛行機に乗っている心境はどうだろうか。不安でたまらない。
 そんな中、美しい音楽を聞いたり、おいしい食事を味わおうとしても、楽しめるはずがない。

 目的地の空港にあたるのが「人生の目的」である。
 いつでも、安全に着陸できる大空港がハッキリしてこそ、本当に、安心、満足した人生が開けるのである。

(4)目的が先か 生きることが先か
「生命を大切にしよう」
「自殺してはならない。がんばって生きていけば、きっといいことがあるさ」
「生きることが尊いんだ」
 このように励ましてくれる人ばかりだ。

 しかし、「とにかく生きよ」と励まされても、方角が分からねば進みようがないではないか。
 ちょうど、見渡す限り水平線しか見えない大海原に、1人浮かんでいるようなものである。四方八方眺めても、陸地がどこか、さっぱり分からない。
 この場合、陸地が「人生の目的」にあたる。じっとしていれば沈むだけ。生きるからには泳がねばならぬ。では、どこへ向かって泳げばよいのだろうか。
「精一杯、泳げるだけ泳ぐだけさ」と強がっても、方向が分からないまま泳げば、ますます、陸から遠ざかるかもしれない。
 そのうちに体力が尽きておぼれるのは目に見えている。

 その不安に満ちた心境は、まさに、「人生の目的」を知らずに生きる姿である。

 陸地がどこか、ハッキリ分かってこそ、全力で泳ぐことができる。
「人生の目的」は何か、ハッキリ分かってこそ、どんな荒波も乗り越えて、全力で生きることができるのだ。

 幸福な人生への第一歩は、「なぜ生きるか」、人生の目的をハッキリと知ることである。

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以前にも書いたようにチャットをしていると、頭のいい子、真面目な子、個性的な子供たちが陰湿なイジメに逢い、教師も黙殺したり、ひどい場合にはそれに加担すらしている現実と出会う。時代の閉塞感、暗黒社会のなせる業で、「悪の論理」が純朴な善意や正義感を押しつぶし、出口が見つからないのが今の日本の実態と言っていい。

突拍子も無い喩えをする。チェッカーズが都会生活の喜びを歌っていた同時期に、尾崎豊は大人社会への絶望を歌い、若者の教祖と言われて不審の死で幕を閉じた。彼の死後に尾崎ファンになった私は、尾崎は天才だと言って同世代にバカにされたが、彼はこういう社会を敏感に先取りしていた。彼の作った歌は鬱病と信仰喪失体験が背景にあるために非常に激しい強度で真面目な若者たち心を揺す振り、今でも例外的な存在としてますます評価が高まっている。

上記の親鸞会の書き手は「人生の目的を決めること」と若者たちに諭しているし、それはその通りだと思う。が、若者たちは「こんな時代に生きていくこと自体が辛いから目的の持ちようが無い」と言いたいのではないか?ドブ川の中で棲むのが嫌になり清流を求めて彷徨っている魚のような心境だろう。

子供や若者たちが「人生の目的」が持てる社会をどうやって作っていくか。これこそが私たち大人に残された「人生の目的」に他ならない。私は「真の革命は無意識の底の底を浄化することから始まる」と思っているが、これは容易なことではない。かといって一休禅師のように「心配するな、なんとかなる」と言える時代ではないのも確かである。
 




日本人の幸福度ランキング

2013年02月23日 | 世直しのためにどうすべきか
ある人から「日本人の幸福度ランキングは世界で90位ぐらいらしい」と聞いた。
 確かに自分を見ても周囲を見ても幸せ一杯の生活をしている、という人はまずいない。

以前、人間の幸福のレベルを簡潔にまとめた本を読んだ。微細な記憶は曖昧だが基本は間違っていないので自分なりにアレンジして記す。

①生命の危険がない。衣食住が足りている生活。
②愛のある生活。恋人、夫婦、家族愛など。
③趣味娯楽、芸術を楽しむ余暇のある生活。
④社会的地位、名声を得ている。
⑤思い通りの自分になっている。自己実現、個性化。

①から順次⑤までレベルが上がっていくわけだが、⑤の段階に達した人はおそらく世界中に一人もいないと思う。必ず言うに言われぬ悩みを抱えているだろうし、菩薩行を実践しようとすれば、「この世に一人でも苦しんでいる人がいる限り、それを自分の苦しみとして救済する」と誓願を立てている訳だから悩みの塊の中にいるのが本来の姿だ。
 私にも数多くの悩みがあるが、生きがいを一つだけ挙げよと質問されたなら、何か世の中のために立つことをしているかどうか、に集約できる。最澄は自らを愚中の愚、狂中の狂、と規定しながらも「一隅を照らすものは国宝である」との言葉を残している。

下に抜粋引用した文章はもっと実際的な生活体験や統計による考察なのでごく一般的な幸福度の比較だが、なるほど日本はここまで住みにくくなっているのか、よく分かる。そういえば何人もの知人が海外に移住したり、退職後は移住するといっているわけだ、と今更ながら気付いた次第です。

http://kyouki.hatenablog.com/entry/2012/12/13/073158より

たとえば、ブータンは非常に国民の幸福度が高い、というのは、よく知られた話だ。
でも、ほんとかな、と思って調べたら、たとえば、こんな話もあると知った。
ブータンは人口70万人の国だが、民族問題があり、約10万人もの難民がいる。
また、識字率は47%に過ぎない。
どうやらブータンをそのまま幸福社会のモデルにすることには、無理があるようだ。(詳しくは ブータンは本当に幸福な国か )

世界の国々の幸福度合いについて、いろいろな調査がなされているようだが、国の豊かさと国民の幸福度には、ゆるい相関しかない。
こちらのグラフが面白い。
横軸に国民ひとりあたりの所得、縦軸に国民の幸福度をプロットしたもので、所得水準が上がれば、幸福度が相当低い人々は減るので、全体の幸福度は上がるが、かといって、低い所得水準でも、幸福度の高い社会の実現が可能であることを示している。
このグラフを見ても、日本より、タイやベトナムのほうが、国民の幸せ度は高いのである。

少なくとも、こういった調査から、「国の経済の衰退を甘受して、国民の幸せはない」という論理は、日本人らしい、ある種の強迫観念ではないか、という気もしてくる。

ところで、日本人の幸せ度調査を見ていても面白い結果がでている。(略)

このグラフは、第一生命経済研究所が、幸福感に関する意識調査の結果を発表した有名なもの(2011年8月27日~9月14日)。
この調査によると、女性は60代で幸福度が頂点に達し、その後、なだらかに低くなっていく。
男性は、40代でひどく不幸になり、その後は、どんどん幸福感が増し、80代でピークに達するという。
たしかに、自分を振り返ってみると、40才ごろ、まだ会社にいたころ、最高に、不幸だと感じていた。
会社では、自分の限界を痛感し、かといって、中間管理職として仕事に追いまくられ、不在がちで家では、嫁や子供と充分なコミニケーションも取れず、友達づきあいもほぼ会社内に限られて気の置けない交友は少なく、まったく、どん詰まりの状況であった。
僕の場合は、会社を辞めて、ずっとラクになったのだが、そのまま会社に残っていたら、さらに、閉塞感が高まっていただろうと思う。
そして、この調査の意味することを信じれば、僕はこれから、どんどん幸せになっていく。
もし、80才まで健康に生きることができれば、いまよりとんでもなく幸せになれるはずで、これほど、楽しみなことはない。

それにしても、男性は、幸福度がどんどん高まり、逆に、女性は、なぜ、60才以降、幸福度が下がっていくのだろうか。
40代の辛苦から逃れた反動が、それを可能にするんだろうか。

内閣府の調査によると、各国で行われている同様な調査の結果は、U字型のものが多いという。若者と高齢者が、熟年層より幸福であるのが一般的である、という。
アメリカの調査でも、U字型になっているという。
一方、日本の場合、男女の合計を出すと、グラフはU字型にならず、年齢に従ってなだらかに減る右肩下がりのグラフになってしまう。
__________________________
データは古いが次のような考察もある。http://diamond.jp/articles/-/19942

北欧諸国があらゆる「幸福度ランキング」で上位を占めているのはなぜか、世界的に見ても豊かなはずの日本が、どうして81位(*(2010年 ギャラップ「世界幸福度調査」より))なのか??。キーワードは「自由に生きること」。ハワイをベースにノマドライフを実践する本田直之が幸福度ランキングトップの北欧(デンマーク、スウェーデン、フィンランド)の人たちと幸福について語り合って得た確信とは?

