指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

「感性」を磨く、ということ

2013年10月31日 | Weblog

音楽を作っていく時、特に指揮をしている時、
その音を、音楽をどのような感じに仕上げていくか、
というのは結構な命題ですし、
その「ボキャブラリー」が多い事に越した事は無いのです。
そしてそれは「経験」でしかボキャブラリーを増やすことはできません。
その経験はあらゆるもの全てを含んでいます。
そしてそれは毎日積み重なっています。
初めての人に出会った時、本に出会った時、画に出会った時、物に出会った時、
食べ物、飲み物に出会った時、初めての町に行った時、
そして初めての曲に出会った時、などなど、
様々なインスピレーションが頭を、心を過ります。
そんなひとつひとつの出会いが人生をも揺るがす事がありますが、
それは人間一人一人、全員に、常に起きることです。
そして日々いろいろな経験をしてきた人が、
一堂に会し、オーケストラなり、合唱なり、オペラなりをやるわけで、
その相乗効果は凄まじいものがあります。
それらを指揮者として受け身側に回った時に、
自分がそれに耐え切れるか、
ということが一回一回重くのしかかってきたりします。
自分がその経験に基づいたボキャブラリーを理解できない、
ということが経験上生じてくるからです。
だから、自分の感性は常に外と内に開いておかなければなりませんし、
人が感じる感性、というものを常に自分の中にも感じておかなければなりません。
その感性を極限にまで高めておかないと、
それだけの感性を持ち合わせていない人までの感性を揺さぶる事はできませんし、
つまりそれは感動させられる人が少なくなる、
ということでもあります。
音一つ一つに、フレーズ一つ一つに、どんな感性を込めていくか、
一日一日が大切だと思います。 
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。

 

偽装問題

2013年10月30日 | Weblog

ホテルの食材の「誤表示」が問題になっています。
ハッキリ言ってどれも傍目には「偽装」としかおもえませんが、
多くのホテル側は「誤表示だった」と主張しています。
まあ、これだけ噴出してきていることをみると、
業界では常態化していたのでしょうから、
これを機に全て膿を出してもらいたいと思います。
食品の賞味期限をごまかしたり、
売れなかったものを再利用して再販していたりして、
何年か前に問題になりました。
その時もあちこちから同じ様な問題が持ち上がりましたが、
その時も今回も、ではどうやってそれが社会に出て来たか、
というと内部で働いている人が疑問に、或は罪の意識に駆られて、
表出した部分も多いと思いますが、
ということは、「ちゃんとやろう」と思っている人が少なからずいたわけで、
そのことは評価したいと思います。
私もホームパーティなどをやったりしますが、
一番大事にしていることはそれこそ「おもてなし」の精神ですし、
それが「和」の大事な精神だとしたら、
今回の「偽装事件」はやはりあってはならないと思います。
正直、例えばこれが他の国で起こっていたら、
「やはりな・・・」とか思っていたかも知れませんが、
日本でこれが起きている、というのは憂うべき事態だと思います。
「和食」が無形世界遺産に登録されるわけですから、
そういう「和の精神」というものも同時に登録するくらいのつもりで、
食に関係している人はこれを機に褌を締め直して欲しいです。 
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。



