こんな表を見つけました。
極端に日本は少ないですね。
有給を使わない理由として、
第一位 経済的な余裕が無いため
第二位 同僚から否定的な見方をされるため
第三位 家族等とスケジュールが合わないため
第四位 計画不足のため
第五位 繰り越しができないため
だそうです。
だいぶ前にも書きましたが、
ウィーンに知り合いがいる人の話で、
その人が会社から昇進を告げられたら断ったそうです。
理由は休暇が減るから。
以前にモルジブに旅行に行った時にハネムーンで来ている、
という新婚さんは、三ヶ月休暇を取っていて、一ヶ月その島にいる、
ということでした。
どちらもあまり日本では考えられないことでしょうね。
ちなみに、モルジブでは私達の旅行は一週間で、5日間滞在と伝えたら、
「何しに来たの!?」みたいな言われ方をしました。
まあ真面目に働く人が多いから日本の経済はなんだかんだ言っても回っているわけですが、
この表で私が意外に思ったのはドイツです。
30日も有給がもらえてしかも100%使いこなしている。
休暇の使い方も上手いのでしょうね。
日本の場合、例えば一ヶ月休暇をあげる、
と言われたら結局どうしていいのか分からない、
という人がやはり結果的に多い様な気がします・・・
BSプレミアムアーカイブスのアンコール放送、
「南アフリカ 絶景を弾く~アブドゥーラ・イブラヒム~」
を途中からみました。
2010年の放送でしたが、その時点でのアブドゥーラさんは75歳。
そして自分のルーツ、いや人類のルーツであるブッシュマンに会いにいき、
そこで大地にピアノを置いてジャズを弾くのですが、
一つ気づいた事がありました。
それは、ホームコードがGである、ということです。
日本人に分かりやすく言えば、主調がト長調である、
ということです。
つまりアブドゥーラさんが感じる「アフリカの大地」
というのはGのコードである、ということだと思います。
だから、Gコードが鳴る時に大地と連動したような、
安心感のような、そして大地の息吹のような不思議な感覚を感じました。
コード進行で、DやCに移行してGコードに戻って来る時、
飛び上がった身体が大地に着地するような、
そういう感じです。
つまりこれはアブドゥーラさんが感じる、
という次元の話でなく、アフリカの大地、というのはGコードである、
ということなんだと思います。
調性の話は本当に面白くて、
歌の人などは結構作曲家の書いた調を使わずに、
自分の声の範囲に合わせて移調したりしますが、
やはり作曲家がその調で書いた、
ということはその調でなければいけない、
と私は思います。
調性を替える、ということは絵で言うと色を変える、
料理で言うと材料を変える、
というくらい違います。
例えばベートヴェンのシンフォニーで解説すると、
「英雄」交響曲は変ホ長調。これは高貴な人とか、高貴なものを表します。
ホ長調に変えてしまうと、「英雄」が「これから英雄になっていく若い人」
のようなイメージに変わってしまいます。
そして「田園」交響曲はヘ長調。
これはやはり田舎ののんびりした空気を感じさせます。
やはりホ長調にしてしまうと、一気に都会的なサウンドに変わってしまいます。
他にも宗教曲はニ長調とか、ニ短調が多いです。
それは宗教的な響き、つまりキリストの響きなのでしょうが、
これも例えばメサイアの「ハレルヤ」を上がキツいから、
ということでハ長調にしてしまうと、
一気に庶民的な響きに変わってしまいます。
しかし「なぜ」そうなのかは、私は説明できません。
おそらくそれぞれのものが持っている周波数的なものの波長が、
それぞれの調と共鳴するのでしょうが、
そういう抽象的な事しか言えません。
でもアブドゥーラさんの弾くピアノからは、
明らかにアフリカの、サバンナの光景が浮かんで来ていました。
GDPに対する学校教育費の比率が、日本はOECDの平均を下回る、
という結果が発表されました。
比較できる国のデータとしては最低ラインだそうです。
少子化だから子供の数が減って教育費も減った、
という問題ではありません。
日本の場合は昔から子供を家族や親戚がお金の負担をして、
という「習慣」があり、今でも根付いているという部分がある、
とテレビで言っていましたが、
それは昔の話でグローバル化された現代では通用しない、
ということは識者に聞かなくても分かる事だと思います。
出産費に引き続き、教育費も高いから、