アメリカ的物質至上主義が
幸福感につながらなくなった?

 北欧の国々は、税金と社会保障を合わせた国民負担率は6~7割近く。実際に使えるお金は少ないのに軒並みランキングの上位を占めています。

 一方、日本の国民負担率は4割程度。使えるお金も多く、モノも豊富にあって豊かなはずの日本人が、なぜ幸せを感じられないのか。それは、アメリカ的な物質至上主義が幸福感につながらなくなったからではないかと思います。

 私が日本人の描く「幸せ」に違和感を覚え始めたのは、日本経済が再びバブルを迎えていた2005年頃のこと。デュアルライフをするために毎月のようにハワイにいっていた時期でした。その違和感はなんなのだろうと、ずっと考えていたのです。

 ハワイはアメリカの一部ですから、幸福度ランキングの上位に名前があがることこそありませんが、過ごしていてとても幸せを感じられる場所です。(略)

モノやお金に振り回されず
精神的・体験的なものに重きを置く

 2007年から実際にデュアルライフを始めてみて、また毎年ニュージーランドやオーストラリアなど、幸福度ランキング上位の国々で生活をする中で、強く感じたこと。それは、古い価値観のままでライフスタイルをつくっていくと、幸せではなくなってしまうのではないかということでした。

 ハワイやニュージーランド、オーストラリアは、シンプルな暮らしをしているけれど幸せそう。しかし、モノは豊富にあるはずの日本がハッピーではない……。違う環境の場所を行ったり来たりすることで、その違いが浮き彫りになったのです。

 そもそも私には、モノをたくさん欲しいとか、いい車に乗りたいといった欲求は、もともとあまりありません。デュアルライフを始めた当時は、違和感を覚えているのは自分だけなのではないか、またハワイの価値観だけが別のところにあるのではないかと思っていました。しかし、そうではなかったのです。

 その思いを決定的なものにしたのが、2008年夏にアメリカで起こったサブプライムローン問題でした。アメリカではここ数十年にわたって、住宅のサイズ(スペース)が10年ごとに20%ずつ拡大してきたのだそうです(『スペンド・シフト』ジョン・ガーズマ+マイケル・ダントニオ著 有賀裕子訳/プレジデント社)。

 そして、そこに収まるモノを買うようになった結果、家具や家電製品や衣類、アクセサリーやおもちゃなどが増え、車もどんどん大きくなっていきました。

 しかし、それはローン(借り入れ)によってつくられた幸せでした。サブプライムローンが破綻してストーリーが崩れてしまうと、なくなってしまったり、足かせとなってしまうものばかり。見た目こそ裕福そうですが、実は中身はカツカツで、まったくハッピーではないことが明らかになったのです。

 これは、今の収入がずっと続いていく、自分が持っている資産が値上がりするという想定のもとで、ライフスタイルをつくってしまったことが原因でしょう。

 一方、ハワイやニュージーランド、オーストラリアには、モノが少なく暮らし自体はシンプルですが、豊かな自然や旅をはじめとしたライフスタイルがありました。モノやお金に振り回されるのではなく、精神的・体験的なものに重きを置く。見た目は質素でも、そのほうが実は豊かなのだ。私はそう確信するに至ったのです。(略)

「自ら選ぶこと」が、幸せな人生を
送れるかどうかの決定的な差

 物質至上主義とは、言い換えるならば、車や家などモノや場所などさまざまな制約に縛られて生きることでもあります。そうした制約から解放され、自由に生きること。

「Less is more」は、人生を楽しむために、とても重要な思想だと思うのです。

 今の世の中は、過去の幸せの価値観やストーリーを追い求めていくと、ハッピーではなくなってしまう時代です。

 もちろん、うまくいっている人もいるでしょう。しかし頑張って働いて、モノを買って、昇進したり年収が上がったりしても、どこか幸せを感じられないという人が増えているのは、冒頭のランキングのとおりです。

 先ほど述べたサブプライムローンの例はアメリカの話ですが、けっして他人事ではありません。給料が下がる、会社がなくなる……当たり前だと思っていたストーリーが崩れてしまうことは、今や日本人の誰にでも起こり得る問題です。まずは、その事実に気づかなければなりません。

 最近では、2005年に私が感じたように、流行のファッションやブランド品を買うため、あるいは高級車やマイホームを手に入れるために、長い通勤時間、ストレスフルな仕事や人間関係を続けることに違和感を覚える人も増えてきました。

 モノに興味がないといわれる「草食系」世代が登場したのも、まさにそのひとつの流れだし、私のように、好きなところに住んで自由に働きたいとデュアルライフを始めるのもそう。

 広告やCMなどに影響されてライフスタイルをつくるのではなく、本当に自分にとって大切なもの、幸せはなんだろうと考え、自ら選ぶこと。それが、幸せな人生を送れるかどうかの決定的な差です。

 

HPやブログの記事は勝手に改竄可能

2013年02月21日 | 集団ストーカー被害者を救う会
昨日、差出人の名前から件名まで全て文字化けしているメールが届いたのでNTTのリモートサポーターに問い合わせて安全に処分した。怪しげなスピルチャル系の広告だった。
 その際に、かつて「那田尚史の部屋」というタイトルでHPを作っていたとき、タイトルごと全文削除されたり、普通の私なら決して書かない意図が判然としない文章がカルトストーカーによって引用のうえ罵倒されていた話をした。(しかも相互リンクしない限りは無断引用禁止、と赤文字で明示しているのに勝手に引用している違法サイトで、その管理人の職業はseとある)
 すると実にアッサリ「一定の知識を持っていれば出来ることで、自治体や議連などのHPやブログの文章が改竄され問題になっています」との返事だった。

この件については最近このブログでも触れたので繰返さない。諸先輩や友人から「一切無視すること」との助言をもらったと同時に、研究上の恩師の一人から「闘うべき時には断固とした処分を行うこと」ともアドバイスされている。
 普通の日記や趣味のブログを書いている人ならこういう被害はないが、政治発言、カルト批判、また企業経営者らには、蛇足かもしれないが、必要な知識なので、以下に引用して今日のブログを終えます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E7%AB%84#.E3.82.AF.E3.83.A9.E3.83.83.E3.82.AB.E3.83.BC.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E3.82.A6.E3.82.A7.E3.83.96.E3.82.B5.E3.82.A4.E3.83.88.E3.81.AE.E6.94.B9.E7.AB.84