「美味しいもの」

2013年10月29日 | Weblog

昨日は「美味しいもの」に関して書きましたが、
「美味しいもの」が「美味しくなくなる」
という現象も、ちょっと考えたら不思議なことです。
食品には「消費期限」と「賞味期限」があって、
消費期限はその期限内に食べないといけませんが、
賞味期限はその期限までは美味しく食べられるけれど、
その期限を過ぎたからと言って食べられなくなるわけではない、
ということは周知の事実です。
消費期限というのは食品が腐敗を起こしてしまい、
食べるとお腹をこわす、というイメージがありますが、
実際、多くの食品は加熱すると食中毒にはなりません。
しかしやはり腐ったものはその臭いによって、食べようとは思いません。
しかし納豆やクサヤというのは臭いですが、
食べられる人にとっては別段抵抗も無く食べられるわけで、
これも不思議なことです。
ちょっと話が逸れましたが、痛んできた食材、食品は美味しくなくなる、
というのはやはり不思議な事で、
美味しいと思う基準が人間の脳の中にあるのでしょうが、
しかしその境界線が人によって違いますし、
経験や、空腹の度合いによっても変わってきます。
そしてそれは賞味期限や消費期限内であっても、
美味しくないものは美味しくない。
そして人間は美味しいものを食べて「感動」することができます。
もともとは生存のために、変な味や臭いを嗅ぎ分ける能力が、
美味しい、とか美味しくない、という風に「進化」したのでしょうし、
だからこそ大昔から「味」への追究がなされてきたのでしょうが、
それが美味しいものを食べると心が豊かになる、
というところまで「進化」したのは正直驚くべきことです。
だから本当に美味しいものは「芸術品」として扱われますし、
それらを作り出す技をとって「芸術的」と言ったりもします。
人間の進化、というものはすごいことだな、
と考えさせられることがらです。
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。

 

「自然なもの」

2013年10月28日 | Weblog

昨日は「霊感」という要素について書いてみましたが、
「感動するもの」というものの要素の中には、
本当に説明が難しいものがあります。
それは例えば「美味しいもの」はなぜ美味しいか、
を説明するのが難しいのと似ていると思います。
何か美味しく作られたものに対して、
なぜ美味しいと思うか、ということを作った人に尋ねた場合、
そりゃあ、いい材料を使って、最適な調味料を使って、
素材の味を引き出す様に熱を加えたりして、
最後に愛情を込めているのだから当たり前だ。
と答えるでしょう。
でもそれは実は答えになっていなくて、
なぜその素材は美味しいのか、
その調味料を使うと美味しくなるのか、
というと、例えば科学的に糖分がこれだけで、
これにアミノ酸とかクエン酸などが入っていて、
という説明ができるのかもしれませんが、
だとしたら素材そのものを科学的に配合できてしまうわけで、
実際にはそれは不可能でしょうし、
それに人工的な、化学調味料というのはやはり自然な味ではありません。
それと同じ様に、「なぜ美しいか」というのも説明できるようでできません。
「美しい人」がいたとして、なぜ美しいかを、
例えば目の大きさや、目の間の距離や、鼻の高さや、
などなどを検証してそれに基づき、コンピューターが画面で人の顔を描いたとしても、
やはり人工的な物を感じますし、それは自然の物を感じません。
そこで共通する部分として「自然なもの」ということが挙げられますが、
それが私の言わんとしている「霊感」のようなもの、
だと思っています。
人工的な物の中に美しさをもちろん感じる事も多々ありますし、
作る側もそれを意図して作っているのでしょうが、
あらゆる面で「自然なもの」には敵わないと思います。
そこから「神」という思想、概念が生まれたのでしょうが、
だからこそ、自然のあらゆるもの、
そして音楽の中に、私は「神」を感じます。 
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。

 

「感動」とは?

