昨日、混声合唱団ショコラの「むしの音」コンサートにお越し頂いたみなさま、
ご来場誠にありがとうございました。
昨日は本当にここ数ヶ月ない、一日雨でご来場も大変だったのではないでしょうか。
おかげさまでショコラはショコラらしく、
新都心は新都心らしい、良い演奏ができたと思います。
私のカホンは、何年も前に買っていたのですが、
実際には別の人が叩いたりしていました。
私自身はよく考えたら前日22日に初めて叩いて、
昨日の本番で初本番、という後から考えたらビックリものでした!
さて、今朝のNHKあさイチで、「細胞シート」に関してやっていました。
心臓病や、歯周病、膝の関節などの再生に日本では使われていて、
海外では角膜の再生などに使われているそうです。
自分の細胞を培養し、細胞シートを作り、それを患部に貼ると、
そこが再生し完治する、というもので、
ビックリしたのは、細胞シートに血管を通す事によって、
臓器も作り出す事ができる、というところまで今来ているそうです。
人間の病気が治る、とか人間が長生きする、
ということは喜ばしい事だ、とは思います。
私も時々健康を害した時に、本当に健康の大事さを実感します。
しかし、薬を投与したり、自然治癒で治るものだったら良いですが、
手術が必要、という病気になってくると手術を受けた事のない私としては、
結構大変だし、嫌だなぁ・・・と思ったりもします。
でもシートを貼るだけで治るんだったら大歓迎ですね。
しかし懸念もあります。
臓器まで作れる、となった時にそれを突き詰めていけば、
結局老化をしない、ということになっていくんでしょうね。
ということは「死なない」という選択肢も遠い将来にはできてしまうんじゃないか、
ということに当然行き着くでしょうね。
「死なない」ということになったら、どうなるのか、
色々想像するだけで、空恐ろしい感じがします。
人は「死ぬ」という前提があるから、逆に前向きに生きられるのではないかと思うのです。
「死」のみは全員に与えられた平等のものです。
そしていつかは死ぬ、と頭のどこか隅っこの方で考えているからこそ、
その時まで一生懸命生きよう、と思えるんだ!
と昨日の打ち上げで偉そうに話してしまいましたが、
それが違ってくると、どうなるのか、想像もつきません。
そうでなくても日本は「死」について避けているような感覚が私にはあります。
例えば、テレビでは一切「死体」を映しません。
まあ、遺族の事を考えて、とかもあるのでしょうけれど、
「死」というものが実はいつも隣にある、という事をもう少し考えても良い、
考える環境があっても良い、と私は思います。
自虐的になって自殺する人や、酷い人になると、
死刑にして欲しかったから事件を起こした、
という人がいますが、死んだら全て終わりなのです。
もちろん、苦しみや悲しみからは解放されるかもしれませんが、
その解放された事も感じられないのです、死んでしまえば。
まあ本当に老化しなくなったらそれはそれで違う問題が色々出てくるでしょうね。