ウェブサイトの改竄の手口 [編集]

第三者が管理するウェブサイト等のコンピュータ内情報の改竄を行うためには、それらの情報へのアクセスに必要な管理権限を奪う必要がある。その手法は次の2つに大別される。
管理権限を持つID、パスワードを奪取する方法
管理権限を取得するための認証機構を回避し、何らかの手段で改竄する方法
前者には、辞書攻撃や総当たり攻撃など「管理者のIDとパスワードを探るために考えられる組み合わせを片っ端から試す」手法や、フィッシングや電話等で管理者を騙して聞き出したり、特定のパスワードに変更させるよう仕向ける、管理者の作業環境を調べてそこからパスワード等のヒントを炙り出す、といったソーシャル・エンジニアリングと呼ばれる手法がある。
後者には、バッファオーバーランやSQLインジェクションなど、コンピュータ上で動くプログラムのセキュリティホールを利用する方法や、トロイの木馬等を送り付け、これを足掛かりに攻撃・改竄する手法がある。
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次いでセキュリティ会社のサイトより
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130210/455461/

2013年2月10日早朝、2012年から国内を大きく騒がせた遠隔操作ウイルス事件の容疑者が逮捕された。この事態にあたり、セキュリティ対策会社のラックでセキュリティ技術統括を務める西本 逸郎氏による緊急寄稿を掲載する。

 一連の遠隔操作ウイルス事件における真の狙いは、犯人の主張を信じれば「警察をはめる」という部分にある。だが、警察は法的にそうした点に対して直接的には動けず、爆破予告や殺人予告とウイルスの作成や供用で動かざるをえないことに、今回の事件の本質がある。

 そのため、メディア報道や警察の行動による結果が、犯人の狙い通りに動かざるをえなかったことは否めない。こうした類の犯人(警察や国を侮辱する目的の愉快犯)への対抗として、その狙いを実現させない手段への考慮も必要と考える。

ユーザーやプロバイダーは日頃からの備えが大事

 遠隔操作される可能性がある側が日頃から注意すべき点を考えると、いざというときに身の潔白を証明し、遠隔操作している真犯人を追うための手がかりを提供できるか否かということになる。そのため、ウイルス対策ソフトなどにそういう機能をつけていくことも考慮してもよいかも知れない。いざというときに使うパソコンの「ボイスレコーダ」といえるものである。

 一方、踏み台として使用された掲示板やメールのサービスを提供する会社にも、いざというときに備えた、ログの取得、匿名システム経由の書き込みに対する基本姿勢の明確化とその実施が必要と考える。

 犯人の特定を大きく阻むことになった要因が、犯人による匿名化システムの徹底的な悪用だったことは事実である。そのため、匿名化システムの突破への研究は怠れないが、犯罪の温床に使われることへの抑止はなんらかの方法で図っていかなければならない。

名画鑑賞会のおしらせ

2013年02月18日 | 世直しのためにどうすべきか
主権回復を目指す会を主催されている西村修平さんが下のような映画鑑賞と意見交換を催されます。今回は名作『切腹』。私は映画は基本的に一回しか見ないのですが、これは数回見ました。最後の決闘場面は真剣を使ったために物凄い緊張感と迫力があります。映画ファンには必見の映画です。詳細は「主権回復を目指す会」http://nipponism.net/wordpress/ をご覧下さい。
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ご案内 <名画鑑賞・意見交換会>
「『切腹』を見ずして日本映画を語れない」
【開催趣旨】
日本人の心の繊細さ、多様性を知らずして、わが国の文化と伝統を語ること難しい。それは感性を養う作業であり、主として我々は優れた文学作品や名画を通し、豊かな心のあり方を会得していく。そうした観点から主権回復を目指す会は今年度から月一回の予定で名画鑑賞・意見交換会を開きます。

第2回目 『切腹』
 監督・小林正樹  出演・仲代達也(写真) 丹波哲郎 三國連太郎
 昭和37年(1962)松竹制作

万座を圧する仲代達也の演技が圧巻だ
◆『切腹』は映画という表現形式において、日本映画が頂点を極めた作品の一つではないだろうか。宮島義勇のカメラは重厚で、映像は一切の無駄を省いた様式美で研ぎ澄まされている。脚本は橋本忍、精緻を極めた話術が格調高く、日本語の美しさに酔いしれる。その画面に緊迫感を与えるのが武満徹の音楽、尺八、琵琶の効果音が絶妙。美術、衣装、小道具・大道具に至るまでが皆同じだ。

◆映画は武家社会の虚飾と武士道の残虐性を告発する主題。小林正樹監督はこの重い主題を映画という総合芸術の粋を尽くして、万人が楽しめる娯楽作品に仕上げた。『切腹』、それは世界に誇る日本映画の金字塔でもある。1963年カンヌ国際映画祭/審査員特別賞、第13回毎日映画コンクール/日本映画大賞・音楽賞・美術賞・録音賞を受賞。

日時:平成25年2月24日(日)
   17:30開場 17:50上映開始
場所:文京区民センター(2-C会議室)
    東京都文京区本郷 4-15-14 03(3814)6731
地図: http://www.jca.apc.org/~monsoon/bunkyoukumincenter.htm
アクセス:地下鉄 春日(大江戸線、三田線)、後楽園(丸の内線、南北線)、
     JR 水道橋
※会場負担費:300円(任意)

主催:主権回復を目指す会 連絡:西村

教師を一週間不登校にさせた思い出

2013年02月17日 | 思い出の記
私はこのところ夜の10時ぐらいにチャットに行って軽い晩酌をしながら生き抜きをする。
そうしていると、中学生と知り合いになることも多く世相を知ることも出来るから一石二鳥というわけである。

イジメが今どれほど激しくなっているか、聞いていて驚くことがある。学校に行くと「臭い」と言われる、保健室登校を繰返している、久々に登校すると机の上にお葬式のように花が活けてあり自殺ゴッコや葬式ゴッコを強要される、などなど。「教師に訴えても、苛めっ子が教育委員会の役員の息子だから黙殺される」との返事。彼らは自殺予備軍でもあり、なるほど「自殺は殺人」だと考えさせられる。

昔のHPに「苛められっ子のために」というエッセーを書いたことがあり、かなり過激な解決法を提案したら「そこまでズバリものをいう人がいて助かりました」という旨のコメントが入ってきた。

そこで思い出したことがある。
 私が卒業した愛媛の高校は「山の中の受験校」と評判になり、新聞に紹介されたり、他の学校の教師たちが見学に来たりした面白い高校だった。
 6クラスの中で2クラスが受験クラスになっていて、1クラス(50人ほど)は国立大学専用で、愛媛大学に30人ぐらいは合格し、それ以外の大半は昔で言う「一期校」に合格した。受験地獄と言われた時代で、少子化問題がない時代だったので驚くべき進学率だった。一期校とは簡単に言えば格上の国立大学という意味で、田舎だったから早慶、同志社、立命館などは例外として私立高校はレベルが低いと思われていた。

ところが熱心に受験対策には取り組むのだが、生徒の希望する進路は無視してとにかく国立一期校に入れようとする。例えば本人は愛媛大学の教育学部に入って教員になることを望んでいるのに教師は「この成績なら神戸大学の経済学部に通るからぜひ受けろ」という具合で、要するに高校の名誉を高めるために本人の進路、つまり人生を教員が無理やり決めるわけだ。

