昨日まで、今やっている曲に関しての解釈、
というか、それを踏まえた解釈を超えて、考え方などを書いてきました。
そして、きっかけとなった、「死をもって、死を滅ぼす」
というくだりについて、さまざまな議論が沸き起こりました。
夕べ、有賀画伯が我が家に訪れ、いろいろな話をする中で、その話になり、
私が言った、「死んだら無になる」という事に議論が移ってきました。
私は死んだら、感覚も思考も全て無くなってしまう、
つまり何も認識できなくなる、という意味で「無」
と言っています。
でも精神、魂、英語で言うところの、spiritは残る、と思っています。
それは、その人の精神、という意味で。
例えば画家であれば、その人が描いた画の中に精神が残っています。
精神そのものが残っている、と言ってもいいと思います。
昨日は有賀さんの画を納入してもらったのですが(これについては後日記述します)
その画は正に有賀さんの精神そのものです。
私も弟子がいたりしますが、私の精神はその弟子たちに受け継がれています。
演奏会を聴きに来て下さったお客様にも引き継がれています。
こうやってブログを書き残す事でも精神を残しています。
さて、その「精神」ですが、これがまた摩訶不思議、というか、謎のもの。
その人が語った言葉や、作ったものや、肉体として存在するその顔や姿。
それらの根底を成しているものが「精神」
そして、死んだ時には「自分」という存在を超えて、大きな精神の中のひとつ、
というか、ひとつの精神の中に混ざっていく、
何か、そういう感覚で捉えています。
宗教や、もっと言うなら人によってその感覚はちがっているでしょうが、
その瞬間、死をも超える。
つまり「死をもって、死を滅ぼす」
ちょっと話はズレますが、「ゾンビ」というのはその辺を上手く捉えているな、
と思います。
彼らには「個」がなく、何かしら全体のような感じ、
一つの精神で動いているような感じ、がします。
そしてその精神がひとつの大きな精神に取り込まれ、
それが次に生まれてくる命に受け継がれていく。
だから、人間は太古からの記憶をしょったまま生まれてくる。
なんか、大雑把ですがそういう感じがします。
だから私は演奏をする時に、「精神」を込めるようにしています。
それは受け継がれるもの、であるから。
受け継いで欲しい、と思っているから。