結婚や出産は控えて、更に少子化が進む、
ということはもう誰でも分かっているのに、
やはりデータで見てしまうと、本当に日本という国は遅れをとっているのでしょうね。
普通に生活するのだって、いま国民健康保険や、国民年金の額が、
払う方はどんどん上がっています。
一人で生きていくのも大変なのに、
家族がいて、子供ができた、となったら、
喜ぶどころか、気が重くなってしまう、
という時代になって来ている様な気がします。
そのうちに「子供ができた」
と言ったら「おめでとう!」ではなく、
「ご愁傷様・・・」と言われてしまうような時代が、
笑い事ではなくやってきそうな気がします。
私が関わっている音楽の仕事でも、
まず国の、つまり文化庁に充てられる予算、というのがどんどん減っています。
だから、これまで助成をもらってやっていた事業ができなくなり、
先日私は東京トロイカ合唱団で鑑賞教室をやりましたが、
そういう機会も他の団体ではどんどん減っているそうです。
私が学生の頃はそういうところから、外で音楽の仕事をするようになり、
二期会や藤原歌劇団などの合唱の仕事をやるようになり、
そして、だんだんとソリストになっていく、
という時代でしたが、今は学生にそういう機会が回ってくる事は殆どないそうです。
オーケストラもそうでした。
学生の時からオーケストラの一員として参加し、
卒業したら正式に団員、というルート。
不景気で国家予算も赤字国債をどんどん発行しなければやっていけない、
という時代になってしまったので、削減削減、という空気になってしまったのでしょうか、
さて、アベノミクス効果が、教育や芸術の分野まで波及してくるか。
まあ、正直あまり期待はしていません・・・
昨日のトゥーランドットにおいで頂いた皆様、
ご来場誠にありがとうございました。
満員のお客様にも恵まれて、精一杯演奏する事ができました。
そして、素晴らしいキャストの皆さん、
素晴らしい合唱の皆さん、素晴らしいオーケストラの皆さん、
そして私たちを支えて下さったスタッフの皆さん、
皆さんの力が集結して一つの本当に立派な舞台ができたと思います。
それにしてもやはりオペラというのは本当に怖いものです。
大なり小なり、所謂「ミス」の様なものがちょこちょこ起きます。
ミスをしない演奏はいい演奏か、というと必ずしもそうではない、
というのは、別に言い訳でも無くそう思いますが、
しかし無いに越した事はないのは言うまでもありません。
でもオペラでのミス、というのは本番だから起きることも多いのです。
それは、やはりいろいろな人が関わっているからです。
例えば重唱があったとして、ある人は絶好調、そしてある人は調子が悪い、
というようなことが起きていたとして、
どちらにその照準を合わせるか。
これが現場で物凄く判断を強いられます。
上り調子な人は少しでもそのパフォーマンスが良くなる様に、
テンポを揺らし気味に、伸びる音は少しでも伸びる様にやります。
逆にちょっと調子が良くない、という人を発見した場合は、
なるべく声に負担をかけない様にして、
そしてここぞ!というところにピークを持っていく様にする。
これがオペラハウスなどで、毎日の様に顔を合わせていて、
オーケストラもその事を熟知していて、
という状況でもむつかしいのに、
一年に一度だけ公演を行う、という中でそれをするのはかなり大変。
本番中は言葉を交わすことはできませんから、
自分の意志のようなものを指揮棒で、
各方面にはっきりと示しながらやらないといけません。
それでも伝わり切らなかったり、違う様に捉えられたとしたら、
事故というのは起きてしまう事にもなります。
それがオペラの怖さでもあり、しかし逆に面白さでもある、
と私は思いますが、そういう事を孕んでいるからこそ、
聴衆の方も楽しめるのではないか、とも思います。
普通のコンサートでも本番前に良く団員に、
「本番ではどうなるか分かりませんよ」
と言って聞かせるのですが、オペラはその要素が更に強い、
ということなのです。
そしてそんな中でうまくいった時の快感というのは他には替えられません。
だからこそ、終わった後の寂寥感も激しく、
これは味わいたくないな、と毎回毎回思ってしまいます・・・
今日はいよいよ、オペラ「トゥーランドット」の本番です。
オペラというのは普通の演奏会に比べて練習回数が多いです。