それで私はホームルームの時間に全員に匿名で教師に対する意見を書かせ、その内容を担任教師の前で読み上げた。案の定、不満炸裂で「こんな進路指導は○○先生の点数稼ぎだ」「自分たちの人生を勝手に決めるな」という意見が圧倒的に多かった。
 そのアンケートを担任に渡したところ、本当に彼は一週間学校を休んでしまった。

後日大学生になってその担任の家に友人と訪問してマージャンをしたとき「俺はあの時本気で教員を辞めようと思った」と告白された。ついでに国士無双をその担任に振り込ませて「つくづくお前は天敵だなぁ」と嘆かれた。もちろん金銭は賭けていない。

後日同窓会があって出かけたところ、この担任は他の受験校の校長先生になられていた。

現在私の出身高校は「山の中の受験校」どころではなく、どうしようもない状態になっているらしい。いい面も悪い面もあったが現役の高校時代を懐かしく思い出す。

いつもブログに時間を食っているので推敲は後日に回すことにして荒書きで失礼します。


精神医学用語

2013年02月14日 | 医療、健康法
今日は疲れているので簡単に精神医学用語を引用して手抜きする。
 私はもちろん精神科の医者ではないが、禅の稽古をし始めたのは鬱病を克服する目的があったので私自身その関連の本を片っ端から読んできた。また、芸術と宗教が専門なだけに精神疾患者とは数多く付き合ってきた。そういう意味では一般の人よりは少し詳しいし、差別も偏見もない。要するに慣れっこになっている。
 ブログで触れたり、過去話題になったもの、などを3つほどwikiから取り上げる。私がよくwikiを採用するのは著作権の問題が無いこと、ある程度中立的な記事が載っているからだ。urlは省略する。以下「片付けられない症候群」ことaddの解説。遺伝性脳障害でまず治らない病気と言われている。
__________
一般にADHDとして扱われるADDは、多動性が少ない不注意優勢型である場合が多い。子供ではICD-10による多動性障害(たどうせいしょうがい、Hyperkinetic Disorders F90)の診断名が頻繁に適用される。学童期までの発症率は1 - 6%で男子の方が女子よりも高い[2]。 しかし、女子の場合は多動が目立たない不注意優勢型に分類されることが多く、発見が遅れがちである。よって、認知される人数が少ないことが推測され、実際の発症率の男女差はもっと小さいとする説もある[3]。

症状

集中困難・過活動・不注意などの症状が通常7歳までに確認されるが、過活動が顕著でない不注意優勢型の場合、幼少期には周囲が気付かない場合も多い。
年齢が上がるにつれて見かけ上の「多動(落ち着きがなくイライラしているように見える)」は減少するため、かつては子供だけの症状であり、成人になるにしたがって改善されると考えられていたが、近年は大人になっても残る可能性があると理解されている。その場合は多動ではなく、感情的な衝動性(言動に安定性がない、順序立てた考えよりも感情が先行しがち、論理が飛躍した短絡的な結論に至りやすい)や注意力(シャツをズボンから出し忘れる、ファスナーを締め忘れるといったミスが日常生活で頻発する、など)や集中力の欠如が多い[1]。遺伝的な要因もあるとされるため、症状は育て方や本人の努力で完治することはないとも言われている[要出典]。成人にADHDを認めるべきかどうかは医師によって考え方がまちまちであるが、近年では認めないとする意見は少数派である[要出典]。ただし、近年の動向を知らずに「ADHDは子供だけの症状である」と考えている医師は少数ではない[要出典]。
うつ病やPTSD、アスペルガー症候群でも類似の症状を呈する上に合併してしまう事もあり、正確な判断はADHDに理解の深い医師(日本に於いては極度に少数)の診断でなされる必要がある。またアスペルガー症候群や高機能自閉症との関連については合併症としてではなく、これらの症状全てを自閉症スペクトラムの中に内在する高機能広汎性発達障害(高機能PDD)の一種として区分せずに診断して取り扱うといった見解も出ている[要出典]。

診断

この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
現在、全世界で、最もよく使われている診断基準(特に統計調査)は、アメリカ精神医学協会が定めたDSM-IV (1994) とその改訂版のDSM-IV-TR (2000) のAD/HDであり、不注意優勢型と多動衝動性優勢型と、その混合型という3つのタイプに分けられる。 DSM-IVではMRIや血液検査等の生物学的データを診断項目にしていない。 1994年に改訂されたWHOの診断基準のICD-10は、ADHDではなく、「多動性障害 (Hyperkinetic Disorder)」とされており、注意の障害と多動が基本的特徴で、この両者を診断の必要条件としている。ICD-10の「多動性障害」は、細部では若干の違いがあるものの、DSM-IVのADHDの「混合型」に匹敵する。
疫学 [編集]

双生児での研究
コロラド大学のジリス (Jacquelyn J. Gillis) らの研究では、ADHDを発症した一卵性双生児が二人とも発症するリスクは、ADHDを発症した一卵性ではない兄弟姉妹の場合の11倍 - 18倍になると報告された。ノルウェーのオスロ大学のグヨーネ (Helene Gjone) とサンデット (Jon M. Sundet)、英国のサウサンプトン大学のスティーブンソン (Jim Stevenson) らの研究では、526組の一卵性双生児と389組の二卵性双生児を調べた結果として、最大で80%までADHDの遺伝的要因で説明できると発表した[1]。
________________
自己愛性パーソナリティ障害の場合は、自分は優れているのだから人を使って当然だと考えて人を利用するが、それとは異なり、欲しいものを手に入れたり、自分が単に楽しむために行うのが特徴である。人を愛する能力や優しさは欠如している上、人の顔色を窺って、騙したりする傾向もある。
反社会性パーソナリティ障害の人は一種のトラブルメーカーに当たり、アルコール依存症、薬物依存、性的倒錯、犯罪といった問題を起こしやすい傾向があるとされる。
事故等で脳に損傷を受けたことで反社会性パーソナリティ障害を発症する場合があるが、これは事故による前頭前皮質の機能不全で起こるものと推測される。
治そうという努力が少ないか、もしくは欠如しているため、治療が仲々うまくいかない上、トラブルを起こすことも多く、治療スタッフの負担が大きくなることから、治療機関によっては反社会性パーソナリティ障害の患者を嫌がることも多いようである。

診断基準

DSM-IV-TRによる診断基準は下記の通り。『DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引』(著者:American Psychiatric Association、翻訳:高橋三郎、大野裕、染矢俊幸、出版社:医学書院、ISBN 4260118862) より引用。
他人の権利を無視し侵害する広範な様式で、15歳以来起こり、以下のうち3つ(またはそれ以上)によって示される。
法にかなう行動という点で社会的規範に適合しないこと。これは逮捕の原因になる行為をくり返し行なうことで示される。
人をだます傾向。これは自分の利益や快楽のために嘘をつくこと、偽名を使うこと、または人をだますことをくり返すことによって示される。
衝動性、または将来の計画をたてられないこと。
易怒性および攻撃性、これは身体的なけんかまたは暴行をくり返すことによって示される。
自分または他人の安全を考えない向こう見ず。
一貫して無責任であること。これは仕事を安定して続けられない、または経済的な義務を果たさない、ということをくり返すことによって示される。
良心の呵責の欠如。これは他人を傷つけたり、いじめたり、または他人の物を盗んだりしたことに無関心であったり、それを正当化したりすることによって示される。
患者は少なくとも18歳以上である。
15歳以前発症の行為障害の論拠がある。
反社会的な行為が起きるのは、精神分裂病や躁病エピソードの経過中のみではない。
____________________
アスペルガー症候群についてはwikiの解説がだらだらしているので別のサイトから引用する。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4より
アスペルガー症候群とは、発達障害の一種であり、そのうち自閉症の一種に分類される。認知及びコミュニケーション能力に軽度以上の障害を持つ。「アスペ」と略されることがあるが、人によっては蔑称と受け取られる場合があるので注意。

