指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

「精神」の無限性

2012年09月29日 | Weblog
昨日まで、今やっている曲に関しての解釈、
というか、それを踏まえた解釈を超えて、考え方などを書いてきました。
そして、きっかけとなった、「死をもって、死を滅ぼす」
というくだりについて、さまざまな議論が沸き起こりました。
 
夕べ、有賀画伯が我が家に訪れ、いろいろな話をする中で、その話になり、
私が言った、「死んだら無になる」という事に議論が移ってきました。
私は死んだら、感覚も思考も全て無くなってしまう、
つまり何も認識できなくなる、という意味で「無」
と言っています。
でも精神、魂、英語で言うところの、spiritは残る、と思っています。
それは、その人の精神、という意味で。
例えば画家であれば、その人が描いた画の中に精神が残っています。
精神そのものが残っている、と言ってもいいと思います。
昨日は有賀さんの画を納入してもらったのですが(これについては後日記述します)
その画は正に有賀さんの精神そのものです。
 
私も弟子がいたりしますが、私の精神はその弟子たちに受け継がれています。
演奏会を聴きに来て下さったお客様にも引き継がれています。
こうやってブログを書き残す事でも精神を残しています。
 
さて、その「精神」ですが、これがまた摩訶不思議、というか、謎のもの。
その人が語った言葉や、作ったものや、肉体として存在するその顔や姿。
それらの根底を成しているものが「精神」
そして、死んだ時には「自分」という存在を超えて、大きな精神の中のひとつ、
というか、ひとつの精神の中に混ざっていく、
何か、そういう感覚で捉えています。
宗教や、もっと言うなら人によってその感覚はちがっているでしょうが、
その瞬間、死をも超える。
つまり「死をもって、死を滅ぼす」
 
ちょっと話はズレますが、「ゾンビ」というのはその辺を上手く捉えているな、
と思います。
彼らには「個」がなく、何かしら全体のような感じ、
一つの精神で動いているような感じ、がします。
 
そしてその精神がひとつの大きな精神に取り込まれ、
それが次に生まれてくる命に受け継がれていく。
だから、人間は太古からの記憶をしょったまま生まれてくる。
なんか、大雑把ですがそういう感じがします。
 
だから私は演奏をする時に、「精神」を込めるようにしています。
それは受け継がれるもの、であるから。
受け継いで欲しい、と思っているから。
 
 
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