理由は、音楽の練習をしてそれを暗譜してもらい、
立ち稽古をやって演技を憶えてもらい、
オーケストラの練習をし、そしてオーケストラと合わせて練習をする。
今回のトゥーランドットも練習開始は5月の中旬くらいからの開始でしたが、
今日までほぼ毎日の様に練習。
それでも何かしらが舞台で起きてしまうのがオペラの怖さでもあります。
大学でイギリスからの客演教授のオペラのアシスタントをやったことがありますが、
普通のコンサートの10倍はアクシデントが起きる可能性がある、
と教えられました。
とは言え、実際に大きな事故にあった事はありませんし、
普通のコンサートでも私達が俗に言う「キズ」がつくこともよくあります。
私は舞台に出て行くときは、自動車を運転するのと同じようなもの、
と思って出て行っています。
それがオペラの舞台となると、VIPを乗せる、
とか初めての道を走る、というちょっとした緊張感を帯びて、
という感じだと思っています。
事故は絶対に起きない、ということはありえませんし、
荒野を一人で走っているのではないので、もらってしまうこともあるでしょう。
でもその予測をできるだけ前からする、
というのも大事な要素です。
そのためには自分の精神が澄んだ湖の水の様に、
そして鏡面の様になった、凪いだ海の様になっていなければなりません。
そうすれば万が一事故に遭っても最小限に留める事ができますし、
留めないといけないのが指揮者の役目です。
会社の不祥事があったときは社長が、
学校の不祥事があったときは校長が、
本当は別のところに責任があったとしても出て来て謝罪します。
指揮者はそれと同じです。
舞台の上で何かしら起きたとしたらそれは体面的には指揮者の責任。
さて、今日もその責任を背負って舞台に出陣してきます。
アメリカの大都市では、単身者を中心に日本のアパートのような賃貸物件が人気があるそうです。
ワンルームでキッチンとバストイレがついている、というような。
「マイクロ・ハウジング」というそうです。
原因は住宅費の高騰だとか。
記事に載っていたアパートは、27平米ですが、
それでも1600ドル。
マンハッタンではアパートの平均家賃が、
10年前と比べて2割以上も高くなったそうです。
かつては日本の住宅のことを「ウサギ小屋」と呼んでいた欧米社会ですが、
環境問題からも、一つの建物に多くの人が住めばそれだけ省エネになる、
という考え方にも変わって来ているそうです。
人の考え方や、習慣、習性などは常に変化する、
ということでしょうが、ただ問題もあるようで、
シアトルでは人口増加に伴う交通渋滞や、
地域のつながりの疎遠化、治安悪化などへの懸念が、
建設反対運動にまでなっているそうです。
アチラを立てればコチラが・・・
ということなのでしょうね。
ちなみに5000万円を出して日本と海外とではどれくらい建つ家が違うか、
というのを載せているサイトを発見しましたが、
結構面白かったです。
昨日は東京トロイカ合唱団で、音楽鑑賞教室をやってきました。
生憎の雨模様でしたが、こういうコンサートは天候にあまり左右されませんので助かります。
この郁文館夢学園は各学年ごとに鑑賞教室を開く、
というとても羨ましいシステムを取っていて、
だからこそ一年生に合唱を聴かせて、校歌も一緒に憶える、
ということのようです。
そして聴いて下さった生徒さんから私の過去のブログ記事にコメントがありましたので、
一部を抜粋させていただきます。
僕はミュージカルが大好きでオペラ座の怪人を見に行ったときに、オペラに少し興味を持ちました。そして学校から東京トロイカ合唱団の鑑賞があると聞いたとき、とても嬉しくなりました。今日の合唱はとても素晴らしい物でした。また機会があったら見に行きたいと思います。ありがとうございました
こういう感想をもらえる、というのがやはり一番嬉しい事ですし、
これからの励みにもなります。
演奏会というのはほとんどの人がチケットを買って、
自らの意思で来て下さるわけですが、
学校の音楽鑑賞教室というのは学校の行事の一部として、
言ってしまえば強制的に聴かされるものです。
受験の対象になるわけでもありませんし、
クラシック音楽を好きでもない生徒も聴かなければなりません。
ということは演奏するこちら側としては、
普段の演奏会の何倍もの知恵を絞り、エネルギーを使わないといけません。
聴いてくれた生徒が、「なぁんだ、音楽や合唱ってつまらない・・・」