概要
主に「場の空気が読めない」「極度に緊張する」「特定のことにこだわりを持ち、邪魔されると極度に不快感を感じる」などの症状を持つ。

診断に関しては検査をすればそれで明らかになるというものではなく、状態と成育歴を診断基準に照らし合わすことで行われる。

アスペルガー症候群(アスペルガーしょうこうぐん、Asperger syndrome: AS)は、興味・関心やコミュニケーションについて特異であるものの、知的障害がみられない発達障害のことである。
「知的障害がない自閉症」として扱われることも多いが、公的な文書においては、自閉症とは区分して取り扱われていることが多い。
精神医学において頻用されるアメリカ精神医学会の診断基準 (DSM-IV-TR) ではアスペルガー障害と呼ぶ。 対人関係の障害や、他者の気持ちの推測力、すなわち心の理論の障害が原因の1つと考えられている。
特定の分野への強いこだわりを示したり、運動機能の軽度な障害も見ら れたりする。
しかし、カナータイプ(伝統的な自閉症とされているもの)に見られるような言語障害は、比較的少ない。
Wikipedia - 「アスペルガー症候群」より。

一般的に自閉症は知的障害・学習障害を伴う事が多いため、知能検査や学校生活で発見される可能性が高い。
対してアスペルガー症候群の子供は知能が平均レベルに達してることが多く、学校の授業にも問題なく付いていけるため「問題児」として処理されてしまうケースが少なくない。
そのような場合、社会人になってから対人コミュニケーションに障害が生まれ、二次障害としてうつ病などで通院した際に発見されることもある。

アスペルガー症候群は、対人コミュニケーションを苦手とするため社会適応にとって不利にも働くが、一方で優れた特性も存在する。
以下はその代表的なもの

特定分野に対する驚異的な記憶力・集中力
記号的な記憶力・思考能力
規律に対する高い忠誠度
視覚情報の処理能力
空想能力が高い

この特性を生かして、高い専門性や狭く深い知識が要求される職業、例えば科学者・研究者・医師などでは優れた功績を残す事も少なくない。
また記号的に物事を把握できる為、システムエンジニアに向いている場合もある。

著名人ではスティーヴン・スピルバーグ、田尻智らがアスペルガー症候群との診断を受けている他、 ビル・ゲイツ、アインシュタイン、ジョージ・ルーカス、トーマス・エジソン等もアスペルガー症候群だと言われている。

アスペルガーは障害か否か
アスペルガー症候群は世界各国で「精神障害」の範疇に入り、日本でも精神障害者として申請可能。
しかし日本の制度では余程の重度な症状でない限りは、精神障害等級は3級に留まり障害年金の対象外となる。
これは対象となる2級の認定要件が「日常生活に支障あり。必要に応じて他人の助けを必要とする」ことであり、アスペルガーはこれに該当しないとの判断によるものである。

しかし、これは裏を返せば「アスペルガーは日常生活を送れる」ということである。
先述の通り、アスペルガーは自閉症のカナータイプと違い知的能力は平均的な数値に達しているし、これ自体が健康を害する病気という訳ではない(2次障害としてうつ病などになる恐れはあるが)

人の感情を察知できない、言葉を文字通りの意味でしか捉えられないというのも、逆を言えば「言葉通りの意味で確実に捉える」能力に長けているとも言える。

実際、アスペルガー症候群の特徴である「特定分野への驚異的な集中力」は高い専門性を要求される職種では重要な要素であり、社会を支える上で必要な存在でもある。

このような事情からアスペルガーは障害ではなく「特性」と捉えるべきだとの声も近年では少なくない。
____________________
なお、アスペルガーは行間が読めない、と言われる。
 試しにネットで出来る診断テストを試したところアスペルガーの可能性はなかった。ちょっと残念な気がする。私は逆に器用貧乏で、国語大好き、詩人になりたいと本気で考えていた文学青年だったから「行間を読むのが得意」で教員を困らせた。「先生その詩の解釈は間違っていると思います」など・・・手に終えない生徒だった。

ちなみに、私は鬱病と診断されてからざっと12年後に禅で鬱病を克服した。一番重いのは13歳ぐらいから始まった不眠症で、眠れないから酒に走りアルコール依存になって肝臓を壊すことを繰返して来た。現在も少量だが晩酌が唯一のストレス解消法になっている。そこで酒を飲むより睡眠導入剤を飲みなさい、現在は副作用がほどんどないから一生飲んでもいい、とのアドバイスに従い20年以上2週間に一度は医師に診断してもらい、睡眠導入剤と安定剤をもらっている。そういうわけで自分の精神管理はプロが定期点検を行っている。軽い躁鬱気味で、オーバーワークが一番危険と言われている。焼酎2合ほど飲めば薬無しに眠れる。

上記3つの中で一番やっかいなのは反省する能力が無い反社会性人格障害だろう。

では遅くなったので失礼します。

東郷健さん追悼

2013年02月12日 | 思い出の記
母校早稲田の鳩ノ巣に暗黒舞踏系の「亜細亜劇場」という演劇部があった。
 と書いて、念のために「早稲田 鳩ノ巣」で検索してみたら駅名、施設名、数学の原理しか出てこない。私の記憶では早大本部のとある建物の最上階にアングラ系の部活が密集し、それこそ鳩の巣が出来るほどのカオス的な空間があった。そこが「鳩ノ巣」と呼ばれていた筈である。この辺りは後日調べてみる。(詳しい方はコメント投稿をお願いします)

ステージは赤色電球が一個点いているだけのほぼ暗闇の中、一人のダンサーが約30分の間ほとんど動かない、という舞踏の後、特別ゲストとして藤色の和服を来た東郷健さんが登場した。
 ここで健さんのプロフィールを調べようとしたら、昨年亡くなられていた。以下いつものようにwikiから抜粋引用する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%81%A5
東郷 健(とうごう けん、1932年6月10日 - 2012年4月1日)は、日本の社会運動家・政治活動家。雑民の会・雑民党代表。本名は、東郷 健(とうごう たけし)。
兵庫県加古川市生まれ。「伝説のおかま」と紹介されることがある。同性愛者ではあるものの、自らの結婚歴や子供の存在を否定していない(下に詳述)。
祖父の名倉次は衆議院議員(立憲改進党)、父の東郷伍郎は兵庫県議会議員であったが、健は地元と絶縁状態だったため、いわゆる世襲候補扱いはされていない。

1955年、関西学院大学商学部卒業。第一銀行行員、ガソリンスタンド経営を経て、ブロイラー養鶏場経営。養鶏場の経営失敗により、多額の負債を負う。返済のため、1963年姫路市でゲイバー「るどん」(三島由紀夫の小説『禁色』のゲイバーの名に因む)を経営。一時は経営するゲイバーが軌道に乗ったが、翌年従業員や行政との度重なるトラブルにて廃業。 なお、関西にいた頃、幼少の頃から父親に鍛えられた柔道の技を使った武勇伝は数知れず、ケンカを売ってきた男を一本背負いで道頓堀川に投げ落としたことがある。