2013年10月27日 | Weblog

ちょっと前に「芸術」は「感動」である、
とこのブログでも書きましたが、
ではどうすれば、「感動」できる演奏ができるのか、
ということは難題です。
それが分かれば苦労しないからです。
しかし今まで演奏活動をしてきて、
少しは分かっていることを書いてみようと思います。
演奏家の立場から先ず言える事は、
演奏をするためには作曲家が書いた曲が必要である、
ということです。
当たり前の事です。
しかし、この作曲家が書いた曲が感動できる曲でないと、
そもそも感動できる演奏、というのは難しいです。
では何が感動できる曲なのか、
というと、私の経験ではいかに「魂を込めたか」
ということに先ずはつきると思います。
どれくらい「命を削ったか」という言葉に置き換える事もできます。
しかしながら、死ぬ思いをしながら書かなければいけないか、
というとそうでもありません。
出版されている曲、というのはそれなりに認められた曲でもあるわけですが、
その中には作曲家が気楽に、鼻歌を歌う様に作った曲も数多あります。
そしてもちろんそういう曲でも素晴らしい曲がたくさんあるのです。
一方でダメな曲もたくさんあります。
ではその違いは何なのか、というと、
私の感覚では、霊感を使って音楽の神である、
ミューズといかに交信、交流したか、
ということが大事だと思っています。
霊感、や神、という言葉が出てくると、
宗教的な要素を想像されるでしょうが、
ちょっと似ている部分はあると思います。
その「交信」「交流」を通して、流れる様に書かれた音楽、
これは一見気楽に書いた様に見えますが、
そこには霊感が宿っていて、人の心を打ちます。
一方、人が「頭」で考えて捏ねくり回した曲、というのは霊感が宿っていません。
この違いは大きく、演奏する側としてはその霊感に触れる事で、
自分でも思っていない素晴らしい演奏ができるのですが、
霊感のない曲はどんなに頑張っても、
人を感動させる演奏にする、というのは難しいです。
霊感を宿す、という時に作曲家はものすごい集中力を発揮しますし、
その状態になるまでは命がけの事も起きてくると思います。
そして演奏する側も、その霊感を感じるまで自分を高めないといけない。
時には命がけのこともあります。
そうやってお互いに霊感を高める事が出来た時に、
感動する演奏、感動する音楽、つまり芸術が生まれ出る、
と思います。
簡単そうに書きましたが、そんなに簡単な事でもない、
ということをひと言書き添えて今日の文章は終わりにしたいと思います。
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。


昨日の第20回「晩祷」全曲演奏会を終えて

2013年10月26日 | Weblog

昨日は雨の中、東京トロイカ合唱団の「晩祷」第20回全曲演奏会においで頂いた皆様、
誠にありがとうございました。
元アリルイヤ合唱団などの面々の懐かしい顔ぶれにもお会いできましたし、
先日お手伝いをさせて頂いた、伊藤哲哉一人芝居の伊藤哲哉さん、
演出をされた大江利哉さんにも来て頂きました。
昨日で20回を迎えた全曲演奏会ですが、
出来としてはもちろんそうでないといけないのですが、
今までで一番深い演奏になったのではないか、
と思います。
20回全部やっている人は私を含めて何人かいますし、
10回以上やっている団員は全体の半分以上を占めます。
ということは、皆がそれぞれに歳をとっているわけで、
良い意味でも悪い意味でも年齢を重ねた演奏になったと思います。
良い意味、というのは私もそうですが、
年齢を重ねた分、音楽に対する経験を積んで来ていますし、
思想や哲学などもそれなりに深く、広くなっているのは当然のことです。
悪い意味というのは身体そのものの衰えを感じてしまう団員が増えた事です。
それは逆に演奏に対して良い深みを与える部分ももちろんあるのですが、
15曲全部歌い切る、ということが大変な作業になってくる、
ということでもあります。
この曲はそれだけ過酷ですし、命を削られます。
私も含め、多くの団員は最初の数回は15曲というのが途方もないもので、
ページをめくってもめくっても、まだ終わらない、
という感覚になっていましたが、
やがてそれに慣れて来て、15曲を歌う、ということが負担ではなくなりました。
しかし肉体的に歳をとる、ということは15曲全曲を最高の集中力で演奏する、
ということが困難になってきます。
私も家に帰り着いたときはいつも以上にクタクタで、
それは今年の春以降からの身体の不調も重なっているのですが、
「もう来年は歌いたくない」
というより、
「歌い切る自信が無い」というのが正直な今の気持ちです。
今年は休日を取る様に意識していて、
昨年よりたくさん休んでいるのですが、
それでも今月は今日までに二日程しか無く、
そういった事も影響しているのだとも思います。
オクタビストの鈴木雪夫さんが、
毎年「これが最後」と思って歌われる、
というのは数年前から聞いていましたが、
それが頭では分かっていたものが、
今年は身体でも分かりました。
また来年も「晩祷」という高山に登る事ができる様に、
また身体と心を鍛え直そうと思います。
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。

