那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

芸術は民度の顕れ

2012年09月13日 | 芸術・表現
私は実験映像論を長く教えていました。
日本はアジアで戦前に唯一前衛映画が受容され、製作された国です。
これにもピークがあり、戦前では1930年前後、戦後では1970年前後、そしてバブルの時代、と三度レベルの高い作品が数多く現れました。

1930年前後は作っていたのは超お金持ちですが、時代背景として共産主義という革命思想がありました。また大恐慌の時代とはいっても、大学生やブルジョアジーはほとんど影響がなく、当時の映画を見れば分かりますが普通のサラリーマンでも就職したら庭付き一戸建ての家が買えました。記憶ですが部分的に統制経済が敷かれていたはずです。一番打撃を受けたのは農村部の小作階級で、肥料代のために娘を苦界に売ったほど貧富の差が激しかったわけです。

1970年代前後、あるいはビートルズの時代というべきでしょうか。共産党に物足らない新左翼の革命思想があり、高度成長の真っ盛りでした。この頃の作品は前衛における古典といえるでしょう。ATGの前半期に当たります。

バブル(1980年代後半から1991年ごろ)の時代には、瞬間的に優れた作品が出てきます。但し、危険思想といえるようなものはなく、日本には盛んにポスト構造主義が紹介されました。私はロラン・バルトのファンでしたが、それ以後の思想家になると、言っていることを次々と自己否定していくので文章がダラダラと長くなり、結局何が言いたいの?と聞きたくなります。蓮実重彦がもてはやされたように「表層批評」が流行りました。私は逆のスタンスから批評していたので作品をテクストとか言われると、ムっとしたものです。

そしてバブル崩壊以降現代です。構造的に見れば、前衛的映像が成熟するための二大要素「革命思想と経済の豊かさ」が消えています。すると映像作家たちは「自己プロデュース能力に長けたハッタリ屋」が表に出てくるようになります。また批評の質も堕落したので、自分の目で良し悪しが決定できず、賞を取ったものを褒める、という展開になってしまいます。どういうロビィ外交がされているか知っているはずなのに。

ホリエモンが一世風靡したように、今はホリエモンの子供達がダンスを踊っている時代と言っていいでしょう。