東京にて、1968年ゲイバー「とうごうけん」経営。ゲイ雑誌「The Gay」「ザ・ケン」編集長、ゲイビデオ制作、エイズ啓蒙活動、ゲイのための診療所開設、ゲイ・ゲームズ支援、ゲイバー(「サタデイ」「BAR東郷健」)経営などを手掛ける。特に選挙候補として度重なる供託金の没収や選挙費用のために幾度もの経済的破綻を経験。結果、実家が持っていた日本海側に面する大規模な土地を失う。
______________________
等々とあり、いかに破天荒な人物だったか分かる。祖父が国会議員だったのは始めて知った。
 
ゲストトークの際に本人が語ったところでは「私が関西学院に受かったのは、面接官の教授にウィンクしたから」とのことだった。もちろん真偽は不明である。
 一番印象に残っているのは「オカマの深刻な悩みは50代になって容色が衰えたとき。ここが運命の境目だから自殺しようか真剣に悩んでいる」と言った瞬間で、私は、そんなものかと真面目に聞き入っていた。

その最中、一緒にステージを見ていた友人のGが、私に「おい、ヤバイぞ、さっきから健さんがお前をチラチラ見ている」と耳元で囁いた。私は近視だったのに格好をつけてメガネを使っておらず、目を細くして遠くのものを見ていたので、たまにガンを飛ばしてると勘違いされ絡まれることもあった。それでGのほうがハンサムだったから「お前を見てるんだよ」と答えた。

トークショーが終わると、観衆は畳の上に幾つもの車座を作り、健さんや劇団員たちは一升ビンを持ってお酌して回り始めた。そういうザックバランさが早稲田流だった。そして友人と私が座っているところに健さんがやってきて、友人の言うとおりに口説かれ手の甲にキスされるなどして非常に戸惑ったことがある。
 後日彼が雑民党として選挙パフォーマンスをしている姿を見て、これほど骨のあるオカマだったら頬ずりぐらいされても良かった、と、手の甲にキスされたときの、あのムニュっとした何とも形容しがたい感覚を思い出した。

友人のGは法政大学を中退し、雑誌社に入って働いていたが、私と同様相当の酒豪だったのが祟り、文字通り破滅型の生活を送っていた。最後に逢ったのは、一緒によく通っていた中野のスナックの若いホステスさんと彼が同棲していた頃である。
 ある深夜、一緒に飲んでいたGが「今日はうちへ来て泊まれ」というので行ったところ、そのホステスさんがお摘みを作ってくれた。そこで結構料理好きな私も一品作って飲んでいると彼が突然「いい加減に帰れ」と言うので帰った。それ以来連絡していないが今どうしているだろう。こういう具合に荒れてはいたが、小説の新人賞を一つぐらい獲ってもおかしくない文学青年で書道にも長けていた。

健さんの話題にもどろう。

http://www.youtube.com/watch?v=TQO96Ti6Lac
この政権放送は晩年近くのもので、聞いていると目頭が熱くなる。放送禁止なのか大事な部分が消えているけれど大体の推察はつく。
 私の記憶に残っているのは、開口一番「オカマのどこが悪いんや」から始まり「私の娘の処女を奪ったのはNHK教育テレビの部長です」と告発するもの。政権公約も「若者よ勃て、勃って君たちのスカッドミサイルを30世紀に向かって放射精よ」といったコミカルさと過激さを交えた独特の文章で、私は一時期彼の公約の乗った新聞を保存していた。上に貼ったもの以外にもyoutubeはニコ生動画で政見放送を幾つか見ることが出来る。

天皇陛下から創価学会まで片っ端から批判して行くために、ピーコのような後輩たちは遠巻きにして距離をとっていたようだ。当然芸能界で生きていくためには踏み絵を踏まされているのだから、余り関わりたくない存在だったに違いない。
 多分、彼のような思想をアナキズムというのだろうし、またヒッピーやフラワーチルドレンの申し子という意味でも、死後高名になり評価される典型的な人物のように思う。私と考え方は違う点もあるが、このような凄まじい生き方をして80歳の天寿を全うした健さんに、心から哀悼の意を表します。

グリコ森永犯を応援した頃(思い出の記の一部)

2013年02月11日 | 思い出の記
ヒッピー文化を調べようとしているうちに竹中労の項目とぶつかったので、簡単に備忘録としてメモしておく。

私が大学生の時、大学の一教室で「グリコ森永犯を支援する会」(のような名前)のイベントがあり、興味を持って出かけたことがある。
 壇上には竹中労、野村秋介、それから名前は忘れたが沖縄出身の白髪の老人がいてトークが始まった。

野村秋介は右翼(反米という意味では新右翼)の理論家として名高くテレビの討論番組にもしばしば出ていたが、理論家というよりは心情派、熱血行動主義の人で、志をシャイに語るタイプだった。決して弁論闊達の人ではなかった。
 ちなみに後年朝日新聞社でピストル自決の報道があったその日に、売り切れてはいけない、と慌てて新宿紀伊国屋書店(長寿番組「笑点」のスポンサーだった)に遺作「群青」を買いに行ったところ、意外にも書店に置いてなかった。大事件の直後だから当然山積みにされているだろうと店員に尋ねたが、置いていない、の一言だった。ここまで弾圧されるものなんだな、と感じた。

トークは竹中労の「この中に公安が3人いる」から始まり、いかにも危険な臭いがした。そもそも野村秋介は浪漫派の極右、竹中労は 平岡正明、太田竜と窮民革命論を唱え“新左翼三バカトリオ”と呼ばれていたし、白髪の老人は皇居にトラックで突入した仲間を「自分のトラックがもったいない。盗んだトラックで突入すべきだ」と批判していたほどだから極左。反体制、という共通項以外は敵対する過激派の集まりで、よくこのようなイベントが開けるものだと不思議な気がした。しかしまたそれがこのイベントを魅力的なものにしていた。この頃(70年代の終わりから80年代前半)は野坂昭如も「右も左も蹴っ飛ばせ」という題名のエッセーを週刊誌に連載しており、主義主張は違っても個性の強い人々が「両極端は相通ず」で握手できる古き良き時代だったのだろう。

トークの途中、川内康範から電報が入った。「竹中労は私の舎弟である。グリコ森永犯よ、捉まるな、逃げて逃げて逃げまくれ」というもので、会場に拍手が起こった。竹中労が一瞬ムッとしたように記憶している。少なくとも無表情だった。川内康範は日蓮宗のお寺の生まれ。子供の頃楽しみに見ていたテレビドラマ「月光仮面」の原作者で、これは月光菩薩に由来する。グリコ森永犯に「1億2千万を出すから犯罪を止めよ」とメッセージを送り、唯一犯人たちから「いいオッサンやな」と評価された人物で、後日そんなお金は持っておらず借金するつもりだった、と述べている。晩年「おふくろさん」を巡って森真一と絶縁したことで一躍脚光を浴びたように作詞家として大ヒット曲を数多く作っている。また間違ったらいけないので後でよく調べるが、グリコ森永犯の事件以来警察がデジタル無線を使い始めたと記憶している。

