はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

松本城~高遠城址~苗木城址

2021-04-17 21:12:39 | お城巡り

松本駅近くのホテルから松本城までは歩いて10分くらいの距離だったので昨夜はライトアップされた城を見てきました。

そして翌朝は8時30分開城で一番のりで入城。

雪が残る山は常念岳

黒門では足軽侍、門内では肩衣を付けた家臣がいる。

天守には前に登ったことがあるがスタンプを押すには城内に入らなければならない、700円払ったので登らないともったいない。

御座の間

松本城から高遠城址までは約1時間半、もうすでに桜は散ってしまっているので、駐車場も公園内も無料だった。

公園清掃してた人に聞いたら4月1日が満開で11日には散ってしまったそうだ。でも駐車場近くでは違う桜が咲いていた。

高遠のコヒガンサクラは小ぶりで赤みがかった花だが、開花はソメイヨシノより少し早いそうだ。

本丸跡の高遠神社

桜雲橋

高遠歴史博物館にある舟形の山車

江戸城大奥に仕えた大年寄絵島が高遠藩に流された時に囲われた屋敷を復元

帰りにAコープのスーパーに入って「桜漬け」を土産に買いました。

桜もちのような独特な味が好きです。あと、菜の花とマイタケも90円ぐらいだったので。

最後に中津川市にある「続100名城」の「苗木城址」に寄ってきた。写真なんかで前から行ってみたかった。

まずは「苗木遠山史料館」へ

<パンフレットより>

苗木城は、苗木遠山氏により戦国時代(1526年頃)に築城されました。遠山氏は織田氏、武田氏と縁戚関係を結び勢力を広げますが、本能寺の変後、森氏に城を追われます。徳川氏に身を寄せ、関ヶ原の戦い前に家康の指示で苗木城を取り戻しました。この功績により、苗木領1万521石の大名となり、以降明治4年(1871年)の廃城に至るまで約270年12代にわたり遠山氏が治めました。

大矢倉より城を望む

大矢倉

 

馬洗い岩

足軽長屋跡から

玄関口門

帯郭より中津川市街を望む、下は木曽川と玉蔵橋、山は恵那山

天守展望台(二階建ての櫓だったらしい)

当時を再現した模型(当時は板張りと土壁だった)

山城の中で人気投票ナンバー1の城です。「100名城」に入れてもいいくらいの良い城でした。

コメント (1)
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小諸城址懐古園

2021-04-17 15:15:15 | お城巡り

上田城跡から小諸城址懐古園へ・・ここまで予定時間に来れたので後は松本市の宿へ向かうだけなのでゆっくり散策できた。しかも桜はもうあきらめていたが結構残ってる。スマホでたくさん撮ったので良さそうなものだけアップした。

ここは日本さくら名所100選でもある。

<パンフレットより>

小諸城の起こりは、長享元年(1487年)に、信濃守護小笠原氏の流れをくむ大井光忠が、現在の大手門北側に築いた鍋蓋城であると言われてます。天文23年(1554年)佐久地方を制圧した武田晴信(のちの信玄)が小諸城を拡張整備し、天正19年(1591年)に小諸城に入った仙石秀久による大改造を経て、現在の小諸城が出来上がりました。

元禄15年(1702年)越後より牧野康重が入ると、明治維新を迎えるまで牧野氏の居城となりましたが、維新後は廃城処分となりました。荒廃していく小諸城を憂いた旧小諸藩士たちは資金を集めて小諸城を払い受け、本丸跡に神社を祀り、花木を植えて公園にし「懐古園」と命名しました。

国重文の三の門、鉄砲狭間が付けられた戦闘式な建物

国重文の大手門、仙石秀久が築いた時代の建築

大手門は懐古園から小諸駅しなの鉄道線路を挟んで反対側にある。小諸城は別名「穴城」ともいわれ町の中心よりも低いところにある。大手門から懐古園にいくには線路の地下道を通って行く。

富士山方面の富士見台の先は低いが・・・

固有種の「小諸八重紅枝垂」ここは桜の種類の多さでも知られている。

馬場の桜

島崎藤村の詩碑

藤村記念館(藤村は7年間教師として移り住んだ)

天守台から馬場の桜

天守台

 

藤村がよく来た「水の手展望台」

黒門橋

地獄谷(町よりも低いところにある「穴城」でも深い谷の天然の要塞で守られている。)

桜開花状況の観測木

2時間くらい散策したあと4時半頃に松本駅前の「ドーミーイン松本」に向けて出発、6時頃にはホテルに着きました。

ドーミーインは三島、出雲、姫路にも泊まったことがある。屋上にある温泉風呂が売りのビジネスホテルだ。夜泣きそばやヤクルト?アイスのサービスもある。ホテル代は楽天スマホの契約変更とファーウエイからアクオスに変更したスマホで25000ポイントもらったのでそれを利用した。

夜は松本城のライトアップとフロントで聞いた蕎麦屋へ出かけた。

鴨付けそばとたたみいわし、板わさ(少し食べてしまったが・・)と生ビール

店の名は「そばきりみよ田」スマホでみてたら、東京で並ぶ店「蕎麦きりみよた」とは別の店みたいだ。

しかしここも人気店、コロナ禍でも客は入ってる。木曽そばの板看板があった。そば粉は木曽か?