 
 

「芸術」は「感動」

2013年10月25日 | Weblog

私はこのブログでもよく、「音楽とは何ぞや」「芸術とは何ぞや」
などということを偉そうに書き立てていますが、
「芸術」の本質はともかく、「必要事項」のひとつに、
「感動」があると思います。
「感動」が無いものは芸術とは呼べないと思いますし、
「感動」があれば、それは全て芸術だとも思います。
例えば、素晴らしい景色、素晴らしい料理、素晴らしいワイン、
孫がおばあちゃんに宛てた手紙、スポーツでのファインプレイ、
花が咲いたとき、人や動物が生まれる瞬間、その命が助けられた時、
ちょっとサウンド・オブ・ミュージックのMy favorite thingsの歌詞にも似ていますが、
その人その人の感動するポジションは違うでしょうし、
お酒を飲まない人にとってはどんなに素晴らしいワインも、
ただのアルコール飲料でしょうし、
しかしその芸術性、つまり感動性が高いもの程、多くの人々を感動させます。
良く抽象画などを観て、あるいは無調の現代音楽などを聴いて「分からない」といいますが、
それは引いては「感動できない」ということの現れだと思いますが、
それも一つの方向性で全く否定するつもりはありません。
その奥に隠された作者の激しい程の激情、葛藤、というものが感じられれば良いのです。
しかし感動できるものは文句なしに感動できる、
それが芸術の真の、あるべき姿ではないかと思います。
今夜演奏するラフマニノフの「晩祷」はそれを聴いただけで、
掛け値無しに感動できる作品だと思います。
そして一曲だけですが、同じく今夜演奏する「聖体礼儀」は、
あまりにも美しすぎて東方正教会から、「美しすぎて祈るのが難しい」
と退けられた経緯があります。
だから音ととして表出されるだけでも美しいわけです。
しかし私たち演奏家としては、ただ書かれている事を単に「再現」するのではなく、
それを更にどうやって感動の多きものに仕上げていくか、
ということが求められます。
今日は私は合唱団員の一員としての参加ですので、
その度合いをどれくらい深められるかには限界があるかも知れませんが、
自分のできる精一杯のことはやり残して来ようと思います。
 
 
 
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。


明日の演奏会

2013年10月24日 | Weblog

昨日は、明日本番が行われる東京トロイカ合唱団の、
本番前の最後の練習でした。
本番が行われる、東京カテドラル聖マリア大聖堂にての練習でした。
この場所へは私は通常、一年に二度来ます。
本番前最後の練習と、本番の時です。
そして、昨日聖堂へ入って、受付の方の顔を見た時に思ったことは、
昨年この聖堂へ来てからの一年間、
結構色々なことがあったな、ということでした。
こういう仕事をしていると毎年毎年、
それなりにいろいろな事があるもんですが、
この一年は公私に渡って、特に色々あった様に思います。
それらも全て縁ですし、運命ですし、これからも色々あるのでしょうが、
カテドラルへ入った時にそう思ったのは不思議な事でした。
さて、その東京トロイカ合唱団の本番が明日あります。
懸念されていた台風27号の影響もとりあえずなさそうです。
(雨は降るかも知れませんが)
チケットはまだ余裕がありますので、
もしお時間がおありでしたら、ご来場くださいませ!
チケットのご用命はこちらnoboru-kamio@goo.jpまでどうぞよろしくお願い致します。
 
 
 
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。

 
 