後日談がある。イベントの前に教室の外においてあったノートに住所氏名を書いたところ、竹中労から「資金繰りが苦しいので、3千円を振り込んでくれたら次に出版する本を進呈する」との通知が来た。読んで迷っているうちに忘れていたところ暫くして、確か赤文字のマジックで「貴殿を破門する」との手紙。別に弟子入りしたわけじゃないのにな、と面白かった。こういう封書類を残しておいたらいい資料になったと思うが、引越しも多く、また蔵書がかなりあったのでゴミと一緒に捨ててしまった。

そういえばこの時代、暗黒舞踏の「亜細亜劇場」のイベントで「オカマの健さん」こと東郷健と一緒に酒を飲んだ思い出もあるが、これはまた改めて記す。

アクエリアス連想

2013年02月09日 | 芸術・表現
今夜はスポーツドリンクのアクエリアスから連想が様々に飛んだ。

私は食欲が無いので主治医のアドバイスでスポーツドリンクとカロリーメイトを口に入れておけば一応の栄養が揃う教わった。それで今はアクエリアスビタミンガードを愛飲し、晩酌の焼酎の割り物にも利用している。
 ところが東洋医学のほうの先生からスポーツドリンクは合成甘味料が含まれているので若者に糖尿病が増えている。出来るなら野菜ジュースや日本茶を飲んだほうがいい、との助言をもらった。

そこから若い頃に見たミュージカル映画「ヘアー」で歌われた「アクエリアス」に連想が飛んだ。で検索をかけてみるとhttp://sanmarie.me/music_aquariusという素晴らしいHPを見つけた。おそらく相当人気のあるHPだろうと思う。作り方がしっかりしていて魅力的だ。私のHPもそこに入れているこのブログも「何でもあり」が特質だが、このサイトは映画、書籍批評、子育て、恋愛、に絞って実に几帳面に構成しているのでお奨めする。一部引用すれば
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ところで、私が「アクエリアス」という言葉を知ったのは、1960年代後半に制作されたミュージカルで、後に映画『アマデウス』の名監督ミロス・フォアマンらにより映画化された『ヘアー』の大ヒット曲『輝く星座~レット・ザ・サンシャイン・イン』がキッカケだ。

まだ歌謡番組というものがTVの花で、西条秀樹や郷ヒロミ、山口百恵やキャンディーズといったアイドルが全盛期だった頃、NHKが企画した「当時のアイドルたちが誕生日を元に春夏秋冬のチームに分かれ、歌唱を競い合う」という特番で、冬組が歌ったのがこの『輝く星座』だったのである。

サビの部分で繰り返される、「アクエリア~ス、ア~クエリア~ス」という言葉が非常に美しく、「何の意味だろう」と思い巡らしていたら、姉が「水瓶座の占星術用語である」ことを教えてくれたのである。

以来、私の中で、「アクエリアス」という言葉は特別な響きだったし、この曲を聴くと、未来に素晴らしい事が開けているような気がして幸せな気持ちになった。

それは単に個人の幸福にとどまらず、いつかきっと正しいものが報われ、誤ったものや悪しきものがこの世から駆逐される日が来ると未来に予感せずにいないのである。

それにしても、この『輝く星座』という曲は何と不思議なバイブレーションをもった曲なのだろう。(中学校の音楽の教科書にも載っていた)

ヒッピー文化を象徴するロック・ナンバーでありながら、まるで祈りのような厳かさを感じさせる。
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と書いてある。ヒッピー文化は、もう一つの生き方を求めた祈りの世界そのものだと思っていた私は、渡米体験のある作り手にしては変な文章だな、と思ったが、40代後半らしいので世代格差の問題だと思う。
 ともかく、上記のサイトで映像も元の歌詞と翻訳も見ることが出来る。お奨めします。

私は大学院で映画演劇を専修するまでは文学青年で、映画は所謂「名作」と言われるものしか見ていない、と思い込んでいたが、ロック大好きだったので、実際はこの手の映画は若い頃から見ていたことに今、気付いた。
 高校時代に「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973年、 ノーマン・ジュイソン)は何度も見ており、またこの作品に出てくる音楽のアルバムも持っていたと記憶する。これも同様ロックミュージカル映画の傑作で、真面目なクリスチャンからは上映会場爆破予告など過激なクレームがついたらしい。
 忘れられない場面がある。キリストに助けられた娼婦マグダラのマリアがキリストに恋をして、「どんなに誘っても振り向いてくれない、彼もただの男なのに」と切々と歌う場面である。(「I Don’t Know How To Love Him」http://www.youtube.com/watch?v=kXdNEh97478をぜひご覧下さい)

私はこの日系アメリカ人の歌手イヴォンヌ・エリマンを一発で好きになった。wikiによれば
「1974年、エリック・クラプトンの招きによりエリック・クラプトン・バンドで約5年間にわたってバック・ヴォーカルなどを担当した」とある。
 ここでまた思い出が蘇る。私が大学生時代、クラプトンの来日公演のときに見に行きたかったけれど、チケットが高すぎたか、何かの理由で見れなく残念な思いをした。高校時代にビートルズの「コピーバンドのようなもの」に入ってリードギターをかじり、浪人仲間にギターの名手がいてインプロビゼーションの基礎を教えてもらい、ブルースやジャズも聞きまくっていた私は、畏れ多いことにクラプトンよりもイヴォンヌ・エリマンの姿を見たくてそのチケットを買おうとしたのだった。見に行った知り合いの話では、エリマンは舞台で酔っ払って座って歌ってたらしい。

と、スポーツドリンクの話から連想は次々と進んでいった。フラワーチルドレンとも呼ばれたヒッピー文化のフリーセックスやコミューンの生き方は現在どう評価されるか、など連想は尽きないが、とりあえず今日はこれにて失礼します。


悪の論理から学ぶ

2013年02月07日 | 雑談

春になったかと思えば、また明日から冬に逆戻りとのこと。
このところリハビリをしながら確定申告を含め、色々な用事で忙しいのでブログがおざなりになっている。
 昨夜も投稿しようとしたが、引用元によって数字が違うので迷っているうちに夜中を過ぎてしまい、下書きに回している。毎日書いているブログを突然中止するというのは結構気持ちの悪いものだが、時間の優先順位を考えると仕方ないと居直っている。

ところで、知り合いに「トンデモ学説」が大好きな男がいた。「世界はロスチャイルド家の意思のまま動いている」「坂本竜馬はロスチャイルド家の傘下にあるフリーメイスンのメンバーである」等々、ことごとくロスチャイルド家の陰謀とする論法だった。

ロスチャイルド家が莫大な資産を持っていることは事実だが、私はそういうことに余り関心がない。またフリーメイスンの会員になっている、という人物とネット上で会話したことがある。多分本当だろうが興味が湧かなかった。

たまたま今日のネタ探しをしていたら、上記の説の代表的なものを見つけたので、貼っておく。http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11370447726.html

この中に~初代ロスチャイルドは、その会議で全世界に対する絶対的な支配権を手中に収めるための 「25項目の行動計画書」から成っている「世界革命行動計画」について述べた。~とあり、それを読んでいると、興味深い文章に当たった。

4.道徳律によって支配を行なう支配者は、自ら攻撃にさらされてその地位を追われかねないので、 熟達した政治家とは言えない。 最終目標に到達するために利用されるありとあらゆる手段を正当化できる。 率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障をきたすから、 支配となろうとする者は狡賢さ、欺瞞に訴えなければならない。

8. 酒類、ドラッグ、退廃的道徳、あらゆる形態の悪徳を代理人を通じて組織的に利用することで、 諸国家の若者の道徳心を低下させなければならない。 賄賂もペテンも裏切り行為も、それが我々の目的達成に役立つのであれば、続けられなければならない。

13. 誹謗、中傷、偽の情報を流したことでどのような波紋が広がろうと、 自らは姿を隠したまま、非難されることがないようにしなければならない。 そして、プールした金を活用し、大衆への情報の出口すべてを支配すべきである。

18. 恐怖支配は、手っ取り早く大衆を服従させるもっとも安上がりな方法だ。

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ヒットラーの「我が闘争」にも似た「悪の論理」で、なるほどと思う。今の日本がまさにこのようになっている。

世の中は「善悪二元論」で割り切れるほど単純ではないが、仮に割り切ったと仮定した場合、正直で正義感の強い一市民と巨悪が闘ったら巨悪が勝つに決まっている。上に書いてあるとおり巨悪は巨悪を自覚することで支配者になっているのだから、善意や愛語が通じないのは当然。改悛の可能性はゼロである。

では、正直で正義感のある市民が巨悪に勝つには?