と思ってしまったら、将来のファンを減らす事にもなってしまいます。
そんな鑑賞教室も年々、いろいろな事情で減ってしまっているのが現状ですが、
しかしやはり十代のうちに、こういう生の演奏会を聴いておく、
というのは大事なことだと思います。
良いものに触れる、ということは感性を育てる事に欠かせない事ですし、
良いものかどうかを判断する、というのはその感性がないと不可能です。
上記の様に、いやいや聴かされている生徒さんもいるでしょうが、
だからこそそういう生徒さんも「聴いて良かった」
と思ってもらえるような演奏を常に目指したいと思っています。
日本の若者も就職難ということですが、
お隣中国も深刻なようです。
産経ニュースによると、大学生内定率は過去最低、35%、
大学院生になると、26%だそうです。
ちなみに就職難とされる日本の今年の就職率は93.9%です。
ということは中国がいかに低いかわかります。
なぜそんなに悪いかというと、経済成長率が落ちて、
企業の求人ニーズが落ちているということだけではなく、
大学の教育体制が社会に対応できていないということと、
大学生が給料の安い会社に行きたがらないからだそうです。
そしてその原因は親の方にもあるという事らしいです。
ご存知、中国は一人っ子政策で大事に育てられているのですが、
だからこそ、大学まで卒業させると結構な教育費がかかっているので、
安い給料のところには就職させたくない、という事情があるということです。
世の中はいろんな人のいろんな気持ちや思いや考えで成り立っているのは言うまでもないことですが、
それらのバランスがとれないとこういう事になるわけですね。
それにしても35%という数字は低すぎると思いますが、
就職した卒業生にしても、55%しか就職先に満足していず、
さらに三年後には36%まで下がってしまうそうです。
巨大な国の、ちょっと深刻な状況ではないかと思います。
イタリアンの川越達也シェフが、自分のお店の評価を、
食べログで「頼んでもいないのに水代として800円取られた」
と書かれた事に関して、
「年収300から400万円の人は何を分かって評価しているのか」
というようなことを発言して物議を醸し出しています。
ご興味のある方はこちらをご覧下さい。
最近はTwitterなどで「失言」してしまって、
議員や職員が辞める事態にまで発展していますが、
こういう発言をする時には気をつけないといけない、
と思いつつ、ついつい全世界に流してしまうのですね。
まあその事は良いとして、私はこのA氏の言っている通り、
普段テレビでファミリーレストランや、ファーストフードの食材に、
川越シェフが点を付けているような番組がありますが、
本当のプロフェッショナルなら、そういう番組には出ないのではないか、
というのが私の意見です。
高級フレンチや高級イタリアンには残念ながら行った事はありませんが、
それでもそこそこのお店に行って食べるものと、
ファミレスなどで食べるものはハッキリ言って比べられません。
ファミレスやファーストフード店のものは、
正直「お腹を満たすだけ」という感じのものですし、
正直、店員や店の内装などもそれなりです。
でもそれはお客がそのお店を選んで入るわけで、
それで全く問題ないし、
そこでどんな添加物が含まれていようとも、
外国産の怖い食材が含まれていようとも、
それを承知で食べているわけだから文句は言えません。
私が言いたいのは、そんな高級イタリアンを経営している、
一流シェフがそれらを食べて「美味しい!」
と発言しているのが違和感がある、と思うのです。
素人の私でさえも「いったいどんな舌をしているのか・・・」
と疑ってしまいます。
もっと辛口をコメントをしているひとがいますが、
その人の言っている事の方がまだ信憑性があります。
まあ、その人にせよ、川越シェフにせよ、
「テレビ的」な演出が相当入っているのは事実でしょうが、
このA氏の言う様に、川越シェフはちょっと自分を安売りし過ぎ、
というか、やはりハッキリ言ってしまうと、
収入を増やすための手段なんだろうな、
と勘ぐってしまいます。
音楽の世界でもそういう「営業」がうまい人がいて、
実力的に「?」なんだけれど、なぜかよく顔を見る人がいますが、
まあ、世の中そういうものの色んなバランスの上で成り立っているのだろうな、
ということだと思います。