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真田邸・文武学校・樋口邸~上田城

2021-04-17 11:46:55 | お城巡り

九代藩主、幸教が、義母 貞松院の住まいとして1864(元治元年)に建築した松代城の城外御殿で当時は「新御殿」と呼ばれていました。

 

文武を奨励した八代藩主、幸貫が各地の藩校を調べて計画し、九代藩主・幸教の時代に完成した松代藩の藩校です。藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場として1855(安政2年)に開校しました。

槍術所

弓道所

校庭

実際に火縄銃やスペンサー銃、臼砲を操作して発砲するバーチャル体験ができました。

松代藩の家臣で目付け役だった樋口家の旧宅

松代から1時間弱で上田城跡へ

天正11年(1583年)真田昌幸が築城した平城で、徳川の大軍を二度退けた名城。二度もの実戦経験を持ち輝かしい戦果をあげた近世城郭は、全国的にも例がない。この千曲川の分流にある尼ヶ淵が天然の要塞になって強固な防御にもなっていた。

大手門の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために大きさを競ったという。

南北の櫓と櫓門、西櫓が再現されている。

 

 

 

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長野県の百名城

2021-04-16 23:57:24 | お城巡り

西国三十三か所観音巡礼は三十三番の谷汲さん華厳寺を残すのみとなった。京都の番外も一つ残っているが、最後に善光寺にもお参りするといいらしい。べつに行かなくてもいいが善光寺本堂には百観音(西国、坂東、秩父の観音)の分身仏が安置されている。

今回、長野県の百名城は松代城、上田城、小諸城、松本城、高遠城の五つがある。一泊二日で全部行くことにした。

ついでに善光寺にも参ろうと一番に直行した。我が家から高速道で420キロぐらいの距離だった。

高速料金も9千円台にもなった。これから百名城を訪ねるとなるとすごくお金がかかりそうだ。金持ちではない私には働きながら行かないととても無理だ。一般道ばかり走って車で生活しないと達成できないなあ。松代に行ったときは、案内係の人に「百名城巡りをしてる」と言ったら「お金がいるね」と返事がきた。そのとおりだ。けど行きたいなあ・人生一度きりだしなあ・・・・目標持って生きないとつまらんしなあ。・・・ま、達成しなくても悔いは残らんと思うけど・・・・・・・・・。

善光寺に10時ぐらいに着いて(我が家を早朝4時過ぎに出発)最初の城は「松代城跡」へ

平日の仕事は市の観光課の人だろうか?六文銭の鉢巻きをして・・大体は2名以上で案内してる。女性はマスコットを付けたバッグ持参だ・・色々話しました。こういうのはいい、特に外国人は喜ぶ。

松代城(国指定史跡)は武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要害で、当時は「海津城」と呼ばれました。江戸時代、真田氏が松代藩主となると、松代城を中心に真田10万石の城下町が発展しました。《パンフレットより》

この後、真田邸、文武学校を見学しました。・・・・続く・・・

 

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城跡と桜

2021-04-05 20:46:30 | お城巡り

せっかくの日曜日、天気は雨、夏野菜の準備で畑を耕したかったが予定変更で田丸城跡へ、桜も散りかけてきた。

 

天守は地下もあったのだろうか?「忍びの国」の本にも「田丸城」が出てくる。連なった山を切堀して田丸城は作られたらしい。

石垣に桜はよく似合う、天気が悪くスマホ撮影なのできれいに撮れないが。

何気なく見ていた石垣もよく見ると積みなおした後もみられる。手前のコケが付いた石垣の奥の角のほうは新しく積まれている。

このあたりの石垣は野面積でも古く感じられる。

富士見台跡の石垣は一部崩壊している。

 

JR参宮線は昔は外堀だったのだろうか?

ここも左側は新しく積まれている。

崩れかけた石垣、ここも積み直すのだろうか?出来たら元のように直してほしい。続百名城になったのだから。

スマホですぐ調べたら「ウラシマ草」というイモ科の植物みたいだ。あちこちに群生している。

花の中から出ている釣り竿みたいなところ(浦島太郎)から名付けたらしい。ちょっとマムシ草同様、好きになれない花だ。

これはモミジの花か?

 

前にバイト先からもらってきた「すのこ」で生ごみコンポストが家の庭にあるので目隠しに利用した。

周りは肥沃な土壌になるので雑草がよく生育する。草引きできるように開けておいた。

かかった費用はゼロ円。

 

庭門の杉皮屋根が傷んでいる。

田んぼの畔用の波板を利用して瓦風に・・・かかった費用は450円×4枚=1800円

 

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