はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

足助城址と松平郷

2022-03-29 20:22:31 | お城巡り

足助城は、標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した、連郭式の山城です。

真弓山は、足助の町並みを眼下に見下ろす要害の地です。足助城は「真弓山城」とも呼びますが、「松山城」「足助松山の城」とも呼んだようです。鎌倉時代に足助氏が居城したという「足助七屋敷」のひとつとも伝えられますが、この時代の遺物は発見されず、現在残された遺構は、15世紀以降に鈴木氏が築城した跡と考えられます。16世紀に入ると岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返しますが、天正18年康重のとき、徳川家康の関東入国に従って足助城を去りました。<パンフレットより>

この近辺は香嵐渓、三州足助屋敷、足助の町並みなど観光地なので観光化されている感じはあるが当時の雰囲気は大事にされている。入場料300円

南の丸・・すべての曲輪から建物の痕跡が確認され、一部復元されている。手前のカマド跡からは焼けた石や炭が発見されている。

物見台から本丸を見る。

本丸高櫓

高櫓より足助の町並みを望む

 

足助町から徳川将軍家のルーツである「松平郷」に寄ってきた。

<パンフレットより>

江戸幕府を開いた初代将軍徳川家康の祖先は、ここ豊田市松平郷より勢力を拡大して行きました。

家康から8代前・初代親氏(ちかうじ)は、徳阿弥と名乗り時宗の僧として諸国を行脚していて松平郷へやってきたと伝えられています。松平郷で松平太郎左衛門家の婿となり家を継ぎました。親氏は西隣の林添村の薮田源吾忠元を討ち、南方の額田郡乙川上流地域を支配下に治めました。また松平郷中に松平城を築きました。のちに岡崎、三河平野に進出し松平氏は西三河の半ばを治める事に成功しました。

ここにも東照宮があった。「松平東照宮」

あちこちに葵の御紋がある。狛犬はでかいマスクをしている。

徳川家康と松平氏の始祖、松平親氏を祀っている。かつては松平氏の屋敷跡であり、家康もここの産湯を使ったとされる。

東照宮となりにある産湯井戸

門扉には葵紋

井戸には石の屋根があり、中へ降りていく。

岡崎城において松平元康(徳川家康)が生まれたとき、太郎左衛門家七代当主親長(ちかなが)が竹筒へ詰めて速馬でここの水を運んで産湯に用いた記録がある。

下にある二の井戸と三の井戸

始祖、松平太郎左衛門親氏の像

松平家の菩提寺「高月院」

元信君(徳川家康公)御手植の立て札がある枝垂桜

見たことがない花を調べてみたら「ショウジョウバカマ」というらしい

高月院の門が老朽し、建て直すために特別御朱印で寄付金を集めていたので協賛しました。2年後に建て替える予定だそうだ。

">【大改修】高月院山門の改修企画!!〜みんなで山門を創ろう〜

ふるさと本舗の松平饅頭、キャラクターは松平親氏です。

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天龍寺と嵐山(竹林の小径)

2022-03-26 14:12:00 | 旅行、お出かけ

何度か京都観光はあるが嵐山に行ったことはない。なので帰路に京都縦貫道から近い「天龍寺」に行ってみた。

友人は来たことがあるが観光バスだった。渡月橋を車で通り、平日にもかかわらず橋の両側は人でいっぱい。外国人は見当たらないが着物姿の若い女性がいっぱい。そうか、今は春休み、入学・就職を控えた若者がたくさんいるのかもしれない。

臨済宗天龍寺派大本山「天龍寺」・・・(マスクしてるのであえて着物姿女性をいれてみた)

大方丈から曹源池

書院から曹源池

天龍寺で有名なのは「法堂」の天井にある加山又造作の雲龍図だが他にも雲龍図はある。

旧「雲龍図」鈴木松年画伯 が一般公開されていた。

多宝殿・・わずかに枝垂桜も咲いていたが時期が早すぎた。それでも人は多い。

北門出口を出て嵐山・竹林の小径まで散策

あえて着物姿を入れる。いつもこんなにいるのだろうか?

ついでに天龍寺別院塔頭慈済院(てんりゅうじべついんたっちゅうじさいいん)の水摺大弁財天(みずずりだいべんざいてん)にお参り、帰って調べてみると、出世、芸術の神様だそうだ。ここの天井にも「雲竜図」がかかれていたがちらっと見ただけだった。残念

お持ち帰りは天龍寺の御朱印と有職菓子御調進所「老松」の寒紅餅、梅肉を練り込んだ求肥に和三盆をまぶしたほどよい酸味とやさしい甘さが特徴の餅菓子です。包装紙もいい。

 

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福知山城

2022-03-26 12:22:43 | お城巡り

続100名城の福知山城に友人と行ってきた。

現在の城は昭和61年(1986年)に再建整備されました。

パンフレットより>

福知山城は明智光秀が天正7年(1579年)ごろにこの地に城を築いたことから始まります。光秀は築城後、娘婿の明智秀満を城代として入れ、この地の統治を任せました。「本能寺の変」後の「山崎合戦」やその後の一連の顛末のなかで、光秀や秀満は滅ぼされますが、福知山城は羽柴秀長をはじめとした城主を迎え、改修と増築が進められました。

由良川に対し伸びる丘陵を中心に築城された平山城で、城郭及び城下町周辺を堀で囲み、それらを一体的に構築した「総構え」の城として完成しました。

豊磐(とよいわい)の井・・(直径2.5m、深さ50mで城郭内部の井戸としては日本有数の深さを誇り、現在も水をたたえている)(門のところに花嫁さんがいる)

天守より(三層4階)

天守閣で羽生善治竜王のタイトル戦が行われた。(2018年竜王戦第4局)

石垣には宝塔や五輪塔などの「転用石」が使われている(現在発掘調査により約500点確認されている)

福知山市と旧大江町との合併を記念して、「日本鬼師(おにし)の会」が福知山城の天守閣の鯱瓦を原寸大復元したものです。

日本鬼師の会は鬼の里(福知山市大江町)を全国ネットで支える鬼瓦制作集団です。

 

その後、お城城下の「ゆらのガーデン」で海鮮丼を食べ、京都嵐山の天龍寺に向かいました。

 

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