指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

O be joyful in the Lord.

2012年09月27日 | Weblog

お祈りである曲を演奏する、ということはもちろん神への感謝、
引いては、この世に存在する、ということへの感謝である、
と私は思うのですが、
今練習しているジョン ラターの曲の多くは、
それを「喜び」という表現で表わしているとおもいます。
 
「この世に存在する喜び」
「喜」という漢字の成り立ちは、正に神への感謝から始まったのです。
まず、「喜」の上の部分は、打楽器を現しているそうです。
ちなみに太鼓の鼓の左の部分もそうらしいです。
そして下の部分が口、
つまり太鼓を打ち鳴らしながら神への祈りを唱える、
という行動が、「喜」という漢字になったわけです。
これは非常に興味深い事で、洋の東西を問わず、
「喜び」は神への感謝の祈りなのです。
 
O be joyful un the Lord という曲の中には、題名にもある、
"joyful"という文字と、"gladness"という文字が入っています。
和英辞書で調べると、
joy; delight; rapture; pleasure; gratification; rejoicing; congratulations; felicitations 
など、他にも「喜び」を現す単語はたくさんあります。
日本語、というか、漢字でも
歓び、慶び、悦び、など。
 
私達は生きているからこそ、色々な事を体験したり、
またその体験から、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、
という感情が生まれます。
生きている人間の特権、と言ってもいいかもしれません。
 
でも現代の人間はその事を少し忘れているのではないか、
という気になる事があります。
まあ、昔の人もそうだったかもしれませんが、
毎日を迎える事が当たり前、食べられることが当たり前、生きている事が当たり前、
もちろんそのための努力は日々しているでしょうが、
感謝の気持ちというか、「喜び」という気持ちをもって毎日を迎えているでしょうか。
実は当たり前だ、と思っている事がとてつもない謎だったりもするのです。
 
だからこの歌を歌うときは、大いなる「喜び」、またその「奇跡」を表現できればいいな、
と思います。
 
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