小豆島町出身力士、琴勇樹関

2013年10月23日 | Weblog

先日の東京錦楓会で、受付を済ませるとくじを引いていたのですが、
私は琴勇輝関のサイン入り色紙と、XLサイズのTシャツが当たりました。
琴勇樹関は現在西前頭九枚目の力士ですが、
小豆島町出身です。
生まれは丸亀なのですが、本人の希望で中学時代から過ごした小豆島町を出身地としています。
そして佐渡ケ嶽部屋に所属しているのですが、
佐渡ケ嶽部屋は松戸市にあり、松戸駅にも紹介されていました。
何かと縁を感じます。
私は普段は大相撲はほとんど見ませんし、
相撲観戦にも行ったことはありませんが、
小豆島出身の力士、ということで興味は持っています。
6月に行われた小豆島会にも出席していました。
小豆島高校は、小豆島という地にありながら、
私がいた時は、敷地面積は県下で二番目に広く、
土俵もあり、つまり相撲部がありました。
ということで琴勇樹関は小豆島へ転居して来た、
というわけです。
私は島から出たい、という気持ちで東京の大学を受験し、
一度出てからは一度も帰らなかった年も今から思えば何年もありますが、
やはり小豆島の良さ、ということを最近ひしひしと感じています。
また、自分ができることがあれば小豆島の発展に貢献したい、
と思える年になって来たと思います。
東京錦楓会の翌日もBSで路線バスの旅、
みたいな番組があったのですが、
小豆島が舞台でした。
「島」という環境は住んでみないと分からないと思いますが、
島以外の物を受け入れにくい体制があります。
そういうこともあって私は「島」という環境があまり好きではなかったのですが、
今年も瀬戸内国際芸術祭のこともあり、
そして塩田小豆島町長のご活躍もあり、
小豆島というものがどんどん外に発展している様に思います。
フジテレビの「海の上の診療所」のロケ地にもなったみたいですし、
小豆島を舞台にした、「瀬戸内海賊物語」は2014年に上映されますし、
小豆島でロケをした「魔女の宅急便」も同じく2014年に上映されます。
上映されたら観に行こうと思います。 
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。


昨日のコンサート

2013年10月22日 | Weblog
昨日は国立のはっぽんというお店で、
カインズのコンサートでした。
お酒も飲めるライブハウスでのコンサートでしたので、
お客様も大いに盛り上がり、私たちもつられてかなり盛り上がりました。
ちょっと盛り上がり過ぎたのではないか、と反省です。
今回はバリトンの荒木さんの提案で行われたコンサートだったのですが、
その当の荒木さんが、来年以降は関東の仕事を辞めるかもしれない、
つまり、関東には定期的に来なくなる、
という「御布令」を出したので、当初はこのコンサートが最後か!?
という事になりました。
しかし来年はとりあえず関東の仕事も引き続きやる、
ということになりましたので、カインズが解散、という事は無くなりました。
しかし荒木さんがこのような状態で練習、本番を行っていますので、
懸案材料の「オリジナル曲」にどう取り組むかに関して、
二の足を踏んでいますし、練習時間も限られているので、
どのようなサウンドを作っていくか、
というような追究にもまだまだ余地があります。
本当はダークダックスやボニージャックス、デュークエイセスのような、
本格的なカルテットを目指すことも方向性としてはあるのでしょうが、
皆それぞれ、自分の仕事を持っていて、
カインズで生計を立てているわけではありませんので、
そういう方向性も難しいところです。
しかしそんな中途半端な感じで続けていく、
というのも限界があるでしょうし、
なによりコンサートを開いた時にお客様に失礼にもあたりますので、
今後どのような形にこのグループを持っていくのか、
もうちょっと真剣に考えてみないといけない、
とも思っています。
とりあえず、オリジナル曲の作成を念頭に入れて、
機が熟してくるのを待ってみようと思います。
 
 
東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

  ↓記事が面白かったら「ワンクリック」お願いします。