私自身の考えはブログを通してアチコチで書いてきたので繰返さない。また個人個人の立場によって方法論は違うだろう。

話題一転、今日の五行歌は、まだ推敲中だが、次のような一首を詠んだ。

善も悪も
みな白骨に
成り果てて
小石交じりの
土に消え行く

これはニヒリズムの心境の吐露ではなく、ここをスタートラインにしたい、という出発の歌のつもりである。

今日は暖かくて体がよく動いたのに、明日からまた雪とは。健康保持のために今日は早めに寝ます。


出版業界のこれから 電子書籍の問題

2013年02月05日 | 芸術・表現

連日多忙で時間が取れないので、面白いシンポジウムを紹介するだけに留める。

先日も書いたように出版会の不況は深刻で自費出版で鎬を削る状況。またベネッセコーポレーションのシェア率が異常に高く、ここは出版だけでなく教育産業にも手を伸ばし次々と傘下に巻き込んでいる。
 この不況下では独占、寡占化が進むのが資本主義経済の当然の流れで「この道はいつか来た道」の思いがよぎる。

また今の社会は言論の自由、思想の自由が実質的に奪われているため、昔の商店街のように個性をもった中小出版社が多数存在する必要があるが、現状ではお先真っ暗のように思える。
 
ともかく、大きな話題になっている電子書籍の問題についてこのシンポジウムの冒頭の一部のみをコピペする。(メモリが少ないのでなるべく画像やリンクは付けない様にしてきたが、今回は紹介だけなので例外的にリンクします)
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電子書籍時代に出版社は必要か――創造のサイクルと出版者の権利をめぐって (1/7)
7月上旬、「東京国際ブックフェア」の最終日、ある重要な議論の場が設けられた。出版業界の抱える課題が凝縮されたいわば「パンドラの箱」のようなこのシンポの様子を全文書き起こしでお届けする。


 7月上旬――「東京国際ブックフェア」「国際電子出版EXPO」など、国内の出版、電子書籍市場が活況になるこの時期。今年は楽天グループのKoboやAmazon.comのKindleがいよいよ国内でのサービスインかといった話題で持ちきりだったが、この時期、ある重要な議論の場が設けられた。

 それは、東京国際ブックフェアの最終日、急きょ追加されたシンポジウムだ。「電子書籍時代に出版社は必要か? -『創造のサイクル』と『出版者の権利』をめぐって」というこのシンポジウムは、当初の予定になかったこと、また、上述のkoboなどの話題にかき消される形で、あまり大きな話題にならなかった。

 しかし、このシンポジウムは、5人の識者――しかも、登壇した5人すべてが業界のキープレイヤーといってよい面々――が、出版業界の今後を議論した希有な場だった。彼らが論理的、分析的に激論を交わしたことで、現在の出版業界がどういった問題に直面しているのか、そして今後はどうなるのかという大局を示唆したという点で、非常に重要な内容だった。

 そこでeBook USERでは、シンポジウムを聴講した鷹野凌氏協力の下、その内容をここに書き起こし、広く一読いただきたいと思う。

 最初にお伝えしておくと、この記事はとても長い。90分の濃密な議論を書き起こしているからだ。読みやすいよう文意を損なわずに文字量を減らすなどの校正を加えたが、それでも数万文字レベルだ。ひいき目にもWeb向きではないし、分割しての掲載も考えたが、出版業界の抱える課題が凝縮されたいわば「パンドラの箱」のようなこのシンポは、かなり踏み込んだ発言が部分部分で登場するので、分割してしまうと前後関係を見失って読者をミスリードさせてしまうかもしれない。そのため、あえて1つの記事としてお届けする。

 この記事を読み終えたとき、そこに残っているのは出版業界にとっての「希望」なのか、それとも……。では、ご覧頂きたい。

「思い出の記」でも書いていこうか?

2013年02月04日 | 思い出の記

このところプライベートが多忙なので昨日はコメントに答えるだけで終わった。

この3日で訪問者が二人あり、ともに新鮮な空気を吹き込んでくれた。

その内の一人は信仰の関係者。この人は霊感が強く人生の曲がり角やトラブルの真っ最中に突然洗われる

今回も介護倒れの最中、色々な決断をしなければならないときに実に的確にアドバイスして頂いた。「必ずいい方向へ向かう。文筆活動で新しい道が開ける」との言葉だった。

これは以前から言われていた。私は器用貧乏の典型的な性格で、一点集中ではなく、多点同時進行のタイプだから、若く健康なときはそれが可能だったが、家庭のトラブルや、大病など、歯車が一つ欠けると、連鎖的に共倒れになる傾向がある。

私の父は明治生まれの教育家だけあって人を見る目が凄かった。「お前は弁護士が一番合っている」、また「九仭の功を一簣に虧くタイプだから注意せよ」など、資質を見抜いていた。

父の言いつけに従っていれば良かったが、芸術という一番お金にならない分野を選んだ。早大一文と滑り止めの教育学部に両方合格したとき、母親は教育学部を勧めたが父親は「本人がやりたいようにやらせたらいい」と言って、入学後は文学全集を送る、と言ってくれたが「大抵のものは読み終えているからいい」と断った。

文章能力があるというのは子供の頃から言われ、今でも知り合いの多くがそう言ってくれる。「半分の力で書け」とよく言われるけれど、私は2割の力で書いている。微笑禅の会を作ったころからは、美文に拘らず、意味だけ伝わればいい、という究極の手抜きで書いているが、他人がそう言うのなら、信じていいのかもしれない。

しかしこの大不況、出版業界も大抵が自費出版でどうにか切り抜けている状態だから、文筆で身を立てるのは非常に難しい。来訪者は冗談交じりに「直木賞をとりますよ」と言われた。けれど私は以前書いたように、こういうものは談合で決まっていると思うし、私のような危険人物(噂ではそうらしいw)がマスメディアで活躍できるとは思っていない。

が、一人で正しい答えを出そうとするよりは、こういう第三者の言葉に耳を傾け素直に言うとおりにしてみようかな、とも考えている。

以前予告したように、特別な話題がないときは物心が付いたころからの思い出を少しずつ書いていくのもいいかなと考えている。
 勝小吉が「俺がどんなバカだったか子孫の戒めになるように」と書いた『夢酔独言』を読んだときからこの構想があった。

そういうわけで、閑話休題的に長編小説をポツリポツリ書いて行くので、乞うご期待。